総合漢方にんぷ薬・総合漢方育児薬

~頭を使ってではなく、カラダ(感性)で子育てしてみませんか~

初めての嫁へ

2020年11月21日 | エッセー
28歳の長男の結婚式を来週に控えている。
と言っても、すでに1年前に籍を入れており、ほんとうなら3月末に結婚式を挙げているはずだった。しかし、コロナの影響で延期したのだ。しかし、コロナウイルスは乾燥の冬になり元気になってきている。
 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コロナ始まりの地・武漢日記

2020年11月14日 | エッセー
 今、武漢日記を読んでいる。
 あのコロナが始まった地、武漢の都市封鎖された時の、ある女性作家のブログを1冊の本にまとめたものだ。
 作家であり教授でもある、親戚知人に医者や教授など知識人が多いので、武漢の真の情報を得やすい立場であった彼女が発信したブログは、中国という情報操作の国で、翌日は消去されるということが多々あった。あるいはブログが開設できないという状況に追い込まれたこともあるという。
 日本だったら、何のことはない日常を綴った日記である。
 しかし、中国という国は、違う。
 こんな普通のコロナにまつわる日常を綴った日記が封印されるんだなぁと改めてその封印力にため息がでた。


 『ヒトーヒト感染はない』

 武漢の混乱は、すべてこの言葉から始まった。
 そして、この言葉により、コロナウイルスは加速度を増して世界に広がったと言えるだろう。

 ヒトーヒト感染はあると知っていながら、ないとアナウンスしたのはいったい誰なのだろう?

 著者の知人である武漢の医師たちから届く現場の悲鳴は、ヒトーヒト感染はないという誤報により初動が2週間ほど遅れたことによりもたらされた。ヒトーヒト感染があるという情報さえあれば、その2週間をしっかりウイルス対策をして臨むことができたはずだった。

 都市封鎖をしたにもかかわらず、新感染者が後を絶たない不思議に武漢のお医者さんたちも首をかしげていたという。住民は家から一歩も出られないけれど、食料を調達してくれるボランティアやスーパー関係の人たちからの感染かと書いてあった。医療スタッフなどは、完全防備だが、調達する人たちはマスクくらいしか身に着けていたなったと・・・。
 
60日に渡る一般市民は庭までしか外出できないという封鎖は、武漢市民に相当なストレスを与えたと思う。確か、5月か6月のテレビで、封鎖が解かれた武漢のプールでマスクもせず水着姿ではしゃぐ武漢市民の姿があって、当時、そりゃないだろうというような感覚になったけれど、60日間も庭までしか出られなかった、そして、身内とか知人の死が日常であったという状況だと、そりゃ、あれくらいはしゃぎたくなるだろうなと思った。
 私たちは、真実を知らされないまま情報の切り売りをつぎはぎしながら生きている。
 当事者同士しか批判も同調も共感もできない・・・のに、ついつい偏った情報で物を言ってしまう。

 いけない。いけない。くわばらくわばら。

 中国は、物言う人を抹殺する国というイメージが強かった。
 そういう国で、方方さんのように真実を語ろうとする姿勢で、SNSが消去されても怯まず、発信し続けられたということは奇跡なのではないかと思う。
 もし、コロナが中国以外の国で発生していなかったら、中国の武漢に住む人の日常に触れることもなかった。世界の人もそこまで関心をもたないから、方方さんのSNSはもっと滅多切りにされていただろうし、抹殺のレベルが上がっていたかもしれない。コロナが中国の武漢に風穴を開けてくれたような気がする。

 風通しのいい場所に住みたい。
 風通しをよくするための基本は、当事者の問題は当事者で‥の原則に生きること。

 なのに、人間は妬みや嫉妬や恐れなどの感情がそれよりも勝ってしまった時、突っ込みたい衝動に耐え切れず・・・つまり、それを不幸というのだろうか・・・口をはさむ。

 本人は、正義感のつもりで本気で批判している。でも、当事者でない限り、批判は正義の名を借りたストレス発散でしかない。単に批判したら悪口でサイテーのやつになる。でも、そこに、正義の名がついたときは、ヒーローになった気分になれるのだから不思議だ。
 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シングルパパの悩み

