[優先権の効果が認められなかった例]
東京高裁平成14(行ケ)539審決取消「人工乳首」事件(裁判所ホームページ)
ドキッとする事件名なので「ピジョン」事件と呼びます。
[先の出願X:平成10年10月20日ピジョン出願]
特許請求の範囲1~3を合成すると、「伸張する伸張部と、この伸張部に隣接して伸張部より剛性のある剛性部が設けられ、伸張部と剛性部が交互に配置されている、人工乳首」が記載されています。
実施例として、伸張部122である薄肉部が環状に形成されたものが図1に記載されています。これをa1とします。剛性部は123です。図面を各明細書から引用します。
[優先権出願Y:平成11年10月8日ピジョン出願]
補正した特許請求の範囲は「壁面より肉厚の薄い伸張部が形成され、この伸張部に隣接して、この伸張部より肉厚が厚い剛性部が交互に形成されている、人工乳首」です。この発明をAと呼びます。
実施例として、先の出願Xと同じ図1(a1)の他、伸張部522が螺旋状に形成された図11が記載されています。剛性部は523です。図11実施例をa2とします。
[先願Z:特願平11-85326(特開2000-271193)平成11年3月29日ジェクス出願]
厚肉部と薄肉部が交互に配置され、薄肉部16が螺旋状に形成された人口乳首が記載されています。上記a2と同一といえます。
優先権出願Yの特許請求の範囲に記載の発明Aは、先の出願Xにも記載されているといっていいでしょう。ですから
先の出願X:発明A、実施例a1
優先権出願Y:特許請求の範囲の発明A、実施例a1、a2
先願Z:a2が記載されている。
ということになります。
査定不服審判の審決、東京高裁の判決ともに、優先権の効果を認めず、出願Yよりも早い先願Zにa2が記載されていることを根拠に、特許を認めませんでした。
優先権の効果は、優先権出願の特許請求の範囲に記載された発明について、先の出願日に出願されたとして新規性・進歩性・先後願の判断を行います。本件に関しては、優先権出願Yの特許請求の範囲に記載された発明Aは、先の出願Xにも記載されています。先の出願に記載されたと同じ発明Aについて、なぜ優先権の効果が認められなかったのか。この点が非常に理解しがたいので、大きな反響を呼びました。「実施例補充型の優先権出願は無意味なのか」といった議論までなされました。
高裁判決のロジックを簡単に見てみましょう。
《優先権出願Yに係る発明(特許請求の範囲に記載された発明A)が先の出願Xの明細書類に記載された範囲内といえるか、の判断では、
「優先権出願Yの特許請求の範囲に記載された発明の要旨となる技術的事項(①)」と、
「先の出願Xの明細書類に記載された技術的事項(②)」との対比によって決定する。
優先権出願Yの詳細な説明に、先の出願Xに記載されていなかった技術的事項(③)を記載することにより、①が②の範囲を超えることになる場合には、その越えた部分については優先権主張の効果は認められない。》
本件では、図11実施例(a2)が③に該当します。
まず、図11実施例(a2)③(伸張部が螺旋状に形成)は、本願発明Aの実施例に相当します。
そして、a2は、哺乳しやすい、製造しやすいなどの螺旋形状特有の効果を奏します。
《そうすると、a2はa1(伸張部が環状に形成)が奏する効果とは異なる螺旋形状特有の効果を奏するので、a2を優先権出願の明細書に加えることによって、優先権出願Yの特許請求の範囲に記載された発明の要旨となる技術的事項①が、先の出願Xの明細書類に記載された技術的事項②を越えることになるのは明らかであるから、その越えた部分については優先権主張の効果は認められない》とします。
「優先権出願Yの特許請求の範囲に記載した発明Aは先の出願Xに記載されている。実施例a2を追加しただけで、発明Aについての優先権が認められないとはどういうことか。実施例を追加したらいつでも同じ判断となるのか。」という疑問が生じます。
私は以下のように自分の中で整理しました。
実施例a1は伸張部が輪状に配置されています。実施例a2は伸張部が螺旋状に配置されています。そして特許請求の範囲の記載Aは、輪状のa1、螺旋状のa2をともに包含する記載であるといえ、Aはa1、a2の上位概念を抽出したということができます。この「上位概念抽出」は、特許請求の範囲を機能的、抽象的に記載した場合と相通じるところがあります。
