馬糞風リターンズ

世ノ中ハ何ノヘチマトオモヘドモタダブラリト下ツテモオラレズ

「宮さん宮さん」歌詞の変遷・・・・・ トコトンヤレ節考(3)

2010年08月29日 | 歴史
絵入りの「都風流トコトンヤレ節」という「チラシ」が残っています。大方の記録では明治元年のものとしています。書かれた歌詞は明治25年「小学唱歌」の「宮さん」と全く同じものです。現在、我々がよく知っている「宮さん宮さん」です。下に全文を記します。

宮さん宮さんお馬の前に ヒラヒラするのは何じやいな トコトンヤレ、トンヤレナ
あれは朝敵征伐せよとの 錦の御旗じや知らないか トコトンヤレ、トンヤレナ
 
一天萬乗の帝王に 手向ひすろ奴を トコトンヤレ、トンヤレナ
覗ひ外さず、 どんどん撃ち出す薩長土 トコトンヤレ、トンヤレナ
 
伏見、鳥羽、淀 橋本、葛葉の戰は トコトンヤレ、トンヤレナ
薩土長肥の 合ふたる手際ぢやないかいな トコトンヤレ、トンヤレナ
 
音に聞えし關東武士 どつちへ逃げたと問ふたれば トコトンヤレ、トンヤレナ
城も氣慨も 捨てて吾妻へ逃げたげな トコトンヤレ、トンヤレナ
 
國を迫ふのも人を殺すも 誰も本意ぢやないけれど トコトンヤレ、トンヤレナ
薩長土の先手に 手向ひする故に トコトンヤレ、トンヤレナ
 
雨の降るよな 鐵砲の玉の來る中に トコトンヤレ、トンヤレナ
命惜まず魁するのも 皆お主の爲め故ぢや トコトンヤレ、トンヤレナ



「宮さん」の作詞者は「品川弥二郎」とされています。また、それに異論を唱える人もありません。当時の新聞記事(読売新聞)に「品川弥二郎が此歌を作り、京都祇園の芸者に歌はしめたり」などの記録があります。作曲者については、祇園芸者君尾とも大村益次郎など諸説がありますが、今回は作詞に限り考えます。

小学校唱歌には「作曲者:未詳 作歌者:尊壌堂主人」と記載されています。小学唱歌を編纂した伊沢修二は、出版に際して「閣下の御作に係り候や・・」「作者の姓名を掲げ候・・・御允許をこうむりたく・・」と品川弥二郎に問合わせています。その結果が「作歌者:尊壌堂主人」となった訳です。

「尊壌堂主人」とは幕末に吉田松陰が設立した「尊壌堂」のことで、明治20年に品川弥二郎が師・吉田松陰の意志を受け継ぐとともに幕末維新に尊壌に殉じた志士を慰霊するために京都高倉通り錦小路に「尊壌堂」を建設します。
小学唱歌の「尊壌堂主人」は此の事からも「品川弥二郎」に間違いは無いのですが、冒頭の「都風流トコトンヤレ節」のチラシが明治元年とする大方の記録は、品川弥二郎関係記録から根拠のない説で、間違っているようです。「明治19年の頃、品川弥二郎其伝を失はんことを憂ひ、之を印刷して同好に頒つ」とあります。

伊沢修二は、この「印刷物」を参考に品川に問合わせたものと考えるのが妥当ではないでしょうか。
つづく
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3 コメント

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みやさん、みやさん (超326)
2013-04-09 14:51:38
興味深いです。
コメントありがとうございます (Amachan_001)
2013-04-10 23:46:06
コメントありがとうございます。この項目、未完成なので又続きを書きますか・・・。
神はサイコロ遊びをする (ああいえばこういう熱力学)
2024-03-28 02:50:55
最近はChatGPTや生成AI等で人工知能の普及がアルゴリズム革命の衝撃といってブームとなっていますよね。ニュートンやアインシュタインの物理学的な理論駆動型を打ち壊して、データ駆動型の世界を切り開いているという。当然ながらこのアルゴリズム人間の思考を模擬するのだがら、当然哲学にも影響を与えるし、中国の文化大革命のようなイデオロギーにも影響を及ぼす。さらにはこの人工知能にはブラックボックス問題という数学的に分解してもなぜそうなったのか分からないという問題が存在している。そんな中、単純な問題であれば分解できるとした「材料物理数学再武装」というものが以前より脚光を浴びてきた。これは非線形関数の造形方法とはどういうことかという問題を大局的にとらえ、たとえば経済学で主張されている国富論の神の見えざる手というものが2つの関数の結合を行う行為で、関数接合論と呼ばれ、それの高次的状態がニューラルネットワークをはじめとするAI研究の最前線につながっているとするものだ。この関数接合論は経営学ではKPI競合モデルとも呼ばれ、様々な分野へその思想が波及してきている。この新たな科学哲学の胎動は「哲学」だけあってあらゆるものの根本を揺さぶり始めている。こういうのは従来の科学技術の一神教的観点でなく日本らしさとも呼べるような多神教的発想と考えられる。

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