弁理士の日々

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フランス史10講

2006-10-15 00:07:49 | 趣味・読書
カエサル著「ガリア戦記」を読んで、二千年前のガリア(現在のフランス地域)のできごとが昨日のことのように躍動しました。二千年前のガリアが現在のフランスとどのように繋がっているのか、現代フランスにはガリアの痕跡が残っているのかどうか、という点がずっと気になっていました。
今回、塩野七生著「ローマ人の物語」を途中から再開するにあたって新書本「ローマ帝国」でローマ史を復習すると同時に、フランス史についても新書本を購入しました。柴田三千雄著「フランス史10講」(岩波新書)です。
フランス史10講 (岩波新書)
柴田 三千雄
岩波書店

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ケルト人は、中部ヨーロッパに住むインド・ヨーロッパ語系の言語集団の一つでした。一方、同じインド・ヨーロッパ語系のゲルマン人がもともとバルト海地方に住んでいましたが、気候の悪化のためバルト海地方から南下してきました。ゲルマン人の圧迫を避けるため、ケルト人は東西に移動し、フランスの地には紀元前5世紀から本格的に入ってきました。

この頃、地中海世界の強国になりつつあったローマ人から見ると、北方のケルト人は蛮族であり、その地を「ガリア」と名付けていました。ガリアは深い森におおわれており、ガリア人(ケルト人)は多くの部族に分かれて住んで、統一国家を作りませんでした。

紀元前58年、この頃のガリアのうち、北イタリアと南フランスはすでにローマの属州になっていました。そしてカエサルがガリア属州総督に就任し、紀元前58年から8年間、ガリア全土でガリア人と戦います。ガリア人は激しく抵抗しましたが、最終的にはカエサルの軍門に下り、カエサルはガリア全域をローマの支配下に置くことに成功します。
この頃のローマによる属州経営は、地域住民をローマに同化することに心がけ、もともと地域のガリア人有力者だった人にはローマ市民権を与え、都市を建設し、都市間を結ぶ街道やローマ水道を整備します。
この時代のガリアを「ガロ・ローマ」と呼ぶようです。

カエサルの時代、ライン川の東、ドナウ川の北の地域はゲルマニアと呼ばれ、ゲルマン人が住んでいました。ゲルマン人は部族に割拠し、戦闘力旺盛であり、カエサルですらゲルマン人の地域を属州化することはできませんでした。

4世紀後半、遊牧民のフン族が中央アジアから侵入を始め、それに押されてゲルマンの諸部族がつぎつぎと東から西に大規模な民族移動を始めます。
ゲルマン諸部族のうちのフランク族は、紀元500年頃のクロヴィス王のときにフランスの地の征服に成功し、フランク王国が形成されます。
ゲルマン人の移住者はガロ・ローマ人の住民に対して5%程度の数にすぎなかったといわれ、ゲルマン人の王が統治するにあたってガロ・ローマ貴族の協力を得てその組織を利用することが不可欠だったようです。
クロヴィスが始めたメロヴィング王朝(486~751)の後、カロリング王朝(751~987)に代わり、シャルルマーニュはエルベ川から北イタリアまでを支配下におさめめます(800年頃)。
シャルルマーニュ死後に帝国は3分割され、地理的に現在のフランス・ドイツ・イタリアの原型が形成されます。
その後、フランス王国はカペー朝(987~1328)、ブルボン朝(1589~)と続き、1790年頃のフランス革命に至ります。カロリング朝、カペー朝、ブルボン朝がフランク族出身なのかどうかがどうしてもわかりませんでした。

現代のフランスを観察すると、「フランス」という国名はフランク族に由来し、フランク族が建国した国のように見えます。一方、「フランス語」はシャルルマーニュの時代に発生したラテン語の方言であり、この点はローマ支配に由来しているようです。
しかし人口比で見ると、フランク族の占める比率が5%としたら、ローマ人が占める比率も同じようなものでしょうから、ということはガリア人の比率が90%ということになり、ほとんどガリア人の国であるということになります。

私が感じている疑問(フランスの起源は何?)は、フランス人もずっと問題にしてきたようです。
16世紀以来、フランスの起原はフランク人のガリア征服にあり、フランス貴族はそのフランク人の末裔だという理論がフランス貴族の間に有力だったようです。それに対しフランス革命時シエイエスという人が、先住民のガリア人こそがフランス人の起原だとの説を対置し、貴族特権を批判しました。

フランス革命の後、ナポレオンの時代、普仏戦争敗北(1871)、二度の世界大戦を経て、戦後10年間、ドゴールがフランスを統治します。
ガリア・ガリア人はゴール・ゴール人とも呼ばれ、ドゴールのゴールはその意味であると聞いたことがあります。確証は得られませんでしたが。

おそらくフランスという国は、フランス人のDNAの大部分を占めるガリア人の血、ローマ文明とそれから発生したフランス語、ローマ人貴族による支配の記憶、フランク族による長い政治統治の記憶、などが混然として成立している国なのでしょうね。
昔から、「フランス人ってゲルマン系?ラテン系?」との疑問がありますが、どちらでもないということでしょうか。

一人一人のフランス人が、自分はガリア人・ローマ人・フランク人のいずれの末裔であるかを意識しているのかどうか、知りたいところです。
日本人については、自分が縄文人・弥生人・南方系のいずれの末裔であるかは全く知ることができません。見事なまでに混血し均一化しています。ごく一部の少数民族の人たちを除いて。
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