2020年11月07日 | エッセー
匿名で電話相談があった。
思春期に入った娘を持つ、娘が小さい頃離婚して、一人で育ててきたというシングルパパから。
 今も娘とお風呂に入る。
 そこに、男としての感覚はない。娘としてしか・・・。
 娘は、私がお風呂に入っていると、おかまいなしにお風呂に入ってくる。
 男としての感覚はないが、目のやり場には困る感はある。
 娘とのお風呂タイムは、一番リラックスして何でも話せる貴重な親子の時間だ。
 私も、夕方は家事をしないといけないので忙しいから、ゆっくり話す時間もないので、このお風呂タイムは大切な時間。
 でも、最近、このままでいいのかな?
 おかしくないかな?
 非常識じゃないかな?
 と思うようになった。

 娘との貴重な時間を失いたくないけれど、思春期に入った娘とお風呂に入るべきではないというおそらく一般論の間で悩んでいらっしゃるという風に感じた。

 内心、男の子しか育てていない私の体験外の相談で、ドキッとした。
 そして、何が一番大切なのだろう?という問いが、ぐるぐる私の頭の中で回転し始めた。

 父親が、家事育児仕事を全部担うのと、母親が担うのでは、経済的なことを抜きにすると、その難易度は違うような気がする。そういう中で、父一人で精いっぱい育ててこられたということがお話を伺っていて感じ取れた。

 そこにいやらしい気持ちが微塵もなければ、親子の一番リラックスタイムで、なんでも話せるで貴重な時間が最優先だろうと思った。もしかしたら、突然、娘さんの方からお風呂に入らなくなる日がやってくるかもしれない。

なるべく、見ないようにしている。たまに、偶然チラッと見えてしまうことはあるけれど・・・とも。

あ、そうなんだ。そうだよね。
ずっと、一緒にお風呂に入っていたんだから・・。

 テレビで、ある女優さんが、20代になってもパパと一緒にお風呂に入っているって言ってましたよ。高校生まで入っていたという人もいましたよ。パパ大好きって言ってました。

 と言うと、

ものすごく安堵された。

 私の心の中では、

 四男ともう少しいっしょに寝ていたらよかったかもという、少しの後悔がの念がふわっと浮かんできていた。小5の頃、もうそろそろ自分の部屋で一人で寝なさいとやや強制的に追いやった。本人は嫌がっていたのに・・・。でも、おそらく、元々の本人の特性や小2のときの頭に損傷を受けるような交通事故などにより、不安になりやすくなっていたがゆえに、一人で寝ることを拒んでいたのかもしれない。もし、本人が一人で寝ると宣言するまで待っていれば、今の対人恐怖などのレベルにまで不安感に苛まされることもなかったかもしれない。何と言っても不登校になっていなかったかもしれない・・・・と。
 私も、私そのものが四男と寝ることが不快だったわけではない。一般常識として、小6にもなって母親と一緒に寝るのはおかしいんじゃないだろうか。自立の第一歩だ。というような自分や四男の気持ちをないがしろにする一般常識の罠にまんまとはまってしまったという感じだったなぁ~。

結論、パパも娘も一般常識にとらわれる必要はない。
両方が、そこにいやらしい気持ちがなく、お風呂タイムがとてもリラックスできて何でも話せる幸せなひと時であれば、それでいい。というより、大事にしてほしい。

そのパパ、最後に、これから娘も思春期真っただ中に入る。もっと、いろいろな悩みがでてきそうだ・・・と不安げにおっしゃった。

そういう時は、いつでもお電話ください。それと、ママだったら、ママ友がいるからいいのですが、パパ友って聞かないですもんね。できたら、娘さんのお友達のママで信頼できるママにお願いして、ママ友を一人作っておくといいかもしれませんね。

 と伝えた。

そうか。ママ友か・・・と不安げな声が少し明るくなったような気がした。

ただね、口の堅いママ友を探すのって案外難しい。
 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする