「もののあはれ」の物語

古き世のうたびとたちへ寄せる思いと折に触れての雑感です。

石垣りんさん死去

2004年12月28日 | 歌びとたち
2004年も残すところ5日という26日「生活詩人」と言われた石垣りんさんの訃報がもたらされました。新聞の報道によると84歳の死去。誇りを持って精力的に誠実に生き抜いた骨太の生涯をしみじみ羨ましく思います。
「シジミ」「鍋とお釜と燃える火」「峠」「表札」などは中学や高校の教科書に採択され、目にふれる機会も多い作品ですが、私は若いころには、突き刺さるような言葉遣いの刺々しさと、女であることが表に出すぎる気がして,あまり好きになれない詩人でした。ところが、自分が歳を重ね、生きる時間が積み重なってくると、まるで異なる感懐をもつようになりました。特に認識を新たにしたのは「ちいさい庭」という詩に出遭ってからです。
     ちいさい庭
老婆は 長い道をくぐりぬけて
そこへたどりついた。

まっすぐ光に向かって
生きてきたのだろうか。
それともくらやみに追われて
少しでも明るいほうへと
かけてきたのだろうか。

子供たちーーー
苦労のつるに
苦労の実がなっただけ。
(だけどそんなこと、
人にいえない)

老婆はいまなお貧しい家に背を向けて
朝顔を育てる。
たぶん
間違いなく自分のために
花咲いてくれるのはこれだけ、
青く細い苗。
老婆は少女のように
目を輝かせていう
空色の美しい如露が欲しい、と。

突放した表現の背後からにじみ出る人間の悲しみに寄せる温もりが、飾らない言葉で歌われています。
訃報に接して、彼女が職場新聞に寄せた「弔詩」の最後のほうに出てくるフレーズを同じ想いをこめてくちずさんでいます。「戦争の記憶が遠ざかるとき、/戦争がまた/私達に近づく。/そうでなければ良い。」

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1 コメント

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災害も戦争も忘れた頃に来る (口ずさみ言い伝えます、私も)
2004-12-29 19:21:13
戦後教育を受けたものにとって、今の風潮は、本当に怖いくらいに差し迫ったものに感じられますが、今の教育を受けた人たちにはそうも感じられないのは、教育の力と反省のない?マスメディアの所為でしょうか?

遠くに聞こえる軍靴の音も明ける年にはいよいよドア-を叩くところまでくるのでは?