総合漢方にんぷ薬・総合漢方育児薬

~頭を使ってではなく、カラダ(感性)で子育てしてみませんか~

「自分の『小さな箱』から脱出する方法」を読んだ。

2021年08月23日 | エッセー
 最初に、パッと思いついたことをする人間になりたい。あるいは、さっと手の出せる人間になりたい。

 20代の頃、打算まみれな自分がめっちゃ嫌だった。自分という人間性の理想と現実のギャップにがっくりしまくりだった。
 あれから、30年。
 少しは、そのギャップが埋まっただろうか。

 自信はない。

 でも、その思いはさびついてはいない。

 だって、お題が山ほど天から降ってきたから。
 今、この本を読み終わって、すべてが繋がった。

 人生の最終章に入ろうとしている今、この本に出逢えた奇跡に感謝している。図書館で、誰かが借りて返した本の一時保管棚にあったこの緑色の本に目が留まって、何気に借りたこの一冊の本が、ひょっとしてひょとしたら、私の人生を明るく照らす本になりそうな予感。
 まず、形から入る・・・。
 夫に対して、まず、行動の生活習慣化をはかることで、私の心に慈悲のココロが芽生えてくれるのではないかという淡い期待から、深呼吸して、優しい言葉をかけんと決意した、まさに、その時に、この本と出逢えた。
 チガウノダ。
 偽善は、相手の心にお見通し。
 行動を変えても、慈悲の上に立った行動でなければ、相手には伝わらない。人は、それを、偽善と呼ぶ。
 
 この作者は、アメリカ人。
 慈悲という言葉は知らない。
 彼は、それを、箱の外にいる という言葉でわかりやすく表現してくれた。
 人は、箱の中にいる時、人を物として見ているという。そして、人は箱の中にいる限り、いくら、カウンセリングとかコミュニケーションスキルなどを学んでも、光の方向には導かれない。暗闇に導かれる。相手を何とかしようと思って磨くスキルであるかぎり、効果は期待できない・・・と。
 しかし、箱の外から、人を見るときは人間として見ている。だから、箱の外にいて、カウンセリングとかさまざまなスキルを学ぶとき、ダイヤモンドのように光り輝く。

 自分が、今、箱の中にいるか、外にいるか。
 簡単にわかる方法があるという。

 『人は、非難したり批判しているとき、誰かを責めているときは、必ず、箱の中にいる』  のだそう。

 ということは、自分は正しいと思っている限り、箱の中にいる。あるいは、相手は間違っていると思っている限りは、箱の中。

 もしかしたら、自分にも非があるかも・・・という謙虚な気持ちになっているときは、小さい箱から脱出するチャンスだ。

 自分は正しいという判断を下すプロセスには、必ず、思考を使って頭の中で計算している。自分が今まで培ってきた世間の目や常識と呼ばれる規範や親から伝授した価値観に加えて、嫉妬心とか確執とかそれをしない言い訳など諸々を足したり引いたりかけたり割ったりした結果の正しいだ。
 もう、全然、純白でない。どす黒いったらありゃしない。
 どす黒い正しさを晴れ渡った青空のように正しいと言い切れる人ほど、箱の中の奥深くに凄んでいるかもしれない。

 それにしても、人を批判している時って、相手を人間として見ていない、物としか見ていないという表現は、衝撃的だった。

 相手を変えようと思っている時も、人間として見ていないとも書いてあった。
 箱の中にいるときは、みな、自分のことしか考えていないとも書いてあったぞ。

 私、ヤバいかも。

 結構、箱の中人間。
 イヤなことをされた時、どうしてこの人はこんないじわるを言うのだろう?どうして?どうして?とずっと、そのことばかり考えていた。
 でも、今なら、少し、わかる。
 その前に、私が、その人のことを人間として見ていなかったかもしれない。尊敬できないけれど、人間として尊重もしていなかった・・・かも。
 そう。私って、そういうところがあるかもって、今、気づいた。尊敬できないって感じたら、物として見てしまう傾向がある?
 尊敬できる人を尊重し、尊敬できない人は尊重しないようなところがあるかも。
 私は、誰かを尊敬できるときって、とても幸せな気持ちになる。自分で自分を尊敬できないからかな?
 
