普請道楽

建築家との普請の記録のためのブログ。
しかしすでに家も建ち、今では徒然なるまま感じたことを書く「日日雑記」であります。

歴史が動いた日

2009-08-31 23:08:21 | Weblog
テレビは「政権交代」のニュースで埋め尽くされている。

ずいぶんと政治が若返った、そんな印象がある。

その一方で、ずっとふんぞり返ってきた人たちが、一蹴され、消え去った。
テレビは彼らの表情を映し出す。
かつての傲慢さはもう見えない。
おそらく民意の怖さを初めて味わったんだろうと思う。

2009年8月30日。
歴史は動いた。

政治のあり方を一から刷新しようとする試みが始まる。
その先行きに不安がないわけではない。
でも行動しなければ何も変わらない。

偶有性の中にこそ、新しい希望がある。
そのことを信じて、見守りたい。

傘の舞う夜

2009-08-29 23:03:00 | Weblog
隣のお宅からチケットを頂き、野球観戦に出かけた。
神宮球場でのヤクルトVS中日。
まあそんな注目のカードじゃないし、ユルユルの気持ちで家族で出かけた。
僕にとっては30年ぶりの野球観戦である。

神宮球場に着くと、なんだか気分が盛り上がってくる。



球場に入ると、熱気ムンムン。
外野席はすでに満席、こんなに野球観戦に世の人が感心があることに驚く。
野球なんて、しかもヤクルトだし、そんなに人出が多いなんて思わなかった。
村上春樹の古いエッセイにも人気なのない外野席でビールを飲むのが幸せなんてあったけれど、そんな静けさは全くない。



野球好きの子どもは大はしゃぎ。
普段、僕は全く興味がないので選手の名前もワカランチン。
息子がいろいろと教えてくれる。
いつのまにこんなに野球に詳しくなったのかと、驚いた。

ヤクルトがファインプレーを決めたりすると、球場の熱気は最高潮に達する。
するとなぜか観客は、東京音頭を唄いながら傘を振り上げるのである。



ふーん、こんなの知らなかった。

みんな、試合に引き込まれるように、熱くなっている。
そのうち釣られて僕もガッツポーズを取ったり、叫んだりと熱くなってくる。

ずっとヤクルトが1点を追う状況が続いていたが、9回裏、犠牲フライで同点に追いついた。
外野席は熱狂に包まれて、また傘が乱舞する。
息子も立ち上がってガッツポーズを取っている。
おー、野球ってこんなに熱いスポーツだったのか。

結局、試合は中日が延長10回の表に2点先取し、ヤクルトはランナーを出すも凡退し、あえなく敗退した。

だけど30年ぶりの野球観戦は、なかなか良いモノでありんした。
こんな愉悦があるだなぁ・・・。

思いの外、心が揺さぶられる熱い夜でありんした。

速すぎて取れないボール

2009-08-29 13:59:43 | Weblog
7歳の息子と久しぶりにキャッチボールをした。

去年までは、ボールを投げるのがやっとだったのだが、
今ではミットをしていても手がジーンとなるような球を投げる。

「今のはいい球だったねー」と声をかけると満面の笑みを見せる。
僕がエラーをすると、「(球が)速すぎて取れなかったでしょ」とまたまた満面の笑み。
ま、そんなこともないんだけど、「まあね」と答える。

知らぬ間に息子は成長している。
そしてそのうちに僕を追い越していく。

嬉しいような、寂しいような、不思議な気持ちになった・・・。





TOKYO!

2009-08-27 23:36:33 | 観た、聴いた、読んだ
オムニバス映画である。

ミシェル・ゴンドリー。
レオン・カラックス。
ポン・ジュノ。
3人の映画監督が東京をテーマにのびのびとった映画である。



これが面白い。

東京って外国人からこんな風に見えているんだって見方も出来る。
それはステレオタイプではなく、愛情や憧れがちゃーんとある。

どれも面白かったけど、ポン・ジュノがとった最後の作品が一番面白かった。
「ひきこもり」と「地震」をテーマにしている。
蒼井優がいい。

東京、というか日本も、この20年で随分と見られ方が変わったと思う。
「ジャパン・クール」じゃないけれど、独自の文化を発信し始めている。
だから映画の中で役者たちも、みんな実にのびのびと演技している。

