パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

職員の倫理観

2017年03月03日 19時21分56秒 | あれこれ考えること

森友学園の国会の様子をYoutubeを見ていると
改めてすごいな!
と思うのは財務省の佐川さんというお役人の答弁
それを頭がいいと言っていいのかどうかは分からないが
半端じゃない頭の回転と記憶力とディベート力だ

最近、お役人というのは倫理観はないのか
と感じざるを得ない事が多い
それはこの様にややこしい国の問題ではなくて
自分の住んでいる新城市でもお役人(職員)は
法に則って(その法は市民がよく知らない法)と言う言葉を
淡々と市議会の一般質問でも使用する
(産廃の問題も、新東名バスの問題も、建設用地外の不当支出も)

ところが表情は正直なもので、自分の声にしていることは
苦しい答弁であることは自覚していると想像できることがある
(中には平気な人もいる)
議員さんには政治倫理条例と言うものがある
だが職員に倫理規定というのはあるのだろうか
組織が円滑に回っていくための命令系統の取り決めはありそうだが
個人の倫理観による決断は許されるのか、どうなのか、、
自分は公務員の経験はないから分からない

いや公務員に限らず社会というものは個人が勝手に判断などしていけば
収拾がつかなくなってしまう
だから結果的には組織の論理が優先し、個人の倫理などということは
ないがしろにされても仕方ないということになりそうなのは予想がつく
だが、世界各国でそうなのだろうか
個人の判断はそんなに軽視されるものなのか

それをすればどういうことになるか容易に想像がつくことを(悪いこと、危険なこと)
してしまったために、あとになって大騒ぎになり大変なことになるくらいなら
その時に個人の倫理観によってブレーキをかけたりストップするようにした方がいい
というのはロマン主義者の幼い考えか

「これからの正義の話をしよう」だったか忘れたが、この中には正義について
色々考えさせる問題がいくつも挙げられていて、その本の結論は
「自分で考えなさい」に落ち着いたように自分は理解したが
自分で考えること、、この国はこれが出来ていないのではないか

あのものすごく頭の良さそうな財務省の方
目前で繰り広げられる問題について、答弁の勝ち負けではなくて
「人として」という観点を考慮に入れるとしたら彼は
一体どのような判断をするのだろうか、、

そんな判断をするようになると、出世できなくなるかもしれない
そんな判断をすれば、上の要求することを実現できないかもしれない
自分に与えられた仕事の達成感も感じられなくなってしまうかもしれない
でも、やっぱり(もしかしたら彼のためにも)外野の人間は期待してしまう
人としての視点を少しでも入れること、、

それが少しあるだけで世の中はもう少し良いものになりそうな気がする

つくづくいい歳をしてもいつまでも甘ちゃんだな
(でもこの歳までここまで来たから、このままいくぞっ!)
何かよくわからない、独り言


 

コメント
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