ダンポポの種

備忘録です

11月の最後に、光!?

2022年11月30日 23時19分00秒 | 日記・雑記
今月の歩数まとめ
「今月もいろいろあって、歩数は少ないまま終わってしまった」
「最近さっぱりだな
今月の歩数合計は5万3000歩でした。甘南備山は2回。
おかげで(?)このごろ体重が増え気味です。
こりゃいかん、と思っています。
(*_*)

   ◇          ◇          ◇

きょうから、わが家のインターネット回線が〝光〟に

きょう、工事の人がやって来て、新しい回線を設置してくれました。
光回線というやつ」(今さらですけど
実は、今までわが家はADSLだったのです。
私はそれで全然不便を感じていなかったけれどな。
『2023年にADSL終了』の旨、数年前からわが家へもNTTの通知が届いていました。何回も届いていたと記憶します。でも私は、見て見ぬふりというか、まだ先の話やろ?って。「回線を切り替えなきゃいけないな…」と分かっていたけれど、結局放ったらかしにしたまま月日が過ぎ去って、今日になりました。
そうなることが分かっているのにギリギリまで問題を放置する悲惨な傾向、健在!?



副反応終わる

2022年11月29日 23時13分00秒 | 日記・雑記


ワクチン接種4回目に伴う、副反応(発熱)終わりました
元気復活~

やっぱり今回も、発熱しました
昨日は午前中から熱が出て、夜にかけてずっと発熱でした。
こまめに体温を計りながら過ごしたけれど、今回は37.9℃が最高値でした。過去のワクチン接種後の経過からも、私の場合は38℃ぐらいの発熱(=副反応)が生じる傾向があるみたい。
やっぱり、37度を超えたらシンドイですね。起きているより、寝ていたい。

今回は、準備していた<解熱剤>も飲んでみた。
一日3回飲める錠剤です。
昨日、午前と昼に服用した。飲んだあとは確かに熱が下がりました。
(夜は)どうせ寝ているだけだから…と思い、昨日の夜は服用しなかった。
一晩寝て、今朝起きたら、もう熱は下がっていました。

きょうは朝から普段通りに過ごしました。
もう体調は大丈夫です。
ワクチン4回目、無事終了ー



4回目接種済む

2022年11月27日 22時23分00秒 | 日記・雑記

きょう、新型コロナのワクチン接種「4回目」を受けました。
精華町の集団接種会場で受けました。ファイザー
「わしは4回目まで全部ファイザー」
前回接種(3回目)から7か月半のインターバルで、今回の接種となりました。

先日ブログに書いたけれど、もともと先月(10月30日・日曜日)に4回目接種予約をしてあったんだけど、親父の告別式とぶつかったので急遽キャンセルする羽目となり、後日改めて予約を取り直して、きょうの接種に至ったものです。予約が取れて良かったよ。助かった

会場での案内誘導も親切で、スムーズに接種を受けることができました。
ありがとうございました。
(*^^*)

   ◇          ◇          ◇

夜になって、今のところは、まだ元気です。ふだん通りの体調です。
でも、たぶん明日になったら発熱するんだろうな。副反応、覚悟

副反応が収まってふだんの体調に戻ったら、またブログで報告します。

※今回は解熱鎮痛剤を準備してあります。



神宮枠1、近畿へ

2022年11月24日 22時33分00秒 | 日記・雑記
高校野球神宮大会 大阪桐蔭が優勝

【明治神宮大会・高校の部】
きょう決勝
・大阪桐蔭(近畿)6-5 広陵(中国)
桐蔭 000 051 000  6
広陵 030 200 000  5

神宮大会の決勝は、昨年・今年の二年連続で「大阪桐蔭vs広陵」対戦だったのですね。
きょうは、序盤に広陵が大きくリードするも大阪桐蔭が一気に追いつき、ひっくり返したんやね。
大阪桐蔭負けへんなぁ(感心
昨年に続いて大阪桐蔭が優勝し、神宮連覇。おめでとうございます。

これで、来春のセンバツ出場〝神宮枠1校〟は、近畿地区へ舞い込みました。
昨季(今春)と同じだけど、大阪桐蔭が近畿のセンバツ出場枠を1つ増やしてくれた格好です。
来春のセンバツも、近畿6校+神宮枠1校=近畿から7校出場です。

