総合漢方にんぷ薬・総合漢方育児薬

~頭を使ってではなく、カラダ(感性)で子育てしてみませんか~

千原ジュニアおばあちゃんに乾杯!

2022年11月26日 | エッセー
 図書館で、千原ジュニアさんの『14歳』という本を借りてきて、一気に読んだ。
 なんとなく、不登校で、吉本の養成所にいたお兄さんが吉本に引っ張ってくれて、兄弟で組んだ・・・ような話は知っていた。最近は、プレバトで才能を開花させている姿を見て、芸人さんって多彩だな、すごいなっては思っていた。
 それくらい。

 でも、『14歳』を一気に読んで、彼への見方がガラリと変わった。

 私は、正義を振りかざして物言うような人たちは苛められているように感じてしまって苦手だ。でも、このジュニアさんの自伝物語は、正義という言葉がお似合いの物語だとあっぱれ。
 14歳までの彼は、それを本物の正義だなんて微塵も認識していなかっただろうけれど、彼は当たり前のように、正義を貫いて生きていた。
 いっしょにめちゃくちゃ楽しく遊んでいる仲間たちが、誰かにやられるたびに、反撃しただけの話なのに、睨まれた。
 頭がよくて、地域で優秀な子の行く中学校に入学したとたん、そうではない中学校に行った同級生に勝手に僻まれて、彼の仲間たちは脅されて彼から去っていった。ごめんねって言いながら。
 仲間だと信じて疑わなかった人間たちが、仲間たちがやられたら、先頭を切ってやり返してきたのに、その仲間たちが去っていったという現実を叩きつけられて、身動きができなくなった。
 優秀な中学校の人間たちも卑怯だった。
 先生も。

 そして、彼は、自分の部屋からほとんど出なくなった。
 近くのコンビニにはパジャマで。 
 母親も父親も、怒りはしないが、ビクビク、ビクビク。だって、家中の壁に穴が・・・。そして、彼の未来への不安丸出しの母の表情のだめだし。
 だから、なおさら、彼は自室へ閉じこもる。パジャマのままで。

 夜中、テレビの砂嵐に湧き出てくる虫たちとの妄想世界が、彼の癒しであったよう。精神を病むギリギリのところにいたのかなぁ。

 でも、彼には救い主がいた。
 これが、めちゃくちゃラッキーだった。
 それは、おばあちゃんの存在。

 一切、否定語のないおばあちゃんが、大好きだった。怒られる僕の気持ちが理解できるおばあちゃん。
 そんなおばあちゃんが兼六園のある金沢への1泊旅行を提案してくれた。やんちゃだけど優秀だった・・・のに、今じゃ、ひきこもって家中の壁に穴を開けまくっている孫との旅。にもかかわらず、否定語一切なしの楽しそうに話すおばあちゃん。 
 僕は、今日、久しぶりに人と話をしたような気がした。
 
 ジュニアさんの言う『人』って、偏見も何もなく、人として自分を理解してくれる人のことなんだろうなって思った。

 旅の最後に、『何にも変わっていないのにね。』って。
 僕は、その時、意識せず呼吸をしたような気がした。

 そんなおばあちゃんとの旅の途中で、おばあちゃんが『どうして学校に行かないの?』って聞いてきた。
 僕はあの部屋に入ってから、何回もこの質問をされたけれど、こんなに何の感情も抱かずに質問の答えだけを探すことができたのは初めてだった。
 『自分でもよく解らない。』
 おばあちゃんは笑顔のまま小さくうなづいた。

 その時に、目の前で小鳥たちがレールの上を歩いていた。
 『鳥だってたまには歩きたいもんね。』っておばあちゃん。
 ジュニアさん、涙が溢れてきたそう。

 でも、帰宅したら、母のため息。
 僕は(おばあちゃんとの旅で貯めた)気持ちの中の余裕を使い切って、ギリギリのラインで台所をでた。

 世の中の卑怯の洗礼を浴びて、動けなくなったジュニアさん。
 母親の将来を案じる不安からくるため息で、壁に穴。
 まっさらに気持ちをわかってくれるおばあちゃんで息を吹き返し。
 でも、やっぱり、母親は暗い顔で、壁に穴。
 卑怯な世間は相変わらず。

 そこに、お兄ちゃんが人を笑わせるという喜びの世界へ連れて行ってくれた。

 という自伝が、『14歳』だった。

 『14歳』に乾杯!

