総合漢方にんぷ薬・総合漢方育児薬

~頭を使ってではなく、カラダ(感性)で子育てしてみませんか~

父親か・・・。

2014年06月25日 | エッセー
 岡田尊司氏著の『父という病』では、父親に課せられた最も重要な役割は、外敵から母子を守り、母子の子育てをサポートすることで、それは、」ホルモンレベルの仕組みの違いによるという。
 子どもとの愛着システムは、オキシトシンによって、心を落ち着けてじっとしていることに耐えやすい母性が形成され、バソプレッシンによって、活動性が高まり、大人しく家にいることが難しい父性が形成される。オキシトシンは、人に関心をもち、共感的な関心を示し、優しい愛情を抱くホルモンで、一方、バソプレッシンは、事物に関心を持ち、それは敵を見極めるための冷徹な関心で、厳格な支配をしたがる。男性で、オキシトシンの働きが弱い人は、外で何かしたくてうずうずしてくるのだそう。

 全て、納得。

 男は金星人、女は火星人・・と言った『ベストパートナー』のジョン・グレイさんと通じるものがある。
 
 そうか。バソプレッシンとオキシトシンのなせる業・・・か。
 夫は、バソプレッシンがかなり少ないタイプの男性だったんだ。
 
 バソプレッシンの発達には、父親的な関わりが必要なのだという。
 もし、小さい時は、一緒にカラダを使って遊んでくれて、父親に理想像を見出し、それに同一化しようとする時期を経て、思春期には母親に呑み込まれずに外界へと歩みだし、自立への一歩を踏み出す厳しさも兼ね備えた父性が、欠落して育ったら、男の子は、冒険心を駆り立てるはずの攻撃性や行動力が意味もなく空回りし始めるのだそう。
 思春期の暴力は、父性の欠落による攻撃性や行動の空回り・・・・か・・・。なるほど。
 意味のある攻撃性や行動・・つまり、冒険心やチャレンジ精神、向上心ある子どもになるか空回りして暴力的になるだけかは、父性次第・・・か。
 昔は、ヤンキーなどとエネルギッシュな若者が多かったけれど、最近は、そんな思春期の子ってあまり見ない。
 かといって、冒険心や向上心のある子が増えたか・・・というとそうでもない。
 これは、何を意味するのだろう?

 父性的なかかわり方を持てないで育った子は、じゃれあったり闘って遊んだりすることが少なく、そのため、バソプレッシンを賛成する細胞の数が視床下部で少なかったというデータもあるという。

 そして、父性のもう一つの特性である荒々しい攻撃性や冒険的な活動性だけが、オキシトシンの働きによって中和されることもなく、剥き出しのままはたらいてしまうと、虐待やDV,浮気といった問題も生じやすくなる・・・・らしい。

 オキシトシンという母性で、バソプレッシンという攻撃性を中和するとするなら、無条件の愛・・・みたいな母性の欠落もまた、攻撃性を中和できずに、ただ、ただ、攻撃性のみが野放し状態になる・・・・ということか・・・。

 そんな理想的な母親と父親に育てられる子って1割にも満たないんじゃないだろうか。
 というか、最近は、最初からシングルというママも増えてきているし、離婚して再婚して・・というなかで、父親・母親がいない場合や義理関係という親子も増えてきている。

 じゃぁ、どうしたらいいの?

 少子化対策って、子どもの数だけ増えればいい・・・・な感じだけれど、少しは、人類として科学ではなく人間性の進化をめざすというような社会を目指してもいいんじゃないかな?って思ったりもする。親子完結型子育てではなく、社会が社会の子としてバランスのとれた父性と母性を支援する仕組みを試行錯誤していく・・みたいな。お~~~~~、なんと畏れ多い。わが子すら、わが家庭ですらてこずっているというのに・・。

 近所に、羨ましいなぁってマジ、胸がキュンキュンする男の子3人のパパがいる。
 ちょっと、日本語がおかしいよね。
 浮気心があって、そのパパに胸キュンしているのではない。そんな夫を持つ奥さんやその子どもたちが羨ましいのだ。
 岡田氏的見解からみると、かなり、理想のパパ像に近い。
 昨日、地区のPTAバレーの練習の打ち合わせを彼としている時、『アキレス腱を切らないよう用心しないとね。』という会話から、私が「○○クンは、自転車やってるんじゃない?この前、子どもさんといる姿をみかけたから。どこら辺りまで行くの?」と尋ねたら、「100㌔くらいは走る。県庁まで往復・・かな?片道3時間半くらいかかる。そんなに大変じゃないよ。」って。で、私はさらに質問「息子さんたちも100㌔走るの?」「小6と小5の二人は一緒に行くよ。3年生の三男はまだ、100㌔は無理かな?」