秋の近畿大会ベスト4は、
・大阪桐蔭
・報徳学園
・龍谷大平安
・智辯和歌山
この4校はセンバツほぼ確実だろう。
あとは、ベスト8から3校が選ばれるのかな?
ベスト8は、
・高田商
・彦根総合
・履正社
・社
この4校から3つ選ぶっていうのも、悩ましいことですね。
どのチームが選ばれるのだろう。
((+_+))



奥甘の山道へ

2022年11月20日 22時48分00秒 | 散歩・ウォーキング


午後、散歩出動。甘南備山へ今月2回目。

きょうは雨の予報だったと思うけれど、うちの地域では、日中は曇り空でした。
昼過ぎ、散歩に出かけても大丈夫そうな空だったので、出動しました。



↑新田辺から歩き始めました。まず、木津川自転車道を歩く。
 自転車道の田辺橋付近から甘南備山をのぞむ。



↑大住橋のエノキ。
 まだ葉っぱが付いていますね。冬には全て落葉します。



↑大住橋付近の手原川沿い。さくら並木です。
 こちらは、もうほとんど葉っぱが落ちています。冬の風景やね。
 このあと、大住駅前を経て甘南備山へ向かいました。



↑登山口に着く。
 立ち止まらずにそのまま登山開始しました。きょうは管理道路から登りました。



↑防火水槽のまえを通過。



↑管理道路には落ち葉がいっぱい。



↑紅葉の色づき。「まだ早いんかな



↑山の中だから朝晩は冷え込むのだろうと思うけど、色づきは〝まだまだ〟やね。



↑鳥居前広場まで登ってきました。疲れました



↑てっぺん神社へは立ち入らず、鳥居の手前で小さくお辞儀して通過しました。



↑雄山から雌山へ移動。大津越にて。



↑三角点広場に着きました。



↑三角点広場からの風景。
 木々の葉っぱが落ちたみたいで、そのぶん眺望が良くなってる?



↑雌山登山道から下山しました。



↑まっすぐ下山せず、赤い鉄塔のところへ行ってみた。
 ここから〝奥甘南備〟のほうへ進んでみました。

★奥甘南備★ 自作の山道ルート図(再掲)
今年1月~2月ごろに自分で歩き回って、山道ルート地図を作ったものです。
雄山・雌山から見ると、さらにその〝奥〟へ続いていく山道です。
ブログ内呼称「奥甘南備」とよぶことにします。(略称、奥甘<おくかん>)

赤い鉄塔が「a点」。
きょうは、a→b→c→f→g→iと進みました。
そのあとフェンス沿いに進み、→h→mを経て大住方面へ抜けました。



↑「i点」。



↑「h点」付近。田辺カントリー倶楽部との境界フェンスに沿って進む。



↑「m点」を過ぎると、田辺カントリーの管理道路を歩いていく。
 「カントリーロードと、呼びたいと思う」
 ゴルフ場のなかを通り抜けていくような格好です。(コースの芝の上を歩くわけではない)




これからの冬場は、このカントリーロード経由で甘南備山へ散歩する機会も増えるだろうな。
夏は、暑さで消耗するので、こういう〝遠回りルート〟を楽しむ余裕がなかったです



予防接種した

2022年11月17日 23時26分00秒 | 日記・雑記
きょう、近所の診療所でインフルエンザ予防接種を受けました。自費四千円
この冬は「流行」の予想が出ているようなので、接種しておこうと思いました。
これで元気に冬を過ごせますように~。


なお、新型コロナワクチン接種「4回目」は、わし、まだやねん
本当は先月末の10月30日(日)に4回目予約をしてあったんだけど、突如親父の告別式とバッティングしてしまったので、急遽接種予約をキャンセルした次第です。しゃーないですわ。
改めて予約をやり直して、11月下旬(今月末)に4回目を受けることになりました(決定済み予定)。
私の場合は、こんども副反応で熱が出るのだろうけれど(恐らく)、それでも、ワクチン接種はしっかり受けておきたいと思います。



忘れ物を取りに行く

2022年11月14日 23時17分00秒 | 散歩・ウォーキング
先週11月9日(水)に京都ヘッドで行事があった。私も出席した。
行事が終わった後、私は、業務上執持物(私の個人所有物中啓)を控室に置き忘れたまま帰宅してしまった。翌日、ヘッドから私へ電話があった。「中啓忘れて帰ったのとちゃう?」って。それで私自身も置き忘れてきたことに気づいた。鈍感~