 
 ところで、ジュニアさんが壁に穴を開けるときって、たいがい母親がらみだった。母親が哀しそうな顔をしたり、不安げだったり、今後の進路の話をしようとしたり、精神科の薬(精神安定剤?)の粉を白いご飯に混ぜ込んでいたり。
 子どもが学校に行かなくなって、そりゃあ、親は心配する。一番の心配は子どもの未来だ。それが、顔に、言葉に出る。子どもの今の心情はわかる。でも、すぐに未来の心配が襲ってくる。結果、子どもは自分の気持ちを理解してもらえたという安心感を手にいれることができない。最大の安全基地であるはずの母親が不安そうだと、なぜ、僕の気持ちをわかってくれないんだという腹立たしい気持ちが湧いてくる。イライラ、イライラ。そして、壁に穴があく。

 ジュニアさんは大好きなおばあちゃんと兼六園に出かけた時、完璧な安心感に包まれた。完璧な安心感の中では、邪念が邪魔しない。まっさらな自分の感情と向き合えた。
 そのまっさらな心理状態のときに、大好きなおばあちゃんが『なんにも変わってないのにね。』と言ってくれ、次に『どうして学校に行かないの?』って質問した時、初めて、行かない自分と向き合えた。まっさらになれたからこそ、向き合えた。
 向き合った答えは『わからない』だった。
 わからないでもいい。まっさらで自分と向き合えたことで、ジュニアさんは変れた。
 そして、レールを歩いている小鳥たちを二人でぼ~~~っと眺めて『小鳥もたまには歩きたいもんね。』というおばあちゃんの言葉。
 ジュニアさんの心の奥底から『僕も飛ぶぞ~~~!』って気持ちが溢れ出てきた。
 
 傾聴。

 今まで、傾聴のレッスンはそれなりにやってきたつもりだった。話を聴くって簡単なようで、オリンピックに出るくらい難しい。

 相手の気持ちをわかろうとする。そのために、自分の邪念を取っ払う。

 いやはや、たったこの二つのことが、できない。

 ジュニアおばあちゃん、あっぱれ!
 私は、『14歳』を読んで、傾聴する側が心底心をまっさらにすることがめちゃくちゃ大事であるということを学んだ。
 傾聴する側が、まっさらでないと、いくら形だけ、ふんふん、そうなの・・・と頷いて聞いていても、話す側は、聴く側の邪念をしっかり感じ取って、それが邪魔をして、本当の自分と向き合えない。
 聞く側の邪念こそ、傾聴を妨げる最大の敵だ。

 ふんふんと否定せずに話を聴いてもらえるだけでも、すっきりはする。でも、それだけではダメなのだ。カウンセラーは、自分の邪念の脳内処理をできる人でないと名乗れないのではと痛感した。
 心を入れ替えた。
 母親は、子どものことを心配するってもんだ。どうにか、まっとうに生きていってほしいって願う。でも、まっとうの意味が違うんだろう。まっとうとは、そこそこのレールの上のこと。今、あるレールの上を。そこそこでいい。踏み外したらお先真っ暗だって、つい、思っちゃう。
 でも、子どもが学校に行けなくなったら、子どもは限界なんだから、当面、ジュニアおばあちゃんになると覚悟する。おそらく、母の本気度が高いほど、子どもは邪念のない傾聴エキスパートに変身した母親の存在により、早い段階で自分と向き合えて、早い段階で前に進めるだろう。
 
 

 ところで、ジュニアさんは、ほぼひきこもった自分の部屋で、夜中、ザーッと砂嵐テレビから湧き出てくる虫たちとの妄想でどうにかギリギリ生きていた。普通だったら、精神科に入院とかなって、強い薬を飲まされていたかもしれない。自分の気持ちときちんと向き合わせてもらえなかったせいで。おばあちゃんは、知ってか知らずしてか、ジュニアさんをカウンセリングして救った。

 カウンセリングを学びたい方は、ぜひ、『14歳』を。
 

 

 

 


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世代按分票

2022年11月23日 | エッセー
 選挙権は、一人1票と相場が決まっている。
 でも、少子超高齢化社会だ。当然、票田目指して、議員さんたちは、高齢者にとってうれしいことをされる。
 それでは、国は元気になれない。
 限りある税金を未来のために使っていただきたい。
 国が元気になるために使ってほしい。
 なので、全人口の世代人口割の按分法で、票数を決めてはどうかと本気で考えている。
 つまり、例えば、20代の人口が200万人で、80代の人口が600万人だとしたら、どの世代も600万票にする。なので、20代は一人3票の投票権をもち、80代は一人1票とする。
 こうすると、各世代の票格差がなくなる。
 そうなると、3票持っている20代が喜ぶ施策を議員さんたちも考えないわけにはいかなくなる。
 日本の未来は、少子高齢化でトンネルに入ってしまった。トンネルの先の希望は、世代按分票選挙しかないような気がする。
 かって、女性に選挙権がなかった時代、女性たちが声をあげて、1票を勝ち取った。
 少子高齢化社会の今、若者たちにとって、選挙権があるけどないような感じになってると思う。明治時代の女性のように。選挙に行こう!だけでは行こうという気持ちになんかなれない。どうせ・・・て思うから。でも、どうだろう、一人、3票もあったら、ちょっと行く気にならないだろうか。
 そうなると、議員さんたちも、旧統一教会などよりも若者の集まる場に足しげく通うようになるかもしれない。自然と政治が浄化されそうだ。少なくとも、今より。
 
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最後の砦 ホメオパシー

2022年11月12日 | エッセー
 ホメオパシーとは、西洋の漢方薬と言われている。
 なんだかスピチュアル系なにおいがするから、あれはプラシボだという人もいる。魂系を毛嫌いする人たちにとっては、不快でしかないだろう。
 でもね。
 当事者にしてみれば、副作用なく再発しないで治るのならいいじゃんって感じだ。
 私の印象としては、ホメオパシーのレメディがその人の症状とマッチすれば、再発しないという形で治る。
 私も過去に、毎年のように繰り返しかかっていた膀胱炎とカンジダが、ホメオパシーで治って以来、再発していない。
 それまでは、毎年のように抗生剤と抗菌剤で症状は治まっていたけれど、いつかその抗生剤と抗菌剤が効かなくなり、カラダが菌とカビに侵されてしまうのではないかとどこかで恐怖を感じていた。
 それが、一発で本物の治癒をゲットできた。
 40代に入ったころ、頭痛から寝込み吐くという症状が時折出てきた。そのときも、やばい、また、あの頭痛がやって来たと感じた瞬間にホメオパシーで対応したら、寝込まないで仕事もできた。その体験を3回くらいしたら、頭痛とおさらばできた。
 私の頭痛は、右眉頭辺りからの疼きのような感じから始まる。ホメオパシーのレメディ説明書には、いろんなタイプの頭痛のレメディがある。で、私は右眉頭から始まる頭痛のレメディであるArs(アーセニカム)を2~3回舐めた。
 人生、それっきり。

 で、今回。
 4年ほど前の11月4日、熱の出ない寝込み後、朝、目が覚めたら、突如、口の周りが激しくささくれだった。
 近くの内科で診てもらったらヘルペスと言われ薬を処方されたけれど、炎症反応が治まらず,どんどん広がっていく。ついには、ダブルたらこ💋状態まで悪化し、収拾がつかなくなった。
 で、皮膚科を受診すると、怒られた。『原因は今となってはわかりませんが、今の状態は慢性化の入り口のかぶれです。ここまで悪化したら、後が残るかもしれません』と脅かされ、例によって例のごとくステロイド入り軟膏を処方された。
 そりゃぁ、ステロイドですもん。一晩で、見た目はきれいになりまする。
 でも、そうやって見た目を治しても、すぐに再発してしまう。それを3年くらい繰り返し、どうしようと案じていた頃、山一つ越えた隣町に漢方しか処方しないという変人っぽいお爺ちゃんDrの存在を知り、そこへ。
 でも、一旦、口周りの炎症がスタートすると、なかなか漢方の飲み薬だけではよくならなかった。八方ふさがりで結局皮膚科のステロイドが残っていたので、それを塗って見た目を治した。
 でも、それって、やっぱい見た目だけ。
 乾燥の季節の到来とともに再発する。漢方を飲み始めて頻度は減ってきたけれど。
 そんなこんなで悩んでいると行きつけの美容室でボヤいたら、理由はともあれ、皮膚トラブルの現場は、砂漠のように乾燥しているのだから、化粧水(できれば無添加の自然なもの)でもちもちするまで何度も何度もパタパタし、水分を皮膚に浸透させるといいかもとアドバイスをもらった。
 やったー。
 自力で治癒できた。

 💋の炎症の原因はわからない。
 火事の原因はわからなくても、火事が発生すると消火活動をしないと火は消えない。
 火事がすでに起こっている時に、まず、最初に火事の原因究明活動なんてしない。とにかく何でもいいから消火活動だ。
 めちゃくちゃ火が燃え盛っていたら、隣まで燃え移らないように、かなり強力な消火活動をする。
 それと同じか。
 実際、ピリピリして痛痒いような炎症が起こっているときは、水をばんばん投入する。
 それが、化粧水をもちもちするまでタッピングするということ。

 しばらくは、それでクリアしていた。
 しかし、それでも火事が消えないときがあった。
 これは、ダメだ。どうしよう。あ~~、ステロイドに頼りたくはないなぁと例の美容師さんにぐちったら、じゃぁと、彼女お勧めの無添加ジェルを紹介された。保湿効果をアップするという。白いクリームは脂が入っているからよくないそう。
 それで治った。消火できた。

 しかし、今回、9月末ごろより、世の中が少しづつ乾燥し始めるとともに、私の💋も乾燥し始めた。
 そして、ついに、11月1日、また、燃え盛る💋に。
 がんばって化粧水もちもちパッティングに励んだけれど、それでは火事の火が消えず、4日目に突入してしまった。そうだったジェルで治ったことがあったと思い出し、ジェルを投入。
 が、今回は、それでも沈下しない。しまった、手遅れか。10月に入ったら化粧水+ジェルで予防対策を入念にしておくべきだった。しばらく症状が出ていなかったので油断してしまった。
 どうしよう。ステロイドは使いたくないけれど、これは、もう、一度見せかけでもいいから火を消さないとダメかなと判断し、薬局でステロイド入り軟膏を購入した。
 でも、できれば使いたくないなぁと思いめぐらしていたら、ふと、そういえば、20年前、膀胱炎とカンジダと頭痛は、ホメオパシーだと再発しなくなったよな~~ということを思い出した。何事も熱心な信者レベルになれない私は、使い古されたレメディ説明書を本棚から取り出してきた。
 で、レメディの説明書きで、口の周りの炎症性の湿疹にはArs(アーセニカム)と書いてあった。
 私の体質というか抑え込んでいる根本体質にArsが関係しているのかもしれないなぁ。そこが改善しない限り、手を変え品を変え、ではなく、症状を変えて、表に出て来るのかもしれないと思った。
 そして、家にあったArsの小さな小さな白い砂糖玉を30分間隔で3回くらい舐めた。古いので効くかな?とやや不安ではあったが。
 体感であるし、私感に過ぎないと言われるかもしれない。
 でも、確実に、炎症が治まったと実感できた。ピリピリとした痛痒さが消えた。
 そして、燃え盛って隣まで火が移りっていきそうな気配がなくなった。
 Arsを舐める前日、同僚たちに私の燃え盛る💋を見せたら、しかめっ面のびっくり反応だったけれど。
 火事になって2週間でやっと沈下した。
 でも、完全ではない。
 だから、今も一日一粒Arsを舐めている。
 もし、これで、再発しなくなったら、ありがたい。

 Arsは、蕁麻疹・アレルギー・花粉症・風邪で悪寒のある時・ひりひりとする口内炎や皮膚・内側の痔出血・食中毒や不安からくる下痢・吐き気(朝の3時と昼の3時に悪化)・吐き気と下痢・過労で右側の頭痛・やせすぎ・ひどい不安や落ち着きのなさ・健康に対する不安や死に対する恐怖が強い・心配性・強迫観念
などにマッチするレメディ。
 癌の№1レメディでもあるそう。
 私は10年前胃がんになった。

 死にはしない、死なないぞとこの世にしがみつくレメディ。
 体は冷たく、疲労して、体力がないのに、落ち着かず、不安になったり、心配したりする。

 そうかもなぁ。
 私って、すでに高校に入ってから、ずっと、そうだった。
 受験のストレスが、私を蝕み、疲労させ、強迫観念の渦に巻き込んで、疲れているのに眠れなかった。白々と朝日が昇る頃にやっと眠れたと思ったら、すぐに朝がやって来た。その悪循環か、スロージョギングを始めるまで、何十年も疲労体で生きてきた。
 もっと元気にはじけたい。
 休みの日は、いっつも昼寝のことばかり考えてしまう自分が情けない。

 20歳の頃より、ずっと、老人。
 死ぬまでに、一度は、はじけたいなぁ。 
 そのためにも、ぐっすり睡眠力づくりと体力づくりだ。

 
 
 
  
 
 

 
 
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嫉妬されたら、無害者になりましょう

2022年11月05日 | エッセー
『つい他人と比べてしまうあなたが嫉妬心とうまく付き合う本』著者:根本裕幸さんの本を読んだ。

 自覚のない嫉妬は正論というフィルターを通して、攻撃といういじめに変身するんだなぁと私は、身をもって体験して、なぜ、人は苛めるのかという心理が少しだけ理解できていた。

 攻撃されていると感じたときは、『これは、あくまでも、相手自身の問題である』と、アドラーは『課題の分離』をして、私には関係のないことだと一線を引くことが、身を守るために必要であると著者は言っている。
 そして、被害者でもなく、加害者になるでもなく、無害者になろうと提案している。 
 嫉妬心が変形した苛めという被害を被った時、反撃したとたん、自分も加害者になってしまう(もちろん、犯罪レベルの場合は別)。
 反撃に出ると、どうしても、罪悪感を抱いてしまう。そうすると、自分では正当性を感じていたとしても、相手を攻撃したことで、潜在意識の中に罪悪感が芽生えてしまうのだそう。
 『私は被害者なのだ』という意識を持ってしまうと、なかなかその泥沼から抜け出せなくなる。なので、カウンセリングでは、無害者になりましょうと提案するのだそう。
 私も、その渦中であった10年以上の間、めちゃくちゃ泣き寝入り被害者であった。
 
 加害者でもなく、被害者でもなく、無害者になりましょう。
 そのためには、『これは、相手の問題であって、私には関係ない』という『課題の分離』が必要であって、『私は私、相手は相手』という自分軸であることがすごく大事だと。
 やり返すわけでもなく、『ただ、距離を置く』。
 でも、そんなに簡単に傷ついた気持ちを癒すなんてできそうにないなと思ったら、その時に溢れ出た怒りや哀しみや寂しさ、悔しさ、失望、不信感などの様々な感情を、『自分の感情に責任を持つ』ために、『御恨みノート』に書いて吐き出したり、人に聞いてもらったりして解放していきましょう。こうして、無害者であることを選択し続けることにより、嫉妬されて傷ついた心は一早く回復し、より一層成長して大人になりますよと著者は助言している。

 相手のリングに上がらず、『戦わない強さ』を持とう
 嫉妬の基本に立ち返ってみれば、『相手はあなたに魅力や価値を感じていて、それが羨ましい』わけですね。
 そこに別の潜在的なネガティブ感情が加わることで、あなたに攻撃してきたり、嫌みを言ってきたりする。これは、見方を変えると、深層心理では、あなたのことをほめているとも受け取れます。

 だって。


 これは、難易度マックスか。
 皮肉を言われたときに、『貴重な意見をありがとう。』などと答えると、相手は何も言えなくなるという。

 かなり、高等なテクニックだ。
 『ありがとう』で嫌味の攻撃力を封じるのだという。

 テクニックだけでは、ありがとうなんてとても言えないレベル。羽生弓弦君レベルか。
 日々の並々ならぬ練習の末勝ち取れるくらい難易度が高い。

 最後に、『嫉妬が絡んだ攻撃に負けない心』をつくるために大切なことが書かれてあった。

 自己肯定感を高める・・・だって。

 これが、めっぽう難しい。
 
 思春期の頃、劣等感だらけで自信が全くなかった私は、自己肯定感なる言葉はその頃存在していなかったけれど、きっと、めちゃくちゃ低かったはず。
 なぜ、あんなに自信がなかったかというと、好きなことがなかったから。好きなことを我慢してできなかったのではなく、ワクワクするようなことや好きなことがなかった。
 唯一、片思いの時間だけが好きなことの時間だったと今、思う。あのチラッと姿をみれただけで、胸がキュンとする、その時間だけが、私らしかったかなぁ。
 あとは、好きでもないのにやらされたうえに、やってしまうがゆえに、よい結果を出すために、好きでもないのにやらざるを得ない・・・みたいな人生だった。強迫観念で勉強していた。
 親が脅迫したわけではない。学校というシステムに洗脳されていたのだと思う。通信簿とか順位とか偏差値とかにいつの間にか洗脳されていた。親も洗脳されているから、2世?
 うちの親は、勉強しなさいなんて一度も言わなかったから、統一教会の2世のような苦しみは感じなかった。でも、疑問ももてなかった。
 
 私の自信のなさは、好きなこと夢中になれることが何もなかったという1点に尽きると思う。勉強第一という洗脳世界で。
 
 もう一つは、容姿か。
 好きなことに夢中になれたら、容姿って、そこまで劣等感に響いてこないと思う。でも、好きなことに夢中になれることがない人間でも、見た目がよかったら自信をもてるかもしれない。その自信は仮面自信だけど、ないよりはるかにましだ。ワクワク感が湧いてくるから。
 今どきの子は、ネットで、キレイになれるテクニックの情報量が半端ないから、キレイへの投資の熱意もすごい。
 男の子も。
 個人差あるけれど。
 あれって、自己肯定感を高めんとしているのかなと、今、気づいた。
 だとしたら、やまんばギャルも整形も脱毛男子も温かく見守ろう。それで、かりそめでも自己肯定感が高まるのなら御の字だ。

 
 本物の自己肯定感は、容姿を乗り越えたところにあるとは思う。
 でも、20歳前後の頃は、仕事も任されていない頃。かりそめの自己肯定感アップ術で乗り切らないと、潰れてしまう。

 人生は、かりそめの自己肯定感という綱の綱渡り。
 そして、おそらく、本物の自己肯定感を手に入れた時に、その綱から解放される。
 私の育ちのなかで、親がこうしてくれたら、私の自己肯定感はもっと高くできたはずなのに…と恨めしく思うことが一つある。
 

 
 
 
 
 

 













 


















  








































 
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うつ病は重症でも2週間で治る、もし・・・

2022年11月03日 | エッセー
本屋さんで、そのワンフレーズが刺さって、つい買ってしまった。
加藤諦三さんの本。
そのワンフレーズとは『うつ病は、重症でも2週間で治る、もし・・・・・。』
と、アドラーが述べた言葉。

 もし・・・の後の言葉が、刺さった。
 やっぱりね。
 そうだよね。
 おそらく、人生ってそういうこと。
 生きる意味ってそういうこと。

『もし、毎朝、あなたがまず最初にすることが、どうしたら人を本当に喜ばせてあげることができるかと考えることであり、そしてそれに固執すれば』

 固執するんかい?

 もう、めちゃくちゃ刺さった。

 おそらく、うつ病に限らず、そんな人になれたら、病気しないかも。

 よいと頭ではわかっているので、毎朝、お線香炊いて、今日こそ、人に役に立つことだけ、喜んでもらえることだけを考えることに専念するぞ!と手を合わせているけれど、そう念じながら、新人のマイナス評価をしてしまっている情けない自分がいる。
 全然、固執できない。油断すると、マイナス評価に固執してしまう。いえいえ、油断しなくてもすぐマイナス評価に脳みそが支配されてしまう。
 残念な生活習慣病である。

 自分では、ネガティブ思考だとはちっとも思っていない。
 でも、油断すると他者のマイナス点が直ぐ目についてしまう。目についても結構流せてきたかなとは思う。でも、そこに喜んでもらおうというような気持は同居していない。
 家の主人はマイナス評価人で、そこに、ちょこっと喜んでもらい人が居候させてもらっているような脳みそだと思う。
 そうじゃなくて、喜んでもらい人が主人で、マイナス評価人がちょこっと居候しているような脳みそにならいと、『病気』は、私という家からサヨナラしてくれないのかもしれない。

