総合漢方にんぷ薬・総合漢方育児薬

~頭を使ってではなく、カラダ(感性)で子育てしてみませんか~

独裁国家ベラルーシ  現政権対国民の闘い

2020年12月27日 | エッセー
 今日の朝日新聞に、ベラルーシのことが掲載されていた。
 欧州で最後の独裁国家といわれるベラルーシの大統領選で、80%の得票により、当選継続した独裁者政権に対する国民のデモについて。
 80%の得票率なんてありえない。選挙に不正があったということへの抗議デモ。1か所に何万人も集まる形のデモに対して、当局もすぐ対応したため、最近は、小単位で合言葉を使って三々五々集まってデモをしていくというスタイルで抗議していると言う。あっちこっちで、集合時間も把握できにくいデモだと、当局の取り締まり力が弱まるから。
 それでも、一人二人と当局に羽交い絞めにされて連行されていく市民がいる。大丈夫かなぁ?拷問とかされていないかなぁ?
 

 その記事の最後の言葉が刺さった。
 ベラルーシは、現政権対反政権の争いではない。現政権対国民の闘いなのだ・・・・と。


 せっかく反政府軍が勝利したのに、独裁者になってしまったという場合が多い。でも、国民の総意による独裁者への抗議が、勝利につながれば、それは、自由への希望につながるはず。
 

 東南アジアも意外と独裁者のいる国家がある。 
 ベトナムとかフィリピンとか・・・。

 日本だって、独裁と自由のグラディエーションのどこかに位置する。どこなんだろう?今は、白に向かっている?黒に向かっている?
 
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右の『鬼滅の刃』左の『進撃の巨人』

2020年12月26日 | エッセー
 2020=鬼滅の刃と言ってもいいくらい、鬼滅の刃が日本人の老若男女の心を射止めた。
 揺るぎない妹を人間に戻したいという信念を持った兄弟愛と鬼にも鬼の哀しさが漂う世界観が描き出されている鬼滅の刃。人間は弱い。でも、こうありたいという理想も捨てきれずに、未練をあの世に持っていくのが、凡人人間の生きる道と言えば道なのだろう。たんじろうは、理想。そして、鬼になった元人間の姿こそ、自分かもと観ている人は、いろんなタイプの鬼の姿に自分を重ねる。
 全集中の呼吸って、みんな言っているけど、具体的にはどんな呼吸かさっぱりわかんない。それでも、なんだか、全集中の呼吸って声に出して言ってみたくなる魅惑的な言葉だ。
 私的には、一生懸命取り組む姿勢とか、真剣勝負というニュアンスかなと。

 一方、進撃の巨人は、ファイナルシーズンになって、やっと、全体像が見えてきた。ファイナルシーズンに入る前に、総集編をしてくれたので、前回までのストーリーをどうにかこうにか整理できたけれど、それまでは、あちこちに疑問?が散らばったお話だったので、難解だった。総集編で、整理はできたけれど、疑問符だらけの物語だった。小学生とかおじいさんたちにはウケないかな?
 でも、ファイナルシーズンで一気に世界観が宇宙観にまで広がって、すべての謎が解けてき始めた。壮大すぎて、作家への尊敬の念が溢れてやまない。
 まんが大好き人間というわけではないけれど、サイン会があったら行きたい。
 非戦を伝えたいなら、進撃の巨人こそ、最高の語り部となる超お勧め作品だ。全世界の思春期の子どもたちに観てもらいたい。観るだけで、世界の自分が生まれた国の生まれ育った家によって、有無を言わさず、正しいと、あるいは、当たり前と思い込んできた、でも、実は、洗脳されてきた価値観の呪縛が解き放たれる可能性を秘めている。

 ファイナルシーズンの始まる前まで、敵だと思っていた人たちの人生が、ファイナルシーズンで描かれていく。それも、あたかも観ている私たちが、敵を主人公と勘違いしてしまい、敵に感情移入できちゃうことがすごいことなのだ。
 鬼滅の刃は、鬼の人生をチラッと見せる。ただ、鬼にもいろんな鬼(人生)があって、それを毎回、違った鬼の姿でチラッと見せてくれている。
 一方、進撃の巨人は、一人の敵の人生を味わい深く描き出す。主人公と同じくらい深く哀しく・・・。

 だから、右の『鬼滅の刃』左の『進撃の巨人』
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憂います 一日2枚の 紙おむつ

