ダンポポの種

備忘録です

新しいことば(?)

2007年11月29日 15時33分42秒 | うちの近所
このあいだ、私が近鉄京都線に乗ったときのことです。

途中、興戸駅から同志社の学生さんがどどーっと乗り込んできました。
下校の時刻なのでしょう。これはいつものことです。

電車が走り出し、学生さんたちはそれぞれ、友達同士で雑談しています。
決して〝盗み聞き〟したわけではないですが…、
私の耳にも、となりで喋っている学生さんたちの声が、勝手に飛び込んできます。

そのとき聞こえた、ある言葉に、私は「おやっ?」と思いました。

「しんたな」という言葉です。



にわかに、私のほうは興味津々です。(←盗み聞いとるやないか!)

『しんたな…って、なんだ? 〝新田辺〟のことを言っているのか?』

聞こえてくる会話の流れからすると、やはり、新田辺のことを「しんたな」と言っているらしい。

学生ことば、でしょうか。面白いですね。


http://www.dnavi.com/dterms/index.cgi?function=search&word=%A4%F3
↑「しんたな」でグーグル調べてみたら、こんなの見つけました。
 同志社ナビ用語集、だそうです。
 ページの中段あたりに「しんたな」が出てきます。
 「しんたなダッシュ」という言葉もあるみたい。
 面白いです。
 でも、「しんたなダッシュ」の説明を読む限り、
 これをやるんだったらきちんと往復分の運賃を払わないとルール違反だぞ…!


確かに、地元住民は「しんたな」と略して言わないですね、今のところ。
アルプラザのことを「アルプラ」と略すのと、同じ感覚ではありますが。



あべかわもち

2007年11月28日 23時22分59秒 | 日記・雑記
昨日と今日の二日間、業務上青年部会の行事があって、神奈川県藤沢へ行ってきました。
だから、これは遊びじゃないんです、仕事なんです。(←誰も何も言うてへんがな)

往復とも、先輩のクルマに便乗させていただいての「自動車で往復」でした。
高速道路を使っても、京都からは片道6時間…。
乗っているだけでしたが、かなり疲れました。
やっぱり関東方面へ行くのには鉄道が良いなと思いました。

ひとつ前のブログ記事にある「富士川の画像」は、きょうの帰り道で立ち寄った富士川SAから写したものです。どういう〝角度〟で望めばよいのか分かりませんが、天気が良ければ、川の向こうに富士山も見えるはず…の場所です。たぶん。
きょうは曇っていたし、写したのは夕方だったし(うす暗かった)、富士山はさっぱり見えませんでした。

富士川SAの土産コーナーで「あべかわもち」と「やきそば」を買ってきました。
やきそば…が、新しい名物になっているようです。



六万形

2007年11月21日 23時05分38秒 | 鉄 道
きょうは『鉄ジャ』の発売日!
私も忘れずに買いました。
最近は『鉄ジャ』だけ買っています。

月刊鉄道誌は、なぜか世間一般の月刊雑誌とは「発行月」が1ヶ月ズレていて、『鉄ジャ』も今日発売のやつが「2008年1月号」!
早々と新年を迎えてしまった格好です。

誌面には、小田急電鉄の「新型60000形特急車」の写真も載っています。
来年春に誕生する<千代田線直通特急>に使う、地下鉄乗り入れロマンスカーですね。
しかしまあ、「60000形」という系式番号がすごいな。
私鉄では一番〝大きい〟番号とちがうかな。

こうした動きを見習って、
近鉄京都線の特急も…、地下鉄烏丸線に乗り入れたらどうだろう。



さぶっ!

2007年11月19日 22時47分00秒 | 日記・雑記
ここ数日で、一気に寒くなってきました。
きょうは、京都府も12月上旬なみの気温まで下がりました。
昨日から今日にかけて、府北部山間では積雪も記録されたとか。
ここまで暖かい秋でしたが、このまま寒い冬に入るのでしょうか。

きょうは午後から京都市内へ出かけておりました。
さきほど帰宅したのですが、最寄り駅から家までの暗い夜道が、寒かったー!



