母が壊れかけた事件の前に、まず、子猫事件のことを書きます。母が、なぜだか、ペットと長男というワードだけを拾って収拾がつかなくなってしまったので。
金曜日の夕方7時すぎ、仕事から帰ったら四男が子猫をひろってきていた。
段ボールの中にタオルを敷き詰めて、その中で、子猫が『みゃーみゃー』『みゃーみゃー』鳴いていた。まだ、目も開いていない。どう見ても、生まれて2~3日しかたっていないって感じの赤ちゃん猫だ。帰り道、水たまりにいたのだそう。友達が、朝、学校に行く途中に水たまりで見つけて、気になって帰りにその水たまりを見たら、まだ、いたという。その友達は、お母さんに飼ってはいけないと強く言われているらしく、四男が連れて帰ってきたらしい。
そりゃぁ、不憫だ。
でも、不憫だからといって、なんでもありというわけにはいかない。2匹も飼えない。だいたい、ぷーちゃんの兄弟分のあの猫ちゃんも気になっているところに、もう1匹なんて。というか、生まれたばっかりの子猫には、少なくとも2週間くらいは、母親が必要なのだそう。土日は何とか面倒を見れても、平日はどうするの?誰も見る人いないじゃん・・・。どだい無理な話なのだ。同情と愛情。中途半端では猫がかわいそう。同情なんかじゃ、子猫を救えない。かといって、元いた場所に置き去りにすることが愛情というわけなはずもない。
切なくつらい選択しかない・・という現実。
明日まで待って・・と懇願する四男に負けてしまった。
そして、翌日。土曜日。
私は、用があって終日家にいなかった。夕方、家に帰ると、ずっと、四男がつきっきりで世話していたらしく、しばらく、世話を交代してくれとせがんだ。昨夜、スプーンでも牛乳を飲んでくれず、指に牛乳をつけて舐めさせていたけれど、そうだ、スポイトでちゅっと注入したら飲んでくれるかもと思い立ち、夜、10時前に車で15分の量販店に駆け込んだ。しかし、スポイトは売っていなかった。仕方なく、帰ろうとしたら『あ、そうだ。あれがあった。』と思いつき,お弁当グッズ売り場へ。醤油小出しではどうだろうかと閃いた。
しかし、やっぱりだめだった。仕方なく、指で地道に飲ませた。でも、大した量じゃない。明日の朝まで命がもつだろうか・・・。そう思いながら、土曜日の朝を迎えた。四男が一晩中、いっしょにいて看病っぽいことをしていた。私はというと、『みゃー、みゃー』と結構鳴くので眠れそうにないと思って、1階で寝た。
四男に、『お母さんは、あなたの世話でいっぱいいっぱい。毎朝、あなたとギャーギャー言い合うだけで一日のエネルギーを使い果たしているんだから。子猫の面倒は、あなたが拾ってきたのだから、あなたがみなさい。』と四男に責任というボールを投げつけた。
同情は愛ではない・・ということを、同情だけでは生まれたての子猫の命を守れないということを体験してほしいと願った。
朝、起きたときは、静かだったので、もしかしたら・・・と一抹の不安にかられたけれど、しばらくして、「みゃー、みゃー。」が始まってほっとした。
そんなこんなで、四男は生まれて初めて、世話をするという体験をした。超自己チューで、わがままで、へりくつばっかりで、人の意見を聞く耳を持たず、自分を曲げないし、私のせいにばっかりしちゃう超内弁慶な四男が、子猫の世話をするなんて前代未聞だった。
そして、日曜日。
朝、『どうする?』
目先の同情との決別が迫られる、まさにタイムリミット。
涙を呑んで、また、橋の下かどこかに捨てに行くしかない。
わたしだって、つらい。
でも、自分の力でミルクを飲めない子猫を月曜日からどうするの?問題は同情と引き換えに解決できる問題ではない。
決断しなくては。
そう思っていたら、ふと、閃いた。
そうだ、義理母も、猫を一匹飼っているじゃない。義理母も一人家にこもりっきり状態で心配だ。私が枯らしたとあきらめていた鉢植えのの花も復活させる才能があるくらい世話好きだ。よし、義理母に頼んでみよう!
