馬糞風リターンズ

世ノ中ハ何ノヘチマトオモヘドモタダブラリト下ツテモオラレズ

根室本線止若駅

2017年12月30日 | 地名・地誌
当ブログに以前紹介したことがある「止若」について書きます。過去の記事は削除されていますが断片的に残っている記事もあります。
当ブログが北海道十勝に行ったのは昭和38年3月のことでした。初めて家庭教師のアルバイトをしました。止若駅前の小さな食料品店で中学3年になったばかりの女の子を週2回教えに行きました。夕食付きで結構待遇の良いアルバイトでしたが、夏休み大阪に帰省すると空白ができるとのことでお払い箱になってしまいました。その間、3ケ月ばかり毎週2回、帯広駅から止若駅に通いましたが、それ以降行くこともなくなりました。2~3年が経ち、久しぶりに止若に行くことがあり、乗車券を買うと「幕別」となっていました。「ヤムワッカ1枚」と云ったのですが駅員さんは何のためらいもなく「帯広駅~幕別駅」と打刻した切符を出しました。止若駅は幕別駅と名前が変わっていたのです。
 暮れで片付けをしていると古い十勝地方史のコピーが出てきました。
帯広駅から釧路に向かって3ツ目にあるのが「幕別駅」です。この幕別駅は開設当時の駅名は「止若駅」です。幕別は十勝地方の有力な村でしたから駅名は当然「幕別駅」と成るはずでした。当時(1905年)天北線(1989年廃止)稚内市内に「幕別」という駅がすでにあったそうです。
そこで、十勝の幕別村では幕別村内の小さな集落名であった「止若」を駅名としたそうです。所が止若駅前の公官庁の出先機関や金融機関は殆どが幕別を使用していたため貨物などが村名と駅名との混乱があり誤配などが相次いだそうです。そこで、幕別町は稚内市と長い交渉を積み重ね昭和38年11月 1日付けで「幕別」の名前を稚内市から譲り受けたそうです。止若駅は幕別駅となり、天北線の幕別駅は「恵北駅」と改称されたそうです。この時、十勝の幕別町はお礼として80万円を稚内市に贈呈したそうです。
稚内市の恵北(幕別)は、天北線転換バス路線(宗谷バス)の停留所となっているそうです。
当ブログにとっては涙の出るほど懐かしい「止若駅」の歴史を今見て感慨に耽っています。






コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

刀に関わる諺・・・・意外と沢山あります。

2017年12月27日 | 雑学
◎「匕首に鍔を打ったよう」匕首に鍔を打っても、釣り合わない。不調和なもののたとえ。
◎「相槌を打つ」相槌を打つとは鍛錬で師匠の打つ槌に合わせて弟子が槌を入れること。転じて、相手の話に調子をあせてする応答のこと。
◎「一分の隙も無い」弱点となるような部分が存在しないこと。
◎「一刀両断」一刀で物を真っ二つに切ること。物事をためらわずにきっぱり決断、または処理すること。
◎「押取り刀」急な事で刀を腰に差す間もなく、手にとること。
◎「折り紙を付ける」折り紙とは刀の鑑定書。本物であることを証明するいわば保証書付を意味しています。現代では。折り紙ではなく鑑定書。
◎「快刀乱麻」快刀とは切れ味鋭い刀のこと、乱麻はもつれた麻糸のこと。よく切れる刀で、もつれた麻の糸を見事に断ち切るという意味から、複雑な 問題やごたごたした事態を鮮やかに解決するということ。
◎「刀折れ矢尽きる」刀折れ矢尽きるとは、戦う手段、物事に立ち向かう手段が尽きることのたとえ。
◎「急場凌ぎ」本来は「急刃凌ぎ」。急刃とは、戦場において刀の刃が欠けた時、粗砥やそこらの石で擦った即席に刃を付ける。切れ味は悪いがとりあ えず戦えるようにしたのです。
◎「鞘当て」侍がすれ違った時、鞘がぶつかったと喧嘩になることがありました。この事から些細なことで喧嘩をうることを言います。
◎「地金が出る」本来の性質が露出すること。
◎「地団駄を踏む」悔しがって、あるいはひどく腹を立て地を何度も踏みつけさま。地踏鞴(じたたら)の転じた語で、足で踏んで風を送る装置・鞴(ふいご)、地踏鞴を踏んでいる格好に似ているところから地団駄を踏むと言う。
◎「鎬を削る」刀の鎬が激しくぶつかり、削れるほどの激戦のこと。「鎬を削り鍔を割る」という。
◎「真打」日本刀を打つ際、数本打った中で一番出来の良い物。真打を依頼主に渡し、手元に残すのが影打という。昔、寄席は灯がロウソクだったた  め、トリで出演する芸人が最後にロウソクの芯を打った(=火を消した)事から転じてそう呼ばれるようになった。
◎「切羽つまる」切羽は刀の鍔がガタガタしないよう押さえる金具です。このことから身動き出来ないほど追いつめられた事を言います。

