ヌルボ・イルボ    韓国文化の海へ

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韓国映画「戦火の中へ」を観ていろいろ考えたが・・・

2011-02-25 23:51:17 | 韓国映画(&その他の映画)
 昨日(2月24日)韓国映画「戦火の中へ(原題: 포화속으로)」を観てきました。これは観に行って「大正解に近い正解」の映画でしたね。

 1950年8月、韓国軍の主力が洛東江戦線に投入される中、浦項の守備を自分たちだけに任されることになった学徒義勇軍71人の奮戦(というか、壊滅の悲劇というか・・・)という実話に基づいた戦争映画です。

 私ヌルボの場合、ある韓国映画について、「観てよかったな」と思うのは、
A.純粋に映画として良かった。
という尺度が当然第一にあります。2010年4月4日の記事<韓国映画ベスト20>も、この尺度だけで選びました。
 この外にもうひとつ、
B.韓国の社会・歴史・文化等を知る上で有意義だった
という尺度があります。
 例をあげると、「開闢(かいびゃく)」、「悲恋のホンサル門」、「イジェスの乱」等々。やはり歴史物が多いですね。
 
 この「戦火の中に」も、朝鮮戦争の一端を知る等、Bのモノサシはもちろん、Aの観点からも意外とイイ線いってました。とくに主役の学徒兵を演じたBIGBANGのチェ・スンヒョン(T.O.P)。
 青龍賞の新人男優賞等を受賞したのもナットク。日韓の、何種類かあるポスター中で下のものはたった1度の実践経験だけで学徒義勇軍の中隊長に任命されてしまった少年兵の不安と覚悟とがないまぜになったような表情が(どこまで演技か)作品にマッチしていると思います。

   

 概してシビアというか、ひねくれた(?)というか、韓国映画に対してヌルボとはかなり違うモノサシで評価している<韓国映画の箱>では、評点は「劇場で観てもまあ、いいか」の★★ですが、チェ・スンヒョンについては「キャラクターの幼い部分にチェ・スンヒョンの俳優としての拙さがうまく合致して、いい雰囲気を醸し出していたと思う」とヘンな褒め方をしてます。

 ・・・ということで、私ヌルボの評点はAとBの合わせ技で★4つですね。(満点5つ)

 しかし、実際にあった戦争を描いた映画を、娯楽という観点でのみ評価するというのはヨロシクないぞ、という心の声が聞こえてきます。

 以下、映画を観ながら、当時の学徒兵、その他の南北両軍の兵士や両国民、さらには現代のこの映画の作り手をはじめとする韓国の人たちに対して感じた根本的な疑問について書いてみます。

 それは、「あなた方は何故に、何のために戦ったのですか?」ということ。そして現代の人には「あなたはそれをどう解釈しますか?」ということです。

 동족상잔(同族相残)」という言葉が韓国ではふつうに用いられるようです。同じ民族で殺し合う、ということ。「そんな悲劇を味わった」と言います。では、それは何故?

 映画では、北朝鮮軍の部隊長が少人数で学徒兵たちの立て籠もる学校にやってきて、「君たちには統一した後、国作りのために働いてほしい」と、直接投降するよう説得します。
 しかし、学徒兵たちは戦う道を選んだ、のです。(それは、何故?)

 1945年の<光復>で民族独立(実は「独立」していない??)マンセーを叫んで喜んだはずの同胞同士がなぜわずか5年後にそんなことになるのか?
 「ナショナリズム」という言葉には「民族主義」「国民主義」「国家主義」等の訳語がありますが、今に至るまで唱えられてきた「民族統一の悲願」というスローガンよりも、「国家の存亡」の方が優先されたということなんでしょうか?
 5年の間に、南北それぞれの国家権力が、それだけの強制力を持つまでに成長し、それぞれの国民も、同一民族というアイデンティティよりも、国民としてのアイデンティティの方が上位のものとして意識した、ということ?

 2005年6月の「朝鮮日報」の記事「祖国よ、少年兵を忘れたか」によると、当時の少年兵の1人は今次のように証言しています。
 「満14歳で戦争が勃発した。16になった年に歳をごまかして入隊した。倭政(日帝時代)の時、国を失った民がどうなるのか、幼い目ではっきり見てきたから。また、そうなるのは嫌だったんだ・・・」。
 また、「あの時、少年兵がいなかったら、今の大韓民国はどうなっていたか分からない」と、彼らの功績を称える発言があります。
 映画のラストにも、パンフにも、「この戦は、北朝鮮軍の南への侵攻を遅らせ、20万人を超える避難民が兄山江以南へ退避した。これは洛東江の死守はもちろん、その後の韓国軍と連合軍の反撃に大きく寄与した」と評価する文章が出てきます。

 韓国の映画サイトを見ると、映画評論家の評価は概して低いようです。その中に「ニューライト的な視点で描かれている」というのがあったのは上記のように「大韓民国のために一身を犠牲にしてよく戦った」というこの映画の一側面に注目したからでしょうか。

 調べてみたところ、浦項にはその地で戦死したた学徒兵たちの記念館(学徒義勇軍戦勝紀念館)があって、そこを訪ねた人のブログ記事を見ると、やはり(國神社のように)彼らを「英霊」として称える視点で貫かれているようです。
 たまたま見つけた韓国のブログ<「護国の聖地を訪ねて>も、タイトルからまさにそのものですしねー。
 ソウルには、「英霊」を祀る代表的墓域として国立ソウル顕忠院がありますが、これを支える心性をうかがいみるに、國神社とダブっていると思わざるを得ません。

   
     【浦項の学徒義勇軍戦勝紀念館。

 しかし、もし学徒兵たちが投降の勧めに応じていたら、あるいは韓国軍があんなにふんばっていなければ、もしかしたら民族統一という「所願(소원)」は実現されていたかもしれない、と考えることは韓国ではタブーなのでしょうか?

 一方、この映画では北朝鮮の兵たちもそれなりに人間として描かれています。越南小説家李浩哲が「南のひと北のひと」で書いたように、北は北で多くの少年兵がいましたが、この映画にも北の少年兵が「オンマ」と言って死んでいく場面もあります。

 つまり、この映画の場合、上記のような「護国の少年英雄を称える」というメッセージはさほど強烈ではありません。
 「戦争自体が悲劇の元であり、2度と繰り返してはならない」というメッセージもたしかに読み取れます。
 たぶん、このあたりが先に引用した<韓国映画の箱>で「濃厚な主張が意図的にかなり去勢されていて物足りない」としている理由なのかも・・・。

 韓国の関連資料によると、朝鮮戦争で韓国側は軍人、民間人を合わせて198万人、北朝鮮側は329万人、国連軍16万人、中国人民義勇軍92万人と、計635万人もの死者を出したとのことです。

 なんでこんなに多くの人たちがそれぞれの国の兵士として死地に赴いたのか?
 ・・・という疑問に捉われていること自体、ヌルボのような現代の日本人はナショナリズムから、あるいはネーション(国家&民族)のくびき、求心力といったものから遠いところに来ている、ということの表れなんでしょうね・・・。(ヌルボみたいな「草食系国民」をもって日本国民の代表とするのは見当違いかもしれませんが・・・。)
 そして韓国についていえば、「濃厚な主張が意図的にかなり去勢されていて物足りない」というのも、韓国も(国家主義の方の)ナショナリズムべったりから少しずつは離れつつある、ということなんでしょうか?

 あ゛あ゛あ゛あ゛わけがわからんようになってきたぞ~

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