「もののあはれ」の物語

古き世のうたびとたちへ寄せる思いと折に触れての雑感です。

苦味好みの蝉

2006年07月29日 | 季節のうつろい

 かまわない菜園の片隅に、昨年のこぼれ種から成長した苦瓜がか弱く成長しています。雨上がりの今朝のぞいて驚きました。

 頼りない葉の裏に、8個もの蝉の抜け殻がかたまってくっついています。
 前から1,2個ついていたのかもしれませんが、こう1箇所に集中すると、注意散漫な私でも気がつきます。
 7年もの土中の生活から地上に登場するのに選択したのが、この苦瓜とは。背中の縦の割れ目が衣更えの印です。

 他の季節とちがって、耳で強烈な季節を感じる夏は、この蝉たちの大合唱があるからでしょう。春秋の鳥や虫の鳴き声の穏やかさとは質を異にします。
 僅か2週間のいのちを生きるひたむきを感じます。それでいて、あっけなく土の上にむくろを曝して小さな虫たちの餌になっている姿を見るとき、己の人生や死への思いを誘われます。

 山寺の蝉の声を「岩にしみいる」と感じた芭蕉のおもいにも重なります。さらには、この抜け殻の名前を「空蝉」ウツセミと呼ぶ美しい言葉からは、源氏物語の「空蝉の身をかへてける木の下になほ人がらの懐かしきかな」の嘆きの声を連想します。着物を残して源氏から逃れた常陸介の妻の思いへと拡がっていきます。

  蝉穴といふ寂寞をのぞき見る      能村登四郎
  蝉鳴いてどーんとせばまる死の歩幅   岸本マチ子

 それにしても、苦瓜の葉裏で、旅立った蝉たち、今頃は、きっと苦みばしった顔つきで、渋い声で鳴いていることでしょう。
それとも、鳴くことのない蝉世界の、もの静かな女性でしょうか。