普請道楽

建築家との普請の記録のためのブログ。
しかしすでに家も建ち、今では徒然なるまま感じたことを書く「日日雑記」であります。

普請道楽「南の裏山」編

2005-09-27 20:55:17 | Weblog
今は、久米島。
なんか何にもなくて、いいとこさー。
子どもも大喜び。
はての浜もきれいな浜辺で、シュノーケリングを楽しみました。
なまこからファインディングニモの仲間、さよりみたいなものまで、
結構楽しみました。
いいとこさー。

仕事がらみのメールが、きて午前中処理をする。
なぜか、孤島のはずのはての浜もFOMAが三本立つ。
恐ろしい世の中である。

南の島にきちゃったもんねというメールを有銘さんに出したら、
そうそうに返事がきた。
書き出しが、不思議でなんのことだかさっぱりワカランチンだった。
いわく・・・、
「あ、裏山」とかなんとか。
思わずなんと大変な仕事なのだろうかと、建築家の世界を慮った。
建築家という職業には、きっとたくさんの隠語があるのだろう。
テレビの世界でも、なんか不思議な言葉がありますよね。
「八百屋にしといて」とか「ツェーマンでよろしくとか」なんとかよく知らんが。
そんな隠語のひとつもしらないと、先輩から小ばかにされたりとか、
業界で仲間はずれにされたりとか、そんな世界なんだろうなぁと感慨にふけった。
感慨にふけりながら、そのその意味も考えた。
「裏山???」
いったいなんだろう。
裏山に捨ててしまいたいような嫌な依頼主のことなのか。
中学の一年先輩でものすごい怖い不良の番長が、そーいえば「ウラサン」ってよばれてたなぁ。
でもそんなこと有銘さん、知らないしなぁ。
コスト計算を税金対策で二重にやって「裏算」ってことかなぁ。
意味を探ることと、灼熱の太陽と、内地の5倍という紫外線に当てられ、
クラクラしていると、妻が一言。
「うらやましいってことなんじゃないの」
なーるほど。女の直感はすごい。

なんてことは、どーでもよいのであった。
どーも、そのメールの趣旨によると、ながきにわたった製図作業の修正があと2~3日で終わるらしい。
そのままソッコーで見積もりを依頼するという算段だと書いてある。
なんてことを「はての浜」でメールを読むなんてなかなかいかすじゃん。
うれし、恥ずかし、原宿キーイース、って感じ。

いいことあるね、南の裏山。
久米島、やっぱ最高っす。

写真は東京に戻ったらアップしますね。

ではバイナラ。



ドルチェ・ビータ

2005-09-25 13:57:50 | Weblog
明日から久米島。
3泊4日の短いバケーションである。
はての浜という、ものすごく美しい砂浜があるらしい。
映画「釣りバカ日誌」で、西田敏行扮する浜ちゃんが、遭難した場所らしい。
これってあまり有り難くないか・・・。
泊まるのは、ホテル日航久米アイランド。あまり期待せずに行った方がいいかもしれない。
でも食事は、うまいはず。すば、イカスミ汁、チャンプルー。
ビーチで小説でも読んで、オリオンビールをかっくらう、そんな休日を過ごすつもり。

閑話休題、
「普請道楽」である。
どうもなにも進まないので、書くことがない。
これだけ書くことがないのに、なぜブログを私は書いているのだろうか。
そんな根元的な事を考えると、ろくな事にならないので、無心で書く。

ということで今日は、建築家の選び方。
まあ雑誌とかに山ほど出てますね、建築家って。
でも誰がいいのか、さっぱりワカランチン。

結論から言うとさ、建築家探しはお見合いに近い。
とにかくまず容姿、見目形ですな。
この場合、建築家の容姿もさることながら、
その人の建てたものが気に入るかどうか、そこから入る。
いわば建築雑誌はお見合い写真ですな。

そうすると、今度は、いろんな条件を調べてみるわけですな。
例えば家柄。なんか丹下先生のお弟子さんらしわよ、
とか宮脇先生の一門の方よ、なんて具合ですね。
それと費用、これは結構、応談なんですよね。
思いきっていってみても、結構大丈夫そう。

それで最後に、「あとは若いもの同士で・・・」
よーするに、趣味を聞いたり、食事の好き嫌いを尋ねたり、なんかお互いの話をする。
「そんなことが何故必要なのか、またまたご冗談を、ホームズ先生」
なんて思う人もいるかもしれない。
しかし、これが最も大切かもしれないのだよ、ワトソン君。
お見合いでも、ねるとんでも、雌雄を決するのは、この会話。
建築家との相性もこれではかることが出来る。

実は、あちらサンも自分にとってやりやすいクライアントを捜している。
そりゃそうだ、どうせご奉仕するなら、好みのタイプの方がいいに決まっている。

というまるで冒険小説の主人公のように、
様々な艱難辛苦を乗り越え、精神的成長を遂げた後に初めて、やってくるのである。
建築家との「甘い生活」が。

では私はどう選んだのか?
知人の紹介でした。
まあ、もともと飲み友達なので、腐れ縁。
お見合いみたいに新鮮さはなかったけど、なんでも知ってる仲だし。
お見合い理論は、人にきいた話なのでした。
「なんやそれ、あほらしい。」