◎「反りが合わない」刀の反り具合と鞘の反り具合が違うからで、「反りが合わない」と言い、この事から相性が合わない事を言います。
◎「大根を正宗で切る」大げさなことをするたとえ。また、才能のある人につまらない仕事をさせることのたとえ。
◎「蹈鞴を踏む」よろめいた勢いで、勢い余って数歩ほど歩み進んでしまうこと。蹈鞴を勢いよく踏むさまに似ていることによる。
◎「太刀打ちできない」力の差が大きく競争相手にもならない。
◎「単刀直入」たった一人で刀を一振り持ち、敵陣に突入して斬り込むこと。すぐに本題に入ることを「単刀直入」と言うようになった。「短刀」はX
◎「付け焼き刃」切れ味の良くない刀に鋼の焼き刃を付け足したものをいった。 切れ味が良く長持ちする刀は何度も地金を打って作られるが、鋼を足 しただけの付け焼刃は、すぐに切れなくなり使い物にならなくなってしまう。 そこから、にわかに覚えた知識や技術を「付け焼刃」と言う。
◎「鍔迫り合い」互いに打ち込んだ刀を鍔で受けとめたまま、一歩も譲らず押し合う事から、力の拮抗した激戦の事を言います。
◎「伝家の宝刀」家宝として代々伝えられてきた名刀で、いよいよというとき以外は使わない切り札のことをいう。
◎「頓珍漢」師匠と弟子の槌音の響きを表す擬音。トンテンカンと聞こえる槌音が調子が外れたときにトンチンカンと聞こえたことから、物事の調子は ずれを意味する言葉となったようです。

◎「抜かぬ太刀の高名」力量のある人がそれを発揮せず、かえって人から重んじられることのた。また、口先だけ達者で実際に腕前を披露したことのな い人をあざけることば。
◎「抜き打ち」を抜くと同時に斬りつけること。突然物事を行うこと。
◎「抜き差しならぬ」刀を抜くのも差すのもままならない窮地をいい、どうにもならない、のっぴきならないという意味。
◎「懐刀」主に護身のために懐や着物の帯の間に挟んで携帯していた小さい守り刀。身近な存在で、いざというときに頼りになるという意味合いで上  司・主君から絶大の信頼を得ている部下・家臣のことである。
◎「目貫通り」表通りの最も華やかな通りのこと。目貫きとは刀の柄に施された装飾的な金具を指します。刀は武士の魂と言われ武将も刀の細部に金を かけて飾り立てます。近世では装飾化して目に付きやすい位置に飾ることを空目貫きなどとも言います。
◎「もとの鞘に収まる」刀は他の鞘になかなか入らないが、もとの鞘にはスンナリ入ります。この事から、仲違いした者どうしが元通りになる事。
◎「諸刃の剣」両方の縁に刃のついている剣は、人を斬ることもできるが一つ間違えれば自分自身も傷つけてしまう恐れがある。
◎「焼きを入れる」鍛冶で刃物を焼いて鍛えること。人に制裁をくわえること。
太文字の項目:次回蘊蓄を語ります。




コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

幕末の名刀「四谷正宗」

2017年12月13日 | 歴史
知人に日本刀をみせてもらいました。
四谷正宗と云われる名刀があるそうです。幕末の刀工中随一の人気を誇り江戸三作の源清麿作刀を俗称「四谷正宗」と呼ぶそうです。四谷正宗と呼ばれるのは源 清麿が江戸四谷に住み作刀したためと云われています。
源清磨は刀工として名を馳せただけではなく時代もあったのでしょうが実に波乱に満ちた人生を送った人物の様です。その生きざまは多くの文芸作品として紹介されています。吉川英治、柴田錬三郎、隆慶一郎、・・・などが小説の題材にしています。特に斎藤鈴子の「刀工源清麿」(幕末の刀匠 源清麿)は昭和39年上期直木賞候補作品でした。
知人によると源清磨は40数本の刀を鍛えていますが銘を刻むことはなく、殆どが無名なのだそうです。僅か実数本は銘を刻んだものがあるそうですがそのうちの何本かは重要文化財に指定されているそうです。
日露戦争戦費調達に功があった知人のご先祖さんが男爵の位をもらった記念に落ちぶれ旧旗本家から買い取ったものだそうです。

南海太郎朝尊(ともたか)も幕末の人気の刀工だそうです。知人によるとみてくれは実に見事な刀だそうで、一目見た人はだれもが欲しがる名刀なのだそうです。しかし、知人は南海太郎は飾り刀のようなもので実戦には不向きなのだそうです。試し切りをしたことがあるそうで、四谷正宗のような切味はないそうです。
無銘の名刀。知人は無名で来歴は全く分からないが切味は抜群であるそうです。刀身も一寸長く身幅(厚み)も普通のものより厚めの作りだそうです。持たせてもらうと確かにほかの2本よりずしんと重かった。この切味は抜群で知人お気に入りの名刀なのだそうです。

 写真撮影は遠慮してほしいという希望で鮮明な写真を紹介できないのが残念です。長時間にわたり剣術や刀剣の話をして頂きました。知らない世界がまだまだたくさんあります。




コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

浦島太郎。土産の玉手箱て・・・?

2017年12月01日 | 歴史
お馴染みの昔話「浦島太郎」です。浦島太郎ほど訳の分からないストーリーもありません。そもそもカメを助けたお礼が「煙と共に人生のすべてを失う」なんてどうも納得しかねるものです。お話には動物報恩譚というものがあるそうです。ツルを助ければ恩返しがあります。狐を助ければ美しい女性に化けてお嫁さんになって幸せな家庭を作ってくれる。(結婚譚)または動物を助ければ動物の話し声を理解できる不思議な頭巾を得たり、竜宮で何でも望みが叶う「呪宝」を手に入れて裕福になったりします。(致福譚)
何はともあれ浦島太郎の物語の結末ほど訳の分からないものはありません。これは当ブログだけでは無い様でネットなどにもその不可解さを指摘するとともに様々な解釈がなされています。それでもどれ1ツとってみても当ブログが納得できるものはありません。

浦島太郎というお話はヴァリエーションのない珍しい物語です。口承伝承は時代の経過や地域などで舞台設定や登場人物が変化したり、時によってはストーリー自体も変わってしまうことがままあります。しかし、浦島太郎はそのような変化や物語にヴァリエーションが全くないお話です。
 唯一の例外として江戸時代の御伽草子「浦島太郎」は、玉手箱を開けて老人となった浦島太郎のその後が語られています。
「浦島太郎が玉手箱を開けると中から紫の煙が立ち昇り浦島太郎はたちまち老人になってしまいます。その後、太郎はツルになって飛び去り丹後で浦島の明神として祀られ、竜宮の乙姫もカメとなって現れ夫婦の明神となった。めでたしめでたし。・・」とあります。あまりにも理解が難しい結末を誰もが納得行くように加筆されたものと思われます。それでも不自然さはそうしようもありません。
 久しぶりに古本屋で「浦島太郎の文学史」(三浦佑之著 五柳書院)を見つけて読みました。
でも結局もやもやした当ブログの疑問は解決しませんでした。
コメント (1)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする