パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

過去は現実、未来は予想

2017年03月06日 09時44分18秒 | あれこれ考えること

ある国(地方)では、目の前にあるのは過去で
背後にあるのが未来と考えられているそうだ
「目の前には洋々と広がる可能性に満ちた未来、、、 」
などとの表現はそこでは使われないことになる

目の前にあるのが過去で、背後にあるのが未来と考える理由は
過去は見ることが出来る(知ることが出来る)が
未来は見ること(知ることが出来ない)という理由によるらしい
なるほど、確かに未来は見えない

人が未来を知る方法、それがあるとすれば予想という方法に頼らざるを得ない 
それは勝手な思いつきではなく様々なデータを駆使して外れることのないモノを目指そうとする
ところが、その予想は最終的には人間が判断をすることになる
その判断を下す人間は生き様・経験・感情・考え方が千差万別で簡単に予想が一致するとは思われない

長い前置きになってしまったが、偶然3月4日、5日の二日連続して
自分の住んでいる新城市の「財政について」勉強をする機会を得た
3月4日  おくみかわ市民政策研究所主催 
              そもそも研究② 【財政問題解決のためのまちづくり 
     新城まちなみ情報センター2F 

3月5日 「新城市制を考える会 第4回勉強会」
     テーマ:「ザイセイの話」市財政課出前講座
             新城文化会館 104会議室

大事なことだとは思うものの、なかなか具体的イメージをつかみにくい財政の話
肝心なのは現状の認識、それを踏まえた上での未来・将来のことで
その未来・将来は「予想」を前提として考えるしかない

連続して行われた財政の話の捉え方の視点は若干違う
一日目はより大きな視点、国家財政から眺めた新城市の将来への考察
二日目は市の財政課による現実の数字の認識と将来の展望
(市の財政課によるお出かけ講座)

ここで見えない未来に対する捉え方の違い(予想)が少し感じられた
 日本の国の財政自体が、よく言われているように借金まみれで
それだけでなく人口減と高齢化
(国は借金してるが国民が借金しているのではない)
地方の財源の大きなウエイトを占める交付税について
今後今までのように支払われなくなるかもしれないとの未来予想で
その時に向けて今できることは(自分たちの町は自分たちで賄う体制づくり)
何かを考える事を示唆されたのが一日目

一方、二日目は市の財政課には責任はないがあくまでも交付税は
今まで通りに提供されることを前提としている
法が定める指標の数字(実質赤字比率・連結実質赤字比率・実質公債費率・将来負担比率)
は財政課からの報告によると、新城市は良いとはいえないまでもそんなに酷いものとは
言えないと段階だそうだ
それでも聞いている側に不安が消えないのは事実で
それは後半に行われた質疑でのママさんに的確に表現された

市の財政課は毎年「ザイセイの話」という本を出している
わかりやすく家計の例に落とし込んで解説するページがあるが
ざっくりした解説では、必要なお金のうち40%は親の仕送りに依存する(地方交付税に該当)
と表にしてある(新城市は財政力指数0.61)
そこでママさんの言葉
「仮に結婚前にこの様な、親の仕送りが40%を前提とする相手とわかったら
  果たして添い遂げそうとするか分からない」
親の仕送りはいつまでも同じように続くことは考えられないが
国も同じようにいつまでも続かない不安は拭いきれないということだろう

財政課も実は若干の不安は感じているようで、国は勝手に臨時財政特別債として
地方債を発行させる事があるとのこと
これは反則のようなものと感じるが、やっぱり国は余裕がないものと思われる

むかし祖母が「借金は大嫌い」といって
庭には「花梨(借りん)」「樫(貸し)」の木を植えていた
新城市もどこかに「花梨」「樫」の木を植えたほうが良かったりして、、、



 


 

 



 

 

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