 そういう空気感って、きっと、伝わるのだ。
 私を苛めにかかる人にも、人間としての歴史や生活や感情がある。一人の人間として生きている。尊敬できないから尊重しないという私の気配は、それすらも、否定しているような空気感を醸し出していたかもしれない。だから、私は彼女の格好の餌食になった?
 彼女が苛める前に、彼女を人間として尊重していない雰囲気を、彼女の無意識の心はマイナスな空気感(好感度の反対)としてうっすらとキャッチし、なんとなくイヤな奴だと認識し、彼女の八つ当たりの餌食に選ばれたのかもしれない。もちろん、苛めるなんて彼女は微塵も思っていない。自分に罪悪感を持たないですむよう、私は正しいという白黒はっきりしたスタンスで責めてくるスキルを身に着けて生きてきたから。
 とにかく、私は、つるんでトイレに行くとか陰口を言う女子グループのそばにいるのは嫌だった。そういう女子たちを心の中で軽蔑していたと思う。軽蔑と批判は同じグループだ。心の奥にある軽蔑する心は、きっと、雰囲気として伝わっていたのだと思う。

 人を尊重するって、難易度高い。

 きっと、わたしは、LGBTとか人種とか学歴とかそういう分類で差別することはそんなにないような気がする。でも、その人のいないところで陰口を言う人とかエリート意識のニオウ人は尊敬できない。愚痴をこぼすのはいい。人間だもの。人の陰口ばっかり言う人は、おそらく、人として差別してしまうかもしれない。
 残念な私だ。
 ただ、私は、今、箱の中にいる?箱の外にいる?という問いかけはできる。
 日々、自分に問いかけ続ける癖を身に着けるだけでも、尊敬はできなくても、人を人として尊重せんと自分に働きかけることは不可能ではない。

 この本は、箱の外で活動していくと、箱の中にいる人たちも、人間として尊重されているという空気の中で、時々箱の外に出れるようになってくるらしい。
 そうすると、人は初めて光り輝き出す・・・らしい。
 
 
 実は、箱の外にパッと出れるてっとり早いというか唯一のすご技があるとこの本は言う。

 

 
 
 
 
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苦しみは、他人を変えようとすることから生れる。

2021年08月22日 | エッセー
と、斎藤環Drの『ひきこもりはなぜ「治る」か』という本にそう書いてあった。

 というか、以前、その本を読んで刺さった言葉をノートにメモしていたノートをめくったら、太文字で赤で私が、そう書いていた。
 すぐ忘れる。
 すぐ、相手を変えようとシタガル自分にトホホだ。

 今の私の苦しみも、元をたどれば、相手を変えたいけど、なかなか変わってくれない現状に落胆し、相手を嫌う感情に支配されているせい・・・?

 どんな正当な理由があっても、本人だけが努力を強いられるような関係性はアンフェアです。
 本人に変わってもらいたければ、まず、家族が変ること。
 公正なルールに基づいて、本人の権利と意見を尊重し、まず、家族が率先して変わって見せること。
 そういう努力を続けるうちに、少しずつ、本人にも変化の兆しが見えてくるでしょう。

 語り合う関係の中にだけ、他者は存在します。
 言葉を交わさずとも、以心伝心だけを受け入れていると、簡単に退行、つまり、子ども返りが起こりやすくなる。

 そうか。
 例えば、私が職場でいじめを受けていたあの頃、苦しかった。正義の名のもとに容赦なく刃物のような言葉を刺してくる相手を変えようとは思うわけもなく、必死で、かわいそうな人だと思うようにしていたけれど、突きさす言葉は私の胃まで蝕んでいった。
 今、考えると、その人と語り合う関係性なんて微塵もなかった。怖くて、言いたいことが言えなかったし・・・。
 私を苛めたその人は、他者ではなかったのか。ただの爆弾だった?
 私が、勇気を出して、イヤだと言わなかったから、他者にならなかったのか。
 問題が起こった時、その相手を、ちゃんと他者として存在させない限り、何もスタートしないのかもしれない。 
 
