義理妹のおむつ替えのシーンをなんとなく見ていた。
ハッとした。
これは、やばいぞ。
表情筋が、動いていない。
否、動いてはいるけれど、今にも眉間にしわが寄りそうな気配。
口の周りの筋肉も動いてない。
否、どちらかというと、今にも口角が下がってこうとする感じ。
彼女のこの4か月間の孤軍奮闘の苦悩が、この一瞬の映像で想像できた。
異国の地で、広い部屋の中で、二人っきりで過ごす。しかも、母乳不足感と体重の増えの心配とぐずり泣きという不安3点セットつきで。プラス男性脳がかなり強い自己チュータイプの夫(弟のこと)もくっついている。
「シンガポールは、日本人もかなり多いところだとテレビで言っていたから、お産の時も日本人ママと知り合う機会はなかった?」と聞くと、年代が違うので話が合わなかった・・・・と。そうか、そうだよね。私も4男の保護者だけれど、クラスのママたちとは話が合わないから、浮いているもんね。下手をすると二回り年下のママもいる。ママ友なんていない。だから、情報も入ってこないし、何かあった時に相談できる人がいなくて、少し、困る。
「でも、同じマンションに日本人ママもいるんじゃない?」と聞くと、「この部屋は会社が借りてくれているけれど、家賃が結構高いマンションで、つまり、日本人でも割とセレブな人たちが住んでいるみたい。そして、どうも、夫の地位にママ友グループ内の地位が連動しているみたい。私はそういうのが苦手で。」と。
なるほど。テレビドラマでそういうのやっていた。菅野美穂さんが出ていたっけ?都会で子育てするって大変そうって思った。20代のころ、なぜだか、男性にエリート意識の気配を少しでも感じてしまうと、好きという感情が萎えてしまうというタイプだったので、逆に、夫の地位と連動して自分の地位を獲得せんとする心理がよくわからない。でも、女子中高生のいじめの構図と似ているのかな?田舎に住んでいると、セレブな人ってお医者さんの奥さんくらいしかいないので、張り合うにも張り合えないだけの話かな?
もくもくと赤ちゃんと睨めっこして、おむつを替える義理妹に「ちょっと待ったー!」
「いっぱいおしっこがたまっているから、おむつ変えようか~。」
「さぁ、おむつ変えるよ。」と声かけながら、お肌をすりすり。
「おむつ変えると気持ちいいねぇ。」とさらに、すりすり。
「はい、おむつ変えたからね。よかったねぇ~。」と目と目を合わせて、ギュー!!!!!
みたいな。
おむつ交換を義務でしてはいけない。
育児力とは、幸せのキャッチボール力だと思う。
わざわざ遊んであげたり、早期教育っぽいことをしたり・・・とうことよりも何よりも、
それ以前の、母と子の日常のお世話を通してのやり取りが幸せのキャッチボールにどれだけできるか・・・・というような能力を磨く・・・みたいな。
そう。
鼻歌歌いながら、おむつ交換。
鼻歌歌いながら、オッパイを飲ませる。
鼻歌歌いながら、お風呂に入れて、
鼻歌歌いながら、お料理作って・・。
睨めっこしながら、おむつ交換。
睨めっこしながら、オッパイを飲ませる。
睨めっこしながら、お風呂に入れて
睨めっこしながら、お料理作ってない???
そんな睨めっこママに、さぁ、お遊びタイムね・・と突然、笑顔になって『いないいないばぁ』をされてもねぇ。赤ちゃんはどう感じているかなぁ?
