当ブログに以前紹介したことがある「止若」について書きます。過去の記事は削除されていますが断片的に残っている記事もあります。
当ブログが北海道十勝に行ったのは昭和38年3月のことでした。初めて家庭教師のアルバイトをしました。止若駅前の小さな食料品店で中学3年になったばかりの女の子を週2回教えに行きました。夕食付きで結構待遇の良いアルバイトでしたが、夏休み大阪に帰省すると空白ができるとのことでお払い箱になってしまいました。その間、3ケ月ばかり毎週2回、帯広駅から止若駅に通いましたが、それ以降行くこともなくなりました。2~3年が経ち、久しぶりに止若に行くことがあり、乗車券を買うと「幕別」となっていました。「ヤムワッカ1枚」と云ったのですが駅員さんは何のためらいもなく「帯広駅~幕別駅」と打刻した切符を出しました。止若駅は幕別駅と名前が変わっていたのです。
暮れで片付けをしていると古い十勝地方史のコピーが出てきました。
帯広駅から釧路に向かって3ツ目にあるのが「幕別駅」です。この幕別駅は開設当時の駅名は「止若駅」です。幕別は十勝地方の有力な村でしたから駅名は当然「幕別駅」と成るはずでした。当時(1905年)天北線(1989年廃止)稚内市内に「幕別」という駅がすでにあったそうです。そこで、十勝の幕別村では幕別村内の小さな集落名であった「止若」を駅名としたそうです。所が止若駅前の公官庁の出先機関や金融機関は殆どが幕別を使用していたため貨物などが村名と駅名との混乱があり誤配などが相次いだそうです。そこで、幕別町は稚内市と長い交渉を積み重ね昭和38年11月 1日付けで「幕別」の名前を稚内市から譲り受けたそうです。止若駅は幕別駅となり、天北線の幕別駅は「恵北駅」と改称されたそうです。この時、十勝の幕別町はお礼として80万円を稚内市に贈呈したそうです。
稚内市の恵北(幕別)は、天北線転換バス路線(宗谷バス)の停留所となっているそうです。
当ブログにとっては涙の出るほど懐かしい「止若駅」の歴史を今見て感慨に耽っています。
当ブログが北海道十勝に行ったのは昭和38年3月のことでした。初めて家庭教師のアルバイトをしました。止若駅前の小さな食料品店で中学3年になったばかりの女の子を週2回教えに行きました。夕食付きで結構待遇の良いアルバイトでしたが、夏休み大阪に帰省すると空白ができるとのことでお払い箱になってしまいました。その間、3ケ月ばかり毎週2回、帯広駅から止若駅に通いましたが、それ以降行くこともなくなりました。2~3年が経ち、久しぶりに止若に行くことがあり、乗車券を買うと「幕別」となっていました。「ヤムワッカ1枚」と云ったのですが駅員さんは何のためらいもなく「帯広駅~幕別駅」と打刻した切符を出しました。止若駅は幕別駅と名前が変わっていたのです。
暮れで片付けをしていると古い十勝地方史のコピーが出てきました。
帯広駅から釧路に向かって3ツ目にあるのが「幕別駅」です。この幕別駅は開設当時の駅名は「止若駅」です。幕別は十勝地方の有力な村でしたから駅名は当然「幕別駅」と成るはずでした。当時(1905年)天北線(1989年廃止)稚内市内に「幕別」という駅がすでにあったそうです。そこで、十勝の幕別村では幕別村内の小さな集落名であった「止若」を駅名としたそうです。所が止若駅前の公官庁の出先機関や金融機関は殆どが幕別を使用していたため貨物などが村名と駅名との混乱があり誤配などが相次いだそうです。そこで、幕別町は稚内市と長い交渉を積み重ね昭和38年11月 1日付けで「幕別」の名前を稚内市から譲り受けたそうです。止若駅は幕別駅となり、天北線の幕別駅は「恵北駅」と改称されたそうです。この時、十勝の幕別町はお礼として80万円を稚内市に贈呈したそうです。
稚内市の恵北(幕別)は、天北線転換バス路線(宗谷バス)の停留所となっているそうです。
当ブログにとっては涙の出るほど懐かしい「止若駅」の歴史を今見て感慨に耽っています。