総合漢方にんぷ薬・総合漢方育児薬

~頭を使ってではなく、カラダ(感性)で子育てしてみませんか~

99てん

2015年03月14日 | エッセー
 なんと、なんと、アンビリーバブル!
 10歳の四男が、国語のテストで99点という前代未聞の超高得点をとってきた。
 しかも、その1点は、答えの中の漢字 歯 の止まれの左の方の縦線を書き忘れていたための減点。問題の中には、歯という文字は何度も登場していたのに・・・・。というか、他の答えでは、ちゃんと歯と書いているのに。ちょっと、否、ものすご~~~~~~~~~~く、残念。
 ついこの間まで、23点とか40点という国に住んでいたのに・・・・。
 いったいどうした変化だろう?
 やっぱり、10歳は、脳が飛躍的に成長する年齢なのだろうか。

 抱き合って喜んだ。抱きしめた。
 夜、仕事だったので、仕事が終わって10時前にコンビニによって、プリンアラモードをお土産に買って帰った。

 アナ雪バージョンで、『うまれてはじめて~99点をとったの~。生まれて初めて99点をとったの~。』とミュージカル調に歌いながらのムギュー。そして、『どうしてなの?今まで20点しか取れなかったのは~?』とまた、アナ雪風に歌うと
 四男も、アナ雪ミュジーカル風に『それは、適当に考えて、適当に書いていたからなのよ~。』と・・・。
 『そうなんだ。テキトーに考えてテキトーに書いていたんだ。』問題を解こうという気持ちが、これっぽっちもなかったんだ。
 小心者の私から見たら、大物だ。
 20点でも、全然、平気なんだ。
 いい点を採ろうという野心がない。
 少しでも、いい点数をとりたいと思えば、問題をちゃんと読もうとするし、間違えていないか確認をする。
 彼は、ただ、ただ、めんどくさかったんだろう。興味が全然なかったのだろう。
 まぁ、私だって、今じゃ、英語なんて必要ないから、英語専門の夫が、英語の文法のオモシロ話をしても、ちっとも頭に入って行かない。というか、聞こうという気にもなれない。むしろ、聞くのも苦痛だ。早く、終わってほしいと思う。
 勉強が好きな子以外が、勉強をする必要性って、いい点をとりたい・・か悪い点をとりたくない・・・かほめてほしい・・・か目的がある・・・か
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えっ!そっち?ラジオ人生相談・加藤諦三さん編『娘夫婦のセックスレス』

2015年03月11日 | エッセー
 できるなら、毎日聞きたいラジオ人生相談。
 たまたま、出張で運転しているときに11時を迎えるときは、ラッキーって思う。年に数回しか聞けないのが非常に残念。
 昨日も、年に数回の中の貴重な1回で、『今日はどんな悩み相談なんだろう?』と期待して聞いていた。
 59歳女性が、『見合い結婚して日が浅い娘が、セックスレスで、しかも、手を握ったことも1回、キスは娘さんがせがんで1回してくれただけで悩んでいる。どうしたらいいか。』というような相談だった。
 そういうこともあるんだなぁ。そりゃ、悩むよねぇ。
 回答者の女性弁護士さんは、娘さんの問題なので、娘さんが夫ときちんと向き合って話し合うしかないというようなことをおっしゃった。
 そのあとで、パーソナリティの加藤諦三さんがおっしゃった言葉に、『えっ!そっち?』って意外な方向に話が展開していって、番組が終わった後も、そうなんだなぁ~っとしみじみでした。
 『ところで、お母さん、あなたの娘さんは、ママっ子でしたか?パパっ子でしたか?』
 『娘はパパが大好きで、今でも・・・・。』
 『パパ大好きな女性と超マザコン男性が結婚してしまったんですね。お父さんが大好きな女性って、大人の女性になりきれていない場合がある。娘さんは、男性から見て女性としての魅力がまだないのかもしれませんねぇ。あなたご自身は、どうでしたか?』
 『私は、父親の方が好きでした。父親は、私の話を黙って聞いてくれましたから。』
 『あなたはおうちではどうでしたか?』
 『私は、家では女王でした。私の思うとおりにうちの中を取り仕切ってきたかなぁ。ちょっと強かったかなと思います。』
 『つまり、貴方はおうちではサディストなんですよ。』

 『これはね。娘さんの問題ではないんですよ。あなたなんです。』

 矛先が思わぬ方向に向いて、『えっ!そっち?』ってびっくり。
 
 深読みできない私は、単純に、娘さん、かわいそうって思った。結婚した男性がおかしいとジャッジした。
 その男性を責める体勢になっていた。

 でも、よくよく考えてみると、そんな男性を選んでしまうという、結婚してしまうという娘さんもおかしい。手も握らない、否、握ろうとしない空気感って、どう考えてみてもおかしい。(そういえば、松田聖子の赤いスイートピーも半年過ぎても手を握らないって歌詞があったけど、あれも変。)普通、おかしい・・というような危険察知能力って誰にでも備わっているはずなのに、そういう能力が娘さんには育っていなかったのだろうか?

 母親が、自称『家では女王』的な存在の家庭で育つ娘って、どんな感じなんだろう?

 それにしても、加藤諦三さんてすごい。
 婿じゃなくて、相談してきた母であるあなたの問題だという辛口な切り口の回答で、最後は、バッサリと切ってきた。

 受話器を置いたお母さんは、今、何を感じ、どう、再スタートしただろう?

 弟が、自分も結構年食っているんだけど、ある女性と結婚するしないの段階で悩んでいる。
 相手の女性も40歳ということで、子どもを産むには少し、あわててしまう年齢。なので、決断を早くしないといけないため、悩んでいる。
 結婚に踏み切る吸引力が今一つないのだ。
 吸引力って、初婚の場合、年をとればとるほど減っていくんじゃないかなぁ。
 だって、若いというだけで、男はエネルギーがある。活力がある。草食男子が急増している今ですら、少なくとも、40代の男性よりは元気なはずだ。将来への期待というエネルギーもある。40代後半に差しかかった男性って、課長とか部長とか上司という立場になっていくので、20代とは全然違うエネルギーの使い方をしている。
 エネルギーをそぐ理由がもう一つある。
 耳年増になってしまって、結婚への幻想が幻滅になっていて、結婚が重荷になってしまっている。
 弟も、同僚や友達の夫婦の姿を見てしまって、どうしても、今ひとつ、結婚に踏み切れない。彼が、結婚に踏み切るためには、相当、魅力的な女性でないとだめみたい。でも、そんな女性がいるはずもないし、仮にいても、弟みたいに権力とか名声のない、ごく普通のサラリーマンとは、きっと結婚してくれないと思う。
 この前も、友達でものすごく美人な奥さんをもらった人がいるけれど、その奥さん、料理が下手で、すっごくきついタイプらしく、その友達は、毎日、家に帰るのが憂鬱だとぼやいていたという。
 弟は、とにかく、結婚して残念な男たちの姿しかみさせてもらっていないようなのだ。結婚してよかったという友達もいるみたいだけれど、そんな男たちは、一人じゃ、寂しいから・・・・と言うという。弟は、寂しいから(人恋しいから)結婚したいとは思わないみたいで、結婚することによるメリットより、妻子を養わなくてはいけないという重荷というデメリットの方が大きい・・・とため息をつく。

 高すぎる跳び箱を前にして、踏切番を飛べない状態。

 セックスレスな夫婦が増えているという。
 どうして・・・。
 
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認知症というお題

2015年03月06日 | エッセー
 こんなにどんどん私の周りに認知症が増えていく・・・という危機感。
 これは、一体なんなのだろう?
 糖尿病が増えている飽食の時代という時を生きる私たち、重すぎる高齢者高比重社会を息子たちにバトンタッチするというポジションにいる私たち世代は、何を彼らに残してあげればいいのだろう?

 砂糖文化からの脱却と前頭前野が活発になれる社会への挑戦・・・だろうか?

 私たちは、時代を生きる・・・。その時代という時のお題に向き合って最善を尽さんとする・・・。よくわからないけれど、何となく、人間の生きる理由ってそうなんじゃないかなぁと思ったり。お題がないとつまらないかも。

 もしかして、時代が認知症を通して、私たちに何かを問いかけている?