 私のこの体験は、相手が強く、私が弱い関係性から来ている。
 では、どうだろう。
 子どもと親との関係性。

 親は、一般論と言う正義の名のもとに子どもを知ってか知らずしてか苛めていないだろうか?
 言い返せない子どもは、ひきこもるしかないのかもしれない。

 そうか。

 親は、まず、一般論という正義から抜け出すということで変わる必要がありそうだ。進学とか就職とかへの一般的な正論から・・。
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卵アレルギー初耳学

2021年08月13日 | エッセー
 先日の離乳食で卵開始前の新米ママからの電話相談。

 人生、初耳で驚いた。

 ここ最近、2回ほどあった。
 卵料理を作って、さっと、流水で流してから、赤ちゃんを抱っこしたら、抱っこしたママの手の跡の赤ちゃんの皮膚が湿疹に。これって、卵アレルギーでしょうか?そろそろ卵も与えようと思っていたところなんですが、与えて大丈夫でしょうか?

 保健師になって35年、初めて聞いた。さっと流水で洗った手で?とびっくり。
 お勉強させてください。と言って、電話を切った。

 調べました。

 アレルギーは、鶏が先か卵が先か。
 否、卵アレルギーは、乳児湿疹が先か卵が先か・・・。

 最近、小児科の先生は、1に保湿2に保湿、3,4がなくて、5に保湿というくらい、アトピー予防に保湿にうるさい。
 それは、単に皮膚のケアとして、有効であって、ステロイドの悪循環に陥りたくないママたちにとって朗報であった。
 ・・・と、私は解釈していた。

 しかし、どうやら、それだけではない、というか、アンビリーバブルなアトピー最新情報に出逢ってしまった。

 乳児湿疹になると、皮膚が荒れる。
 荒れた皮膚から、ママが触った卵の卵液ちょびっととか、スクランブルエッグのちょびっとなどが、赤ちゃんの皮膚の内部にまで侵入する。
 すると、そこで、抗原抗体反応が起きてしまう。

 アレルギーの素地ができてしまう。

 離乳食の卵の第一歩は、かた~~~く茹でた卵黄から始まる。かた~~~く茹でることで、卵のたんぱく質の構造がバラバラになって、赤ちゃんの免疫は卵のたんぱくとして認識できない。免疫は認識できないけれど、すい臓は、卵のたんぱく質という初めてのたんぱく質に対して、消化酵素を作ろうというスイッチがオンになる。膵臓が消化酵素を作る機能をスイッチオンにするためには、生後7か月ごろという適齢期に卵を与えるということが、非常に重要なのだそう。以前は、除去食ありきであったが、今は、かた~~~く茹でた卵黄を耳かき1杯与えて4日くらい様子を見て、どうもなければ、耳かき2杯・・・・という感じで、少しづつ増やしていき、すい臓からちゃんと消化酵素が出るように応援していく。そして、最後は、卵白という難易度の高いたんぱく質を分解できるよう、すい臓を鍛えていく。

 筋トレならぬ、膵トレ。
 
 筋トレもいきなり、腹筋100回なんてできるわけがない。
 まずは、10回から?

 個人差も大きい。
 わたしなんか、恥ずかしながら、人生でまだ、1回も腹筋できたことがない。誰かに足をつかんでもらわないとできない。

 おそらく、赤ちゃんの膵臓も個人差がある。
 早く生まれた赤ちゃんは、少し、遅らせないと、生後7か月で与えたら、フライイングになってしまう。

 時代は変わる。

 除去食の時代から、かたゆで耳かき1杯の時代になり、保湿の時代に。草食動物の糞(大腸菌)と触れ合う時代から、今は、乳児湿疹などで傷ついた皮膚にさせない時代に。
 随分、進化、否、変化したものだ。

