おちるには、落ちる・堕ちる・墜ちるという三つの漢字がある。
今の日本は、そのどれもに該当しそうで、息子たちの人生を思うと切なくなる。今から、10年後、20年後の日本はどうなっているんだろう?もはや、30年後は世界も混とんとしていそうで、想像できない。
そう考えれば、団塊の世代の方々が一番幸せな時代を生きたんじゃないだろうか。高度成長時代とともに生きた人たちだ。
なんだか、空気が活気に満ちていた。その空気だけで元気になれた。つまり、自分自身のエネルギーが少なくても、活気という空気を自動的に吸えて生きていけた。結果、生きる意味というものを真剣に考える必要性がそんなになかったんじゃないだろうか。
しかし、令和時代に生まれた子どもたちは、その空気がげんなりしている。高齢者が多いというだけでエネルギー量は低くなるうえに、日本の経済が急降下している。そんなげんなりの中で生きるんだ。エネルギーを自家発電しないと生きにくい。
自家発電できる人に育ててあげることも子育て支援の一つかもしれないと思う今日この頃。
夢を実現させるというようなことが生きる意味だというような空気の中で、団塊の世代の一回り下の世代の私は生きてきた。
当たり前のように、小学校や中学校で将来の夢なんていう目標を書かされていた。
最近の子どもたちの将来なりたい職業は、公務員が1位だそう。中学生のみならず小学生でも。ちょっと前までは、ユーチューバーだったのに。
このおちていく日本で、にもかかわらず、人生を楽しむ力を子どもたちに与えてあげたい。
人が人と出逢う中で、化学反応を起こして、なんだか陽だまりのようにジーンと温かいものを感じれる体験で、人は結構生きていけるような気がする。
そんなおばちゃんになりたいなぁ。
たぶん、高齢者がもっと人に優しくなれたら、そのあったかい空気が、若者の心に自家発電をさせる力に転換されるんじゃないかなぁ。
そのためには、老後の経済的不安を100%なくすことだと思う。
何が起こっても、最低限人権が尊重される形で介護費用なく暮らしていけるという保障さえあれば、安心して自分のこと以外に何かしようという気持ちになれる人もいるはず。
なのに、高齢者の医療費の自己負担は増えるし、年金もひょっとしたら70歳から受給なんてことにもなりかねない。
私の周りでは、長生きしたくないという声が多い。
時代は変わった。
人口比の多い高齢者の自分が食って生きていくのに精いっぱいという空気の蔓延は、若者に伝染してしまいそうでこわい。
安心という空気をどれだけ作れるか。
今からの日本に必要な目標かもしれない。
私が結婚する時代に、老後の不安なんて考えたこともなかったのに、今の若者は年金をもらえないかもしれないという不安をすでに知ってしまった。
結婚する前に老後の不安を抱えている。