工事の途中経過

2007年11月16日 23時55分52秒 | うちの近所
事前予告の通り、現在「K奈道路」では夜間集中工事が行われています。
夜8時から翌朝6時まで、城陽-木津間の全線が通行止めです。
なお、土曜と日曜の夜間は工事が休み。従って、明日の晩と明後日の晩(二夜)は通行止めがありません。工事期間は今月23日の朝まで。

私はきょう、昼間に「ミ号」でK奈道路を走りました。
インターから本線に入るや、
『ん…? なんだかいつもと風景が違うようだ…』
と気が付きました。

ハンドルを握りながら、何がいつもと違うのか考えてみました。

『あっ! センターラインが橙色になっとるわ』

今までは白一色のラインだったものが、
白色と橙色の二重線に引き直されていました。
真新しいラインだし、運転席からもよく見えて気持ちよいです。
場所によっては、センターラインのところに背の低い緑色ポール(センターポール)も新しく立てられていました。対向車線へのはみ出しを防ぐため、ドライバーに注意を促す設備ということでしょう。
しかし、ここまでやるということは、K奈道路は今後も〝対面通行〟のままなのだろうな…。

また、従来から、本線上の料金所の手前には、
「料金所1km先」
とかいう標識(予告看板)が立てられていたのですが、
これも新しい看板に交換されていました。
でもなぜか、その看板は大部分が白いシートに覆われていて、表示内容が目隠しされているのです。どうやら…、看板には「ETC専用レーン」の進路指示が書かれている模様。
こりゃあ、工事が終わったら、ETCレーンも開通か?!
K奈道路でのETCノンストップ走行、いよいよ秒読み段階のようです。

ただし、ETCレーンが設置されるのは本線上の料金所に限られるようで、
私みたいに途中のインターから出入りするクルマは
その恩恵にあずかれない恐れがあります…。
なんとかならないものかなぁ。



朝晩冷えますね

2007年11月15日 18時48分03秒 | 日記・雑記

『秋です!近ごろブログの投稿間隔もアキアキです!オータム2007』クイズ!(?)

いつものように、駅で一枚写してきました。
どこの駅でしょう?


◎ヒント
らんでんの電車が見えています。
(らんでんシリーズは、ひとまず今回で最後になると思う)

踏切をはさんで、手前と向こう側とにホームが分かれている独特の構造が印象的な駅です。
印象的というか、妙に心にのこるというか…。



スーパーマシンの今後

2007年11月10日 22時53分24秒 | 鉄 道

500系をこだまに格下げ JR西日本、来年投入へ(共同通信) - goo ニュース




JR西日本の新幹線電車「500系」の、今後の使い道が決まったみたいです。

山陽新幹線区間における『最高時速300キロ運転』を売りにした〝500系のぞみ〟として東京-博多間を走り続けてきた同系ですが、のぞみ号用の新型車両「N700系」が登場したことを受けて、東京直通の運用から外れることになったものです。
まだ廃車にするのはもったいない編成だし、今後どのような使い方がされるのか、
鉄道ファンの間でも話題になっていました。

そうかぁ、「こだま」に使うか…。驚きました。
0系の置き換え用ときたか。
確かに、そこしか〝空いていない〟かな…。

16両編成から8両編成に改造されるとのことですね。
従来の1編成が8連×2本に変身するということでしょうか。
それだと、先頭車改造が必要になりますな。
1編成から8連×1本を抽出するだけかもしれないですね。
山陽区間の「こだま」だったら、グリーン車も要らないし。


京都駅(東海道新幹線区間)で500系が見られるのも、今のうちだけですね。

写真、撮っとくか?



デジカメっ!