僕らの世代は、外国にコンプレックスを持っている最後の世代かもしれない。
まあ、そんなこと思うのも、おぢさんになったってことですかね・・・。

息子の宿題

2009-08-25 23:49:04 | Weblog
最近、連日、息子の宿題を見ている。

数日前には、それなりの分量がまだ手つかずであった。

なんで最後になってこんなに残っているのかと思う反面、
そもそも自分が子どもの頃、宿題を全部やった試しがなかったことも思い出す。

息子は、しかしめげることなく、短期決戦で一気にかたづけていく。
そもそも自分が息子くらいの時、こんなに集中力があったかなと訝しがったりもする。

今夜、1つの山であった「算数」の大量のプリントをやりきった。
かなりの問題数であったが、見事に終わらせた。

息子の夏休みは、あと1日。
宿題は、あらかた終わっているといいても良いくらいにまでなった。

息子よ。
ラストスパート!
もうゴールはすぐそこさ・・・。


デビル・バイク

2009-08-24 22:14:20 | ジテンコ
コタロウに乗り出したのは、もう10年以上前のことである。
"GIANT ROCK4000"、これがコタロウの本名。

コタロウは、僕を自転車の世界に引きずり込み、それだけでは飽きたらず、義理の弟をも引きずり込んだ。
乗ったら最後、いつの間にか人を自転車の虜にする。
コタロウは、そんな”デビル・バイク”なのである。



タイヤがボロボロになっていたのでフレンド商会で新しいモノを購入した。
息子にタイヤの色を選んでもらう。
タイヤ交換は自力で行った。



もともとコタロウは、マウンテンバイクなので分厚いタイヤだったのだが、
細く出来る限界まで細いタイヤを履いている。
なのでロードバイクにもひけを取らない加速が出来る。

コタロウにしばらく乗っていた義理の弟がチェーンリングとクランクをプレゼントしてくれた。
ギヤが摩耗し、すぐにギア滑りを起こしていたのだが、それが完全に解消された。



今日は、そんなコタロウで初出勤。
クライン・ハナコに引けを取らない走りを見せ、ローディを何台か抜き去った。
タイヤがやや小さく小回りがきくので、渋滞の時のスラロームの鮮やかさは見事である。

コタロウ完全復活。

希代のデビル・バイクは、次に誰をこの世界へと引きずり込むのだろう。

ミーツ・ドクター・タンモウ!

2009-08-23 23:30:10 | ジテンコ
アラサイに行って参りました。
アラサイとは、荒川自転車道、つまり荒川サイクリングロードであります。

そこでドイツ人、サイクリスト、ドクター・タンモウと親交を深めて参りました。

タンモウ氏は、数理論理学というとてつもなく頭のいい人なんですが、
実は、サイクリストとしてもその名を馳せております。

人呼んで、「アラサイの怪人」。(って勝手に僕がつけたんだけど・・・)
180センチ、90キロの体躯でマウンテンバイクを操り、アラサイを爆走、
並み居るローディを次々と抜き去り、その自信を粉々に粉砕することを楽しみにしているのであります。


ドクター・タンモウ近影。

ドクター・タンモウは、サイクリング仲間の義理の兄にあたり、アラサイライドの手引きをしてもらえることになった。
カネヤン、ヤッチン、僕の3人が参加。

朝8時すぎ、荒川の鹿浜橋でタンモウ氏と出会い、秩父を目指す。
噂には聞いていたが、一緒に走ると、確かに、速い。
とてつもなく速い。
なぜマウンテンバイクであれほど速いのか、と思うほど速い。


快走中のドクター・タンモウ。

巡航速度は、時速30キロ。

アラサイは、タマサイ(多摩川サイクリングロード)に較べ、広々として、風景も牧歌的。
今日は風もなく、タンモウ氏に引っ張られ、いつになく高速ライドと相成った。

さいたま市を越え、大宮を越え、そして桶川を越え、あっという間に東松山市へ。
そこから西へと折れ、秩父を目指す。
しかしタイムアウトとなり、「こども動物自然公園」で引き返すことに。

そこで、三代続くという名店、「日の出茶屋」で昼食に蕎麦をたぐる。
僕は、鴨汁蕎麦の大盛り、850円を頂く。



これが激しく美味かった。
鴨の脂と、薬味がベストマッチ!
しかも手打ちの蕎麦が、なんとも爽やかなこと。
飛び込みで入った割に、ドンピシャの美味さでありんした。

そこから再びアラサイに戻り、ひたすら南下。
途中、シュンが飛び入り参加し、環八から杉並の我が家へ。

休憩込みの10時間。
総走行距離140キロという一大ロングライドと相成りました。



さいたま市在住のドクター・タンモウは、帰路、自宅を通り越し、なんと我が家までさらに遠征!
屋上でバーベキュウを楽しんだ後、再び、さいたま市へ自転車で帰っていきました。
なんと強靱な・・・。
さすが「アラサイの怪人」。
電話で聞いてみたところ、ドクター・タンモウの総走行距離は、なんと183キロ!
いやー、また御指南の程、宜しくお願いしたいでありんす。