2020年12月20日 | エッセー
『紙おむつは、一日2枚を目標にしています。』
 
 ついに、そこまで来たか・・・。
 一日5枚でも少ないと嘆いていた。
 でも、まさか2枚とは・・・。ウンチ次第ってことか・・・。

 ところで、3歳半健診で、パンツではなく、紙おむつの児がここ2~3年で如実に増えている。
 夜は当たり前で、昼間もという児もちらほら。保育士に任せている感がありそうだ。3歳半で夜がどうしても外れない、つまり、夜尿で悩んでいるママもいる一方で、外れるときがその時という感じで、ただ、流されている感じの子育てをされているママもいる。個人的には、トイレットトレーニングという言葉には抵抗があるけれど、だからと言って、ほったらかしというのも、ほんとうにそれでいいのかなぁと気になる。
 保育園ではパンツでOKだけど、おうちでは、自分から紙おむつをはこうとするというお子さんもいる。
 昼間、保育園では相当頑張っているのかなぁ~。おしっこをコントロールできるという自立が喜びではなく、ストレスになっているってことなのかなぁ?
 いいのかなぁ?保育園でのトイレへの促し方がどうなのかなぁ?できてもできなくてもさりげない感じが自然じゃないんだろうか。ほめすぎても、次へのプレッシャーになるし、できなかった時の保育士さんのちょっとした一瞬の残念な顔だけでも罪悪感になる可能性がある。
 おしっこをコントロールする力って、その子の自立心とか自信みたいなものと何か関係はないのかなぁ?
 夜尿は、また、別かなぁ。抗利尿ホルモンは関係あるかもしれないけれど、やはり、何らかのストレスから来ている感じがある。指しゃぶり・爪かみ・性器いじり・多動・言うことを本当に聞かないなどなど・・・と同じようなストレスサイン。いつか、自然としなくなる。いつかも人それぞれ。突然しなくなったというパターンもある。大丈夫。思春期に入るころまで、温かく見守るのみ。きっと、その≪温かく見守る≫という力を親に与えているのだと思う。温かく見守るって意外と難しいから。『あ、こいつは、とうとう、夜尿に関しては、温かく見守るという境地に達したようだな。だったら、もう、夜尿しなくていいや。』というような無意識な世界が母と子の間にはあるような気がする。
 添う力を子どもの夜尿によって育てさせていただいていると感謝しましょう。
 ところで、添うって、めっちゃ難易度が高い。
 私自身、四人の男の子の子育てが終わっていませんが、四男にその添う力を試されているとしか言いようがない日々を送っている。
 最近、四男の向こうに神様が見える。
 どうしてもどうしても、相手を自分の思い通りにしたいという生活習慣病が治癒しないから、神様は四男を私に授けて、人間修業をさせているとしか思えない。
 子どもの成長を観ながら、添いながら、少し後押ししてあげながら、自立の道をその子なりに歩めるよう道先案内人になることが、親業だと思う。だとすると、3歳半健診でおむつを外してあげんと後押しをする気のない親は、やはり、心配。そこに、≪添う≫がないから。
 ところで、3歳ごろの子どもって、突然、急に『おしっこ』という。ギリギリで言うもんだから、親は慌てる。高速道路とかの場合、非常に困る。子どもって、今、を生きているから、今、遊びに夢中だとおしっこのことなんか頭にない。夢中よりも尿意が勝った時は、すでに膀胱が満タンなのだ。『なんで、もう少し、早く言ってくれないの?さっきのサービスエリアでも、おしっこどうする?って聞いたでしょ。でも、その時はおしっこしないって言ったじゃない。』とややヒステリックになってしまう経験のある方も多いだろう。
 ほんとうは、それくらい夢中になれる《時》の塊が子どもってやつ。だから、その≪時≫をめいっぱいストックして、肥やしにしてあげたい。

 突然、おしっこと叫ぶ子どもの膀胱括約筋は相当な威力に成長している。尿意を感じないでいっぱい貯める力があるということだ。膀胱の筋肉の弾力性とギュッとする力の両方がすごいってこと。
 歳をとると、ギューっとする力も弱くなるし、膀胱の伸び縮みする弾力性も衰えて硬くなる。
 私は、しっかり頻尿派。
 膀胱の弾力性がなくて硬い。そして、ギューっとする力も弱い。若い頃から年寄りな膀胱の持ち主だった。最近、尿意を感じてもできるだけトイレに行くのを我慢して、硬くなった膀胱を少しでも伸び縮みできるよう意識している。まさに、トイレットトレーニング真っ最中。
 思うに、なぜ、私は頻尿派になってしまったのか。
 虚の体質なので、しょうがない部分もあると思うが、それだけではないと思う。高校時代、授業中におしっこしたくなったらどうしようという不安から、休み時間のたんびにトイレに行っていた。尿意を感じなくても行っていた。
 ローマは一日にして成らず。
 頻尿も一日にしてならず。
 毎日毎日何年も何十年もそうやっていたので、膀胱を延び縮みさせてこなかった。結果、膀胱の筋力が低下し、老人のような硬い膀胱になってしまった。

