元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「プリシラ」

2024-05-11 06:08:17 | 映画の感想(は行)
 (原題:PRISCILLA )これは酷い。まったく、何も描けていないのだ。脚本も担当した監督のソフィア・コッポラには元々才能に乏しいと私は思っており、映画を撮り続けていられるのは親の七光り以外の何物でもないと踏んでいたが、今回はいつにも増してその素地の無さを見せつける結果になった。一部では賞賛する声はあるものの、少なくとも個人的には存在価値を微塵も見出せない映画だ。

 1959年、父親の仕事の関係で西ドイツの中西部ヘッセン州に住んでいた14歳のプリシラは、そこで兵役中のエルヴィス・プレスリーとパーティー会場で出会い、恋に落ちる。やがて彼女は両親の反対を押し切って退役後に帰国したエルヴィスと一緒に暮らすようになり、1967年に結婚。彼女はこれまで経験したことのない魅惑的な世界に足を踏み入れて、しばらくは夢のような生活を送るが、いつしか夫との仲が上手くいかなくなり、1973年には別れてしまう。



 若くして世を去り、すでに“伝説”になっているエルヴィスに対し、プリシラは現時点で健在だ。本作も彼女が85年に出版した自伝「私のエルヴィス」を元にしている。だから映画としてはプリシラの側から描くしかないのだが、本人が生存している手前、突っ込んだ描写は憚られる。加えて監督の腕前が推して知るべしなので、極めて微温的で薄っぺらい展開に終始しているのも仕方がない。

 十代前半にして思いがけずスーパースターと知り合ってしまったヒロインの戸惑いや苦悩、そしてそれらを上回るほどの胸のときめきなどは、全然深く描かれていない。エルヴィスや周りのスタッフに良いようにあしらわれ、まるで着せ替え人形のような存在になるプリシラだが、それに対する屈託や反感もスクリーンの中からはあまり窺えない。こんな状態で終盤に夫と離婚しても、観ている側としては“だから何?”としか言いようがないのだ。

 映像は美しくもなく、思い切った仕掛けも無し。時代背景も十分に描けていない。特に、音楽界の大物としてのキャラクターが脇に控えていながら、エルヴィスの楽曲が一向に流れてこないのには参った。これでは、ヒロインが一体彼のどこに惚れたのか分からないではないか。しかも、エルヴィスのナンバーだけではなく時代を彩るヒット曲の数々も紹介されていない。

 主演のケイリー・スピーニーは十代を演じる時点では可愛さが際立つが、後半は精彩を欠く。第一、あまりにも小柄過ぎないか(身長は155センチとのこと)。実在のプリシラ本人も決して長身ではないが、スピーニーよりも背が高い。エルヴィス役のジェイコブ・エロルディにはカリスマ性は見当たらず、ダグマーラ・ドミンスクにアリ・コーエン、ティム・ポストといった脇のキャストにも目立つ面子はいない。正直、さっぱり盛り上がらないまま2時間弱を過ごしてしまった感じだ。

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