高尾山などの「寅太の山野草」

中越地震で被災した小千谷市と長岡市にある戊辰史跡の復興を応援しています。
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牧野成定公450回忌(その1)

2015-11-24 06:27:47 | 歴史
江戸幕府を開いた徳川家康が亡くなったのは元和2年(1616)ですから、今年で400年(400回忌)になります。
各地でさまざまなイベントが開かれています。
「常在戦場」の長岡武士のふるさとの豊川市の牛久保では、牛久保城主の牧野成定(なりさだ)公は徳川家康と激しく戦っていました。永禄9年(1566)5月、家康の武将としての器を認め、今川の家臣を離れ家康の傘下に入ることになります。
その年の秋、徳川家の武将に変わったことを置き土産に、42歳で成定は亡くなりますが、それから数えて今年が450年になります。


(牛久保の牧野成定公廟)

 
(徳川家康公400年祭)

 
(御稚児さんと成定公廟)


(牧野成定公とは)

 
(可愛い御稚児さんです)


(みんなで成定公廟にお焼香です)

(豊川市)          (つづく)

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2 コメント

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Unknown (信徳)
2015-11-24 09:12:50
ゆるキャラで家康公が第一位になりました。
昨年はぐんまちゃん、その年の主人公がゆるキャラのトップになれるんですね。
成定公も徳川と戦ってそののち背後になったんですか。
牧野の殿様も賢いですね。そして長岡へ。その前に群馬があったか!
返信する
偶然のゆるキャラ (寅太)
2015-11-24 20:57:34
信徳さん、こんばんは。
家康は偶然でした。
今川義元は求心力がありましたが、その息子はダメでしたね。
家康とは何回も戦いましたが、成定公は亡くなる寸前に家康と仲直りをしたんですね。
賢い選択で牧野家は守られ、ここから5家の大名が誕生しました。
仲間の稲垣家からも2家が大名になりました。
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