岡田尊司氏著の『父という病』では、父親に課せられた最も重要な役割は、外敵から母子を守り、母子の子育てをサポートすることで、それは、」ホルモンレベルの仕組みの違いによるという。
子どもとの愛着システムは、オキシトシンによって、心を落ち着けてじっとしていることに耐えやすい母性が形成され、バソプレッシンによって、活動性が高まり、大人しく家にいることが難しい父性が形成される。オキシトシンは、人に関心をもち、共感的な関心を示し、優しい愛情を抱くホルモンで、一方、バソプレッシンは、事物に関心を持ち、それは敵を見極めるための冷徹な関心で、厳格な支配をしたがる。男性で、オキシトシンの働きが弱い人は、外で何かしたくてうずうずしてくるのだそう。
全て、納得。
男は金星人、女は火星人・・と言った『ベストパートナー』のジョン・グレイさんと通じるものがある。
そうか。バソプレッシンとオキシトシンのなせる業・・・か。
夫は、バソプレッシンがかなり少ないタイプの男性だったんだ。
バソプレッシンの発達には、父親的な関わりが必要なのだという。
もし、小さい時は、一緒にカラダを使って遊んでくれて、父親に理想像を見出し、それに同一化しようとする時期を経て、思春期には母親に呑み込まれずに外界へと歩みだし、自立への一歩を踏み出す厳しさも兼ね備えた父性が、欠落して育ったら、男の子は、冒険心を駆り立てるはずの攻撃性や行動力が意味もなく空回りし始めるのだそう。
思春期の暴力は、父性の欠落による攻撃性や行動の空回り・・・・か・・・。なるほど。
意味のある攻撃性や行動・・つまり、冒険心やチャレンジ精神、向上心ある子どもになるか空回りして暴力的になるだけかは、父性次第・・・か。
昔は、ヤンキーなどとエネルギッシュな若者が多かったけれど、最近は、そんな思春期の子ってあまり見ない。
かといって、冒険心や向上心のある子が増えたか・・・というとそうでもない。
これは、何を意味するのだろう?
父性的なかかわり方を持てないで育った子は、じゃれあったり闘って遊んだりすることが少なく、そのため、バソプレッシンを賛成する細胞の数が視床下部で少なかったというデータもあるという。
そして、父性のもう一つの特性である荒々しい攻撃性や冒険的な活動性だけが、オキシトシンの働きによって中和されることもなく、剥き出しのままはたらいてしまうと、虐待やDV,浮気といった問題も生じやすくなる・・・・らしい。
オキシトシンという母性で、バソプレッシンという攻撃性を中和するとするなら、無条件の愛・・・みたいな母性の欠落もまた、攻撃性を中和できずに、ただ、ただ、攻撃性のみが野放し状態になる・・・・ということか・・・。
そんな理想的な母親と父親に育てられる子って1割にも満たないんじゃないだろうか。
というか、最近は、最初からシングルというママも増えてきているし、離婚して再婚して・・というなかで、父親・母親がいない場合や義理関係という親子も増えてきている。
じゃぁ、どうしたらいいの?
