高尾山などの「寅太の山野草」

中越地震で被災した小千谷市と長岡市にある戊辰史跡の復興を応援しています。
山野草を中心にしたブログです。

牧野成定公450回忌(その2)

2015-11-27 06:21:19 | 歴史
          (つづき)
その1と前後しますが、東海道新幹線豊橋駅からJR飯田線に乗り、4駅目が長岡武士のふるさとの牛久保駅です。
牛久保城は石垣や堀などの城跡は残っておらず、本丸跡の駅のとなりに石碑が残っているだけです。


(牛久保駅に隣接する牛久保城の跡)

 
(山本勘助養父屋敷跡と長谷寺)

駅から数分の所に駐車場になっている大林勘左衛門屋敷跡がありますが、ここが武田信玄の軍師として知られた山本勘助が住んでいた所です。長岡藩の家老の山本家を継いだのは山本五十六で、勘助と山本家は同門です。
今回450回忌は光輝院(古地図では光輝庵)と牧野成定公廟で行われましたが、先ずは途中にあります長谷寺(ちょうこくじ)に寄ってみましょう。

 
(牛久保の今と昔、本丸跡が牛久保駅です)

 
(山本勘助の墓)

 
(山本勘助の墓と摩利支天を守っている長谷寺)


(牧野家菩提寺の光輝院です)

山本勘助については「山本勘助系図と長岡」を参照して下さい。
(豊川市)          (つづく)

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2 コメント

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Unknown (信徳)
2015-11-27 08:27:49
山本勘助と山本五十六が通じるところは面白いです。
上杉謙信もこれに加わって何が何だかサッパリ分かりません。
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前橋は越後の出先でした (寅太)
2015-11-28 09:36:09
信徳さん、おはようございます。
台湾の人が簡単に理解できるはずがありません。
山本勘助の生誕説はいろいろあるようですが、牛久保の大林家に養子に入り、後に武田信玄の
軍師になるのは一致しています。
そうでした。
このころ上杉謙信の領地は群馬にものびていて、厩橋城(前橋城)には上杉の家来の北条氏が
入っていたんでしたね。
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