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韓国映画「小さな池」のビミョーな感想 -ネチズンは10点と0点の両極化

2011-06-12 23:52:54 | 韓国映画(&その他の映画)
 先日新宿K’s cinemaで観た4本の韓国映画はそれぞれにおもしろかったですが、いろんなブログで感想を見ると、ホントに各人各様。たとえば私ヌルボが「わりといいじゃん」(←一瞬のハマっ子)と思った「ささやきの夏」に対しても「出演者や監督が有名な訳でもなく、韓国で高い評価を受けたわけでもないのに、どうして選ばれたのか。他にも紹介すべき作品はいくらでもあるだろうに。きっとこの作品のことはすぐにタイトルすら思い出せなくなってしまうだろう(笑)」と歯牙にもかけない評もあったり・・・。

 そして今回とりあげる小さな池。副題に「1950年・ノグンリ虐殺事件」とあるように、朝鮮戦争勃発(1950年6月25日)の翌7月26~29日、忠清北道老斤里で起こった米軍による一般住民大量射殺事件です。

 本記事のタイトルに、<ビミョーな感想>とあるのは、この事件と、この映画の製作に至るまでのモロモロが関わっているので、そこらへんについて長くなりますが前置き(?)として書いておきます。

 まず、この事件の概要について。この映画を観ていない方は→コチラを参照されたし。

 米軍の避難勧告にしたがって避難の途についた一般住民が、老斤里にある京釜線の鉄橋に集合していたところ、米軍の戦闘機の機銃掃射を受け、約300名(?)の老人や子ども、女性を含む人々が犠牲となったという、なんともひどいとしか言いようのない事件です。
 ※老斤(노근.ノグン)は里(리.リ)と続けて発音するとノグンニとなります。

 しかし、この事件が広く知られるようになったのは1994年に虐殺事件で幼い息子と娘を失った鄭ウニョン氏が本を出版してからです。
 それまでは、アメリカ及び在韓米軍と親密な関係を持つ韓国の軍事政権下で、「都合の悪い」事実は隠蔽されてきたというわけです。
 その後反政府系の「ハンギョレ新聞」や雑誌「マル」などがこの事件を取り扱うようになったものの、大きな関心を引くまでには到らず,政府の反応もありませんでした。
 それが注目されるようになったのが1999年。アメリカで朝鮮戦争関係の秘密文書がマル秘扱いを解かれ、その中にこの虐殺事件関係のファイルが発見されて、これをAP通信が「ノグン里の鉄橋」という記事で事件を報道し、現場取材、加害者たちとのインタビューなどを実施して、米軍が行った虐殺だという事実を暴露したのです。それによると、1950年7月26日米軍25師団長ウィリアム・B・キーン少将が発した「戦闘地域を移動するすべての民間人を敵とみなし、発砲せよ」という命令による射撃だったということです。

 韓国では2004年には事件の犠牲者の名誉を回復するノグン里事件特別法が出席議員全員の賛成で国会を通過・成立しました。
 この間、在韓米軍をめぐる事件や問題が次々と起こり、民族主義の色濃い韓国の左派勢力はその都度ローソクデモ等で反米運動を推進してきました。具体的には、2000年京畿道華城郡梅香里(メヒャンニ)の米軍射爆場で流れ弾や誤爆、不発弾などにより13人が死亡した事件、2002年6月京畿道楊州郡で2人の女子中学生が米軍装甲車にひかれ、死亡するという事故、2003年以降の京畿道平澤(ピョンテク)米軍基地の拡張反対運動などです。

 そして老斤里虐殺事件の真相究明や謝罪・補償を求める運動も、そのような運動の一環として展開されてきました。※日本でも、すでに2002年「老斤里から梅香里まで 駐韓米軍問題解決運動史」という本が訳出され刊行されています。(下写真)

     

 この映画も、そうした流れの中で作られるに至った作品です。
 端役として出演したソン・ガンホ、ユ・ヘジン、ムン・ソリ、パク・ウォンサン、パク・ノシク、ムン・ソングン、カン・シニル等々、俳優142人がノーギャラで出演し、家族とともに出演した俳優もいます。スタッフ229人もノーギャラで参加しました。
 支援する人々もフィルムプリント代金を賄うための「フィルム購入キャンペーン」に何千人も参加したそうです。
 タイトルの「小さな池」の原題は「작은 연못(小さな蓮池)」ですが、これは作曲家(フォーク歌手)のキム・ミンギが有名な「朝露(アチミスル.아침이슬)」(1970年)を作曲した翌々年に作った歌のタイトルです。彼は自身のすべての音楽を著作権料なしで使用することを認め、また自分でもこの映画を宣伝して回ったそうです。
 私の好きな漫画家カンプルも映画を観て感激し、漫画に描いています。(下参照)