 前頭前野は、問題が生じたときに、その時その場で何が最善かを選択しようとするときに活発に活動するらしい。それが、いやいやではなく楽しんでできれば、きっと、もっと、活発になるんじゃないだろうか。
 もちろん、問題だけではなく、いろんな企画をワクワクしてたてたり、みんなで『あ~だ。こ~だ。』わ~わ~言いながらより高みに向かって議論しているとき・・・などに、きっと、活発になるんじゃないかなぁ。

 実は、認知症も記憶力の低下に先行して、この前頭前野という企画力が低下しているということらしいので、楽しく企画する癖を小さい時から身に(脳に)つけられたら、世界は変わるのかも・・・とワクワクしてくる。

 小さい時から、おうちで学校で、『あ~だ。こ~だ。』言いながら、楽しく会話したり議論できるような環境が用意だきたら、将来の認知症を予防できるかもしれない。もちろん、砂糖文化からの脱却もセットで。

 小さい頃に、『あ~だ。こ~だ。』言うと否定されるような家庭で育った人は、前頭前野でものを考えることが苦手になっているかもしれない。規範のルールから外れる行為をする人に対して厳しい目をもっているかもしれない。世間体という尺度で物事を見て、物事を判断しやすいかもしれない。失敗を恐れてチャレンジする勇気を持てない人になっているかもしれない。世間体という物差しで判断するときって、脳の前頭前野を使っているのかなぁ?どこを使っているんだろう?

 人は、ほんとうは、絶対否定されないという安心な場所にいられるなら、あるいは、過去に自分が勇気を出して言ったことを全面否定されたり、のけ者にされるような体験がなければ、きっと、前頭前野で前向きに物事を考えられるような人になれるんじゃないかなぁ。常に、いつも、ごく自然に前頭前野を使っているというそのことが、高齢になっても前頭前野を努力せずして使っちゃっている。きっと、そんな人は認知症になりにくいと思う。
 
 時代は、認知症を通して、『否定されない社会をつくりなさい。』というメッセージを私たちに送っているのかもしれない。
 認知症という警告は、時代からのプレゼント。
 自分らしさを世間体というルールで封じ込めたつけの一つが認知症。

 わが町のどっちかというと山手に住むある男性と面接をしていて、「やっぱり、認知症予防には歩くことがいいんですけどねぇ~。」とお話したら、「歩くことはできない。歩いていると、『よか身分じゃねぇ。歩く暇があるなんて。』と言われる。この間も、ボランティアで道路のあぜ道の草払いをしていたら、『よか身分じゃねぇ。働かんでそげなことをする暇があっで。』と言われた。無理無理。あそこでウオーキングなんてできるわけがない。山の中なら歩けるけど・・・・。余計なことをいうばあちゃんがおらんから。」とつぶやかれた。
 
 え~~~~、みんなの道路のあぜ払いをよかれと思ってやってくださるって、感謝以外の何物でもないはずなのに、そのことにすら、よか身分・・・と妬むの?
 アンビリーバブルな世間体がちがち地域だ。
 妬み度が半端じゃない。

 この男性は60代後半だから、よか身分だと妬むおばあちゃんって80歳前後?

 きっと、人生、働きづくめで苦労されたのだと想像する。だから、70歳前で働かない人・・・それが、たとえ、ボランティアで自分たちの使う道路のあぜ払いをしてくださるというありがたい人であっても、労働とはみなさず、遊んでいるとみなす心理・・・・・なんと心貧しい・・・。嫉妬心・・・・・?

 働く・・ことが善で、それ以外を認めない土壌・・・・つまり、たった一つの価値観=働くことはいいことだ、あるいは、働かざる者食うべからず・・しか認知してもらえない空間で生きていくってしんどい。たぶん、そこは、開拓地。昭和30年代スコップと斧だけで開墾してきた体力が半端じゃない人たちが住む地域で、今の80歳くらいのおばあちゃんたちは、ほんとうに苦労されたのだと想像する。体力があったからできたのか、はいあがってきたからこそ体力がついたのか・・・・。

 働きづくめで、ただ、ただ、働いてきた人生の人にとって、働かないでいる人が恨めしいのだろう。

 働くことはいいことだ。それは、働かないことは悪いことだ・・・と言っているようなもの。
 たった一つの価値観しか受け入れられない地域に生きることは、つらい。
 元気な人はいい。
 でも、そうじゃない人にとっては生きた心地がしない。

 開拓に住む人たちは、基本的に体力がある人。というか、体力ある人が開拓地に集まってきた・・わけで、体力のない人は元々開拓しようと思わないから、開拓地に住むはずも住めるはずもない。
 つまり、体力ある人しかすまない街って歪なのだ。
 普通の社会は、いろんな人が住んでいる。障碍者も住んでいる。病気がちな人も住んでいる。多様性があればあるほど住みやすくなる。

 月曜日の9時からのドラマ『デート』は、感情の機微に鈍感な超理系女で国家公務員役の杏ちゃんと作家志望だったけれど、結局ものにならず、かといって会社勤めもうまくいかず、ひきこもって高等遊民と自称するニート役の長谷川博己が嫌いなのに契約結婚という価値観に意気投合して結婚という目標に向かって、好きでもない人と頑張ってデートをしていくという物語。高等遊民こと長谷川博己は、今まで母親に寄生していたけれど、母親の体調不良を期に、寄生先を賃金的に国家公務員という安全安心な職業についている女性を選んだ。今後も高等遊民をやめて働くという気持ちはさらさらなく、杏と結婚して、主婦業に専念すると宣言した。きっぱり。
 彼曰く、『女性は、結婚して専業主婦になると宣言しても何も言われない。なのに、どうして、男が専業主婦になると言うと、それはおかしいと全面的に非難されるんだ?おかしいじゃないか。』

 テレビだから、『そうだ。そうだ。』ってうなづくけれど、これが、現実だとやっぱ、戸惑うだろうなぁ。

 いろんな人がいた方がいい。否、いろんな人がいないといけない。

 そうでないと、窒息する。
 ちゃんとした人ばかりだと、自分もちゃんとしないといけない・・・という強迫観念(って意識していないと思うけど)で自分を縛りつけて、ありのままの自分からどんどんかけ離れていくからしんどくなる。そして、ちゃんとしない人を批判しやすくなる。許せなくなる。自分だって、無理してがんばっているのに、あいつは努力していない・・・・と。

 年齢を重ねるって、ひとつには、許せるようになる寛容さを身に着けていくってことのような気がする。

 そのためには、変わってるなって人に興味を持てる力があるかどうかが大きいかなって思う。
 変わっているなって思う人を排除しようとするかユニークだなって思えるか。

 へぇ~、世の中には、こんな人もいるんだなぁ。こんな考え方をする人もいるんだなぁ。面白いなぁ。世の中って・・。

 そんな風にオモシロガルことのできる力のある人間にわが子が育ってくれたら、もう、それで十分。
 そんな風に自動思考しちゃえる才能が身につくと、生きることがとっても楽ちんになる。こうあらねばならないと自分を追い詰める生き方と正反対。こんな風な能力を身につけた人は、自分の考えや何かが起こった時の感情という反応もいろんな考えやいろんな反応感情の一つに過ぎないというような、広い視点で自分を客観的にみつめることができやすいので、自分で自分を追い込んでしまうということとは縁のない世界に住めそう。
 
 自殺者数が3万人を割ったと少し、ほっとしている。
 
 今からの時代、この多様性を認める力が問われている。
 自分は正しい、相手が間違っているという一つの価値観だけがまかりとおる世間という敵から、自分はこう思うけど、あなたはそう思うのね。へぇ~というような、ただ、いろんな価値観(同じものを見ても感じ方も考え方も違うんだ)がある・・というだけのそれだけの敵でも味方でもない世間へ進化できるか否か。

 海部町という町がある。
 ここは、日本で一番自殺者が少ない町だという。

 この町の日本人は、この町以外の日本人と野暮だと言われる基準が正反対なのだということが、多様性を自然体で受け入れる人間を育てる基盤となっているらしい。

 子育てのメッセージで、カッコいいかという基準値こそ、子どもの心のツボをギュッと握りしめるものはないと思う。もちろん、そのカッコよさの基準値はひとそれぞれなんだけど、それを地域という母体が規範として指示しているところが、この町で自殺率が日本で一番少ないということを伝えている。
 人と同じでないといけないというようなことを言うと『そんな野暮なこと、よ~せん。』という。
 実際、選挙になると、一般的には派閥とかあって、票集めにみなやっきになる。でも、この町では、そんなことをしたら、『野暮だ。』と言われる。
 
 

 
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