鼻歌って、なんだか楽しいときに、自然と口ずさんでいた・・・みたいな、無意識の領域なので、鼻歌が出ないってことは、ママの24時間は、あんまり楽しくないんだろうなぁって想像する。
私も、育児を楽しんでいなかったし、楽しめていなかったなぁ。
頭でっかちで、元々そんなに子どもが好きってタイプでもなかった。
ただ、ママの声かけは大事だという知識があったので、意識した。
おうちになかにいるときは、なかなか鼻歌を歌いたくなる気分にならないので、あえて、前抱っこひもでお買い物がてらのお散歩のときに、口ずさんだ。なぜ、おうちの中にいると鼻歌が出にくいのだろう。隙あらば、自分のことをしたいという欲求がくすぶっているからじゃないかなぁって思う。一人目、二人目まではそうだった。でも、三人目は、自分を諦めたので、わりと自然と鼻歌が出ていたかなぁ。3人になると、もう、隙間時間が壊滅的なので、腹をくくったって感じだったかな。諦めるという言葉は、マイナス言葉のように聞こえるけれど、子が母親の世話を最も必要とする時期だけは、自分を諦めるという達観の境地が必要かもしれないと思う。だから、キャリアのある女性って、つまり、仕事で達成感を味わったことのある女性にとって、育児ってしんどいかも。育児って達成感ないもの。お世話をする。ただ、ただ、お世話に明け暮れる。
どうだろう。
お世話を白いボールだと想像したらどうだろう。
授乳やおむつ交換などというお世話という白いボールにどれだけ幸せを詰め込めるか・・・を意識する。その毎日の幸せのキャッチボールの積み重ねが、愛。
抱っこすることが愛情という空気が蔓延しているなって感じることがある。
裏を返せば、抱っこしないママ失格・・みたいな。
抱っこは、ママが鼻歌を口ずさみたくなるような気分のときに抱っこしてもらえたときに、赤ちゃんは極上の幸せを感じるんじゃないかなぁ。
ママがストレスがたまっていて、スマホいじったり、テレビを見ていたり、誰かとおしゃべりをしているときの抱っこは、赤ちゃんにとっては、ママの心ここにあらず・・・なので、かえって、寂しいと感じているかもしれない。いっしょにいるのに、私と一緒にいることが嫌なのかなって勘違いしているかもしれない。
親友とカフェにいって、いろいろ話したかったのに、親友がスマホばっかりいじっているとしたら?あるいは、スマホで別の友達と楽しそうに話しているとしたら?
ハッとした。
これは、やばいぞ。
表情筋が、動いていない。
否、動いてはいるけれど、今にも眉間にしわが寄りそうな気配。
口の周りの筋肉も動いてない。
否、どちらかというと、今にも口角が下がってこうとする感じ。
彼女のこの4か月間の孤軍奮闘の苦悩が、この一瞬の映像で想像できた。
異国の地で、広い部屋の中で、二人っきりで過ごす。しかも、母乳不足感と体重の増えの心配とぐずり泣きという不安3点セットつきで。プラス男性脳がかなり強い自己チュータイプの夫(弟のこと)もくっついている。
「シンガポールは、日本人もかなり多いところだとテレビで言っていたから、お産の時も日本人ママと知り合う機会はなかった?」と聞くと、年代が違うので話が合わなかった・・・・と。そうか、そうだよね。私も4男の保護者だけれど、クラスのママたちとは話が合わないから、浮いているもんね。下手をすると二回り年下のママもいる。ママ友なんていない。だから、情報も入ってこないし、何かあった時に相談できる人がいなくて、少し、困る。
「でも、同じマンションに日本人ママもいるんじゃない?」と聞くと、「この部屋は会社が借りてくれているけれど、家賃が結構高いマンションで、つまり、日本人でも割とセレブな人たちが住んでいるみたい。そして、どうも、夫の地位にママ友グループ内の地位が連動しているみたい。私はそういうのが苦手で。」と。
なるほど。テレビドラマでそういうのやっていた。菅野美穂さんが出ていたっけ?都会で子育てするって大変そうって思った。20代のころ、なぜだか、男性にエリート意識の気配を少しでも感じてしまうと、好きという感情が萎えてしまうというタイプだったので、逆に、夫の地位と連動して自分の地位を獲得せんとする心理がよくわからない。でも、女子中高生のいじめの構図と似ているのかな?田舎に住んでいると、セレブな人ってお医者さんの奥さんくらいしかいないので、張り合うにも張り合えないだけの話かな?