きょう、忘れ物を取りに、京都ヘッドに行ってきた。

「中啓を受け取るためだけに、行ったの?」
「そうです。散歩ウォークを兼ねて行ってきました」

   ◇          ◇          ◇

きょうは、クルマではなく電車で京都市内へ行きました。
近鉄で丹波橋へ行き、京阪に乗り換えて神宮丸太町まで行きました。


神宮丸太町の改札口前から、散歩ウォークを開始しました
まず、京都ヘッドまで歩いて行き、件の忘れ物を受け取りました。
「忘れ物をして帰ってしまい、申し訳ありませんでした

忘れ物を受け取ってリュックに仕舞い、即、家路につきました。



↑11時32分。もみじのお寺の山門前です。たくさんの人が訪れていました。
 京都ヘッドで忘れ物を受け取った私は、散歩ウォークを再開して家路をたどります。
 でも、自宅まで歩いて帰るのは距離的に無謀。途中のどこかまで、歩きたいと思います。
 神宮丸太町駅の歩き始めからここまで3100歩。まだまだ歩けます。
 「京都駅よりも南までは歩きたいな。桃山あたりかな」



↑京都市京セラ美術館と、平安神宮の鳥居。



↑神宮道から三条通に出ます。ここでは三条通は「東海道」です。



↑白川。橋の上から撮影。



↑三条通から離脱して、川沿いに下がっていきます。
 このあと東大路通に出て、さらに南へと、下がる下がる…。



↑12時01分。祇園、八坂神社前を過ぎます。



↑八坂通の交差点のとこらへんから、東を向いて、五重塔を見る。
 〝八坂の塔〟と呼ばれるやつ。法観寺というお寺だそう。
 私は、東大路よりも東側のエリアに立ち入ったことが少ない。とても少ない。
 観光客は大勢歩いておられますね。



↑東大路通をひたすら下がっていきます。東山消防署付近。



↑東山五条、東山七条、今熊野…過ぎて、東福寺交差点で東大路を離脱。本町通へ進みました。
 12時34分。ここから本町通をひたすら南下。
 ふで稽古で東福寺に来ていたときにも何度か歩いた道です。
 東福寺界隈だから、すでに〝京都駅よりも南〟まで歩いてきたことになるね。
 「この先、ゴール地点は丹波橋か桃山御陵前かなぁ、やっぱり…」



↑12時49分。JR稲荷駅前。
 お稲荷さんにも大勢が訪れていました。
 私は忌中なのでスルーいたします。



↑13時00分。名神高速道路をくぐる地点。京阪藤森駅至近です。
 ちょっと疲れてきました。



↑13時16分、桃山最上町。国道24号線との合流地点です。
 あゝ疲れた ゴールを意識し始めています。
 「ここまで来たら、丹波橋か桃山御陵前だな…」



↑最後の頑張り(?)で丹波橋は通り過ぎました。
 国道24号とJR奈良線の並走区間。
 この付近のJR複線化工事は完成しているようですね。



↑御香宮前の交差点で、一応思案しました。
 ・向島や小倉を目指して、さらに散歩を続行するか?
 ・ここで歩き終えて、桃山御陵前から電車で帰るか?
 すぐに答えは決まったけど。(そもそも最初から決めてた
 「桃山御陵前から電車で帰る



↑13時32分、桃山御陵前駅に着きました。
 もみじのお寺の山門前からは「ちょうど2時間」でここまで歩いてきました。
 神宮丸太町駅からの歩数合計は1万6500歩、歩いた距離は約13km。
 疲れましたわ
 昼どきだったけど、昼めし食べずに歩いたので、疲れ倍増だったかも



晩秋の行事日

2022年11月12日 22時46分00秒 | 日記・雑記


きょうは、うちの業務施設で晩秋の行事をしました。ten nights。
無事に終わりました。

コロナ禍なので、今年も〝お説教の先生〟は来ませんでした。
みんなでお食事するのもナシ!
行事の規模を縮小して、行いました。
ごく数名の出席者がありました。(出席は少なかった)
室内が密にならなかったから、それはそれで良かったかな。
(+_+)



