三昧日記

小心者川筋男の後悔日誌

愛犬手帳と金木犀

2019-09-28 19:37:41 | 日記
毎年この時期になると来年のカレンダーとか手帳とかが気になり始めます。
去年のブログにも同じことを書いたような気がしますね。
――と言うことで,さっそく来年の「愛犬手帳」を作りました。
そうは言っても,実際は去年のものを手直ししただけです。まず,その表紙
をご覧ください。

写真のモデルはわが家のハルちゃんです。
つぎの写真は中身の一例です。

とりあえず,5月の連休のページをご覧いただきました。
申し遅れましたが,手帳の大きさは142.5mm×82.5mmです。

手帳を作り終わって一息ついていると雨が降っていることの気づきました。
その雨音に誘われて外を見ると金木犀の花が目に付きました。つい最近蕾
がついたなと思っていたらあっと言う間に開花です。

わが家の猫の額ほどの庭には金木犀の大木が2本植わっています。いずれも
故郷の母が大切にしていたものです。わたしが引き取ってもう20年になり
ます。以前の家のときはぐんぐん成長したのですが,今の家に越してきてか
ら元気がありません。成長も止まったようです。長い間疑問に思っていたの
ですが,原因はどうも除草剤にあるのではないかと思うに至りました。と言
うのは今の家を建てる前は長い間空き地になっていて,駐車場のように利用
されていました。しかし,舗装などはしていなかったので除草剤をふんだん
に撒いたのではないでしょうか?
あくまでも想像です。
以上

対馬旅行報告

2019-09-22 05:29:31 | 日記
先々週末から先週初めにかけて対馬にいました。目的は対馬のミニ八十八ヶ
所を調べることでした。
対馬には全島の八十八ヶ所があります。これは昭和3年に設置されました。
その全島の八十八ヶ所とは別に地域ごとのミニ八十八ヶ所もあります。現在
わたしの知っている限り9ヶ所にあります。これらは明治・大正時代に設置
されました。(そのほかの時代のものもあるかも知れません。)

9月14日0時5分に博多港をフェリーで出発。7時に厳原に上陸しました。
(船は4時30分に厳原港に着き,直ちに下船できるのですがまだ町は眠って
います。何もできません。)

用事を済ませてまずKC地区の八十八ヶ所を踏査しました。初めての場所です。
山の中の小路に沿って仏像が並んでいます。
これは八番。千手観音です。

本尊はこのようにお堂(のようなもの)の中に安置されているものもあれば
雨ざらしのものもあります。また,対馬では上の写真のように天然の板状の
石を利用したものが多いです。面白い石です。これで屋根をふいた(民)家
もあります。石屋根として有名です。
十番ほど回ったところで蚊が増え,次第に大群となって襲ってきます。わた
しは右手に(大きくて重い)一眼レフカメラ,左手にノート,首からGPSロ
ガーを下げています。いずれも記録のためです。しかし,蚊の大群のためど
うにもならず,調査を打ち切ってしまいました。
とは言ってもせっかく来たKC地区。早足で一回りしながら10番おきに記録
を取ったものです。

翌日はわたしの祖父母ゆかりの地であるNG地区へ。ここにはもう5~6回来て
います。山の斜面が崩落し,いくつかの本尊が行方不明です。今回それを探
して仏像1体と台座2個を発見しました。
その台座の一つ。5年前わたしが初めて訪れたときすでになくなっていたも
のでした。

ここに限らず,多くの台座には寄進者の名前とか帰属などが彫り込まれてい
ます。それによると,対馬島外はもちろん,遠くからの寄進者も認められま
す。そのうちの多くは出稼ぎで来た人達ではなかったでしょうか?わたしの
祖父母もそのような立場でした。

さて,その日の午後はHK地区に移動して不明仏の捜索です。この夏に訪れた
とき,番外の石仏が一つなくなっていました。

上の写真のとおりです。これまで何十年もあったのだから,今更盗まれるこ
ともあるまいと知人と2人で探しました。もちろん,事前に管理者に事情を
話し,了解を取り付けました。
ありました。斜面を転がって落ちていました。

元の場所に戻したのですが,頭部がありません。落下したとき離れたようで
す。次回再度探すつもりです。
このように仏像が倒れたり斜面を滑り落ちたりすることは方々の霊場で起こ
っているようです。その原因には風雨といった自然現象もありましょうが,
圧倒的に多いのはイノシシやシカなどの動物の体当たりと言われています。

余談になりますが,対馬には猪はいませんでした。たしか,江戸時代に退治
してしまったということです。それが,最近誰かが買っていたイノブタが逃
走して野生化し,あっと言う間に対馬全島に蔓延してしまったのです。

翌日はTT地区の踏査。
その道すがらKI地区に立ち寄ってみました。
ありました。下の写真は三番,釈迦如来です。

土地の古老婦人(古老と言ってもわたしとほぼ同世代!)に八十八ヶ所に関
するいろんな話を伺いました。どこも同じような悩みを抱えています。
ここは次回以降に詳細に踏査することにし,本来の目的地であるTT地区に移
動しました。

TT地区は対馬全島の八十八ヶ所の一番札所のあるところです。その寺院の周
囲の山の斜面や稜線に沿って88体の仏像が並んでいます。
これは四十四番十一面観音です。

この地区は予想外に広く,一回りするのに随分時間がかかりました。また,
2度ほど道が分からなくなりました。それほどの規模です。
写真,GPSデータを取りましたのでこれからその整理です。