 ネットで、新潟のアレルギー専門小児科医の記事があって、もっと、びっくりした。
 乳児湿疹などで傷ついた皮膚から侵入したアレルゲンにより、アトピーとなった場合、生的な卵は、すべてNGなんだそう。
 全てとは、家族全員も含まれるという。
 パパがスクランブルエッグを食べたあとに、チューするなんてもってのほかで、おしゃべりしながら食べても、そのつばに生っぽい卵のたんぱく質が少しでも残っていると、飛び散ってアウト。
 小児科医のアドバイスのもと、離乳食をかたゆで卵から初めて、生っぽいものも食べてもOK になったら、晴れて家族も堂々とスクランブルエッグを許可される・・・という。

 
 え~~~、生っぽい卵を触ってもNG,しゃべってもNGだなんて。相談されたママなんて、一応、ささっと流水で洗い流したのに、手形がついたわけで、物凄く鋭敏な抗原抗体反応だ。
 このママに生後2~3か月の頃、乳児湿疹が出ましたか?乾燥肌でしたか?とお聞きしようと思う。

 皮膚のバリアーを守ってあげることは、もしかしたら、とてつもなく重要なママの任務なのかもしれない。

  乳児湿疹の出る赤ちゃんと出ない赤ちゃんがいる。この差って何ですか?

 肝臓の大きな働きの一つに、解毒がある。
 赤ちゃんの肝臓は、まだまだ未熟だ。15歳くらいで成熟すると言われている。妊娠中は、ママの肝臓を通過解毒された血液が胎盤から赤ちゃんに補給される。しかし、お産後は、自力で解毒しなければならない。
 もし、ママが深く考えないで、甘いものや揚げ物やお肉、添加物、農薬など、肝臓が毒とみなす食べ物を日常的に食べていたら、あるいは、母乳でお腹が空くからと食べ過ぎていたら・・。そんなママの母乳は、結構、赤ちゃんの肝臓にとってはしんどい母乳になる。
 まだまだ未熟な赤ちゃんの肝臓は、必死に解毒しようとする。でも、赤ちゃんの肝臓に見合わない量の砂糖や脂やたんぱく質、添加物などが母乳に含まれていたら、人間は、肝臓の代わりに皮膚から毒を出そうとする。
 結果、乳児湿疹となる。
 なので、乳児湿疹にさせないためには、ママが野菜たっぷりのあっさり和食、腹八分を意識した食生活をすることが、まず、第一にできることとなる。そうそう、果物も摂りすぎると、やはり、糖分の摂りすぎになる。例えば、ミカン3個が一日の適量だそう.。
 ミルクでも乳児湿疹になる赤ちゃんがいる。
 おそらく、妊娠中のママの食事も影響しているかもしれない。つわりが落ち着いたら、できるだけ、あっさり和食派ママでいた方がいいと思う。第1子は、ママがママになるはるか前から食べてきた結果の諸々がカラダに宿るので、ママのお掃除的な役回りを背負って生まれてくるという説もあるくらい。
 だとすると、女の子の母親は、だからこそ、野菜たっぷりあっさり和食な料理を意識して作ってほ諸々がだって、一生分の卵子はすでに赤ちゃんの時から存在しているのだから。もちろん、〇〇すべきとか〇〇しなければならないというようなギスギスしたものが、せっかくの楽しみな食事に悪影響を及ぼさない程度に・・・ね。
 そうやって考えると、女子に比べたら、男子が野菜をあまり好まないのもわからないでもない。女子は、好むと好まざるとにかかわらず、将来、赤ちゃんを産み、繋いでいく運命になる可能性があるのだから。野菜に含まれるビタミン・ミネラルが、赤ちゃんの細胞を作っていく重要な栄養素になる。
 給食センターの栄養士さんが言っていた。
 給食には、毎日、必ず、ニンジンを入れるようにしている。量は少なくても。それくらい、細胞を作るのに大事な野菜だと。

 妊娠したら、ストレスが溜まらない程度に、できる努力はしてみた方が、あとからのことを考えるといいのかなぁってしみじみ。
 どっちにしても、赤ちゃんが乳児湿疹にならないような食事って、実は、本物の健康食で、人間のカラダにとって、最も好ましい食事であることは間違いない。もし、その食事がストレスの元ににならないのであれば、時々無礼講しつつも、基本は妊娠、授乳中の食事を一生の友にできたらいいのかもと思った。
 赤ちゃんが、カラダを張って教えてくれている。
 湿疹という形で・・・。
 そう考えると、男性って、そんなチャンスがない分、偏食しやすく、生活習慣病にもなりやすくなる?