 3歳半になっても、昼間もおむつをはめようとする子どもの膀胱括約筋は果たして大丈夫だろうか?おむつをしていても、いっぱいたまってからおむつにジャーってしているのならいいような気がするけれど、垂れ流し的におむつにおしっこをしているとしたら、少し、心配だ。
 私のような頻尿派になってしまったら、苦労する。
 まずもって、登山したいけど、トイレがない場合、途中でおしっこしたくなったらどうしようと考えてしまうから、断念することにつながる。最近は、大人用のおむつが改良されてきたので、その手もあると言えばあるが・・・。男子はいいよね。『どこでもトイレ』を生まれながらにゲットしているんだもの。
 冷え込むとトイレに行く回数がめっちゃ増える。尿意を感じやすい。しかし、めっちゃ尿意を感じてトイレに駆け込んでも、大した量が出ない。膀胱括約筋から脳に伝わる神経が過敏に育ってしまったのだろうか。
 濃縮力に欠ける。
 一日の尿量は同じなのだろうか・・。 
 私の隣に座っている同僚は一日3回だと宣う。
 ゲッ!
 私の2倍3倍の弾力性をもった膀胱の持ち主だ。解剖したら、膀胱の見た目が全然違うんじゃないだろうか。彼女が30歳なら私は90歳か・・・・。
 やっぱ、濃縮力が違うんじゃないかな?水分を体内に還元する力があるような気がする。カラダの潤い力みたいなものも違う気がする。
 私のカラダは、乾燥していると思う。皮膚においてそう感じる。
 背中は傷だらけだ。寝ている間、私のあずかり知らぬところで、背中は私の爪によって掻かれている・・・らしい。

 私は何を言いたいか?
 つまり、3歳半健診の時点で、昼間もおむつで、おしっこをコントロールする筋肉をつけていない子どもは、私のような頻尿タイプの硬い膀胱の持ち主にならないだろうか・・・という懸念を持っているということを言いたい。
 弾力性のない膀胱って結構不便。
 もっと、年を取った時に、夜間頻尿になってしまったら、睡眠も浅くなる。
 個人的に、最高の元気はぐっすり睡眠だと憧れている私にとって、頻尿な膀胱は残念。
 昔、20代最後の頃、私にも人並みになんだか人生の空虚感に苛まされた時があった。そんなときの旅って、インドだ。
 最初で最後のたった1回きりの海外旅行が、インドだった。
 ニューデリーのはとバスみたいなものに乗ったことがある。カルチャーショックだらけの旅だったけれど、ニューデリーのはとバスもかなりなショックだった。ニューデリーと言えばインドの首都。時は、7月末。日本の夏も暑いけれど、インドは40度近い猛暑の季節。(30年後、日本もインドの夏に近づいているけれど・・ね。)
  そのはとバスは、日本だったら廃車レベルなバスだった。シートはところどころ破れているオンボロバス。しかし、そのことはないことにしても、恐ろしいことにクーラーがついていなかった。汗だくのはとバスだった。
 かと思えば、3時間ノンストップなバスに乗り込んだら、クーラーガンガンレベルで、私の敏感な膀胱はすぐに反応し、すぐに尿意との闘いが始まってしまった。3時間ノンストップなのにトイレ付いていないんですから。あれは、どこへ向かう旅立ったのか・・・。尿意との闘いの記憶しかない。
 国内旅行なら頻尿派でも大丈夫だけれど、海外旅行とか登山となるとハードルが高くなる頻尿派。
 できれば、我が子が海外旅行や登山をするって時に、頻尿が原因で取りやめるなんてことのない膀胱に育ってほしい。
 3歳半健診の頃までおむつがとれないことが、敏感で保尿力のない膀胱の一因にならなければいいけれど・・・と案ずる私。

 以前も書いたことがある。
 昔々のおばあちゃんたちのナプキンのなかった時代、昔々のおばあちゃんたちはどうやってあの生理とやらを凌いでいたのか・・・。
 母曰く、母の母たちは、浴衣のお古の布を切って、洗って使っていたそう。でも、多い日は大丈夫だったのかなって疑問だった。

 ナプキンのない時代、女性は生理のときどうしていた?
 答え ズットギュット。
     おしっこを我慢するようなギュッと感でしのぎ、トイレに行った 時に、出していたそう。すごく多い二日目とか夜寝ているとき、どうしていたのかについては、まだ、疑問ですが・・。
 
 すごい。
 昔の人のカラダって、きっと、私たちと全然違うかもしれない。生理が始まって30年も40年も、毎月定期的に1週間ほどギュッとし続けたあそこの筋肉と垂れ流し的な私たちのあそこの筋肉の違いは歴然としている。インナーマッスルがめっちゃ鍛えられていたと思う。筋トレをわざわざしなくても・・・。
 
