年を取ると2年間はあっという間です。しかし、その2年という間には実にいろんなことがあって、自分を直接取り巻く状況もさまざまに変わるということを実感しました。
2年前、たまたま読んで感動した「母(オンマ)をお願い」の感想に「翻訳本刊行を期待!」とタイトルをつけて本ブログ開設の最初の記事にしました。
その後この本は世界31ヵ国で刊行される大ベストセラーになり、日本でも翻訳書が文庫本で発売され、そして来日した作者の申京淑さんが目の前にいて、私ヌルボと話をしている・・・。2年前にはとても想像もつかなかったことです。
9月17日の記事で<10月の申京淑さん関係の催し at東京&名古屋>についての情報を流した張本人が行かない法はありません。20日の韓国文化院の方が本番のような感じですが、20日は都合がつかず、昨日19日の夜下北沢のギャラリーKYOに行ってきました。
広くはない(はっきり言って狭い)会場に椅子が30数脚。予約しないで来た人もいて(実は私ヌルボもその1人)、20人近くは立ち見でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/a7/5630352a80d237ed3604b1166f932fa2.jpg)
【私ヌルボも立ち見だったもので・・・】
申京淑さんの話については、数日後に記事にします。
小ぢんまりとした会場でラッキーだったのは、ごく近くで話が聞けた上、その後にサインしていただいたり、一緒に写真を撮らせていただいたりできたこと。そして直接話もできたこと。「어디선가 나를 찾는 전화벨이 울리고(どこかで私をよぶ電話の音が鳴って)」にあった(「母をお願い」にもちょっと出てくる)冬葵(아욱.アウク)のこととか・・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/25/3e238045cc1135186e4a031503c9e420.jpg)
【話しぶりもお召し物も、思っていた通りの穏やかな雰囲気の方でした。】
「母をお願い」の原書は手許になかったので、その「어디선가 나를 찾는 전화벨이 울리고」にサインをいただきました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/10/fdf1012ca5b80cc5f9327b15a8e93991.jpg)
【8色のサインペンセットを出して「お好きな色で書いて下さい」と言ったら紫色を選びましたね。】
申京淑さんの前に「私の作品世界」というテーマで話された鄭泳文さんは、1965年生まれで、申京淑さんの2歳年下。しかし「物語」の意味を広く捉え、現代の中で積極的にその役割・意義を見出していこうという申京淑さんとは対照的に、鄭泳文さんは冒頭から「小説といえばほとんどの人は起承転結をもった物語が展開すると思うでしょうが、そうでなければならないものではない」と話を切り出しました。さらに「何も起こらない」ことや「メッセージの不在」を強調。伝えるメッセージの有無よりも「小説の形式そのものについての実験に関心がある」とのことです。10年ほど前にベケットから強い影響を受けた、とも・・・。「東京及び名古屋フォーラム資料集」によると、「多くの評論家が鄭泳文の小説を「メタ小説」と解釈する」等々と書かれていますが、むべなるかな。
講演の後、個人的に質問しました。80年代までの韓国文学の伝統を意識しないのか、それとも意識的に否定しようとしているのか、どちらですかと・・・。お答えは後者でした。
他の分野でも同様ですが、文学の面でも、韓国は日本等の先進国が4~50年かけて歩んできた道をこの20年の間に2倍速の早送りのように駆け足で辿ってきているようです。鄭泳文さんの話を聞いてとくにそのことを痛感しました。
この日司会を担当された集英社の岩本さんとも少し話をする機会が持てました。ヌルボが「「母をお願い」も同じ集英社文庫の「風の影」のようなステディ・セラーになるといいですね」というと、「あの本も私が担当しました」とのこと。あー、そーなんだ(笑) はからずもうれしいこと言っちゃったネ。あと、「離れ部屋」も文庫本にしてほしい旨、要望しておきました。
なお、上記「資料集」の他に、韓国文学翻訳院が出している「list Books ffrom Korea」(英文)という韓国書の紹介冊子を2冊いただきました。これがなかなか充実した内容のもので、個人的にも今後の本選びの指針ともなりそうですごく得した気分。さらには「スッカラ」の12月号\\790もタダでいただいちゃってラッキー!でした。 この日に行って、ホントによかった!