たかさご行き

2022年11月08日 20時52分00秒 | 日記・雑記

きょうは、母と私の二人で兵庫高砂へ行ってきました。
戸籍謄本の関係で高砂市役所に用事がありました。
今はこうして京都南部で暮らしておりますが、本籍地は高砂なのです。

あわせて、きょうはご先祖さまの墓参りもしてきました。
そして、お馴染みですが、持ち帰りには一平「かつめし」です。
(*^-^*)

今までは、高砂へ行くときには、必ず父も一緒に出掛けたものでした。
父母私の三人でクルマに乗って高砂へ出かけるのが、いつものパターンでした。
残念だけれど、もう、父は一緒に行けません
きょうは、母と私、クルマの中で父の思い出話をしながら、高砂まで往復しました。




↑午前中のうちに高砂へ着いて、お昼は「梅はら」でごはん。
 父がいなくなっても、梅はらでランチするという我が家の行動は変わらない(!?)
 今後も、高砂へ来たときにはここへ立ち寄りそうな気がします。



↑お昼のスペシャル定食、2,400円税込。欲張ってこれを注文した
 お肉100グラム、生ハムサラダ、えびフライ、小さなハンバーグ。ごはん・味噌汁、デザート等。
 小さくカットされたお肉ですが、私はこれを楽しみにして梅はらを訪ねます。
 きょうもおいしくいただきました
 これよりも分量が少ない、お肉50グラム・生ハム無しのランチ「梅はら定食」は1,500円税込。
 母はそれを注文しました。いつものことです。


◎一平でかつめしを買って帰る


↑市役所での用事が済み、墓参りも済みました。
 最後は、一平に立ち寄って、かつめしを買って帰りましょ… おううっ

「閉まってるやんけー-なんじゃこりゃー



↑シャッターが閉じていて、貼り紙がしてありました。
 「きょうだけ臨時休業か あしたは平常通り営業か
 なんかしらんけど、臨休のタイミングに当たってしまったな。
 しゃーないです。また次の機会に、買いに来ましょう。
 きょうは、かつめし・あなご寿司をゲットできず〝手ぶら〟で帰途につきました



↑じょうとんバス。高砂市役所前にて。
 このバスの行先表示は「山陽高砂駅」行きでした。
 じょうとんバスは、高砂市のコミュニティバス。
 市民の足として活躍しているんやね。
 ボディカラーが、なんだか独特な風味ですね。
 運行担当は神姫バスだそう。



さあ、また歩こう

2022年11月05日 23時55分00秒 | 散歩・ウォーキング

先月(10月)の歩数まとめ。
月間歩数は12万8000歩でした。甘南備山へは5回。
月初めは〝スタートダッシュ〟ができて、その調子なら月間15万歩どころか20万歩超えも狙えそうな勢いだったんだけどな。中旬失速し、下旬は完全に止まった 散歩できなかった

きょう、ひさしぶりに散歩出動しました。甘南備山へ、今月1回目。


↑新田辺から歩き始めて、京田辺市役所前を通って甘南備山を目指しました。
 きょうは、市役所のそばで、市民まつり(たなフェス)が催されていました。
 「どんな雰囲気なのか、様子を眺めようと思い、きょうの散歩は市役所前を通ってみた」



↑会場そばを通る国道307号線の歩道から眺める。大勢で賑わっていました。
 「私は京田辺市民ではないので、会場の外から眺めるだけにしました」
 「誰でも入場自由やろ? 入って、近くで見てきたらいいのに



↑ステージの様子をズーム撮影。いろいろなキャラクターの姿を確認できた。
 「外からズーム撮影って 入場して、そばで観覧してこいよ
 「いや、私には関わりのないことで…」
 というか、私は散歩ウォークのときはマスクをしていないので、入場するのはマズいだろうと思った。
 (↑マスクしたらええだけ、ですけどね)



↑市役所前をあとにして、国道307号線を枚方方面へ歩きました。
 ここは府境付近。京都府から大阪府へ入ったところ。



↑コンクリート・アーチのところまで、来ました。
 ここで307号線から離脱して、甘南備山のほうへ向かいます。



↑甘南備山へのアプローチ。
 このところ散歩ができていなくて、こういう土の道を歩くのは久しぶり~。楽しい



↑307号線側から歩いてくると、扇池のほとりに出ます。



↑扇池から、甘南備山の山道へ進みます。
 こもりびの小径を歩きました。これも久しぶりに歩くルートです。



↑出島。A-11。



↑ひだまりの小径を進む。



↑A-10から、十番坂を登る。
 夏場は、暑さによる体力消耗が大きいので、この十番坂に挑む元気が出ませんでした。
 夏頃のブログを読み返したら分かるけれど、暑い時期は十番坂へ一度も歩きに来ていないです。
 きょうは久しぶりの十番坂。ぜぇぜぇ言いながら、どうにか登り切りました。



