犬鍋のヨロマル漫談

ヨロマルとは韓国語で諸言語の意。日本語、韓国語、英語、ロシア語などの言葉と酒・食・歴史にまつわるエッセー。

韓国からの通信(T・K生)

2007-06-07 00:01:17 | 近現代史

 T・K生の『韓国からの通信』とは,1973年から88年までの15年間,岩波書店の『世界』に連載され,その後岩波新書としても発売された「韓国便り」です。私自身は読んだことがないのですが『日韓誤解の深淵』(西岡力著,亜紀書房,1992)で,その内容に接しました。

 西岡は,『世界』に連載されていた「韓国からの通信」の内容に疑問をもち,1981年,現代コリア研究所内で「T・K生研究会」をつくり,「通信」の内容を分析したそうです。それが同書に「T・K生の犯罪」として一章がさかれているので,ちょっとご紹介します。

 その中で,西岡は,「通信」を次のように総括しています。

「通信」は,韓国反体制派の発言,地下文献,うわさなどを,T・K生が自分なりのコメントをつけながら紹介していくスタイルをとっているが,その半分近くが事実無根の話である。
「通信」は,朴政権を「倒すべき悪」として設定し,いかにそれと闘っているのかという基準だけで,韓国国内の諸勢力,北朝鮮,日本人などすべての登場人物を評価している。朴政権に反対すればするほど,「通信」の記述は肯定的になる。その人の持つ思想や行動の中身それ自体への評価はほとんど見られない。その結果,「通信」の読者は,金大中氏をはじめとする韓国の反体制勢力が,北朝鮮による韓国「解放」を断固として拒否した上で,北と闘うために朴政権の独裁に反対しているのだという,韓国情勢を理解するのに欠かすことのできない事実を,知ることができないように導かれている。

「事実無根」の例としては,たとえば光州事件の際の「通信」記事があげられています。当時,光州事件の噂には次のようなものがあったそうです。

1 デモを鎮圧している空挺隊は,慶尚道出身者だけで構成されていて,全羅道人を皆殺しにしてもよいと命令されている。

2 戒厳軍兵士は,数日間食事を与えられず覚醒剤入りの酒を飲まされている。

3 女子学生,婦人が下着姿に,あるいは裸にされた。

4 抵抗した女性たちが裸にされ,木にくくりつけられて突き刺された。

5 軍に抗議した女子校の校長が刺し殺された。

6 妊婦を刺し,胎児を投げ捨てた。

7 死者は2000人だ。

「通信」は,このうち「6」以外すべてを事実だとして伝えましたが,民主化後の検証において,どれ一つとして事実と証明されたものはなかったとのこと。

「通信」に,かなりの嘘が混じっていることは,T・K生自身も,『世界』の安江編集長も認めており,T・K生は80%が真実と主張し,安江は最低60%,おそらく70~80%が真実だと語っているそうです(88年4月『月刊中央』インタビュー)。

 結局,西岡の分析でも「T・K生」の正体は不明のままですが,「文章が外国人の視角で書かれている」,「私の感覚ではT・K生氏の生は韓国の現実からあまりにかけ離れている」(沢正彦)などの意見をあげつつ,「「通信」は,韓国の宗教団体などを通じて集めた地下文書・ビラやうわさを日本で通信の形式にまとめている」もので,T・K生は実在しないだろう,という推測を示しています。

 ところが,2003年の夏,突然T・K生が名乗り出ました。軍事政権当時日本に亡命中だった池明観(前東京女子大学教授)です。彼が,東京でさまざまな地下文書をまとめ,『世界』の安江良介編集長(故人)が整理した,という真相が明らかになりました。地下文書の受け渡しをした人たちも名乗り出た(→リンク)。沢氏の「現実感がない」という感想は池が日本にいたから,視角が「外国人的」というのは,安江が手を入れたからということで,辻褄が合いますね。

 前掲書の第2章では,光州事件との関連で,怪文書「引き裂かれた旗」が分析されていますが,文書発表のルート(日本カトリック正義と平和協議会)からして,この文書の出所も池明観(キリスト教徒)だったんじゃないでしょうか。
 主たる内容は,前記の「噂」の中の,胎児殺害場面,女性を裸にした場面などの目撃証言のほかに,政府公表死者数をはるかに上回る死体を見たとするもので,これも西岡によれば,すべて嘘。「事実無根のニセ文書」だそうです。

 池明観さんの本は,『韓国から見た日本』,『チョゴリと鎧』など何冊か読んだことがありました。なかなかよく出来た文化論で,ユニークな視点も散見されて,感心していました。
 どの本だったか忘れましたが,