翌日はゆったりとして厳原に戻り,高速船で博多港に戻りました。

今回は行きも帰りも海が荒れていましたが,船酔いはありませんでした。わた
しは酔わないことには絶対的な自信があります。運動神経が鈍感なのでしょう
ね。

ところで,以前このブログで紹介した馬ヶ岳の仏像の名前が分かったような気
がします。「鉄アレーのようなものを左手に持った仏像」と表現したあの仏像
は多分「十一面観音」でしょう。

左手に持っている物は鉄アレーではなく,花瓶のようなもので,それに蓮を生
けているのかも知れません。また,よく見ると頭の上にたくさんの頭のような
ものが認められます。
ミニ八十八ヶ所巡りをしていると次第に仏像にも詳しくなります。
以上

ことしも酔芙蓉の花が咲きました

2019-09-12 20:31:11 | 日記
ことしの夏は何だか天気がおかしかったですね。そのためか,わが家の庭の
酔芙蓉もほとんど花が咲きませんでした。9月も中旬になるので「今後咲くこ
とはあるまい」と切ってしまう予定でした。
しかし,けさ一輪の花が開いているのを発見。切るのは延期しました。

上の写真は7時過ぎに撮ったものです。純白が綺麗です。

16時頃外出から戻ったらすでに赤くなっていました。

名前のとおり酔っているようです。

もう少し時間を置いて撮るつもりでしたが,気づいたらもう20時。これは
大変!真っ暗な中で撮りました。

花は真っ赤になっており,すでにしぼんでいました。そして,その横にあす
咲きそうな蕾が膨らんでいました。

去年も同じことを書いたと思います。酔芙蓉から高橋治の「風の盆恋歌」を
思い出します。つい最近何度目かの読書を終えました。愛読書と言えるかも
知れません。
しかし,わたしの一番の愛読書はやはり何と言っても「電気磁気学」なる教
科書でしょう。もう何回読んだでしょう?何回と数えるのが難しいほどです。
それでも恥ずかしながらまだ理解できていません。

話しが変な方に行ってしまいました。また来年の開花を楽しみにしています。
以上

天ぷら定食で満腹!

2019-09-09 05:46:22 | 日記
知人においしい天ぷら屋を紹介され,一昨日行ってみました。「Hお」とい
うその店(食堂)はチェーン店で,わたしは当地から最も近い久山店(?)
に行ったものです。

駐車場はかなり広くとってあり,駐車場に困ることはなさそうです。

しかし,入口を入るとそこから先へは行けませんでした。中の行列がいっ
ぱいなのでした。

どういう状況か理解できなかったのですが,中に入って納得。

食事をしているカウンター席の後ろに長椅子(とでも言いましょうか?)
にずらっと坐って待っています。カウンター席の人数と同数以上の人達が
待っていたのです。

およそ40分ほど待たされました。しかし,思ったより早く食事にありつけ
た気がします。回転が速いのですね。(わたしは念のため本を1冊持って
いきました。読んでいるうちに順番が回ってきたということです。)

注文したのは野菜天ぷら定食です。テーブルにはイカの塩辛や高菜漬けな
どが置かれており,これだけでご飯を1杯食べられそうです。
久しぶりの天ぷら定食に満足して店を後にしました。
気になるお値段ですが,まあまあ納得のいく(安い)金額です。
なお,店内は清潔感にあふれトイレも綺麗でした。
以上

初秋のサイクリング

2019-09-07 06:49:12 | 日記
朝夕は涼しくなりました。もう秋ですね。
きのう久しぶりにサイクリングを楽しみました。目的地はいつもの添田町の
中元寺(ちゅうがんじ)です。当地から往復約50kmです。

家を出て間もなく今川沿いのサイクリング道路に降ります。正面に英彦山が
見えました。

故郷の霊峰です。標高は1,200mです。

およそ1時間で赤村です。ここは田川郡内唯一の村です。故郷のシンボルで
ある岩岩山(がんじゃくさん)が形の良い姿を現しました。標高約450mで
す。

この赤の南側に津野と呼ばれる地区があります。うろ覚えですが,昔この地
域は「吾勝野(あかつの)」と呼ばれていたとのこと。武力や戦闘と関係あ
りそうな名前です。それが「あか」と「つの」に分かれたそうです。(間違
っていたらご免なさい。)
私見では「あか」は水を表し,もし「あかつの」と呼ばれる地があったとし
たら,「水のある(多い)野」という意味だと思います。「つ」というのは
現代語の「の」の意味に近い助詞です。今でも「まつげ」という言葉に残さ
れています。まつげ=目の毛ですね。「わた(海)つみ(神)」も同様です。
間違っていたらごめんなさい。

さて,中元寺の友人宅でちょっと休憩の後帰路に。
途中畑谷川にかかる橋から岩岩山が見えました。

わたしが子供の頃この橋の横に大きな柳の木がありました。それに梟が住み
ついていて夜な夜な「ホー,ホー」という声が聞こえたものです。
また,子どもの頃この小川でよく遊んだものです。泳ぎを覚えたのはこの川
の淵と共同浴場ででした。当時の川は水が綺麗でした。アヒルが放し飼いさ
れていて一度だけその卵を発見して持ち帰ったことがあります。
もう60年以上も昔の話です。