それにしてもタンモウ氏のおかげで、最高のアラサイ遠征となりました。

ダンケ・シェーン、ドクター・タンモウ。
また一緒に走って下さいね。

森の人

2009-08-22 01:59:54 | Weblog
山にこもってきました。

ネットも通じず、テレビもない。
新聞もない。
まあ、文明からは遮断された生活である。

山ごもりに、行く前には過度な期待、というかやりたいことがあった。
まずジョギング。
さぞかし森を走るのは、気持ちよかろうと。
しかし、なんだかんだと走るタイミングを逸し、一度しか走れなかった。

そして読書。
何冊か、持ち込んだモノの、1冊も読了しなかった・・・。

活字を見ると眠くなるのである。
7時を回れば都会とは違い。外は漆黒の闇、風の音しか聞こえない。
だからなのか分からないが、すぐに眠くなる。
本などとても読めない。

その分、朝は早起きになるので、何度か朝読書も試みた。



しかしやはり眠くなる。

森とは眠くなるモノなのか、はたまた自分が疲れているのか。
ま、人生、焦らずのんびりやれっちゅーことっすかね・・・。

コタロウの帰還

2009-08-16 23:30:05 | Weblog
ジャイアント・コタロウが帰ってきた。
自転車のことである。

僕を自転車の虜にした、そのきっかけを作った自転車である。
もうボロボロなんだけど、なんとなく愛着もある。

しばらく義弟が使っていたが、ひさかたぶりに我が家に帰ってきた。
かなりタイヤが減っていたので、今日は前後共に交換してあげた。
ペダルもさびちゃっていたので、ついでに変えた。

なんだか嬉しい・・・。


アドレナリンを感じた日

2009-08-13 00:45:47 | ジテンコ
先週の日曜日、ついにジテンコ人生、初の公式戦に参戦した。



ツールド妻有、新潟は十日町を中心に山岳地帯を120キロ走る。
標高差の合計は、2000メートル!

ただでさえそれを走りきるのは、山岳地帯などほとんど経験のない僕にとっては、大変なことである。
しかし今回、なんと道に迷い20キロも余分に走ったのだった。
つまり山岳地帯を140キロ、ペダルを踏み続けたのである。

迷ったのは90キロ付近。
曲がり角には、大抵、人がたっているのに、なぜか僕の迷った地点には人はいなかった。
そこをただ道なりに進んだところ、これが間違っていた。
間違いに気づいたのは、下り坂をガンガンとばして10キロほど走ったあと。
かなり大きな交差点にぶつかったのだが、標識も人も、なーんにもない。
やってしまった・・・、とすぐに引き返す。
今度は上り坂を必死で引き返す。

コースに戻ったときには、すでに最後尾。
そりゃそうだ、20キロもロスってるんだもの。
ゴールまでは30キロ、しかもゴール締め切りまでは1時間あまり。
山岳では上りでは時速5キロくらいになってしまう。
いくら下りでかせいでも、ならしてしまえば、せいぜい平均時速は20キロ前後。
普通なら間に合わない。
しかし投げた終わりだと、そこからは、踏んで、踏んで、踏みまくった。

もうすでにこの時点で、激坂を幾つも超えてきている。
普通の状態なら踏める足は残っていない。
しかし体中を高濃度アドレナリンが駆けめぐり、なぜだかガンガン踏める。

ゴールまで残り20キロで、最後の激坂に挑む。
正直しんどいが、ここでヘタったら回収車に乗せられてしまうと意地で踏んだ。
登り切ると、大会運営ボランティアのお兄さんが、声をかけてくれた。
「ここから先は、屁みたいなもんです、ゴール、行きましょう!」

残り5キロ、ゲリラ豪雨に見舞われる中、下り坂をとばしまくる。
ここで水たまりにタイヤをとられ、落車。
路面に肩から激突、肘と膝を擦りむく。
それでも、すぐに走り始めた。
アドレナリンの大量分泌のせいか、痛みは全くなし、しかもすぐに血が凝固する。

そして奇跡は起きた。
締め切り時間の17時きっかり。
どしゃぶりの中、たった一人でゴールした。

まあ自業自得な訳だけど、このゴールは感動もんでした。
アドレナリンを体感し、誰の助けも借りず、独力で走りきった。
しかもどんな激坂であっても、一度も足を着かなかった。

大きな経験値と、小さな自信を手に入れた思い出深い1日であった。