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弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

サッカー代表監督

2006-05-20 00:04:24 | サッカー
サッカー日本代表において、選手は日本国籍保有者に限られます。従って、選手については、日本の国力の範囲内でしか力量をアップできません。
一方、代表監督については国籍の縛りがありません。従って、全世界から最良の人を呼んでくることが可能です。日本のようなサッカー発展途上国については、外国から優秀な監督を招聘することができれば、大きな力になり得ます。この場合、日本にとってベストの監督を見つけ出して招聘できるかどうか、日本サッカー協会の力量に依存することになります。

ワールドカップフランス大会予選以来の日本代表監督について(私の個人的感想)

加茂監督・・・監督としての力量にマイナス評価です。
岡田監督・・・当時は監督としての経験が圧倒的に不足していました。
トルシエ監督・・・私はこの人が嫌いでした。
ジーコ監督・・・私はこの人を昔から尊敬しています。代表監督としての力量はよく分かりませんが。

ワールドカップアメリカ大会予選ドーハの悲劇によってオフト監督が退任した後、一時ファルカン監督が指揮を執っていました。しかし選手との意思疎通がうまくいかず、「やはり日本人監督だ」ということで加茂監督に交替します。
「どうも加茂さんじゃだめなんじゃないか」という声が自然に上がり、当時サッカー協会の強化部長だった加藤久氏が中心になって好適者を探し、ネルシーニョ氏に決まりかけます。しかし当時の協会会長が待ったをかけ、加茂氏続投が決まりました。加藤氏は強化部長を辞任します。
このときは、「何とかしてあの会長を辞めさせることはできないのか。我々の力で第2サッカー協会を設立することはできないのか」とバカなことを考えたものです。

フランス大会予選で中央アジアを転戦しているそのとき、もうどうにもならなくなった時点で加茂氏が解任されました。そんな場所での解任ですから、後任は現地にいる人が務めるしかありません。岡田コーチが監督に昇格しました。
そしてジョホールバルでの勝利です。岡野起用が当たったということで、岡田監督の評価が一度にアップし、フランス大会本戦も岡ちゃんでいい、ということになりました。
私としては、あの時点で全世界からより適任の監督を探しだしてきて欲しかったです。現在ならまだしも、岡田さんはあの時点でJリーグの監督経験すらなかったのですから。

対ジャマイカ戦で日本はまさかの敗退でした。
フランス大会当時、日本の得点源はほとんどが左サイドの相馬を起点とするものでした。ジャマイカ戦でも、相馬は得点しようと攻め上がります。これに対し、ジャマイカのシモンエス監督(ブラジル人)の作戦は、「ジャマイカ右サイド(日本左サイド)の裏にとにかくボールを放り込め」というものでした。相馬の裏にスペースができることを予測していたのです。
後からその話を聞き、監督の差が出た、とがっかりしたものです。
調子の上がらないフォワードの城は使い続けられます。何でロペスを使わないのか不思議でした。帰国時に城は空港でファンから嫌がらせされますが、気の毒なことでした。出場選手を決めるのは監督であって、選手の責任ではないのですから。

フランス大会終了後、トルシエ監督に交替しました。
私は、トルシエ監督と中田英との確執で嫌気が差しました。コンフェデ杯で中田が決勝まで残らなかった(もともと準決勝さえ出ない予定だったはず)、遠征地のホテルでは2人部屋を強制したのに、一部屋だけあった一人部屋に中田が入った、移動のフライトで中田のみが自費でファーストクラスをとった、などをトルシエが快く思わなかった、というのです。ばからしくて、日韓大会前に興ざめしていました。

そしてジーコ監督です。
ジーコについては長くなりそうなので、次回に譲ります。
コメント (2)
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