↑鳥居前広場に着く。花が咲いています。



↑つばきの仲間ですよね、きっと。なんていう名前かな。
 さざんかとは言わないのかな。
 花の名前をよう知らんもので…。
 「ツバキみたいな赤い花、と言うわ」
 「ツバキでええんちゃう?」


ところで―、

『身内に不幸があった直後は、神社へのおまいりは控えるべき』
…ということらしいですね。
正直言うと、きょう私は、いつものようにてっぺん神社におまいりしてしまいました
下山後に少し気になったので、帰宅してからネットで調べてみたら(←ありがちな)、そんな情報も出ていたので、おまいりするべきじゃなかったのかなと、反省しています。
おまいりしてしまって、ごめんなさい。
こんどの正月の初詣は控えるものですよね。それは心得ていたんだけど。
四十九日までの期間も、神社へのおまいりは控えたほうがよいみたい。
「同じ期間でも、お寺へおまいりするのは問題ないらしいぞ」
「そっちは大丈夫です。足りてます」
この先、12月中旬までが四十九日の期間です。神社へのおまいりは控えさせていただきます
m(__)m



↑鳥居前広場からの風景。
 きょうは雌山(三角点広場)への移動はパスし、ここからすぐに下山しました。
 ひさしぶりの甘南備山だったけれど、元気に登れて良かったです。



↑下山後、新田辺へもどる途中に、一休寺山門前で。
 門前のもみじ。今はこんな感じです。



親父との最後の日々

2022年11月01日 22時21分00秒 | 備忘録
私の父は、もともと、心臓に疾患がありました。狭心症とか不整脈とかいうやつ。
〝命そのもの〟である心臓に関わることなので、父は定期的な通院を欠かさず、心臓や血管のようすをいつも先生に診てもらっていました。息子の私から見ても、父は自分の健康にすごく気を付けていたと思います。
おかげで、日常生活には何の支障もなく、父は高齢になってからも毎日を元気に過ごしていました。当ブログにも、父母私の三人で1泊旅行に出かけた話や、晩めしで一緒に酒を飲んだ話などを、書いたことがあったと思います。『今夜は実家で晩ごはん会です。親父と酒を飲みました』っていう記事は多かったでしょう?
平和で楽しい時間でした。

コロナ禍になって、感染予防が叫ばれると、父は、なお一層に健康管理に気を付けていました。
父自身は、不要不急の外出をほとんどしませんでした。
「コロナが終息しないうちは、旅行も行かれへんなぁ」って。
私も、高齢の父母を外食や旅行に連れ出すことを控えるようになりました。自粛。
父母私が一緒に出かける先は、せいぜい、アルプラでの買い物ぐらい…でしたね。
あっ、西国三十三寺のお参りには、何回か、三人で行きました。
コロナ以降では、2020年11月に丹後の成相寺と松尾寺。2021年10月に施福寺と葛井寺。同11月に宝厳寺(竹生島)。そして2022年5月に谷汲の華厳寺、これで成就満願。
ほかにも、兵庫県高砂へご先祖墓参りへ行ったことが数回あったと思う。
コロナ禍になってから、父母私の三人で出かけた機会はそれぐらいだったかな。(案外、出掛けてる?)
もっともっと、温泉旅行とか行きたかったなぁ。

   ◇          ◇          ◇

【親父に告げられた、思いもよらぬ病名】

昨年(2021年)春ごろでした。
父は、「胸のあたりがちょっと苦しい」「心臓がドキドキする…」と言い出しました。
狭心症の持病がありますから、私たち家族も「また心臓の血流が悪くなっているのかもよ?」と推察。
早速父は検査入院して、先生に入念に調べていただきました。
けれども、心臓や血管(循環器系)に異常は確認されませんでした。

