パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

リルケ

2010年05月12日 21時11分07秒 | Weblog
小林秀雄じゃないが、突然「リルケ」という言葉が浮かんだ
今の気分にあっているかもしれない
そんな確信に近い感情に動かされて新潮文庫の「リルケ詩集」を手に入れた

急いで、ページをめくる
そこには不思議な事に、期待したものとほとんどずれていない
内容の詩が随所に見られた

汎神論的な、全てを受け入れる様
内面に深く入り込んで、全ては心の動きのなせる技
そんなことを美しくはないが、説得力のある語彙で立ち向かってきた
しかし、集中力を欠いて読むと
これらは単なる単語の羅列に過ぎない

おそらく20年ほど前、何かの機会に
『ドゥイノの悲歌』を手にしたとき
その1ページ目からその世界に引き込まれて
それらを理解できたかどうかはさておき
一気に最後のページまで読んだ(?)事があった

9番目だったか10番目だったか
全てを(生を)肯定的に受け入れているところが
とても感動的だった
(しかし、読み返していないので、その解釈でいいのかどうかは
 実は自信がないのだけれど)

だが時々思う
この手の作品はいったい誰の為に書いているのだろうかと

天の啓示のごとく完成しなければならないとの思いに駆られて
孤独な作業を続ける人の姿はどこか常人ではない
彼らは何かと引き換えに彼らにとって
ものすごく大事なものを得たに違いない

この歳になると、人は
「あれもこれも」は得る事ができず
「あれか、これか」しか手に入れられない事が
多少の諦めも混じって、実感として分かってくる

孤独なリルケの頭の中は、しかし確固たる何かを掴んだようで
(そこに至る道がどれだけ大変だったとしても)
ある意味羨ましい

もっとも、その精神状態(何かを掴んだという確信)は
一瞬のうちに消え去るものかもしれないが
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