総合漢方にんぷ薬・総合漢方育児薬

~頭を使ってではなく、カラダ(感性)で子育てしてみませんか~

花咲かT様

2019年02月24日 | エッセー
 一昨日の夜から、不思議な展開の連続で、神様の存在を感じ始めている。


 一昨日、夫が入院の生命保険のお金が通帳におりた。
 夫は、ずっと、ノートパソコンが欲しくて、そのお金で、早速、明日の朝、買いに行くという。明日、遠足というときのあの子どものウキウキ気分満載で。
 半年前、私もパソコンを購入した。その時、ワードなどのソフトを入れるという高度なテクニックなどない私は、電気屋さんのお兄ちゃんに家に来てもらうしかないという状況になった。しかし、電気屋さんのお兄ちゃんの出張サービスの費用が、なんと2万8千円というではないか。高すぎ。パソコンも一つ型落ちで16万5千円もした。10万ちょいくらいのパソコンを買おうと思っていたのに、息子や店員さんの話を聞いていくうちに、サクサクと壊れにくいという特典には勝てず、一番いい機種の型落ちを買うことにした。それだけでも、勇気がいったのに、プラス約3万?20万ってことじゃん。当初の予算の倍だ。
 で、ふと、鹿児島に住んでいる次男を呼ぼ寄せて、彼に3万払ったほうがましだと思いついた。彼も奨学金生活でギリギリ生活。きっと、来てくれるだろうと電話したら、すぐに来てくれた。

 夫もそうしようと思ったらしく、早く次男の出張サービスの依頼電話をしてくれとせかす。

 で、一昨日の夜、電話したら、なんと、ちょうど、この土日に帰る予定だったというではないか。

 すご~い。と感動。
 奨学金関係の書類で、親が記入したり、実印を押したりする欄があるので・・・・という理由で。

 ついでに、ずっと、気になっていた連帯保証人をどうするかについての話をした。今までお願いしていた方が亡くなられたので、どうしようと案じていたら、そうだ、長男がいるじゃん。働いているじゃん。と気づいたので、次男と、お兄ちゃんに頼んでみようかという話になった。その時、そういえば、お兄ちゃん、実印持っているかな?もし、実印がないのなら、区役所に行って、印鑑登録をしてもらうようにお願いしないと・・・。来週、私が東京に行くことになっており、長男のところに泊まらせてもらう予定だったので、それまでに区役所に行ってくれるかな?    などと、次男と会話した。

そして、翌日。
昼前に、なんと、長男から電話があった。彼から、電話がくることってほとんどない。忙しいので、要件はラインでと言われている。びっくり。何事が起った?と少し、ドキドキ。

 な、なんと、今、区役所にいると言うではないか。

 僕の本籍ってどこかな?

 という内容。

 そう聞かれて、え?と戸惑う私。

 改めて、聞かれると、把握していない。私の本籍は、結婚したら、どうなっている?それすら、把握していない。

 区役所で、住民票をとって確認してみてと伝えた。
 ついでに、次男の件で、実印を持っているか、市役所で印鑑登録している印鑑のことだけど、家を借りるときとか奨学金の申請とかに使うやつ・・・と聞くと、え?っと驚いた反応が返ってきた。
 印鑑登録という言葉が初耳だったらしく、今まで、自分が、この印鑑を実印と勝手に認定した印鑑を、実印のところに押印していたらしい。

 そんなこんなで、今、区役所にいるんでしょ?印鑑持っているよね。じゃぁ、印鑑登録してね。とお願いした。


 あ~、なんと、奇跡のグッドタイミング。

 と、ここまでは、ルンルン。神様に守られているって本当に実感した。

 が、しかし、ここからが、波乱の時間の幕開けだった。

 せっかくの神様に守られている感が、やっぱり、違うかなと揺らぎ始めた。

 しかし、夜中の0時に、花咲かT様のすばらしい説法体験で、すべてはうまくいっているという結末で波乱の一日を終了することができた。そして、すがすがしい今日という朝を迎えることができた。夢見も非常に良かった。なぜだか、TOKIOの長瀬クンが夢に登場。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朗報!スロージョギングでシミが消えた!!

2019年02月23日 | エッセー
 おそらく、シミが消えたのは、スロージョギングしかない。

 50を過ぎたころから、左頬にシミが出現した。そのシミは、徐々に大きく濃くなっていった。去年の夏から秋にかけて、かなり目立ってきて、小指の爪大にまで。夫は、以前から、ケシミンをやたら勧めてくれていたが、ある日、パーフェクトワンのチラシを持ってきて、「これがいいんじゃない?」と勧めてきた。さらに、四男も「お母さん、お母さんはシミがなければ5歳は若返るよ。」と誉め言葉なのか残念言葉なのかのたまう。
 二人とも、どちらかというと、女子の顔の細かいところまで気づけるほどの、視覚認証が鋭いほうではない。ざっと、かわいいとか好みの顔とかで、キレイを判断する、いわゆる典型的な男脳優位人間である。そんな二人からも、指南されるレベルのシミであった。

もちろん、当の本人も十分すぎるくらい気になって。友人が、2万7千円でレーザーでシミ取りしたという話をしたとき、その気になっていた。ただ、別の人から、レーザーでとっても、また、2年くらいしたら出てくるよって聞いて、そうか・・・・とがっかり。
 とりあえず、今使っている化粧品は自然派だから、シミ隠しレベルの厚化粧ができないので、シミのところだけ、厚化粧して隠そうかな・・・などとつらつら思案していた。

 ところが、お正月明け、何気に鏡を見たら、あらあら不思議、シミの濃さがかなりうっすらとなり、全然目立たなくなっているではないか。大きさも半分くらいになっている。

 ある日突然消えるなんてありえない。
 でも、ある日突然っぽくほぼ消えた。
 どうして?不思議?
 
 1年ほど前、シミのない40代前半の後輩が何かの研修会でもらってきたカニの甲羅から抽出した化粧品を私にプレゼントしてくれたことがある。高価なものだから自分の母親にでもあげればいいんじゃないかと思ったけれど、よほど、私のシミが気になっていたのかもしれない。そのカニの甲羅のエキスを2か月ほどで使いきった。しかし、夢破れて山河あり。否、夢破れてシミがあり。シミは相変わらずいばっていた。外からつけるのはむりかな?やはり、肝臓の代謝が悪いんだろうなとあきらめた。

 なぜ、消えた?

 思い当たるのは、ほぼ、毎日走り始めたスロージョギングしかない。

 私の生活で大きく変わった生活習慣は、スロージョギング。
 ずっと、運動不足が私の体を蝕んでいると感じながらも、自分のための時間を作ることができず、また、あまり、からだを動かすことが好きでもなく、大体体力がないから、仕事で疲れて帰ってきて、運動する気力もなかった。でも、ずっと、ずっと、運動は大切だとは感じていた。私が胃がんになったのは、もちろん、がん家系であることと人間関係からくるストレスが大きな原因だったと思うけれど、食事は仕事柄かなり気を付けていた。でも、胃がんを防ぐことができなかった。もし、仕事と家事育児に追われながらも、一日30分運動をしていたら、もしかしたら、がんにならなかったかも・・・・と、胃がんと診断されたときに、悔やまれた。

 ずっとずっと、自分にできない言い訳をして、やってこなかった運動。そして、福岡大学の田中先生のスロージョギングの研修を受けてから、いつかは、スロージョギングを・・・と思いつつ、ついつい、しない選択をし続けて5年。

 重い腰を上げさせてくれたのは、四男の不登校で巡り合った菜花サトシ先生の不登校勉強会で、子どもの不登校を解決するには、まず、母親である私が幸せのお手本になる・・・そのための第一歩が、今まで仕事家事育児で諦めていた、したいと思っていることを実行に移す というお題の実践の学びであった。
 それで、2018年の正月に、スロージョギングを週3回以上する  という張り紙を作成し、台所の壁に貼った。
 2017年の終わりごろより、スロージョギングを始めてはいた。本人の目標としては、土日に。
 しかし、土日は、お出かけするとできない日も多く、週1回するのが精いっぱいであった。もともと、体力がなく運動が好きでもないので、足が重い。ゼイゼイ息苦しい。つまり、きつい。しかも、週1~2回なので、毎回、初心者の身体に戻ってしまって、毎回、足が重く、息苦しく、つまり、きつい。胃を2/3切っているので、貧血がひどく、鉄が人の半分くらいしかない鉄欠乏性貧血なので、酸素を運ぶ鉄がない。つまり、つまり、スポーツ選手が高山でトレーニングするやつを、私は、自分の身体が高山なので、勝手にハードなトレーニングをしちゃっているという。だから、1週間ぶりのスロージョギングが、普通の人より、超きつい。
 ちょっときついと超きついは、継続という点で大きく違う。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『ありがとう依存症』の激レアさん 

2019年02月16日 | エッセー
 お正月に、激レアさんの特集をやっていた。朝からやっていたようだけれど、お昼過ぎにテレビのスイッチを入れたら、すごい激レアさんを知ってしまった。感動というか人間の可能性というか、ただただ、あっぱれだった。
 30代のその男性は、今はコンビニを10店舗もつ社長さんだという。
 ただただ、ありがとうとお客さんに言ってもらいたくて、日々、ありがとうのために働いていたら、商売が繁盛し、社長さんになっちゃった。

 この男性、小さい頃はアメリカに住んでいて、小学校2年生の頃、日本に戻ってきたそう。しかし、日本の小学校に通い始めて6日目に、学校に行かなくなったと。その理由は、掛け算九九を一生懸命暗唱するという授業を受け入れることができなかったから。アメリカの授業はもっと楽しいものだったそう。それから、うろうろする仲間たちとうろうろほっつき歩く日々。見かねた親が、ある施設に入れたら、そこは、毎日のように流血騒ぎが起きるようなところで、そこを飛び出し、中学にも行かず、うろうろ仲間と恐喝したり、鉄の棒を振り回す日々を送っていたそう。
 そして、15歳の頃、スーパーで夕方のバイトをするということになったその日から、彼は本領を発揮することになる。
 仕事を覚えようと、朝8時半にはスーパーに行き、夕方まで仕事の準備運動。そして、夕方からバイトに入る、つまり、毎日ほぼ一日中バイトをしていたという。もちろん、8時半から夕方5時までは無給で。そして、ある日、お客さんから『ありがとう』という言葉をいただいて、『ありがとう』にはまっていったのだと。ただただ、お客さんの喜ぶ顔みたさにいろんなトライをする日々。今まで、『ありがとう』なんて言われたことがなかったから、うれしくてうれしくて、幸せで幸せで、おそらく、麻薬みたいなホルモンがバンバン出ちゃったのだと思う。へたをすると、ふてくされて、麻薬に手を出しそうな環境にいただろうに、そこは、生まれ持った性質なのか幼少の頃の育ちがよかったのか・・・。

 だって、足し算も、両手の指が足りなくなるとできなかったそう。例えば、12+12は、紙に、〇を12個と12個書いて、それを、また、1,2,3、・・・・と一個づつ数えていたというくらい。見かねたスーパーのバイトのヤンキー先輩が、計算機ですれば早いと教えてくれて、その時、初めて、計算機という存在を知ったというくらい浮世からも離れていたと。

 ホッチキスという存在も知らなくて、紙を束ねるときは、少しづつ紙をずらして、セロテープでとめていたと。

なんという浦島太郎くん。

 何も知らないという現実に打ち勝つために、きっと、毎朝8時半には出勤して、仕事を必死で覚えようとしたのだろう。

 そんな彼だからこそ、『ありがとう』と言われたとき、この世のものと思えないくらいの恍惚感に包まれ、また、あの恍惚感を味わいたいというだけで、日々、お客さんサービスに励んでいたと。
 否、励むというより、したいからするという自然な行為だったのだと思う。パチンコとかギャンブルとかをしたいという気持ちと同じような欲求。

 『ありがとう』依存症。

 いいね。
 環境的には、覚せい剤依存症になっても十分おかしくないに環境にいながら、正反対の道を突き進めたのは、なぜだろう。

 不良仲間からやられそうになった時、いつも一緒につるんでいた先輩が『君は、こんなところにいちゃいけない。』と言って、自分が身代わりになって助け出してくれたというようなことをおっしゃっていた。
 運が彼を味方したのだろうか。必然だったのだろうか。

 
 そんな彼は、地元ではちょっとした有名くんだったそう。

 とにかく、ありがとうと言って欲しくて、ありがとうのためならなんだってするという変な少年がいるということで。


 彼が、18歳になった時、スーパーの店長から、正社員にならないかともちかけられたそう。
 しかし、彼は、なぜだか、社長になるという目標をもってしまっていて、社長になるためにはどうしたらいいかと考え、正社員の道を断り、コンビニで働き始めた。接客が大好きだったので、接客関係の社長になるためには、コンビニで修業することが一番だと思って。
 このコンビニ時代も、またまた、ありがとうのために働き続け、ついに、23歳でコンビニの店長に。
 店長になってからの、エピソードが、これまた、すごい。


 彼のコンビニは神奈川にあるそうで、あるドライバーが免許証のコピーをして、免許証を置きっぱなしにして帰ったそう。
 それに気づいた激レアさん。
 そのドライバーの免許証から茨木県の住所だとわかり、わざわざ、茨木県まで自分で持って行ったそう。

 また、ある時、店員が、ディズニーランドのチケットを販売したのだけれど、ゴールデンウィーク用のチケットではなく、普通の日のチケットを間違って販売してしまったと後で気づいたそう。
 さぁ、どうしたでしょう?

