馬糞風リターンズ

世ノ中ハ何ノヘチマトオモヘドモタダブラリト下ツテモオラレズ

地名の話。「揖保」(4)

2018年09月18日 | 地名・地誌
地名の話。「揖保」(3)で茨木市の「疣水」は、古代氏族「三島県主飯粒(イイボ)」と何らかの関係があるのではないかと推理しました。
三島県主飯粒を「日本古代氏族人名事典」(吉川弘文館)で引いてみると
とあります。
それではこの三島県主飯粒が兵庫県たつの市にあった「揖保の里」と果して関係があるのかが興味のあるところです。
 お断りしておきますが茨木市の「疣水」更にたつの市の「揖保の里」と三島県主飯粒との関連は既に日本地名学の碩学・吉田東吾が着目しています。(大日本地名辞書・上方)
大阪府茨木市三島ヶ丘に延喜式内社磯良神社(疣水神社)は元々は新屋坐天照御魂神社(三殿の内西河原)の神籬に鎮座いします。その後、疣水神社の勢力拡大に伴い西河原の新屋坐天照御魂神社は「庇を貸して母屋をとられる」形になったと云われています。
磯良神社(疣水神社)の祭神は「安曇磯良」は文字通り「安曇族」であり、海人としての海洋航海術に長けていると同時に開墾にも長けデベロッツパーの役割も果たしていたと云われています。磯良が神功皇后伝説に痕跡を残すのは摂津三島が当時低湿地帯であり、磯良ら安曇族が開墾したためと想像できます。一方、たつの市の揖保の里については「播磨風土記」に安曇連百足が難波の浦上から播磨の揖保郡に移住し開墾した、との記述があります。
 これ等を勘案すると茨木市の「疣水神社」の「イボ」、播磨の「イボ」ともに安曇族の象徴的人物「イイボ(飯粒)」を地名として冠したものでは・・。
これを検証する具体的な証拠はありません。しかし、当ブログはそのカギは新屋坐天照御魂神社、粒坐天照神社、磯良神社にあると思っています。これらの氏族、祭神の共通点は「火明命(ホアカリノミコト)であること。また「天照御魂神社」「天照神社」なる名前を持つ神社が限られた少数であり、鎮座地も限定される特殊な性格の神社であること。
これらをクリヤーにすれば地名「揖保」も解明されるものと確信しています。


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コメント
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