一般的に植民地の人口は減少しているようですね。
古くは16世紀のカリブ海。
3種族がいたそうですが,スペイン人が入植して一世紀できわめて少数のカリブ族を残して絶滅。現在の住民は,征服民族とアフリカから導入された奴隷の子孫だそうです。
北米のインディアン(ただし,白人による殺戮以上に白人が持ち込んだ天然痘によって死んだ人が多い),オーストラリアのアボリジニーも急減。アボリジニーは,18世紀末の30万人が1930年代には5万人。
もっとすごいのがタスマニア。
1800年に2500~7000人いたが,白人によって狩猟の対象とされ,1830年,兵士2000人を投じた先住民掃討作戦により約300人を残して壊滅。その後,1876年,最後に残ったトゥルガニニというお婆さんの死亡によって純血のタスマニア人は絶滅しました。
なんとも酷い話です。
インドでは,植民地時代に頻繁に飢饉が発生。ウィリアム・ディグビイ著『繁栄する英領インド』(この書名がすごい!)によれば,19世紀最後の10年間におけるインド人餓死者は1,900万人に上るそうです(19世紀全体の世界のあらゆる戦争における戦死者が500万人と推定されるが,その約4倍)。
日帝時代と重なるところでは,1943~44年の大規模な飢饉で,ベンガル地方だけで340万人が餓死(その他の地方は不明)。
「戦いに勝っていて余裕のあるはずのイギリスの植民地におけるこのような悲惨さに対し,国力のまさに尽き果てようとしていた日本の植民地,朝鮮では――もとより,栄養失調は多かったであろうし,貧困者は飢えに泣いていたであろうが――少なくとも記録に残るような集団的餓死状態は発生しなかった」(若槻泰雄『韓国・朝鮮と日本人』)
同じくイギリスの植民地,アイルランドでは1845年から5年間,主食だったジャガイモの不作で大量の餓死者が出たそうです。
「1845年から5年間続いたジャガイモの病気による不作は、英国とのつながりによって唯一近代化を遂げていた北アイルランドを例外として、プロテスタント優位法の下、農業以外の産業が育たなかったアイルランドに壊滅的な打撃を与えた。その結果、約100万人が死に、250万人以上が移民を選び、アイルランドを去ることになった。しかも当時アイルランドは英国の穀物庫でもあったのだが、驚くことに飢饉のさなかにも穀物を英国に向けて輸出していた。
ジャガイモ飢饉以降の人口は次のように激減する。
1845年 850万人1926年 425万人」(→リンク)