2年前、たまたま読んで感動した「母(オンマ)をお願い」の感想に「翻訳本刊行を期待!」とタイトルをつけて本ブログ開設の最初の記事にしました。
その後この本は世界31ヵ国で刊行される大ベストセラーになり、日本でも翻訳書が文庫本で発売され、そして来日した作者の申京淑さんが目の前にいて、私ヌルボと話をしている・・・。2年前にはとても想像もつかなかったことです。
9月17日の記事で<10月の申京淑さん関係の催し at東京&名古屋>についての情報を流した張本人が行かない法はありません。20日の韓国文化院の方が本番のような感じですが、20日は都合がつかず、昨日19日の夜下北沢のギャラリーKYOに行ってきました。
広くはない(はっきり言って狭い)会場に椅子が30数脚。予約しないで来た人もいて(実は私ヌルボもその1人)、20人近くは立ち見でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/a7/5630352a80d237ed3604b1166f932fa2.jpg)
【私ヌルボも立ち見だったもので・・・】
申京淑さんの話については、数日後に記事にします。
小ぢんまりとした会場でラッキーだったのは、ごく近くで話が聞けた上、その後にサインしていただいたり、一緒に写真を撮らせていただいたりできたこと。そして直接話もできたこと。「어디선가 나를 찾는 전화벨이 울리고(どこかで私をよぶ電話の音が鳴って)」にあった(「母をお願い」にもちょっと出てくる)冬葵(아욱.アウク)のこととか・・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/25/3e238045cc1135186e4a031503c9e420.jpg)
【話しぶりもお召し物も、思っていた通りの穏やかな雰囲気の方でした。】
「母をお願い」の原書は手許になかったので、その「어디선가 나를 찾는 전화벨이 울리고」にサインをいただきました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/10/fdf1012ca5b80cc5f9327b15a8e93991.jpg)
【8色のサインペンセットを出して「お好きな色で書いて下さい」と言ったら紫色を選びましたね。】
申京淑さんの前に「私の作品世界」というテーマで話された鄭泳文さんは、1965年生まれで、申京淑さんの2歳年下。しかし「物語」の意味を広く捉え、現代の中で積極的にその役割・意義を見出していこうという申京淑さんとは対照的に、鄭泳文さんは冒頭から「小説といえばほとんどの人は起承転結をもった物語が展開すると思うでしょうが、そうでなければならないものではない」と話を切り出しました。さらに「何も起こらない」ことや「メッセージの不在」を強調。伝えるメッセージの有無よりも「小説の形式そのものについての実験に関心がある」とのことです。10年ほど前にベケットから強い影響を受けた、とも・・・。「東京及び名古屋フォーラム資料集」によると、「多くの評論家が鄭泳文の小説を「メタ小説」と解釈する」等々と書かれていますが、むべなるかな。
講演の後、個人的に質問しました。80年代までの韓国文学の伝統を意識しないのか、それとも意識的に否定しようとしているのか、どちらですかと・・・。お答えは後者でした。
他の分野でも同様ですが、文学の面でも、韓国は日本等の先進国が4~50年かけて歩んできた道をこの20年の間に2倍速の早送りのように駆け足で辿ってきているようです。鄭泳文さんの話を聞いてとくにそのことを痛感しました。
この日司会を担当された集英社の岩本さんとも少し話をする機会が持てました。ヌルボが「「母をお願い」も同じ集英社文庫の「風の影」のようなステディ・セラーになるといいですね」というと、「あの本も私が担当しました」とのこと。あー、そーなんだ(笑) はからずもうれしいこと言っちゃったネ。あと、「離れ部屋」も文庫本にしてほしい旨、要望しておきました。
なお、上記「資料集」の他に、韓国文学翻訳院が出している「list Books ffrom Korea」(英文)という韓国書の紹介冊子を2冊いただきました。これがなかなか充実した内容のもので、個人的にも今後の本選びの指針ともなりそうですごく得した気分。さらには「スッカラ」の12月号\\790もタダでいただいちゃってラッキー!でした。 この日に行って、ホントによかった!
私はこの小説を読んだ後、すぐには自分の母を思い、その後しばらくして「母親である自分」を考えました。皆が求める母親像に、自分はほど遠い気がして落ち込んでいたのですが、今の時代は一人の女性だけがオンマである必要はなく、オンマの役割を家族皆で分け合って果たせばよい、というお話しを聞いて、ずいぶん心が軽くなりました。
このフォーラムの存在を教えてくださったヌルボさんに感謝です。
明日は星野先生との文学談義。こちらも楽しみに出かけてきます!
ひがなおさんのブログによると、下北沢ではなかった料理についてのお話もあったそうで、それは聞きたかったなー。
やはりあの小説は、作中の息子・娘たちと同様に、読者一人ひとりに自分の母親のことを思い起こさせ、そして今まで見えていなかった母親像に気づかせてくれる契機となったということを再認識しました。(私自身ももちろんその一人です。)
ただ、「かつての」母親像はイメージできても、「現在の」母親像というのは正直なところよくわかりませんねー。とくに母親が、ということではなく、家庭のありよう自体が大きく変わってきているようで・・・。申京淑さんご自身も、「今の時代、母親に象徴されるようなものはもうなくなってしまった」と語っていました。(「しかし・・・」と続くのですが・・・。)
別の小説の話ですみません(^^;)。
下北沢ではゆっくりお話もできたんですね。羨ましいです。
申京淑さんご自身は結婚されているのか、お子さんはいらっしゃるのか、気になりますが、そこは敢えて明かさないのでしょうか。
2倍速早送り、まさにそうですね。빨리 빨리 の韓国社会。母と子でまるきり違う価値観、ライフスタイル。私は次女に共感しました。
去年「어나벨」(略称)について自分が書いた感想→
http://blog.goo.ne.jp/dalpaengi/e/f220e5685abb7df3f2da00afc7d813af
を今読み直して、忘れかけていた部分を思い出しました。
私自身の学生時代がちょうど60年代末の激動の時代だったので、個人的なことも、また時代の空気といったもの等も、重なり合う部分がいろいろあり、共感をもって読みました。
韓国でも7080といえば懐かしい時代の領域になってますが、日本の60年代はさらに昔だし、私よりずっと若い世代の人が「어나벨」を読んでどう感じるか、気になるところです。
「ゆっくり」というほどでもなく、サインをいただいた時に少し言葉を交わした程度なんですけどね。他に何人も並んでいらっしゃったし・・・。
申京淑さんは結婚されてます。御夫君の남진우(南眞祐)さんは詩人&文芸評論家で、現在明知大学校教授です。参考→
http://webzine.munjang.or.kr/writer/content.asp?pID=859
申京淑さんと一緒に写っている写真もあります。→
http://blog.ohmynews.com/ilhostyle/tag/%EB%82%A8%EC%A7%84%EC%9A%B0
お子さんはいらっしゃらないと思います。
私は両日参加しました。とても自然な感じで素敵な方でした。正に想像していた通りでした。
私は日本語版の2冊を持っていましたが「離れ部屋」にサインして頂きました。今回申さんに会えるということでもう一度「離れ部屋」を読みました。
3・11後 地に足が着かない状態が続いているのですが、何かとても励まされました。四谷では震災に対するコメントが津島さんからありました。ハンギョレ新聞に申さんとの往復書簡?が掲載されたそうです。「離れ部屋」未だ苦しまれている東北の方に是非読んでいただきたい。岩本さんにも文庫化の要望してみます。申さんのナムピョン素敵です。何時も色々な情報有難うございます
津島さんと申京淑さんの往復書簡を探してみました。
①津島さんの手紙 →
http://www.hani.co.kr/arti/international/japan/469910.html
②申京淑さん、都鍾煥さんの手紙 →
http://education.hani.com/arti/culture/book/471080.html
私もこれから読んでみます。
ヌルボさん、いろいろ情報を有り難うございます。