「韓国に三国史記,三国遺事以前の史書が残っていないのは,韓国に近親婚を認めない儒教思想が入ってきたとき,近親婚の証拠を消すために,韓国人が自らの手で史書を処分したのではないか」

など,普通の韓国人なら言いそうにないことを書いていた。

 韓国に民主化政権が誕生したあと,池明観は韓国に戻り,その後も岩波新書から,『韓国 民主化への道』(1995年)という本を出しています。これは,解放後,95年頃までの韓国の歩みを,主に民主化運動に焦点を当てながら描いたものですが,たとえば

「朝鮮半島は日本の植民地として徴発,徴用,徴兵から従軍慰安婦にいたるまで,太平洋戦争にあらゆる形で動員されたが,それでも戦場にはならなかった。このことが,戦後において朝鮮に平和の思想が具体的に定着しなかった理由の一つであるかもしれない」

などというのは,それなりにユニークな発想だと思います。

 池明観は,自分を含む民主化勢力を弾圧した軍事政権を心底から憎んでおり,この本も全編,軍事政権への恨み節で満ちている。ベトナム参戦や日韓条約の,「漢江の奇跡」への貢献は不承不承認めているものの,経済発展はしなくともベトナム参戦や日韓条約は結ぶべきではなかった,とでも言いたげ。

 戦後の悪い点はなんでも軍事政権のせいで,聖水大橋崩壊も,三豊百貨店崩壊もそうなんだそうだ。

「このような事故は,ほとんどその設計から工事そして監理に至るまで,すべてが「不実工事」であった。工事費の節約,工期の短縮,下請け価格の削減,監理の不誠実。でき上がった建物の不法増改築。そのすべての過程を監督官庁は収賄によって黙認した。いままで,事故があってもこのような不正の連鎖によって処罰らしい処罰を受けていなかった。軍部統治とは,そのようなものだった」

 三豊百貨店の竣工は90年で民主化後だから,ちょっと無理がある(ノ・テウも軍事政権だということなんだろうけど)。


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2 コメント

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感想 (守谷市)
2010-11-01 16:17:26
「韓国からの通信T-K生」のT-K生は、今、どうなったのだろうと前から気になっていて、ネットで探していたら本稿に行き当たりました。
池明観という人が、自分がT-K生だったと名乗り出ているということなので、事情が明らかになっているのはまだしも救いです。
「凍てつくような軍事独裁政権下の韓国の苛烈な弾圧をかいくぐり、決死の思いでメッセージを日本に送っている」との雰囲気を演出している本だったような気がします(ほとんど読んでないのです)が、現実の著(編)者はずっと日本にいたのですね。その後、本稿の光州事件などを経て、基本的に自力で今日の民主的な(かつ繁栄する)韓国を築いた韓国人はかねがね偉いと思っています。この壮大な事実・歴史がT-K生(とその正体)へのなんともいえない痛烈な皮肉となっていますね。韓国、日本の側の問題点は衝けるが、北朝鮮や中国の側の明々白々な強圧(とそれによる悲惨)については、まったく取り上げない(本も出さない)という、「T-K性」を出版した会社の姿勢(構造)というのは、いったいどうやって出来たのでしょうね。雑誌「世界」は、バランスを欠いているのは(雑誌でなく)現実のほうであり(北と日本は国交すらない)、そうである以上は、かかわりの薄い方の情報こそを意識的に紹介していくべきである、などと弁解していますね。
ひとつの屁理屈かとは思います(弱いものの味方をすべき、という思想の基盤にもそのバランスの考え方があるのでしょうね)が、凝り固まった考えというのも厄介な(同情すべき)ものです。言論人というのは、各自、その「立場」で飯を食っている(趣味ではない)わけだから、仕方がないのでしょうね。サラリーマンをやってて(もうやめたけど)よかった!!
そうは言いつつ、岩波のような論調が、一定の勢力で(?)存在を継続することには、その根底に確固たる理由が存在すると考えられますね。そうか、それが「北」の存在か!いずれにせよ、油断は禁物で、よく考える必要がありますね。
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岩波・朝日 (犬鍋)
2010-11-05 00:36:42
コメントありがとうございます。

私が大学生だった1980年前後は,すでに「世界」や「朝日ジャーナル」を読んでいるとかっこいい,という状況はなくなっていました。

「収容所群島」などによってソ連の現実が暴かれたことが大きかったのでしょう。

家で朝日新聞を講読していたので,文春や正論もときどき読むようにして,偏向を防ぐ努力をしていたものです。
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