ゴールデンウイークのいつの日のチケットかは把握していたが、どこの誰に売ったかなんて記録は残っていない。
 ただ、監視用カメラに姿は残っていた。

 なので、スタッフ全員でその監視カメラに映った姿をそれぞれの目に焼き付けて、購入したチケットの日にデイズニーランドのそれぞれのゲートにスタンバイし、何万人も通過するゲートで、目に焼き付けた姿の人を必死で探したという。
 そして、ついに見つけた・・・・のだと。

 すごいね。

 ありがとうと感謝されると、誰だって、うれしい。

 でも、そのレベルが彼はオリンピック選手なみ。

 はまったのが、ありがとう。
 ある意味、オタク?

 でも、こんなオタクなら、素敵。

 要は、ウインウイン。
 オタクだろうが、なんだろうが、ウインウインが幸せを連れてくる。

 私も、ほんの少しでいいので、彼を見習いたい。
 ただね。もし、彼に奥さんがいるとしたら、出逢ったときは、ありがとう人間の彼にとても魅力を感じたと思うけれど、一緒に生活をしていくとなると、ありがとうももはや依存症レベルなので、きついかもしれない。

 半径3メートル以内の人を幸せにできなくて、ど~よ!


 半径3メートル以内の人だけの幸せのために生きるのもどうかと思うけれど、半径3メートル以内の人のありがとうのない、ありがとうは、単なる依存症にすぎない。

 依存症とは、半径3メートル以内の人を幸せにしない病気である。

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

はじめに

2019年02月09日 | エッセー
 このエッセーを将来の4人の息子の嫁となるであろう女性へ贈ります。

 私は、4人の男の子を授かった。
 神様からの授かりもの否、預かりものとして、そりゃぁ、心をこめて育てさせていただいた。

 しかし、道は険しかった。

 子どもがまっとうに育つには、その前に夫婦道の険しい山が立ちはだかり、その前に自分道というもっと険しい山が聳え立っているということを、“思いどおりにいかない子育て”を通して思い知らされた。
 彼らが、本来持っている素敵な自分に出会って「自分の人生」を歩み始めて欲しいという願いとは裏腹に、そのための大前提である、彼らがほっとする、あるいは、くつろぐことのできる『家』を提供できなかったことが、悔やまれて悔やまれて残念で仕方ない。

 そう。
 家庭が『困ったときは助け合い、でも、嫌なことは嫌とキチンと伝えられて、ありがとうがいっぱいのコミュニケーション力の高い夫婦のお手本があって、ほっとする居場所』でありさえすれば、子どもは勝手にすくすく育っていく。
 難しい子育て論なんていらない。

 しかし、現実は、そんな見本のような親の後ろ姿を見て成長できる子ども時代を過ごこそがせるラッキーな人ってそう多くないと思う。

 結構、みな、いびつな家庭で育っている。

 私の親もいびつであった。そして、夫の親もこれまた、かなりいびつであった。

 夫婦ゲンカをできない親の元で育った私と、今の時代ならDVで訴えられそうな激しい夫婦ゲンカの絶えない親の元で育った夫が、ただ、プラスとマイナスで引きあったというだけで、パパとママになってしまった。トホホ・・・。

 見本がないから、子育て論を読み漁った。

 そして、あっちぶつかりこっちぶつかりしながら、辿り着いた子育て論の結論が、まず、母親である私が、幸せのお手本になる。

 この幸せってやつが、よくわからない。くせものだ。
 でも、幸せそうな人って、幸せそうなオーラを出している。オーラって雰囲気。
 たかが雰囲気。されど、雰囲気。


 いい伴侶に恵まれた女性は、もう、それだけで、幸せそうなオーラを出せる。他力で幸せを掴めちゃったラッキーな人だ。
 でも、そうでない夫をパートナーにしてしまった女性は、そのマイナスを凌駕するほどの自力の幸せを見つけて、子どもたちにワクワクオーラのシャワーを浴びせちゃおう。
 いい雰囲気こそ、子どもが育つ栄養源。

 えてして、子どもを産むと、優秀で性格のいい子に育てるというような夢を持ってしまいがちだけれど、実は、母親自身がいい雰囲気を醸し出すことこそが子育ての極意だと、今なら、そう思える。


 だから、私には、子育て論を語る資格はない。
 資格はないけれど、保健師という仕事を長くさせていただいて、今年、久しぶりに母子保健の分野の担当となり、最近の育児不安に押しつぶされそうなママたちの急増に衝撃をうけ、妊娠、出産、2~3歳ごろまでの新米ママたちの不安を安心に変えるためのお手伝いはできそうだと否、したいという想いが日に日に募ってきた。もちろん、それ以前の下心がこのエッセーを書こうと思い立った大きな動機ではある(笑)。冒頭にも書いたけれど、私には4人の息子がいる。ということは、ひょっとしたら、4人の嫁の姑になるという可能性もある。ギョギョギョー。
 
 自分でわかる。

 長男の誕生とともに建てた新築の家が、実は地盤沈下しそうな家(夫婦のコミュニケーション力が最悪という意味)だったなんて当時は知らず、一生懸命、手探りで子育てをしてきて、なおかつ、最近のママの不安事情を日々目の当たりにしてきた自分は、きっと嫁のお産や育児に口を突っ込みたくなる衝動にかられるだろうと。でも、一方でわかっている。おそらく、姑の助言も受け入れてくれるのはよくて三つまでだと。三つ以上になったら、きっと、彼女はクローズするだろうと。
 そもそも、「他人のことは当人にまかせておきなさい。」という私の人間としての理想の姿からかけ離れていく。

 でも、伝えたい。

 でも、キョヒられるのはわかっている。

 私が何を恐れているのか。

 私は、“たいがいのことはことは笑って許せる”心穏やかな老女の花道を歩いていきたい。

  
 船井幸雄氏は「人間性が向上すると他者を干渉しなくなり、束縛しなくなる。他人の欠点が気にならなくなり、良いところがよく見えてくようになる。」とおっしゃっている。私もそうなりたい。一歩でも近づきたいと憧れているのに・・・。嫁の子育てが気になって気になって仕方ないのに口を出せずに悶々としているイヤーな姑になるのがコワイ。
はぁ~・・・。
 

 ということで、先手必勝作戦を決行することにした。


 このエッセイは、子育てワクチン。


 将来の4人の嫁たちが子どもを授かったという報告をしてくれた、その時に、このエッセイを手渡して、しっかり子育ての予防接種をしておこうという魂胆だ(ウフフ…)
 世の中、情報はてんこ盛り状態。でも、意外と偏った情報の世界で、私たちはしっかり井の中の蛙君をやっている。
 情報の中には、はるか古の知恵から科学的な最新情報を縦軸に、そして、資本主義と政治がちゃっかり結婚して自然発生する右の端っこの情報から、真実を貫かんとする左の端っこの情報を横軸にした表があることを知ったうえで、自分は、あるいは自分の考えは、この表のどこに位置しているのかを認識することが井の中の蛙君から脱出する道ではないかと思う。そして、最後は、自分の直感を大事にして、自分に丁度いい情報を選択していく。

 最近のママたちは、姑どころか、実母の助言すら信用してくれないなぁと感じることがよくある。ネットで調べて、最終的には、専門家の助言を選択する傾向があるかなぁ。赤ちゃんを産んだ病院のお医者さんや助産師さんなどの専門家と呼ばれる人たちの発する言葉は、もはや、信者ではないかと思えるくらいは信じてしまいやすい。そうなると、実母の言うことになかなか耳を貸そうとしてくれないかな。
 実母の助言のなかにも、古の知恵もちらほらあるんだけれど、そうでないところもあったりして、ちょっと信用がおけないって感じだろうか。
 本当は、子育てに正解なんてなくて、ママと赤ちゃんで作り上げていくもの。
 ただ、子育てで、何かに迷ったら、その情報はママを安心させるもの?それとも、ママの不安を増強させてしまうもの?という問いかけをしてみるといいかなぁ。もし、不安が強くなると感じたら、そっちじゃない可能性が高いかも。
 
 
 このエッセイは、どちらかというと最新情報と偏った情報の蛙君になりがちな、ごく普通の世界からやってくるであろう4人の嫁たちへ贈る愛の産科(?讃歌)。
ウフフ、「選ぶのはあなた」状態にして、私は、ちゃっかりしっかりステキな老女の花道を歩いていくのだ。めでたし、めでたし。
 不安に対して人間ができることは、やれるだけのことを精一杯やって、あとは野となれ山となれ的心境にもっていくことだろう。 
 人事を尽くして天命を待つ。
 私は、このエッセイを書くことで人事を尽した。後は、将来の4人の嫁たちが、このエッセイを誠意をもって読んでくれさえすればいい。
 だから、今、心がとても晴れ晴れとしている。
 
 第1回目のお題は、『泣く泣くか、ちゃっかりか』です。ヨロシク!

 









コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする