日本100名城に行こう 公式スタンプ帳つきを購入し、小田原城と川越城を訪問した記録を以前アップしました。
さらに、続日本100名城に行こう 公式スタンプ帳つきという書籍が出ており、こちらも購入しました。
続日本100名城に行こう 公式スタンプ帳つき
日本100名城に引き続き、101~200番までの名城が紹介されています。
2月24日、124番「品川台場」を、訪問しました。
書籍では以下のように紹介されています。
『1853年のペリー艦隊来航を受けて、伊豆韮山代官江川英龍による品川台場の造営工事が開始された。約12基の台場が計画されたが、完成は6基のみで、一度も砲門が火を吹かぬまま明治を迎えた。
品川台場は純粋な軍事上の拠点であり、個々の台場内には砲台、玉置き場、玉薬置き場、兵舎など必要最低限の施設が設けられた。・・砲台には佐賀藩などで鋳造した洋式大砲が配備されていた。』
われわれが訪問するのは第三台場です。
ゆりかもめをお台場海浜公園駅で降り、海岸をぐるっと半周して第三台場に到着します。
第三台場遠景
途中、満開の花をつけた木々があります。川津桜のようでした。
海岸から、直接第三台場に接続しています。
第三台場近景
土手を上がると、第三台場の内部全体が見渡せます。第三台場は、四周が土塁で取り囲まれ、内部が凹地になっていました。
第三台場内部の全景
火薬庫跡?
凹地内に整然と置かれた礎石。ここに、勤番者の住居地として建物が建造されていたようです。
陣屋跡
第三台場から、近くにある第六台場を見ることができます。陸地とは連続しておらず、一般の立ち入りは禁止されています。
第六台場
昭和3年の公園の開園に伴い設置された大谷石製の八角形のかまどとあります。
かまど跡
台場から東京湾を望む方角に、土塁上に砲台が配置されています。昭和8年に復元されたものです。
砲台
第六台場の全景については、隣接するレインボーブリッジから見るのがベストなようです。今回、ゆりかもめがレインボーブリッジを通過したのですが、残念ながら車窓からは橋の構造物が邪魔をして撮影できませんでした。ウィキペディアの写真を拝借します。
福原邦展
帰り道、砂浜の金属を金属探知機で探している外人さんがおられました。たまたま、小さい女の子がおじさんに代わって探知機を操作していました。
続100名城のスタンプは、お台場海浜公園マリンハウス受付で押すことができました。
さらに、続日本100名城に行こう 公式スタンプ帳つきという書籍が出ており、こちらも購入しました。
続日本100名城に行こう 公式スタンプ帳つき
日本100名城に引き続き、101~200番までの名城が紹介されています。
2月24日、124番「品川台場」を、訪問しました。
書籍では以下のように紹介されています。
『1853年のペリー艦隊来航を受けて、伊豆韮山代官江川英龍による品川台場の造営工事が開始された。約12基の台場が計画されたが、完成は6基のみで、一度も砲門が火を吹かぬまま明治を迎えた。
品川台場は純粋な軍事上の拠点であり、個々の台場内には砲台、玉置き場、玉薬置き場、兵舎など必要最低限の施設が設けられた。・・砲台には佐賀藩などで鋳造した洋式大砲が配備されていた。』
われわれが訪問するのは第三台場です。
ゆりかもめをお台場海浜公園駅で降り、海岸をぐるっと半周して第三台場に到着します。
第三台場遠景
途中、満開の花をつけた木々があります。川津桜のようでした。
海岸から、直接第三台場に接続しています。
第三台場近景
土手を上がると、第三台場の内部全体が見渡せます。第三台場は、四周が土塁で取り囲まれ、内部が凹地になっていました。
第三台場内部の全景
火薬庫跡?
凹地内に整然と置かれた礎石。ここに、勤番者の住居地として建物が建造されていたようです。
陣屋跡
第三台場から、近くにある第六台場を見ることができます。陸地とは連続しておらず、一般の立ち入りは禁止されています。
第六台場
昭和3年の公園の開園に伴い設置された大谷石製の八角形のかまどとあります。
かまど跡
台場から東京湾を望む方角に、土塁上に砲台が配置されています。昭和8年に復元されたものです。
砲台
第六台場の全景については、隣接するレインボーブリッジから見るのがベストなようです。今回、ゆりかもめがレインボーブリッジを通過したのですが、残念ながら車窓からは橋の構造物が邪魔をして撮影できませんでした。ウィキペディアの写真を拝借します。
福原邦展
帰り道、砂浜の金属を金属探知機で探している外人さんがおられました。たまたま、小さい女の子がおじさんに代わって探知機を操作していました。
続100名城のスタンプは、お台場海浜公園マリンハウス受付で押すことができました。