2007年11月08日 22時40分37秒 | 日記・雑記
きょう、私の父が、小さなデジカメを買いました。

「(今の時代)もう、カメラを覗き込んで写している人なんて、いないなぁ」

などと言いながら、デジカメに移行することを決心したようです。
フィルム式のカメラを使い続けてきた父にとって、偉大なる一歩かもしれません。


以前、父が観光地へ出かけたとき、
途中でフィルムが終わってしまったので、新しいのを買おうと思って売店に入ったら、
その店ではフィルムが売られていなかったそうです。

「観光地の売店でフィルムが売られていない」という現実。(たまたま、その店では売切れていたのかもしれませんが…)
この一件が、父がデジカメへの移行を考え始める大きな転機となりました。


私もデジカメのことはよく理解していませんが、
父が買ったやつは、コンパクト型ながら800万画素以上…!
今はこんなのが当たり前ですか。
私が使っているのは400万画素だと思うのだけれど。(理解していない)
しかも、購入価格は私のほうが〝倍以上〟だなんて。
おまけに、私のやつのほうが〝重い〟!(電池4本も入るし)


「写した画像をパソコンに取り込んだら、メールで送信できるんだろう?」
と、父は楽しそうです。

遅ればせながら私の実家もIT革命、といったところでしょうか。



16000系 (昭和40年)

2007年11月07日 22時36分40秒 | 近鉄特急
車両系式:16000系
登場年:昭和40年(1965年)
製造両数:20両(2連×8本,4連×1本)


 680系による京都線・橿原線特急が誕生した(昭和39年)のに続いて、昭和40年には南大阪線・吉野線にも特急(座席指定制)が設定されました。大阪阿部野橋から橿原神宮前を経て吉野へと結ぶ特急の始まりです。
 このときに登場したのが16000系特急車両です。
 狭軌(線路の幅が狭い)の南大阪線・吉野線に対応する寸法で造られた車両なので、京都線や橿原線や大阪線(いずれも標準軌。狭軌に対して広軌ともいう)には乗り入れができません。しかし、寸法の違いを除けば、大阪線系統の11400系(新エースカー)に準じた構造でした。
 
 16000系は昭和40年のデビュー以後、昭和52年まで、少しずつ増備が続けられ、最終的に全部で20両造られました。
 用途が「南大阪・吉野特急」に限定されるので〝大所帯〟の系式ではありませんが、10年以上にわたって同一系式が増備され続けたのは、近鉄特急の歴史のなかでも珍しい例です。登場した時期によって正面窓や台車の形状に少しずつ〝違い〟があったようですが、ほかに大きな違いはなく、現在では当時の近鉄特急の香りを伝える最古参特急車となっています。
 
 現在すでに、初期に製造された車両からは引退廃車も生じているほか、一部の編成は静岡県の大井川鉄道へ移籍するなど、動きが出ています。そのぶん、近鉄の本線上を走る16000系が減ったことになりますが、すでに後継の新型系式も登場済みで、「南大阪・吉野特急」の運行は絶えることなく守られています。


 以前このブログでも紹介しましたが、まだ最近に私は久しぶりに吉野線に乗り、この16000系にも乗ってきました。
 外観の見た目は〝昔のまま〟かなと思いましたが、内装は大幅にリニューアルされていて、古さを感じさせません。まだまだ使えそうな車両です。

 私が初めて「南大阪・吉野特急」に乗ったのは中学生時代、昭和61年(1986年)12月のことでした。
 阿部野橋から橿原神宮前まで特急に乗り、そこで準急に乗り換えて吉野まで行き、折り返して吉野から橿原神宮前まで再び特急に乗って帰ってきたものです。
 このときの特急車も16000系でした。座席は回転クロスシートながら、リクライニング式ではなかったのを覚えています。また、前の座席の背もたれ(背面)に折りたたみ型のテーブルがくっ付いていて、古風な感じでした。
 のちに知ったことですが、10100系(新ビスタカー)で使われていた座席が16000系に流用された例もあったようなので、或いはそれに当たったのかもしれないな…と思っています。