家族:「心臓は異常ないって、先生言うてはったね」
父:「うーん そうなんかなぁ? でも、まだ、このへんがなぁ…(←胸のあたりを触りながら)」

浮かない表情の父は、続いて、こんどは内科の先生を訪ねました。
内視鏡検査で、食道や胃を隅々診察してもらったようです。
しかし、ここでも異常は確認されませんでした。

家族:「異常は無いんだってさ。胃の中もきれいですよって、先生言うてはったね」
父:「うーん… だったら、この違和感は、何が原因なんやろか?(←胸のあたりを触りながら)」

〝異常なし〟と言われても、父は全然すっきりしなかったんですね。
心臓? 胃? そのあたりに、モヤモヤした違和感が続いていたようです。

その後も父は、しつこいように、先生に相談を続けたみたいです。

すると、ひとつの疑い(病名)が浮上しました。


<膵がん>

可能性を踏まえて検査をした結果、事実だと確認されました。
今の時代ですね。先生は、本人・家族の前でズバーン!と告知します。隠さない。
父本人も、私たち家族も、ただただ、衝撃でした。
思いもよらぬ病名を告げられてしまった。

「膵臓がん、ってか? あれまぁ…

早期発見が難しいとされる病のひとつですね。
症状が出たときにはもう遅いとも言われる。
発見だけでなく、治療も難しい。体内の奥まった箇所なので、手術ができない。
今日・明日で直ちにどうこうなるわけではないと、先生はおっしゃったけれど。
先生からの告知に、私の心にも絶望感が芽生えました。
隣りに座っている父の横顔を見つめながら、『今から取り返しがつくものなのか、つかないものなのか…』と不安に襲われました。そんなことを思うこと自体が、絶望感。
「今は、提供できる薬の種類も増えています。抗がん剤治療を頑張りましょう!」
と言ってくださる先生にお任せするしかなかったです。
あれほど健康に気を付けていた父が、どうしてこんなことになってしまうのか?
私たち家族にとっては、父の回復を願い、そして、覚悟を固めていく日々の始まりでした。

告知の以降は、2~3週間に一度のペースで通院して、抗がん剤治療を続けました。
ご多分に漏れず、副作用が出ました。父は、手足のしびれ、むくみ、体の倦怠感を訴えました。髪の毛も抜けました。そういう厄介な症状と〝付き合っていく〟しかないのですが、顔をしかめて辛そうにする日がたびたびありました。これについて、先生から、「入院」の提案は一度もありませんでした。入院する必要は無いということです。一貫して『普段は自宅で過ごし、診察日だけ外来通院する』というスタイルでした。
元気だったころ父は、自分でクルマを運転して通院していましたが、ほどなくそれは難しくなりました。家族としても、しんどい父に運転させるわけにいかない。通院日には私が送迎するようになりました。

先生がおっしゃったように、途中で幾度か、薬の種類が変わりました。
あるとき、手足のしびれ(副作用)がひどくてシンドイ!と父が先生に申し出て、薬を変えてもらったことがありました。弱いタイプの薬に変えてもらったんでしょうね。そうしたら、しばらくすると、失われていた髪の毛がまた生えてきた
「おい、髪の毛が生えてきたぞ」って、父は喜んでいました。
髪が生えてきて、久しぶりに父が笑いました。嬉しかったんやろね。
でも、この状況で髪が生えるということは、『抗がん剤、効いてないんじゃないの?』って、家族は心配な気持ちになりました。

がんをやっつけるために強い薬を使うと、副作用も強くなり、父はすごくシンドイ思いをする。そこで薬を変えて、弱い薬を使うと、父は穏やかに過ごせて髪の毛も復活した。でも、それだと「肝心な抗がん効果はあるのか?」という心配です。案の定、次に通院した際に血液検査してもらうと、数値が悪化していた。ダメだ。先生は、また薬の強さを変えることを提案なさる…。
どっちを取ればいいのか。家族も思い悩まされる問題でした。




【親父との最後の日々】

父が抗がん剤治療を始めてから亡くなるまでは1年4か月半でした。(=約1年半)
月日とともに、食べる分量もだんだん減っていき、やっぱり最後は瘦せ細ってしまったけれど、いつも実家を訪ねて顔を見ていた私にとっては、その姿は〝いつもと同じお父さん〟でした。

今から一か月ほど前の9月末までは、自分で立ち座りや歩行ができて、ふだん通りに自宅で過ごしていた(=自分のことは自分でできた)のですが、先月(10月)に入ってから一気に体力が無くなりました。日に日に、どんどん弱っていきました。自分の力で立ち上がれなくなりました。歩けなくなりました。

   ◇          ◇          ◇

◎10月27日の朝 救急搬送
前夜から容態が思わしくなかった。意識も朦朧としていて、様子が変だ。もう自宅では看ていられない。
午前8時半、救急車でいつもの病院まで搬送してもらいました。
病院へ着くと、すぐに主治医の先生も駆けつけてくださった。
父の様子を見れば、先生にはもう分かるんでしょうね。
これ以上治療を続けるかの意向確認を、母が訊かれていたみたいです。私も異存はない。
「今まで、つらい治療にもよく耐えて、頑張ってこられましたね!」
先生も、父を褒めてくださった。
父はそのまま入院することになりました。
「入院中にご本人が苦しがったり痛がったりされることがあれば、痛みを和らげる処置を取りますので、どうかご心配なく…」
「先生、よろしくお願いします。m(__)m」

入院中の面会に備えて、その場に来ていた母私妹の三人はPCR検査を受けて、この日は帰宅しました。
コロナ禍なので、入院病室での家族面会はできないはずなんだけど、なのに、看護師さんは面会・付き添いを強く勧めてくれました。「ぜひ、面会に来て、そばに居てあげてください!」って。
風雲急を告げる―、そんな気配。
お別れの時が迫っているのを感じる。


◎10月28日の朝 父が亡くなる
午前4時40分。自宅のフトンで寝ていた私の枕元に置いてあったスマホが鳴った。
病院からの電話。
父の呼吸が弱くなりつつあるらしい。家族召集の電話でした。

母と私は、急いで支度をして、まだ真っ暗な道を病院へ急ぎました。
5時半に病院へ到着。
父は、病室のベッドで酸素吸入マスクを着けてもらって、小さな呼吸を続けていました。
息はしているけれど、呼び掛けても返事しません。反応がありません。
私は、ちょっとだけ生えていた髪の毛(白髪ですけど)に触れて、よしよしと頭を撫でてやりました。
手も、さすってやりました。
「あれ! 手が、もとに戻ってる!?」
母が驚いて言いました。
むくんでパンパンになっていたはずの父の手が、ほっそりした元の手に戻っていました。不思議。
6時半を過ぎた。
そのとき、父が声を出したように聞こえました。そして、一瞬だけ目を開けたようにも見えました。
「お父さん! 分かるかぁ!? お父さん!!」
呼び掛けてみたけれど、それっきりでした。

妙な静寂が訪れました。
「あれ…? 息してるか?」

すぐに看護師さんが来てくれました。
静かになった父を見て、言いました。
「呼吸が止まったのかも、しれないですね」

7時過ぎに、滋賀から妹が駆け付けました。父の娘です。
妹の到着を待って、7時40分過ぎに当直医先生が病室へ来られて、正式な死亡確認となりました。
父が逝きました。

   ◇          ◇          ◇

お父さん。
昨年、がんが見つかったときは、本当にびっくりしたよなぁ。家族みんなびっくりした。
抗がん剤治療は大変で、むくみ、しびれが、辛かったね。
ほんまに、おつかれさまでした。
最後まであきらめず、一生懸命に病気と闘ったお父さんは立派でした。

10月に入ってから、お父さんは自分で立ち上がれなくなり、僕が抱き上げて、立つ、ようになりましたね。最初のうちは、僕がすこし抱き上げたら、そこからはお父さんが自分の力で立とうとしてくれました。でも、日が経つにつれて、抱き上げるたびにお父さんの力が薄れていくのを、僕は感じていました。
抱き上げながら僕が、『おい!お父さん、自分で立ってくれ!』って言うたことがあったね。ほな、お父さんは、ぼそっと「難儀やなぁ…」って呟いたね。自分で言うか!?って、お母さんも僕も大笑いしました。
抱きかかえ方なんて、僕はよく知らないので、力任せで無理やりグイッと引き上げたこともあったと思う。お父さん痛かったかな。ごめんな。でも、限られた期間だったけれど、親の介護というかお手伝いをちょこっと担うことができて、僕はよかったと思っています。
お父さん、ありがとう。