世界最初のコンピュータというと、モークリーとエッカートが開発したENIACということで記憶しています。
ところが志村幸雄著「誰が本当の発明者か」によると、ENIACと並ぶもう一つの世界最初のコンピュータがあるというのです。
ENIACは、1943年、ペンシルヴェニア大学でモークリーとエッカートを中心として開発が始められます。真空管で計算機を作るというモークリーの企画に対して、陸軍が弾丸の弾道計算のための計算機を必要としていたことから、陸軍が予算を提供したのです。
ENIACは結局18000本の真空管を用い、内部計算を二進ではなく十進で計算します。1943年に完成した計算機は、重さ30トン、所要電力150キロワットの代物でした。
ところが、巨大なENIACが完成する7年前に作られたコンピュータがあったというのです。
アイオワ州立大学で数学と物理学の助教授、準教授をしていたアタナソフは、1937年に新しい計算機の基本となる4つの原理を導き出します。
①真空管を用いて電子的に計算し、電流そのものを計算機の媒体として使う。
②十進法ではなく二進法を採用する。
③記憶媒体としてコンデンサーを使用し、記憶が消滅しないよう再生処理を行う。
④アナログ計算機のように結果を積算していくのでなく、論理的な演算をそのつど行う。
アタナソフは、大学院生のベリーとともに、1939年から製作に入ります。
使用真空管は約300本、本体も大型の事務机ほどの大きさです。機能としては、汎用機のENIACには劣りますが、連立方程式専用の単能機です。メモリーは、1500個のコンデンサーを詰め込んだドラムが1秒間に1回転するたびに書き直されるというものです。
アタナソフの①~④のアイデアはすばらしいです。なかでも③にはしびれてしまいました。
「③記憶媒体としてコンデンサーを使用し、記憶が消滅しないよう再生処理を行う。」
というのは、現在のコンピュータメモリーの主流であるDRAMのアイデアそのものではありませんか。
DRAM(Dynamic Random Access Memory)とは、メモリー素子1個1個が半導体チップに形成されたコンデンサーであり、メモリーの記憶内容が「1」ならコンデンサーに電荷を蓄え、「0」なら放電する、というものです。コンデンサーの電荷は時間とともに放電しますので、短いサイクルで充電を繰り返します。
即ち、アタナソフのコンデンサーメモリーは、DRAMそのものです。
ENIACは、砲弾の弾道計算という目的が最初から設定されていたので、その必要から真空管18000本という途方もない大きさになり、常に球切れに悩まされました。それに比較し、アタナソフのコンピュータは、当時の真空管の寿命にマッチした身の丈のマシンであったといえます。
エッカートとモークリーはコンピュータ会社を設立し、レミントン・ランド社がエッカートらを説き伏せて自社の一部門とし、その後スペリー社となり、世界最初の商用機UNIVACを発表します。スペリー社がENIACの特許権を所有し、他のコンピュータメーカーはすべて、スペリーに特許使用料を払わねばなりません。
ところがハネウェル社は特許権の支払いを拒否し、スペリーは訴訟に出ます。ここでハネウェルは、アタナソフを証言台に立たせ、ENIACの基本特許の原理や機構がアタナソフのマシン(ABCマシン)のそれと同一であること、モークリーが何度もアタナソフのもとを訪れていたことを明らかにします。
結果として、ミネアポリス連邦地方裁判所は、1973年、ENIACの基本特許を無効とする判決を下します。
アタナソフ自身は、自分が発明したコンピュータについて特許明細書を書き上げていたらしいのですが、その直後に大学を離れたこともあって、大学当局が出願を怠っていたのだそうです。
機能的にENIACの方が現在のコンピュータに近いのは確かだとは思います。一方、一歩先んじたのはアタナソフです。従って、アタナソフとENIAC、いずれも世界最初のコンピュータの栄誉を与えられてしかるべきなのでしょうね。
ところが志村幸雄著「誰が本当の発明者か」によると、ENIACと並ぶもう一つの世界最初のコンピュータがあるというのです。
ENIACは、1943年、ペンシルヴェニア大学でモークリーとエッカートを中心として開発が始められます。真空管で計算機を作るというモークリーの企画に対して、陸軍が弾丸の弾道計算のための計算機を必要としていたことから、陸軍が予算を提供したのです。
ENIACは結局18000本の真空管を用い、内部計算を二進ではなく十進で計算します。1943年に完成した計算機は、重さ30トン、所要電力150キロワットの代物でした。
ところが、巨大なENIACが完成する7年前に作られたコンピュータがあったというのです。
アイオワ州立大学で数学と物理学の助教授、準教授をしていたアタナソフは、1937年に新しい計算機の基本となる4つの原理を導き出します。
①真空管を用いて電子的に計算し、電流そのものを計算機の媒体として使う。
②十進法ではなく二進法を採用する。
③記憶媒体としてコンデンサーを使用し、記憶が消滅しないよう再生処理を行う。
④アナログ計算機のように結果を積算していくのでなく、論理的な演算をそのつど行う。
アタナソフは、大学院生のベリーとともに、1939年から製作に入ります。
使用真空管は約300本、本体も大型の事務机ほどの大きさです。機能としては、汎用機のENIACには劣りますが、連立方程式専用の単能機です。メモリーは、1500個のコンデンサーを詰め込んだドラムが1秒間に1回転するたびに書き直されるというものです。
アタナソフの①~④のアイデアはすばらしいです。なかでも③にはしびれてしまいました。
「③記憶媒体としてコンデンサーを使用し、記憶が消滅しないよう再生処理を行う。」
というのは、現在のコンピュータメモリーの主流であるDRAMのアイデアそのものではありませんか。
DRAM(Dynamic Random Access Memory)とは、メモリー素子1個1個が半導体チップに形成されたコンデンサーであり、メモリーの記憶内容が「1」ならコンデンサーに電荷を蓄え、「0」なら放電する、というものです。コンデンサーの電荷は時間とともに放電しますので、短いサイクルで充電を繰り返します。
即ち、アタナソフのコンデンサーメモリーは、DRAMそのものです。
ENIACは、砲弾の弾道計算という目的が最初から設定されていたので、その必要から真空管18000本という途方もない大きさになり、常に球切れに悩まされました。それに比較し、アタナソフのコンピュータは、当時の真空管の寿命にマッチした身の丈のマシンであったといえます。
エッカートとモークリーはコンピュータ会社を設立し、レミントン・ランド社がエッカートらを説き伏せて自社の一部門とし、その後スペリー社となり、世界最初の商用機UNIVACを発表します。スペリー社がENIACの特許権を所有し、他のコンピュータメーカーはすべて、スペリーに特許使用料を払わねばなりません。
ところがハネウェル社は特許権の支払いを拒否し、スペリーは訴訟に出ます。ここでハネウェルは、アタナソフを証言台に立たせ、ENIACの基本特許の原理や機構がアタナソフのマシン(ABCマシン)のそれと同一であること、モークリーが何度もアタナソフのもとを訪れていたことを明らかにします。
結果として、ミネアポリス連邦地方裁判所は、1973年、ENIACの基本特許を無効とする判決を下します。
アタナソフ自身は、自分が発明したコンピュータについて特許明細書を書き上げていたらしいのですが、その直後に大学を離れたこともあって、大学当局が出願を怠っていたのだそうです。
機能的にENIACの方が現在のコンピュータに近いのは確かだとは思います。一方、一歩先んじたのはアタナソフです。従って、アタナソフとENIAC、いずれも世界最初のコンピュータの栄誉を与えられてしかるべきなのでしょうね。
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