義理母は、快く飼ってくれると言ってくれた。しかも、頼もしい。『息子(夫のこと)もよく子猫を拾ってきて、結局、私が育てたのよねぇ。』(え、夫は、1匹はいい。でも、それ以上飼うと猫屋敷になるから駄目だ。」と言ったけれど、自分は、子猫を拾ってきていたんじゃない。)
子猫用のミルク缶と哺乳瓶を買って、義理母の家に。
指で舐めさせてはいたけれど、あんまり飲まないなぁ?大丈夫かなぁ?ウンチも一度もしていないし、おしっこ臭いというわけでもない。
そしたら、さすが、義理母。伊達に夫の拾ってきた子猫を育ててきたわけではない。「あら、子猫はね。母親がお尻を舐めてあげるとウンチをするの。母親がいない場合は、脱脂綿に水を含ませてお尻を拭いてあげるとウンチをするのよ。ウンチをしないとミルクを飲まないからね。」
へぇ~。知らなかった。義理母すごい。
いつ心臓発作で倒れるやもしれないのに、『最近、野菜をほとんど食べていない。あ~は、は、は。」と笑い飛ばす、そんな好き勝手な人生を送っている義理母だけれど、裁縫は一流の腕だったというし、子猫を育てる能力にたけているし、おおらかと言えばおおらかな義理母が好きだ。
もう、子猫を育ててくれると二つ返事をしてくれただけで、感謝感激だった。
そんなルンルン気分のまま、妹も帰省していると聞いて、実家に立ち寄って、さっそく、子猫事件の話をした。
そしたら、話の途中で、母が急に、号泣してわけのわからぬことをわめき出したのだ。
「あんなに一生懸命○○くん(長男のこと)の面倒をみてあげたのに・・・・。」と。
『え、どうして?今、私、何を言った?母を責めるような話はしていないのに。どうして、号泣するの?』状態に、母が陥ったのだ。
子猫事件に補足して、
その子猫事件のことを長男に電話で「猫とか犬を飼うっていいよねぇ。細胞1個1個がデレ~っとなって、いろんな緊張が解きほぐされるよねぇ。オンとオフの切り替えができる人はストレスたまんないだろうけれど、お母さんみたいなタイプは、おうちに帰っても上手に切り替えできないもんね。お母さんみたいなタイプほどペットが必要なんだね。あなたも、どっちかというと、言いたいことを我慢してしまうタイプだったから、ペットがほしいと言ったとき、飼ってあげればよかったねぇ。ごめんね。」と話したら、長男が「そうだよ。ペットがいればよかったと思うよ。」と言ったのよ。
と、母に言ったとたん、号泣したのだ。
母が壊れかけていると感じた瞬間だった。
長男を3歳まで見てくれて母と父には十分すぎるほど感謝している。母は、なぜだか、『長男』『ペット』という言葉から、長男が1歳過ぎのころの手の平と足の裏がパンパンに腫れて歩けなくなった事件を連想してしまったようだ。あの頃、父は、迷いこんだ子犬をわが子のように溺愛していて外で飼うと決めたものの、ついつい居間まではOKにしてしまっていた。冬が来た。こたつを出した。そして、三日目に長男の手の平と足の裏がパンパンに腫れて、長男が痛がって歩けなくなった。はっと気が付いた父と母は、即、子犬を居間から追いやっってくれた。長男のために。そしたら、すぐに腫れが引いた。ある種のアレルギー反応だったのではないかと思う。
その時、私は、全然、親を責めたりなんかしなかった。むしろ、かわいがっていた犬を追い出すことになって申し訳ない気持ちになったくらいだった。
でも、その時、母はものすごくドキドキしたのかもしれない。孫の面倒をみるって大変。もし、なにか命にかかわるようなことをしたら・・・という責任は重い。よそ様の子ほどではないにしろ、わが子ではないわけだから。
認知症の症状にあるのかどうかわからないけれど、認知という病なわけで、母はあきらかに認知がおかしくなっているとはっきりと認識してしまった出来事だった。『長男』『ペット』という言葉から、一度連想された小さい頃の出来事に対して、私が、いくら、「それは違う。長男が12歳頃の思春期に癒されるために飼いたかったと言っていたんだよ。お母さんとは何も関係ないんだよ。」と言っても、取りつく島もなかった。ただ、ただ、泣きじゃくり、どうせわたしなんか・・とネガティブな海で溺れかけてしまった。
母には、会話の中のあるワードだけを拾って、母をネガティブな海に連れ込むという認知の歪みが明らかにはびこり始めた。
やばい。
今度、長男が帰省したら、母に何かプレゼントを贈ってあげて・・・とお願いしておこう。その気持ちが母のネガティブ認知脳を癒してくれるはず。
義理母も、母も、認知症の下り坂を歩み始めた。
今日のニュースで、『日本の女性の平均年齢が87歳を超えた・・・けれど、香港が1位で日本は2位だった。』と言っていた。平均寿命が延びても、認知症の人が増えるとしたら、微妙・・。