それ、相談ではありません。
他人を思いどおりにしたいだけ。
の本を読んでから、自分の心に発生するざわざわとかもやもやという感情を吟味するようになれた。
今までは、ざわざわとかもやもやとした違和感は直行で、自分と違う意見で敵対感情が湧いて来ていた。もちろん、顔の表情には出ないように抑えていたけれど・・・。
これって、実は、自分が正しく相手が間違っているという構図のグラディエーション。純粋に相手は自分と違う意見であるというとらえ方は全然していない。
私は桔梗(私の好きな花です)で相手は薔薇という認識ではなく、私は桔梗で相手は名もなき雑草の花というような認識だった。ごめんなさい。
おそらく、私は、そんなオーラをどこかで醸し出して生きてきたかもしれない・・・と今、猛反省中。
処世術なのかどうかはわからないけれど、私は、薔薇の花のように自分(桔梗)より強いパワーで訴えてくる人の意見に対しては、よほどのことがない限り、百歩譲るというスタンスで生きてきた。そうすると、怒りの感情がそんなに醸造されないような気がしたから。
そして、ここ最近、ちょっといい感じになってきた。
冒頭の小林正観さんの言葉は、心がざわざわした時に、非常に有効な呪文になりつつある。
今の私のざわざわは、相手は自分と同じ意見、あるいは価値観ではないと認識し、なんだか自分自身を否定されたようなネガティブな気分になったのだととらえられるようになれた。徐々にではあるが、ざわざわの感情の明確化に成功しつつある。
自分を全否定されたような気持ちは、最も自分を傷つける。
全否定されて傷つくのを避けるために、相手が自分の期待通りの答えを返してくれない時に、野の花扱いしてしまうのかもしれない。
自分を全否定されて傷つかないために、相手を自分の思い通りにしたいのだ。きっと・・。
最近は、ざわざわした時に、深呼吸して、『それ、相談ではありません。相手を自分の思い通りにしたいだけです。』と呪文を唱えるように意識している。
そんな意識で1日を過ごしていくと、いやはや、他者との関係で発生するマイナスな感情の全てが、相手が自分の意に添わない場合で、実は、もう、笑っちゃうくらい意に添わないことだらけだと気づいた。
これは、もしかしたら、ひょっとして、無意識レベルではかなりなストレスを蓄積しているのかも・・・とぞっとした。
何ごとも、我慢はいけません。
最近は、結構、イヤなことはイヤと言えるようになり、我慢しない生活を選択できるようになってきたと自負していたけれど、なんのなんの他人を思いどおりにできないという負の感情は、私の地下心の世界ではめちゃくちゃ蠢いているのだと自覚できた。
小林正観さん、ありがとう。
おめでとう。
根本的な発想の転換の時期が、ついに、やっと、私に訪れた。
今まで、頭ではわかっていた。
でも、心ではわかっていなかった。
金子みすずさんの
みんな違ってみんないい。
への道は、まだ遠い。