もしピジョンの優先権出願Yが、実施例a2を含まない状態で特許になったらどうでしょうか。第三者が螺旋状伸張部の製品(a2)を実施した場合、権利侵害と判断されるでしょうか。たしかに文言上は第三者の製品a2はピジョンの特許発明Aに包含されますが、ピジョンの明細書には実施例a1(輪状伸張部)しか記載されておらず、a1を見た当業者が容易にa2を想到し得るとは言い難いところがあります。そうすると、機能作用的クレームの権利解釈についての私の発言でも述べたように、第三者の製品a2はピジョンの特許発明Aの権利範囲から外れる、と判断される可能性が高いです。
一方、ピジョンの優先権出願Yが実施例a2を含んでいたら、当然のことながら、第三者の製品a2はピジョンの特許発明Aの権利範囲内ということになります。
即ち、明細書中にどのような実施例が記載されているかによって、特許発明Aの権利範囲が変わってしまうのです。
そう考えると、「優先権出願Yで実施例a2を追加したことに起因して、発明Aは優先権の効果を生じない」とした高裁判断がうなずけます。
特許庁での審判段階では、審判官は「明細書から実施例a2を削除したら特許にしてもいい」という心証を示したようです。特許請求の範囲の記載はそのままでです。
この点からも、上記私の整理の妥当性が理解できます。
ピジョン事件と反対の結論となった写ルンです事件について、及びピジョン事件と写ルンです事件の両方を対比した検討については、このあとに発言します。
東京高裁平成14(行ケ)539審決取消「人工乳首」事件(裁判所ホームページ)
ドキッとする事件名なので「ピジョン」事件と呼びます。
[先の出願X:平成10年10月20日ピジョン出願]
特許請求の範囲1~3を合成すると、「伸張する伸張部と、この伸張部に隣接して伸張部より剛性のある剛性部が設けられ、伸張部と剛性部が交互に配置されている、人工乳首」が記載されています。
実施例として、伸張部122である薄肉部が環状に形成されたものが図1に記載されています。これをa1とします。剛性部は123です。図面を各明細書から引用します。
[優先権出願Y:平成11年10月8日ピジョン出願]
補正した特許請求の範囲は「壁面より肉厚の薄い伸張部が形成され、この伸張部に隣接して、この伸張部より肉厚が厚い剛性部が交互に形成されている、人工乳首」です。この発明をAと呼びます。
実施例として、先の出願Xと同じ図1(a1)の他、伸張部522が螺旋状に形成された図11が記載されています。剛性部は523です。図11実施例をa2とします。
[先願Z:特願平11-85326(特開2000-271193)平成11年3月29日ジェクス出願]
厚肉部と薄肉部が交互に配置され、薄肉部16が螺旋状に形成された人口乳首が記載されています。上記a2と同一といえます。
優先権出願Yの特許請求の範囲に記載の発明Aは、先の出願Xにも記載されているといっていいでしょう。ですから
先の出願X:発明A、実施例a1
優先権出願Y:特許請求の範囲の発明A、実施例a1、a2
先願Z:a2が記載されている。
ということになります。
査定不服審判の審決、東京高裁の判決ともに、優先権の効果を認めず、出願Yよりも早い先願Zにa2が記載されていることを根拠に、特許を認めませんでした。
優先権の効果は、優先権出願の特許請求の範囲に記載された発明について、先の出願日に出願されたとして新規性・進歩性・先後願の判断を行います。本件に関しては、優先権出願Yの特許請求の範囲に記載された発明Aは、先の出願Xにも記載されています。先の出願に記載されたと同じ発明Aについて、なぜ優先権の効果が認められなかったのか。この点が非常に理解しがたいので、大きな反響を呼びました。「実施例補充型の優先権出願は無意味なのか」といった議論までなされました。
高裁判決のロジックを簡単に見てみましょう。
《優先権出願Yに係る発明(特許請求の範囲に記載された発明A)が先の出願Xの明細書類に記載された範囲内といえるか、の判断では、
「優先権出願Yの特許請求の範囲に記載された発明の要旨となる技術的事項(①)」と、
「先の出願Xの明細書類に記載された技術的事項(②)」との対比によって決定する。
優先権出願Yの詳細な説明に、先の出願Xに記載されていなかった技術的事項(③)を記載することにより、①が②の範囲を超えることになる場合には、その越えた部分については優先権主張の効果は認められない。》