もくもくと赤ちゃんと睨めっこして、おむつを替える義理妹に「ちょっと待ったー!」
「いっぱいおしっこがたまっているから、おむつ変えようか~。」
「さぁ、おむつ変えるよ。」と声かけながら、お肌をすりすり。
「おむつ変えると気持ちいいねぇ。」とさらに、すりすり。
「はい、おむつ変えたからね。よかったねぇ~。」と目と目を合わせて、ギュー!!!!!
みたいな。
おむつ交換を義務でしてはいけない。
育児力とは、幸せのキャッチボール力だと思う。
わざわざ遊んであげたり、早期教育っぽいことをしたり・・・とうことよりも何よりも、
それ以前の、母と子の日常のお世話を通してのやり取りが幸せのキャッチボールにどれだけできるか・・・・というような能力を磨く・・・みたいな。
そう。
鼻歌歌いながら、おむつ交換。
鼻歌歌いながら、オッパイを飲ませる。
鼻歌歌いながら、お風呂に入れて、
鼻歌歌いながら、お料理作って・・。
睨めっこしながら、おむつ交換。
睨めっこしながら、オッパイを飲ませる。
睨めっこしながら、お風呂に入れて
睨めっこしながら、お料理作ってない???
そんな睨めっこママに、さぁ、お遊びタイムね・・と突然、笑顔になって『いないいないばぁ』をされてもねぇ。赤ちゃんはどう感じているかなぁ?
鼻歌って、なんだか楽しいときに、自然と口ずさんでいた・・・みたいな、無意識の領域なので、鼻歌が出ないってことは、ママの24時間は、あんまり楽しくないんだろうなぁって想像する。
私も、育児を楽しんでいなかったし、楽しめていなかったなぁ。
頭でっかちで、元々そんなに子どもが好きってタイプでもなかった。
ただ、ママの声かけは大事だという知識があったので、意識した。
おうちになかにいるときは、なかなか鼻歌を歌いたくなる気分にならないので、あえて、前抱っこひもでお買い物がてらのお散歩のときに、口ずさんだ。なぜ、おうちの中にいると鼻歌が出にくいのだろう。隙あらば、自分のことをしたいという欲求がくすぶっているからじゃないかなぁって思う。一人目、二人目まではそうだった。でも、三人目は、自分を諦めたので、わりと自然と鼻歌が出ていたかなぁ。3人になると、もう、隙間時間が壊滅的なので、腹をくくったって感じだったかな。諦めるという言葉は、マイナス言葉のように聞こえるけれど、子が母親の世話を最も必要とする時期だけは、自分を諦めるという達観の境地が必要かもしれないと思う。だから、キャリアのある女性って、つまり、仕事で達成感を味わったことのある女性にとって、育児ってしんどいかも。育児って達成感ないもの。お世話をする。ただ、ただ、お世話に明け暮れる。
どうだろう。
お世話を白いボールだと想像したらどうだろう。
授乳やおむつ交換などというお世話という白いボールにどれだけ幸せを詰め込めるか・・・を意識する。その毎日の幸せのキャッチボールの積み重ねが、愛。
抱っこすることが愛情という空気が蔓延しているなって感じることがある。
裏を返せば、抱っこしないママ失格・・みたいな。
抱っこは、ママが鼻歌を口ずさみたくなるような気分のときに抱っこしてもらえたときに、赤ちゃんは極上の幸せを感じるんじゃないかなぁ。
ママがストレスがたまっていて、スマホいじったり、テレビを見ていたり、誰かとおしゃべりをしているときの抱っこは、赤ちゃんにとっては、ママの心ここにあらず・・・なので、かえって、寂しいと感じているかもしれない。いっしょにいるのに、私と一緒にいることが嫌なのかなって勘違いしているかもしれない。
親友とカフェにいって、いろいろ話したかったのに、親友がスマホばっかりいじっているとしたら?あるいは、スマホで別の友達と楽しそうに話しているとしたら?