 それにしても、10年ひと昔とはよく言ったもの。
 まさか、アレルギーの第一原因が、乳児湿疹などの皮膚トラブルだったなんて・・・。

 ただ、4年前、寝込み風邪直後に突如現れた口周りの重症レベルささくれ発症後の顛末を体験した私は、おそらく、他の誰よりも、乳児湿疹という黄色信号の意味をママたちに伝えたい。そして、皮膚バリヤーを守る保湿方法を伝えたい。

 でもね。
 コロナウイルスは、接触した皮膚から、感染することはほとんどないんだって。少々荒れていても。
 一番表面の皮膚って、死んでいるっていうような細胞だそうで、ウイルスは生きた細胞の中でしか生きていけないので、死んだ細胞には取り付かないし、取り付けない。
 って、仙台の国立病院の感染症専門医の先生の本に書いてあった。

 生卵は荒れた皮膚の隙間から体内に侵入して、抗原を作ってしまい、結果、その後にアレルギー反応を起こしやすい素地を作るけれど、ウイルスは侵入しない。面白いな。
 
 
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振り向けばママ=愛

2021年08月07日 | エッセー
 突然ですが、占ってもいいですかのゲストに子役のせい欄ちゃんという16歳の女の子が出ていた。占い師の男性が、あなたは3回大病しますよって。彼女、中2のときに、一度、腸重積になって手術をしたそう。術後1週間は何も食べれなかったと言った。
 あなたは、今まで、言いたいことをずっと押し殺して生きてきた。今からは、自分の本音を言うようにしてください。と助言。
 特に、こどもの病気って、言葉にできない分、体に出やすいかも。だから、子どもが病気をしたときは、わがまま言わせないと・・・ね。子どもの病気と自己主張は反比例の関係かもしれないから。
 共働きになると、ママもなかなか仕事を休めない。でも、病気の時だけは、頑張って、ママがそばにいて、わがまま言わせてあげれるようなあたたかいシステムが必須だと改めて感じた。
 たぶん、風邪もインフルエンザもコロナも、子どもがかかったら、言いたいことが言えてないよ、我慢しているよっていう、ママを求めるココロの叫びの可能性が大きい。
 子どもが入院となると、ママは大変だ。上の子を誰がみる?ってなるし。もし、ママが重要なポストにいて期限が迫っていたら?
 でも、入院レベルになると、自ずと、ママがずっとそばにつきっきりでいてくれる。こんな最高なことはない。しかも、二人っきりのラブラブ状態。いつも、お姉ちゃんも一緒で二人っきりのラブラブができてなかった欲求不満も、入院期間中は、振り向けばママ状態のてんこ盛りだ。ママは何だって言うことを聞いてくれる。
 子どもにとって、入院は、振り向けば愛。

 くれぐれも、スマホばっかりいじらないように。

 今まで、乳幼児健診で、RSで1週間入院しました・・なんて聞くと、『大変でしたね。ママも仕事を休まないといけないし、上の子はどうしました?』なんて言っていた。
 でも、今からは、『ママに甘えられて本当によかったね。』って言ってあげたい。
 逆に言えば、バリバリキャリアママで、お仕事を1週間も休めないっていうママは、月に1回でもいいから、どの子とも二人っきりのラブラブを、つまり、振り向けばママ=愛な時間を半日でも持ってあげるといいのかも。ただしおうちはNGです。ラブラブデート何だもの。その子が一番喜ぶところでなくっちゃ。おうちだとつまんないし、ママの頭の中に、夕飯何にしようとかテレビの後ろを掃除したいな・・・なんていう邪な感情が湧いてくるから。
 せっかく、産んだんだもの。
 1対1の非日常のラブラブをお誕生日にプレゼントしよう!
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