本件では、図11実施例(a2)が③に該当します。
まず、図11実施例(a2)③(伸張部が螺旋状に形成)は、本願発明Aの実施例に相当します。
そして、a2は、哺乳しやすい、製造しやすいなどの螺旋形状特有の効果を奏します。
《そうすると、a2はa1(伸張部が環状に形成)が奏する効果とは異なる螺旋形状特有の効果を奏するので、a2を優先権出願の明細書に加えることによって、優先権出願Yの特許請求の範囲に記載された発明の要旨となる技術的事項①が、先の出願Xの明細書類に記載された技術的事項②を越えることになるのは明らかであるから、その越えた部分については優先権主張の効果は認められない》とします。
「優先権出願Yの特許請求の範囲に記載した発明Aは先の出願Xに記載されている。実施例a2を追加しただけで、発明Aについての優先権が認められないとはどういうことか。実施例を追加したらいつでも同じ判断となるのか。」という疑問が生じます。
私は以下のように自分の中で整理しました。
実施例a1は伸張部が輪状に配置されています。実施例a2は伸張部が螺旋状に配置されています。そして特許請求の範囲の記載Aは、輪状のa1、螺旋状のa2をともに包含する記載であるといえ、Aはa1、a2の上位概念を抽出したということができます。この「上位概念抽出」は、特許請求の範囲を機能的、抽象的に記載した場合と相通じるところがあります。
もしピジョンの優先権出願Yが、実施例a2を含まない状態で特許になったらどうでしょうか。第三者が螺旋状伸張部の製品(a2)を実施した場合、権利侵害と判断されるでしょうか。たしかに文言上は第三者の製品a2はピジョンの特許発明Aに包含されますが、ピジョンの明細書には実施例a1(輪状伸張部)しか記載されておらず、a1を見た当業者が容易にa2を想到し得るとは言い難いところがあります。そうすると、機能作用的クレームの権利解釈についての私の発言でも述べたように、第三者の製品a2はピジョンの特許発明Aの権利範囲から外れる、と判断される可能性が高いです。
一方、ピジョンの優先権出願Yが実施例a2を含んでいたら、当然のことながら、第三者の製品a2はピジョンの特許発明Aの権利範囲内ということになります。
即ち、明細書中にどのような実施例が記載されているかによって、特許発明Aの権利範囲が変わってしまうのです。
そう考えると、「優先権出願Yで実施例a2を追加したことに起因して、発明Aは優先権の効果を生じない」とした高裁判断がうなずけます。
特許庁での審判段階では、審判官は「明細書から実施例a2を削除したら特許にしてもいい」という心証を示したようです。特許請求の範囲の記載はそのままでです。
この点からも、上記私の整理の妥当性が理解できます。
ピジョン事件と反対の結論となった写ルンです事件について、及びピジョン事件と写ルンです事件の両方を対比した検討については、このあとに発言します。
>ピジョンの明細書には実施例a1(輪状伸張部)しか記載されておらず、a1を見た当業者が容易にa2を想到し得るとは言い難いところがあります。
改良発明は、被改良発明の技術的範囲に属さないと考えてよいのでしょうか?
また、
>「伸張する伸張部と、この伸張部に隣接して伸張部より剛性のある剛性部が設けられ、伸張部と剛性部が交互に配置されている、人工乳首」
は、機能的クレームであって、権利範囲の解釈は実施例に限定されると考えてよいのでしょうか?
なお、この人工乳首事件では、優先権主張出願で改良発明を追加すると
基礎出願に基づく優先権は実質的に消失すると判示しているように感じます。
例えば、
基礎出願
クレーム A 実施例a
優先権主張出願
クレーム1 A 実施例a
クレーム2 A+B 実施例a+b
とした場合、優先権主張出願で追加した実施例a+bは、
クレーム2(A+B)の実施例であると同時にクレーム1(A)の実施例でもあります。
すると、クレーム1の優先権は消失してしまう?
結局、改良発明は、国内優先権主張出願をすべきではないという結論になってしまうのでしょうか?
明日の記事として、同じようなシチュエーションで優先権の効果が認められた判例について述べる予定にしています。
一所員さんのご質問に対しては、明日の記事をも参照しながら議論した方がよさそうに思いますので、当方からの返答はしばらくお待ち下さい。
これからもよろしくお願いいたします。