 それにしても、固執か・・・・。
 なるほど。
 固執とは、寝ても覚めてもそのことを考えてしまうという感じか。
 朝、起きた瞬間に、条件反射的に『どうしたら誰かを本当に喜ばせてあげられるか』が浮かんでくるためには、悪い夢なんか見てられない。そして、寝る前にも嫌なことなんか考えてしまっていたら、きっと、悪い夢を見やすくなりそう。だから、寝る前、寝付くその時に、明日は誰をどうやって本当に喜ばそうかと考えながら寝入らないと、朝、パチッと目が覚めたときに、パッと喜びの閃きなんて浮かんでくるはずがない。
 結局、朝、起きた時に本当に喜んでもらうことを考える条件反射ができるためには、四六時中、誰かを喜ばすことを考えている脳みそにしないとダメってことだ。

 そういう親のいる家庭に育った人は、おそらく、人を本当に喜ばすことが、水を得た魚のように脳みそに浸透していて、シアワセな人生を当たり前のように享受しちゃえるかもしれない。
 そんな親ってほとんどいないんじゃないだろうか。だから、ほとんどの人が親ガチャだと思う。みな、生きていくことに必死だ。
 わが子にとっても、私は親ガチャだ。夫はめちゃくちゃ親ガチャガチャだ。
 すまんのう~~~。
 

 褒めて伸ばす教育って、好みではないけれど。だって、どうも褒めるじゃなくておだてるに近いような感じがするから。
 口先人間っぽいし。
 人の悪口とかうわさ話をするような人が、わが子だけ褒めて育てているとしたら、うそっぽい。

 人間関係などの研修で、講師が、同僚とか部下のいいところを褒めてとおっしゃる。そして、私を苛めて(もちろん、本人はちっともそう思っていない)いた先輩も、褒めるを推奨する講師の話に感動し、褒めましょうと復命していた。その日に、私は苛められたと感じる言葉を放たれた。

 私も含めて、脳みそが評価に浸食されているような人間が褒めるのは、褒めるではなく、おだてるだ。
 というか、そもそも褒めるって評価じゃん。

 もしかしたら、褒めてもいけないかもしれない。
 褒めるという言葉は、四六時中、人を本当に喜ばさんとするような人だけが使っていい言葉かもしれない。

 褒めて、子どもは本当に喜ぶのだろうか。喜ぶけれど、本当に喜ぶのだろうか。なんだか、おだてられているのに喜んでいる子どもの心は、もしかしたら、スーッと隙間風が吹いているかもしれない。無意識レベルでは。

 非行少年の神様 という本の著者が、ずっと警察でいわゆる非行少年たちとの出会いの体験の中で、彼らには共通点が一つあったと書いていらっしゃる。

 彼らには母との添い寝の体験がなかった。

 幸せな気持ちで安心して眠りにつく。
  
 そうだよね。
 寝る直前が、母の安心感に包まれて幸せなら、寝ている間、ずっと、安心感に包まれて、朝起きた瞬間も幸せだ。
 寝る前の黄金タイムって言われていたけれど、本当なんだなって改めて痛感した。
 寝る前の母の添い寝がなかったということは、他の朝ご飯を食べさせてもらえないとか夫婦喧嘩が耐えないとか暴力とかそういうものよりもはるかに凌駕するほどの隙間風体験なのだ。
 寝る前、ムギューっと抱きしめて、目を見て『世界で一番大好きよ。生まれてきてくれてありがとう。』と言って、また、ムギューとしてから電気を消す。(もちろん、世界一という言葉は、他の兄弟がいたら禁句)
 その前に、夢拡がるような絵本とか子どものいろんな気持ちを代弁してくれるような絵本などを読んでもらえたら、もっといいはず。

 私に絶対的に足りないものが、まさにこれだ。
 だから、病気というか不定愁訴のオンパレード人生。
 
 これから20年。それなりに元気でいたい。
 元気の源は、青汁ってCMしているけれど、元気の源は、四六時中、本当に喜ばすことだけを思い描ける無意識レベルを手にすることか。
 まぁ、無意識レベルは至難の業なので、まずは、せめて寝る前に、日記をつける癖をつけたい。字も下手なのも手伝って三日坊主。
 まずは、イヤなこともいいことも目いっぱい書きだして、最後に、どうしたら喜んでもらえるかコーナーを設置して、書く。
 を、とにかく、続けるぞ。
 今日から。
 

  
 
 
 
 
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