民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

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「もののはずみ」 その1 堀江 敏幸

2017年01月13日 00時18分27秒 | 生活信条
 「もののはずみ」 その1 堀江 敏幸(1964年生まれ、作家、早稲田大学教授)  角川文庫 2009年

 多情「物」心 P-10

 どうしてなのかはわからないけれど、子どもの頃から身のまわりに存在する日用品、電化製品、文房具、玩具といったあらゆる種類の「もの」に関心があった。
 雑貨店の飾り棚を冷やかし、輸入品のオーディオがならんでいる電器店で軽自動車が買えるような価格の製品にこっそり触れながらカタログを集め、学用品だけでなく事務機器も取りそろえた文具店で消しゴムを選びつつ隅々まで商品を検分し、天井から鍋やらやかんやら針金やら、脈絡を欠いたいろんなものがぶら下がっている金物屋に入り浸って無尽蔵の品々をあかずながめたりしたものだ。

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 しかしそこにはひとつ、はっきりした好みがあった。自分と同時代に生まれたきらびやかなものではなく、また極端に古くて実用に耐えないものでもなく、以前はよく見かけたけれど、最近ではすっかりすがたを消してしまった、「ほんのちょっとむかしの」製品のほうに関心があったのである。だから私の眼が惹きつけられるのは、棚の隅でほこりに覆われている不良在庫や、生産中止になった商品のカタログのたぐいだった。
 当然ながら、あたらしい商品を扱う店だけでは満足できなくなってくる。やがて買うためにというより、もっぱら目を喜ばせるために、古物を扱う店に出入りするようになった。いわゆる鑑定士を必要とする高価な美術品や、ほんとうの意味での掘り出しものではなく、せいぜい20年から100年くらいまえの、はたから見ればただのがらくたにすぎない中途半端なものたちの集まってくる店に。

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 捨てられはしたけれど破壊はまぬかれた、近い過去の生活用品には、独特の表情がある。元の所有者たちの生活の匂いが、設計者や製造者の顔が透けて見える。それらが引きずっている人々の過去に、感情に、もっと言うなら、「もの」じたいが持っている心、すなわち「物心」に私は想いをはせる。実際に使用し、目に見える場所に置いてやることで、生きられた時間をよみがえらせるのだ。「物心」は国を越える。

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 以下に読まれるのは、主としてフランスで出会った「もの」たちについての、他愛のないひとりごとである。