でもこれ実は、住宅建築の世界ではよく言われることなのですよ。
私って耳年増。

なんちって。








さらにぼーぼー

2005-09-24 19:23:43 | Weblog
今日、雨の中、原チャリをとばして、土地を眺めにいった。
土地を買って、はや半年以上が過ぎてしまった。
幾度となく、土地を「眺めた」ような気がする。
なぜ、眺めるのかなぁ。

最初の頃は、夢に溢れて眺めていた気がする。
あそこにテレビ、ここにソファー、ここのデッキでティータイム。
なんて妄想を膨らませて妻と2人でにやにやしていた。
歩幅で土地の幅をはかってみたり、いろんな時間に行って日の当たり方も見た。
長細い土地、そこにたたずむ事は、至福なことだった。
近くの公団アパートに無断で上り、3Fや屋上からの景色も確認した。
至福とはこのことなり。
きっとニヤニヤと薄気味の悪い笑みを浮かべていたことでしょう。
近隣住民の方、この場を借りて謝罪いたします。

しばらくして建築のプランが固まってくると、もっと具体的に問題集中型になった。
二階の窓が隣のベランダにあたるとか、
エアコンの室外機の向きがこれだとお隣にご迷惑とか、
1Fの窓からの景観を良くするために、塀を作り緑を植えた方がいいのか、とか。
これはこれでとても楽しい。
イメージがさらに具体的に想起され、またそれを他人と共有し、
そのイメージに基づいて、改善策を語り合うという至福。
人類が勝ち得た創造性という才能を発揮して、語り合っているという自負。
うーん、これも至福。

そして今、この1ヶ月あまり、全く建築が全く進まない。
感動の嵐を呼び起こしたあの有銘先生のプレゼンから、ぱたりとと止まってしまった。
凪。なんともはや寂寥しきり。

土地を見てももはや至福は訪れない。
「草丈が伸びたなぁー」
これが全ての感慨でした。

しかしあの草、やっぱ僕らで刈るのかな。
とほほのほ。





今日も多忙

2005-09-14 04:35:30 | Weblog
毎日、自分でもよく働いていると思う。
今日も帰りは朝の4時。

あー眠い。

もうちょっとなんだけど、うまくいかない。

家は今日も進展なし。

とほほ。

眠い。。。

2005-09-10 21:49:15 | Weblog
仕事が大詰め。
昨晩はとうとう徹夜、その前も連日、仕事で朝帰り。

なんでこんなに必死になって仕事をするのか、自分でも不明だけど、
なんか面白いのかなぁ。
しかし、いくら面白くても、体はつらい。

ところで・・・
今日も有銘さんから、事態が進展したという報告なし。。。
進まないブログ、進まない建築、期待と焦燥が交錯する。
これって恋。

なんちって。








人生、初めての出来事

2005-09-09 02:08:24 | Weblog
なんかブログ、始めてみたけど、ずっとも誰もこなかった。
昨日、なんと初コメントをもらった。
なんかこういうの、嬉しい。
ネットって悪意が増幅される装置としてばかりクローズアップされることがおおい。
でも見ず知らずの人と繋がれるなんて、なかなかいいもんですね。

いわく、「人生に余裕が欲しいと思うときってありますよね」という前の記事への共感。
そうそうなんか最近、世の中、みんな忙しい。
つま先立ってるか、ドロップアウトしているか、真ん中がない。
特に東京はそう。
昔が良かった、なんて思わない。
でももっと未来は明るい方がいい。

住宅ローンを僕も抱えることになるわけだけど、不安は募る。
将来、それを背負い続けられるのか、っていう不安。
妻と子どもと3人で、仲良く暮らして行ければ、なんて普通の幸せが保障されない時代。

でもさ、家ぐらい建てたっていいじゃん。
いざとなれば売っぱらえばいいわけで・・・。
なんか美しい生活をしたいとか、自分の人生を歩みたいと思ったらさ、家ぐらい持ちたい。可能性は広く、そして高く。

でも家作りが、なぜか今は進まない・・・。

有銘先生、年内にどうか、4649。







じっと手を見る

2005-09-07 04:58:35 | Weblog
仕事が忙しい。
毎日、朝方帰宅して、昼過ぎに出社。
いい加減、イヤになりそう。
家の事なんて考える時間がない。
そんな時間があったら目一杯寝たい。

家作りも停滞中。
なかなか工務店の見積もりへと進まない。
天才建築家、有銘さんもいろいろ有るらしい。
年内に出来ないと、住宅ローン控除が減額になってしまうのだけど・・・。

なんかここんとこ、そんな感じ。
仕事も家作りも、ほふく前進。

前に少しでも進んでいることを願い、じっと手を見る。