異次元の少子化対策で、財源に恐怖を抱いている人たちも多いのではないだろうか。
この付けは、誰がいくら負担していくのだろうか。
私なんかは、将来、まともに介護保険の範囲内で生きていけるか。もしかしたら、姥捨て山が復活するのではなかろうかと疑心暗鬼になる。
私の周りで、4月の時点では、子どもは二人でいいと言っていた人が、3人目は児童手当が月3万円に倍増するという話が出てから、3人目を考えているという人がいた。
都会だと、居住スペースの問題も出て来るし、塾代などの費用もかさむだろうから、3人目の気持ちまでにはならないかもしれない。でも、田舎の場合は、月3万円で3人目を決断する人もいて、少しは、出生数現状維持に貢献するかなと感じている。
果たして、少子化は、経済的な要素を解決すれば歯止めが効くというものなのだろうか。
キャリアある女性が、子育てがキャリアアップの障害にならないような施策についても議論されている。
そのために、イクメンや保育園などの制度の充実、企業内でも女性の役員等を増やすなど家族のことで時間的に束縛されないような状況を作っていこうという雰囲気が少しずつではあるができつつあるような気はする。
でも、なんだかなぁ、子どもがいるせいで、女性は羽ばたけないというような空気が蔓延していっているようで、其れは、違うんじゃないかなぁって感じる。
大変な子育てを、結局は、女性が請け負っている。そのために、キャリアアップできない。
『子育ては大変です。はい、おしまい。』
そんな空気を吸って成長した若者たちは、果たして、結婚に踏み切る勇気が湧くだろうか。
どうかどうか、『子育ては確かに大変です。でも、‥‥。』と、でもに続く言葉をもっともっと広めてほしい。
子どもは、ほんとうの自分を炙り出してくれる最強の検査薬であり、最強の心の柔軟体操トレーニングマシンだと言っても過言ではない。
そのマシンの検査薬の精度やマシンの品質は、ママの子どもの気持ちに寄り添うということを学びたいという心の要求度で高くなったり低くなったりするようだ。
子どもの気持ちに寄り添って、子どもの本音に耳を済ませて、子どもが体験したいということを全力で応援していくということが、子どもを産み育てるということの神髄だと今になってわかる。
その寄り添うという力と子どもが本音を何の気兼ねもなく言える雰囲気を作れる力と、いざとなったら本気で全力で条件付きでなく応援していくという力を身に着けるという訓練の場が、子育て。
要するに、心を豊かにするために最強のマシンがわが子なのだ。
なのになのに、早い時期から保育園に預けて、仕事もバリバリして、おうちに帰ってきたら、ヘトヘトで。最低限、お風呂に入れてご飯を食べさせて、仕上げみがきをやっとこさ済ませて、絵本読んであげたいけど、そんな時間はないわ。どうにか寝たようだと確認したら、這いあがってお洗濯して・・・。
せっかく、 わが子という最強の心豊かになる訓練機を授かったのに、訓練しようにも訓練する時間がない。
あれ?
これって、昔の私の姿じゃん。
絵本だけは読んだけどね。
ごめんね。ちっとも寄り添ってあげれなかった。
世話するだけで精いっぱいだった。
だからこそ、言いたい。
心が豊かになるための視点で少子化対策の根本の柱を立てないなら、ただ、人の数が増えればいいというような表面的な施策でおしまいになるのであれば、3人目は1,000万円というくらいのお金を投入するしかないかなと思う。
ところで、わが子との格闘がなかったら、私は本当の自分に出逢えないまま、人生を終了していたと思う。
鎧をまとったキャリアアップの人生を選んで、何かを達成することに喜びを感じる人生を選択するか。
幼い頃に親や世間によって鎧をまとってしまった偽りの自分から、わが子との格闘の末にもがきながらもその鎧を外し、ほんとうの自分に出逢って、すがすがしく寛容で、何事にも動じない、そんな人生を選択するか。
はたまた、目の前の楽しいこと気持ちいいことでいい感じにすごしたいケセラセラ人生を選択するか。