 最近のママたちは、おむつはずしに積極的ではないなって感じる。紙おむつ代もばかにならないと思うけれど、3歳半健診でも紙おむつを使っているという子どもたちが増えてきた。保育園まかせ。
 どうなんだろう?
 そんな子どもたちの膀胱括約筋は大丈夫?
 ギュッとする力が弱くない?
 一生に影響しない?
 インナーマッスルと関係ない?
 将来の運動神経と関係ない?
 もっと、将来、尿漏れに悩まされるってことはない?
 始まりの3年は、膀胱括約筋の筋力になんの影響もない?

 人間って生き物は、困らないと行動変容しない生き物だ。

 ママも共働きが当たり前の時代になりつつ今、働くママを助けるために、あらゆる時短グッズが登場している。
 時短が、正義になりつつある。
 かのオレンジページも2019年あたりから、時短メニューを掲載すると売れるということで、美味しい料理から時短で美味しい料理に舵を切ったという。
 
 時短料理に舵を切ったのではなく、時短で美味しい料理に舵を切った。
 否、
 時短で安くて、しかも美味しいに舵を切った。
 時短で安いは、ママが幸せ。でも、美味しいんだったらパパも子どももシアワセ。みんな幸せならいいじゃない。物事を見るとき、迷ったとき、決断する時には、ウインウインの視点が役に立つ。

 では、紙おむつはウインウインか?
 つまり、時短で安くて美味しいか・・。
 ママにとって、時短だが、安くはないし、おそらく、いくら改良されたと言ってもそれなりの肌触りだと想像する。
 真夏にストッキングの不快指数に慄き、御年60歳を前にして、恥も外聞も捨てて、ハイソックスを愛用している私からすれば、真夏に紙おむつなんて発狂してしまいそう。まぁ、24時間、クーラーかけっぱなしの生活なら大丈夫だろうけれど。
 そもそも、安くない。

 安くないけれど、安くするには、一日の使用枚数を極限まで持っていくしかない。
 だから、一日、2枚という人も出て来る。
 どんだけ~~~~~。

 先日、生後2か月の赤ちゃんを訪問したときに、一日何枚くらい使うか聞いたら、5~6枚だった。
 おしっこしたらすぐおむつ交換するママなんて、ほぼいないと思う。できないよ。経済的に。
 無理だよ。30万円のおせちをたのめるくらいのお金持ちママじゃないと紙おむつは赤ちゃんにとってウインウインになれない。
 オレンジページ愛読者の多くは、紙おむつを、時短で安くて美味しく使えない。ウインウインの関係を築けない。
 だって、産まれたばかりの赤ちゃんは、一日40回くらいおしっこする。
 
 オムツの濡れる間隔が3時間あく時も出てきたなぁ。そろそろおむつ外しの準備運動をしようかなぁという時期が、1歳過ぎの頃だ。3時間あいたら、シーっとさせると、ジャーっとめいっぱいたまった分が排泄される。そんなこんなの繰り返しの中で、昼間は一日もおむつが濡れない日も出てきたりする。

 そしたら、一日5~6枚の洗濯で済んでしまうので、それだけで、幸せな気分を味わえる。
 つまり、1歳の頃になって、ようやく、一日5~6枚のおむつですむようになる場合もあるといえる。

 生理のときのナプキン、多い日に、一日何枚使うだろうか。
 逆に、三日目以降は、一日何枚使う?
 赤ちゃんのおしっこは一日どれくらい出るんだろう?
 経血量よりも多いはず。

 一日、5~6枚でも少ない気がする。
 ましてや、一日、2枚か・・・。

 紙おむつは、時短で高くて、きっと、そう美味しくない。

紙おむつは布おむつ並みに使うとなると、信じられない金額になる。ごく普通の共働きママのお財布は悲鳴を上げる。
布おむつなみに替えるなんて、庶民には無理。でも、庶民だから、、妻も働かなきゃいけない。ただ、紙おむつを使うなら、せめて、自分が生理のときに替えるナプキンの枚数くらいは替えてほしいかな?
 紙おむつを使う時、もし、美味しいも手に入れようと思ったら、高いに関してはママがお財布のひもを少し緩める覚悟で、妥協するっきゃないような気がする。
 共働きで働いた分、我が子への投資として、美味しいおむつ(気持ち悪くないおむつ)にするために、何かを節約しておむつ代にまわしてほしい。

 家事はすべて時短でいいと思う。
 でも、育児は、自分を労わりながらも、大事なわが子も労わりながら、そのうえで、微調整だい。調度いいを探しましょう。
 
 



 

 
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