      

※6月3日の「東亜日報」のコラム「横説竪説」は、<映画界左派>と題して仁荷大チョ教授の次のような分析を紹介し、「チョ教授の懸念は深刻に受け入れなければならない」と(保守紙らしく)同調しています。
 「映画界は、文化芸術界では左派が主導権を掌握した代表的な分野であり・・・・」「金大中・盧武鉉政権で彼らが主流勢力となり、・・・・映画振興委員会を掌握し、3000億ウォンの予算を一方的に執行した。」「(最左派の)民主労働党党員のパク・チャヌク監督やポン・ジュノ監督は"映画と政治的志向は別物"と主張しているが、このような左派が大韓民国の自由民主主義的なアイデンティティを否定する集団の力として作用して、これを牽制する中心がない」。

 さて、やっと私ヌルボの感想に入ります。

 この映画は、まず、多くの人に、こうした事件があったことを知らせるという点で意義があったといえます。それも、住民の視点で、政治的主張は感じられないほど自然な描き方をしています。
 しかし、それゆえに、なぜこんな悲惨なことが起きてしまったのか、ほとんどわからないままに終わってしまっています。
 したがって、直接の加害者=米軍に対する憤りが当然募ってきます。そこで、親米右派の立場からは、「それを意図したのだろう」という見方が出てくるのも無理からぬところで、実際に<DAUM映画>でネチズンの評点を見ると、「本当に胸が痛みます」等の言葉とともに10.0満点をつけた人が7割ほどを占める中で、0.0も決して少なくはなく、その理由に「従北の左翼のヤツラ(종북 좌빨새끼들)が汚い扇動映画を作ったねー」とか「その時米軍がいなかったら今われわれは金正日の下で飢えに苦しんでいただろう。また当時北韓軍による虐殺に比べれば、これはごくわずかな犠牲だ」等々。
 両極端に分かれた評点の中で、ごく少数派の5.0をつけた人の感想に注目すると「映画が政治的論争から自由ではないようです。現実に大韓民国がこのように2つに分かれていることが悲しいです」とあります。
 肯定派の人で「この映画を政治的に見たりしないで、犠牲となった人々の冥福を祈ってほしいです」と書いているのは、私ヌルボも6~7割方は同感。
 しかし、あえて厳しく言えば、戦争自体の不条理についてもっと掘り下げ、右派の人たちをもうならせるような、より普遍的な描き方をしてほしかったと思います。

 上述の「小さな蓮池」の歌をヤン・ヒウンが歌っている動画がYouTubeにありました。→コチラ歌詞と楽譜は→コチラです。
 歌詞の内容は、「昔深い山奥に小さな池があって、2匹のフナが棲んでいたが、ある夏の日に2匹がケンカをして池の外に跳び出して死んでしまい、池も濁ってしまった」というものです。南北分断の寓意が込められているのかもしれませんが、今の韓国の中も左右両派に大きく分断されていると言わざるをえませんね。

 10年ほど前に「鬼が来た!」「ノー・マンズ・ランド」を観て以来、骨のある反戦映画を近頃観ていないなあという気がします。
 その点、「小さな池」はそれらと比べると、反戦映画だというには描き方が素朴すぎます。だから反米映画だと見られてしまう弱点は否めません。(それとも、やっぱり反米映画なの?)

 先に「戦火の中へ」を観た時にも思ったのですが、朝鮮戦争を描いた映画の共通の課題は、韓国の人たちの朝鮮戦争に対する見方が四分五裂で、その最大公約数からして見つけるのが困難な点にあると思われます。
 最初に攻撃をしかけた金日成が悪いのか、それとも李承晩が悪いのか、「アメリカが介入しなければ民族は統一していた」とアメリカを非難するのか、ソ連を中心とする共産主義が悪いのか、そもそも、南北分断の原因と責任はどこにあるのか等々・・・。

 今こそ硬直化したイデオロギーを超えて、民族や国家をも1度突き放して、朝鮮戦争や南北分断の問題と真っ向から取り組んでくれることを期待したいものです。

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