せみしぐれ

2007年11月07日 18時49分26秒 | 日記・雑記
◎ダンポポ高校生時代の〝作品〟


『蝉時雨 ~興戸駅 夏の思い出~』

  西日を受けた橋上駅舎
  急行電車が駆け抜けた
  新田辺行きの到着まで
  聞こえていたよ蝉の声



むむむ…、懐かしいな。
言葉の並びは今でも覚えていて、〝そらで〟書き上げることが出来ます。
まさに自画自賛になりますが、「上手いこと仕上げたな…」という印象。

当時せっせと作っていた個人新聞のラインアップに加わるはずだった新銘柄の「西急新聞」が発行中止(企画倒れ)になったときに、この作品ができたのでした。
ドイツ統一の影響を受けて西急新聞は発行中止になったとか、強引な理由付けをしていたことを思い出します。

四行からなる「詩」のスタイルですが、
各行の一文字目をタテに読むと「西急新聞」になるように、という
〝結論ありき〟で作ったものなのです。

そんなに長い時間をかけて作ったものではなかったですね。
「新」の字を〝新田辺行き〟で処理したところから、「興戸駅夏の思い出」というサブタイトルが追加された格好です。

いま読み返してみても、
それぞれの言葉がスパーン!ときれいに収まっている感じで、
ほれぼれします。(←自画自賛しすぎだろ)
これこそが「不朽の名(もうええっちゅうねん!)


アイデアのひらめきというか、
最近の自分にはやや欠乏している「勢い」とか「パワー」が、
ここには感じられるようです。


もの悲しい秋の夕べに、ふと、そんなことを思い出している、現在の私です。



またテレビを見た

2007年11月03日 23時09分02秒 | 鉄 道
今夜、テレビ番組の「ふしぎ発見」で、
オリエント急行のことが取り上げられていました。
車内の様子もたっぷり映されていて、面白かったです。
テレビを見ながら、食堂車に乗りたくなってきました。


ずうっと前に、オリエント急行は日本に来ましたよね。
私が高校生のときでした。

『当時、鉄道雑誌でも特集されていたはず…』
と思い出し、さきほどテレビを見終わってから、押入れの奥に仕舞いこんである鉄道誌のバックナンバーを探してみました。

ありました!
1989年1月号の『鉄道ファン』誌。
今から18年前…というより、実質的には19年前のことになります。
日本の某テレビ局の開局何十周年かを記念したイベントとして、オリエント急行は日本に来たのでした。
正直、当時の私は、これには関心が無くて、「かっこいい」とか「乗りたい」とかも思わなかったと記憶しています。

このときの『鉄道ファン』誌に掲載されているほかの記事としては、
新車速報で「阪急8000系」や「西武4000系」が取り上げられています。
JR東海のキハ85系(特急ひだ)やJR九州の初代「ゆふいんの森」などがデビュー直前で〝イラスト〟で紹介されていたり。
国内に新しい車両がどんどん登場していた時期で、私の関心はそちらに向いていましたね。

1989年…。
ちなみに、私が英検3級合格という栄光の歴史を刻んだのは、この年のことです。



テレビを見たけれど

2007年11月02日 22時22分54秒 | 日記・雑記
今夜はテレビで『ALWAYS三丁目の夕日』が放映されていますね。
続編の新作映画が明日から公開となるのを記念して、今夜は「第一作」をテレビで放映しているようです。

私も、番組が始まる夜9時からテレビの前に座って見ていたのですが、
本編が始まってみると、

『ちょっと画面が暗いのではないか…?』

という感じがしました。

電波の具合が良くないのか、うちのテレビの調子が悪いのか…。
なんだか、見にくい印象です。

ちなみに私は、この「第一作」のDVDを持っています。(なーんだ)
そこで、試しに、DVDを再生してみました。
こちらは断然に明るい画面です。
『やっぱり、これぐらい明るくないと、だめだろう』

今夜は記念すべきテレビ放映ではありますが、
「あの画面では最後まで見るのがしんどいな…」と思って、
見るのをやめてしまいました。
(今までにDVDで何度も見ているから、という事情もあります)

作品はとても気に入っているので、ちょっと残念。


明日から公開の続編新作も、話題になること必至でしょうか。
見に行きたいなあ。