少子化対策って、子どもの数だけ増えればいい・・・・な感じだけれど、少しは、人類として科学ではなく人間性の進化をめざすというような社会を目指してもいいんじゃないかな?って思ったりもする。親子完結型子育てではなく、社会が社会の子としてバランスのとれた父性と母性を支援する仕組みを試行錯誤していく・・みたいな。お~~~~~、なんと畏れ多い。わが子すら、わが家庭ですらてこずっているというのに・・。
近所に、羨ましいなぁってマジ、胸がキュンキュンする男の子3人のパパがいる。
ちょっと、日本語がおかしいよね。
浮気心があって、そのパパに胸キュンしているのではない。そんな夫を持つ奥さんやその子どもたちが羨ましいのだ。
岡田氏的見解からみると、かなり、理想のパパ像に近い。
昨日、地区のPTAバレーの練習の打ち合わせを彼としている時、『アキレス腱を切らないよう用心しないとね。』という会話から、私が「○○クンは、自転車やってるんじゃない?この前、子どもさんといる姿をみかけたから。どこら辺りまで行くの?」と尋ねたら、「100㌔くらいは走る。県庁まで往復・・かな?片道3時間半くらいかかる。そんなに大変じゃないよ。」って。で、私はさらに質問「息子さんたちも100㌔走るの?」「小6と小5の二人は一緒に行くよ。3年生の三男はまだ、100㌔は無理かな?」
いいなぁ~。
息子たちと、山あり谷ありの100㌔の道のりを走る・・なんて。達成感という喜びを父親といっしょに味わえるなんて。何も語らずとも絆が深まるだろうなぁ。はぁ~、うちとは大違いだ。我が家が4人も男の子がいるのに・・・・・。無念・・。
彼は、去年の自治会のすもう大会でも、理想の父親だった。他のおやじたちは、バーベキューの肉とビールとばっかり奮闘していて、炭火のそばから的離れようとしないのに、彼だけは、ずっと、子どもたちに取り組みさせ続け、最後の最後まですもうの相手をしていた。男の子たちは、もう、大満足だった。意気揚々と戦いをやっていた。あの姿を見ていても、男は戦いの本能を持っているんだなって思ったもの。女の子は、公民館の中でうだうだしていた。
まぁ、人生が違うのよね。きっと・・。うちの子の進む道と彼の子の進む道は、・・・・。
あきらめるしかない。
『わたしがあなたを選びました』という鮫島先生の絵本を思い出して、『そうだ。うちの子たちは、男の子として、彼らなりの人生を歩むために、私と夫というかなり不完全なおうちを選んで生まれてきたのだ。申し訳ない・・・なんて思う必要はないんだ。』と自分を納得させた。
ただ、彼を見ていて、一つだけ気になったことがある。
本来のすもう大会の一番の目的は、中学3年生のためにあるのだ。『最後の年に、すもうというイベントをまかされ、寄付金集めから景品購入、当日の大会のしきり・・・までの責任を負うという大役を任される』ことを通して、子どもから大人になるための通過儀礼(イニシエーション)・・・それが、すもう大会の最大の目的なのだ。この貴重な体験が、社会人としての自覚をめざめさせ、彼らの自信につながるような意識をもって支援することが保護者には要求されているはずなのだ。そう、すもう大会は、中3の子ども達が、社会の門出へと船出するためのはなむけの儀式なのだ。
しかし、彼は、彼が中心になって、取り組ませていた。ずっと・・・。そりゃぁ、小学生の子どもたち(彼の子ども達)は大喜びだった。でも、傍らで、中学生たちは、うろうろ。
彼には、わが子たちしか目に入っていなかったのだろうか。
思春期の子ども達の大切な通過儀礼を、彼は横取りしちゃったいあもしれない。
あの時、私は、一言、彼にくぎ刺した。「この相撲の仕切りは、これで最後の中3のお兄ちゃんお姉ちゃんたちに体験させてあげることに意味があるんじゃない?」・・と。しかし、彼は、私の意見を無視した。
そこが、気になった。
今、彼は、小学生の男の子3人の父親だ。理解あるいっしょに遊んでくれるいい父親だ。
しかし、彼の子ども達が、思春期になって必要とする厳しい父親という社会を果たして提供できるのだろうか?
ずっと、ものわかりのいい父親であることが、思春期の男の子には仇となることはないのだろうか・・・・。
ま、余計なお世話だね。少なくとも、うちの夫より、はるかにましだもの。
うちの子は、おかげで、早く、家から脱出したいという願望だけはあったので、自立に関しては目覚めが早かったかも。
そうだよ。彼らは、なんか知らないけれど、我が家という試練をあえて選んで生まれてきたチャレンジャーなんだ。すごいことなんだ。きっと・・・。
私の役目は、父親像が確立できなかった彼らが結婚して子どもができた時、お嫁さんとタッグを組んで、彼らが子育てに上手に巻き込まれるよう支援し、子育てに関わることから得られる喜びをオキシトシンの力を借りて開花させ、次の世代への父親像の負の連鎖を断ち切ることだと思っている。
そんな理想的な父親や母親の元に生まれることを選ばなかった男の子たちが、次の世代へそっくりそのまま負の連鎖をしないですむような知恵を、私の試行錯誤体験からあみだして、それを社会の仕組みの中に取り入れていきたい・・・と、今の今、思った。
子どもとの愛着システムは、オキシトシンによって、心を落ち着けてじっとしていることに耐えやすい母性が形成され、バソプレッシンによって、活動性が高まり、大人しく家にいることが難しい父性が形成される。オキシトシンは、人に関心をもち、共感的な関心を示し、優しい愛情を抱くホルモンで、一方、バソプレッシンは、事物に関心を持ち、それは敵を見極めるための冷徹な関心で、厳格な支配をしたがる。男性で、オキシトシンの働きが弱い人は、外で何かしたくてうずうずしてくるのだそう。
全て、納得。
男は金星人、女は火星人・・と言った『ベストパートナー』のジョン・グレイさんと通じるものがある。
そうか。バソプレッシンとオキシトシンのなせる業・・・か。
夫は、バソプレッシンがかなり少ないタイプの男性だったんだ。
バソプレッシンの発達には、父親的な関わりが必要なのだという。
もし、小さい時は、一緒にカラダを使って遊んでくれて、父親に理想像を見出し、それに同一化しようとする時期を経て、思春期には母親に呑み込まれずに外界へと歩みだし、自立への一歩を踏み出す厳しさも兼ね備えた父性が、欠落して育ったら、男の子は、冒険心を駆り立てるはずの攻撃性や行動力が意味もなく空回りし始めるのだそう。
思春期の暴力は、父性の欠落による攻撃性や行動の空回り・・・・か・・・。なるほど。
意味のある攻撃性や行動・・つまり、冒険心やチャレンジ精神、向上心ある子どもになるか空回りして暴力的になるだけかは、父性次第・・・か。
昔は、ヤンキーなどとエネルギッシュな若者が多かったけれど、最近は、そんな思春期の子ってあまり見ない。
かといって、冒険心や向上心のある子が増えたか・・・というとそうでもない。
これは、何を意味するのだろう?
父性的なかかわり方を持てないで育った子は、じゃれあったり闘って遊んだりすることが少なく、そのため、バソプレッシンを賛成する細胞の数が視床下部で少なかったというデータもあるという。
そして、父性のもう一つの特性である荒々しい攻撃性や冒険的な活動性だけが、オキシトシンの働きによって中和されることもなく、剥き出しのままはたらいてしまうと、虐待やDV,浮気といった問題も生じやすくなる・・・・らしい。
オキシトシンという母性で、バソプレッシンという攻撃性を中和するとするなら、無条件の愛・・・みたいな母性の欠落もまた、攻撃性を中和できずに、ただ、ただ、攻撃性のみが野放し状態になる・・・・ということか・・・。
そんな理想的な母親と父親に育てられる子って1割にも満たないんじゃないだろうか。
というか、最近は、最初からシングルというママも増えてきているし、離婚して再婚して・・というなかで、父親・母親がいない場合や義理関係という親子も増えてきている。
じゃぁ、どうしたらいいの?
少子化対策って、子どもの数だけ増えればいい・・・・な感じだけれど、少しは、人類として科学ではなく人間性の進化をめざすというような社会を目指してもいいんじゃないかな?って思ったりもする。親子完結型子育てではなく、社会が社会の子としてバランスのとれた父性と母性を支援する仕組みを試行錯誤していく・・みたいな。お~~~~~、なんと畏れ多い。わが子すら、わが家庭ですらてこずっているというのに・・。
近所に、羨ましいなぁってマジ、胸がキュンキュンする男の子3人のパパがいる。
ちょっと、日本語がおかしいよね。
浮気心があって、そのパパに胸キュンしているのではない。そんな夫を持つ奥さんやその子どもたちが羨ましいのだ。
岡田氏的見解からみると、かなり、理想のパパ像に近い。
昨日、地区のPTAバレーの練習の打ち合わせを彼としている時、『アキレス腱を切らないよう用心しないとね。』という会話から、私が「○○クンは、自転車やってるんじゃない?この前、子どもさんといる姿をみかけたから。どこら辺りまで行くの?」と尋ねたら、「100㌔くらいは走る。県庁まで往復・・かな?片道3時間半くらいかかる。そんなに大変じゃないよ。」って。で、私はさらに質問「息子さんたちも100㌔走るの?」「小6と小5の二人は一緒に行くよ。3年生の三男はまだ、100㌔は無理かな?」
いいなぁ~。
息子たちと、山あり谷ありの100㌔の道のりを走る・・なんて。達成感という喜びを父親といっしょに味わえるなんて。何も語らずとも絆が深まるだろうなぁ。はぁ~、うちとは大違いだ。我が家が4人も男の子がいるのに・・・・・。無念・・。
彼は、去年の自治会のすもう大会でも、理想の父親だった。他のおやじたちは、バーベキューの肉とビールとばっかり奮闘していて、炭火のそばから的離れようとしないのに、彼だけは、ずっと、子どもたちに取り組みさせ続け、最後の最後まですもうの相手をしていた。男の子たちは、もう、大満足だった。意気揚々と戦いをやっていた。あの姿を見ていても、男は戦いの本能を持っているんだなって思ったもの。女の子は、公民館の中でうだうだしていた。
まぁ、人生が違うのよね。きっと・・。うちの子の進む道と彼の子の進む道は、・・・・。
あきらめるしかない。
『わたしがあなたを選びました』という鮫島先生の絵本を思い出して、『そうだ。うちの子たちは、男の子として、彼らなりの人生を歩むために、私と夫というかなり不完全なおうちを選んで生まれてきたのだ。申し訳ない・・・なんて思う必要はないんだ。』と自分を納得させた。
ただ、彼を見ていて、一つだけ気になったことがある。
本来のすもう大会の一番の目的は、中学3年生のためにあるのだ。『最後の年に、すもうというイベントをまかされ、寄付金集めから景品購入、当日の大会のしきり・・・までの責任を負うという大役を任される』ことを通して、子どもから大人になるための通過儀礼(イニシエーション)・・・それが、すもう大会の最大の目的なのだ。この貴重な体験が、社会人としての自覚をめざめさせ、彼らの自信につながるような意識をもって支援することが保護者には要求されているはずなのだ。そう、すもう大会は、中3の子ども達が、社会の門出へと船出するためのはなむけの儀式なのだ。
しかし、彼は、彼が中心になって、取り組ませていた。ずっと・・・。そりゃぁ、小学生の子どもたち(彼の子ども達)は大喜びだった。でも、傍らで、中学生たちは、うろうろ。
彼には、わが子たちしか目に入っていなかったのだろうか。
思春期の子ども達の大切な通過儀礼を、彼は横取りしちゃったいあもしれない。
あの時、私は、一言、彼にくぎ刺した。「この相撲の仕切りは、これで最後の中3のお兄ちゃんお姉ちゃんたちに体験させてあげることに意味があるんじゃない?」・・と。しかし、彼は、私の意見を無視した。
そこが、気になった。
今、彼は、小学生の男の子3人の父親だ。理解あるいっしょに遊んでくれるいい父親だ。
しかし、彼の子ども達が、思春期になって必要とする厳しい父親という社会を果たして提供できるのだろうか?
ずっと、ものわかりのいい父親であることが、思春期の男の子には仇となることはないのだろうか・・・・。
ま、余計なお世話だね。少なくとも、うちの夫より、はるかにましだもの。
うちの子は、おかげで、早く、家から脱出したいという願望だけはあったので、自立に関しては目覚めが早かったかも。
そうだよ。彼らは、なんか知らないけれど、我が家という試練をあえて選んで生まれてきたチャレンジャーなんだ。すごいことなんだ。きっと・・・。
私の役目は、父親像が確立できなかった彼らが結婚して子どもができた時、お嫁さんとタッグを組んで、彼らが子育てに上手に巻き込まれるよう支援し、子育てに関わることから得られる喜びをオキシトシンの力を借りて開花させ、次の世代への父親像の負の連鎖を断ち切ることだと思っている。
そんな理想的な父親や母親の元に生まれることを選ばなかった男の子たちが、次の世代へそっくりそのまま負の連鎖をしないですむような知恵を、私の試行錯誤体験からあみだして、それを社会の仕組みの中に取り入れていきたい・・・と、今の今、思った。