馬糞風リターンズ

世ノ中ハ何ノヘチマトオモヘドモタダブラリト下ツテモオラレズ

「板かるた』・・屯田兵の名残。

2011年11月04日 | 歴史
北海道には「板かるた」と云うものがあります。
僕は資料館や博物館で見た程度でそれ以上の知識はありません。道内の友達に聞いてみても地域は限定的でそれ程普及しているものではないそうです。ただ、開拓期の民俗資料的な価値があり珍重されているそうです。

思いがけないことですが、その「板かるた」を復刻し後世に広く伝えようと活動されている方から資料が送られてきました。
 「極寒の北海道を切り拓いた屯田兵たち。板かるたにはその開拓者精神が宿っている。」
娯楽は、地域によって人々の知恵に育まれ変化していく。鎌倉時代、藤原定家が編纂し、後に「かるた」として親しまれるようになった小倉百人一首もまた同様だった。明治8年の屯田兵制度開始に伴い北海道に入植した開拓民たちは、過酷な開拓作業と北方の守りを担うための訓練に明け暮れた。そうした生活を彩る数少ない娯楽のひとつが、もと会津藩士たちがもたらした板かるただった。一枚の紙切れさえ貴重だった当時、身近にあった朴(ほお)の木や白樺の木などを切り、削り、取り札にした。また、板かるたは下の句を読み上げ、その下の句が書かれた取り札を三人一組で取り合う遊びである。読み上げる前の静寂と緊張。最初の一文字の発声とともに素早く手が動き、かけ声とともに木札の跳ぶ音、畳を叩く音が響き、拍手と歓声がわき起こる。
板かるたは、屯田兵の豪放な生きざまを今に伝える北海道独自の文化遺産である」(井上コレクションより。原文のまま)

 板かるた文化を守り、独自の書芸術を追求した生涯:潮流手書かるた 家元 中村北潮
北潮は明治四二年函館の回船問屋に生まれ、三歳で預けられた寺での写経をきっかけに書の道に進む。一三歳の時すでに「北潮」と号し、書道塾「北潮舎」を開いて大勢の門下生を育てるようになっていた。平成六年に八五歳で生涯を終えるまでに残した作品は、七〇年以上にわたり書き続けた板かるたを始め、板書、色紙、硯屏風など、実に七十万点以上。

北潮の作品は「近江神宮、函館市立博物館、北海道開拓記念館、村井かるた資料館、小倉百人一首殿堂・時雨殿、滴翠美術館・・・・などに常設展示されているそうです。
また、関西では阪急百貨店(梅田)、ソニータワーなどで見れるそうです。

 この中村北潮の書芸術をこよなく愛し、北潮の活動にも深く共感し、支援を続けたのが東邦製鏡(株)の社長・井上圭司さんです。
井上社長を中心に各界の有志が「中村北潮板かるたミュージアム」設立に意欲を燃やされているとの由です。

 今日、突然、何の前触れも無くその井上社長から「両面かるた」と「くま時計」が届けられました。

「両面かるた」とは井上社長が考案した中村北潮揮毫の北海道(板かるた)と本州百人一首)を合わせたものです。

今では懐かしい「分銅」式の掛け時計です。

 井上社長のご厚意には感謝感激ですが、あまりにも唐突でありまたお送り頂いた品物が「高価で貴重」なものなので、対応に苦慮しています。

コメント
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