年金暮し団塊世代のブログ

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フェルメール作品メモ(#16)  天秤を持つ女

2008年08月03日 | フェルメール


Woman Holding a Balance 「天秤を持つ女」
c.1664, oil on canvas, 40.3 x 35.6 cm
National Gallery of Art, Washington, USA


昔この絵は 「Goldweigher」(金を量る女)とも 「Girl Weighing Pearls」(真珠を量る少女)とも呼ばれていた。 しかし若い女が手に持っている天秤は空でる。 真珠の鎖、金の鎖、コインが込った宝石箱という貴重品が彼女の前のテーブル上にばらまかれている。 窓の傍に鏡があり、後の壁には「最後の審判」の絵が掛かっている。
 この、絵の中の絵は、このシーンについての色々な解釈を呼び起こしている。 例えば婦人の行動は「最後の審判」に於ける、魂を量り判定するものと解釈出来る。 「最後の審判」の絵そのものは、現実的な中庸を励起させるものと理解出来るかも知れない。


フェルメールは1660年代半ばにスタイル的に同じような3作品「#15/手紙を読む青衣の女」(1663-64)、 「#18/水差しを持つ若い女」 (1664-65)、 「#19/真珠のネックレスを持つ女」 (c.1664)を描いている。 部屋の中で物想いにふける婦人の立像であるが、これら3作品は広い意味で風俗画である。 しかし、この絵は、婦人の後方にある「最後の審判 」の絵が、手に持っている天秤との関連で神学的な意味/寓意を持っていると考えられている。  (以下、寓意の解釈論は省略)

婦人は金や真珠を量ってはいない。 フェルメールは秤皿の明るい部分を、この絵中にある金を描くのに使った Lead-tin-yellowでは描いてはいない。 秤皿の青白いクリーミーカラーは真珠のそれと似ているが、彼は真珠はまた別の描き方をしている。 反射している部分と半透明の部分を表現する為に、真珠は2層のペイント、薄いグレーぽい色の上に自のハイライト(光を反射している明るい部分)で描いている。 例えば、箱を覆っている真珠の鎖は、真珠自体のサイズ(薄いぼやけた層)はほぼ同じ大きさだが、真珠の輝く部分(厚い上層)は当たっている光の量に応じてサイズを大きく変化させている。 彼は窓からの光が反射している秤皿の明るい部分を一つの層で描いている。 更に、テープルと宝石箱の上には真珠の「鎖」は置かれているが、量られるべき真珠の「粒」は一個たりとも置かれてはいない。

この絵は1660年代初中期のフェルメールの鋭敏な調和感を代表する絵でもある。 婦人は右手で天秤を静かに保持し、伸ばした小指は水平のアクセントになっている。 左腕はテーブルの端に優しく置かれ、天秤の周りの空間を囲い込み、窓から降り注ぐ柔らかな陽光のアークを浮き出させている。 フェルメールは、天秤の為に創り出された小さな空間にある壁に対して完全にバランスさせた、だが対称形ではない天秤を宙に浮かせて描いている。 更に、天秤の為の十分な空間を創り出す為に、後方の絵の額縁の下端は、婦人の前側が後側より高い位置になっている。 水平と垂直の、空虚感と重量感の、暗い部分と明るい部分の相互作用が、巧妙にバランスされた、しかし静的ではない構図を創り出している。

1994年の修復作業で、特にテーブル上の青いローブに見られる、フェルメールの光と色に対する並外れた感受性が確認されると共に、最もショッキングな発見は「最後の審判」の黒い額縁の重ね塗りであった。 黄色のカーテンと、婦人のコスチュームの黄色と赤のアクセントと視覚的にリンクしている額縁の金色の縁取りは、右上部のアクセントになっていると共に、ダイナミックな構図上の意図を表現している。

尚、消失点は天秤を持った手の左側にある。 (X線写真で確認)


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