 いいなぁ~。

 息子たちと、山あり谷ありの100㌔の道のりを走る・・なんて。達成感という喜びを父親といっしょに味わえるなんて。何も語らずとも絆が深まるだろうなぁ。はぁ~、うちとは大違いだ。我が家が4人も男の子がいるのに・・・・・。無念・・。

 彼は、去年の自治会のすもう大会でも、理想の父親だった。他のおやじたちは、バーベキューの肉とビールとばっかり奮闘していて、炭火のそばから的離れようとしないのに、彼だけは、ずっと、子どもたちに取り組みさせ続け、最後の最後まですもうの相手をしていた。男の子たちは、もう、大満足だった。意気揚々と戦いをやっていた。あの姿を見ていても、男は戦いの本能を持っているんだなって思ったもの。女の子は、公民館の中でうだうだしていた。
 まぁ、人生が違うのよね。きっと・・。うちの子の進む道と彼の子の進む道は、・・・・。
 あきらめるしかない。
 『わたしがあなたを選びました』という鮫島先生の絵本を思い出して、『そうだ。うちの子たちは、男の子として、彼らなりの人生を歩むために、私と夫というかなり不完全なおうちを選んで生まれてきたのだ。申し訳ない・・・なんて思う必要はないんだ。』と自分を納得させた。

 ただ、彼を見ていて、一つだけ気になったことがある。
 本来のすもう大会の一番の目的は、中学3年生のためにあるのだ。『最後の年に、すもうというイベントをまかされ、寄付金集めから景品購入、当日の大会のしきり・・・までの責任を負うという大役を任される』ことを通して、子どもから大人になるための通過儀礼(イニシエーション)・・・それが、すもう大会の最大の目的なのだ。この貴重な体験が、社会人としての自覚をめざめさせ、彼らの自信につながるような意識をもって支援することが保護者には要求されているはずなのだ。そう、すもう大会は、中3の子ども達が、社会の門出へと船出するためのはなむけの儀式なのだ。
 しかし、彼は、彼が中心になって、取り組ませていた。ずっと・・・。そりゃぁ、小学生の子どもたち(彼の子ども達)は大喜びだった。でも、傍らで、中学生たちは、うろうろ。
 彼には、わが子たちしか目に入っていなかったのだろうか。
 思春期の子ども達の大切な通過儀礼を、彼は横取りしちゃったいあもしれない。

 あの時、私は、一言、彼にくぎ刺した。「この相撲の仕切りは、これで最後の中3のお兄ちゃんお姉ちゃんたちに体験させてあげることに意味があるんじゃない?」・・と。しかし、彼は、私の意見を無視した。
 そこが、気になった。

 今、彼は、小学生の男の子3人の父親だ。理解あるいっしょに遊んでくれるいい父親だ。
 しかし、彼の子ども達が、思春期になって必要とする厳しい父親という社会を果たして提供できるのだろうか?
 ずっと、ものわかりのいい父親であることが、思春期の男の子には仇となることはないのだろうか・・・・。

 ま、余計なお世話だね。少なくとも、うちの夫より、はるかにましだもの。

 うちの子は、おかげで、早く、家から脱出したいという願望だけはあったので、自立に関しては目覚めが早かったかも。

 そうだよ。彼らは、なんか知らないけれど、我が家という試練をあえて選んで生まれてきたチャレンジャーなんだ。すごいことなんだ。きっと・・・。
 
 私の役目は、父親像が確立できなかった彼らが結婚して子どもができた時、お嫁さんとタッグを組んで、彼らが子育てに上手に巻き込まれるよう支援し、子育てに関わることから得られる喜びをオキシトシンの力を借りて開花させ、次の世代への父親像の負の連鎖を断ち切ることだと思っている。
 そんな理想的な父親や母親の元に生まれることを選ばなかった男の子たちが、次の世代へそっくりそのまま負の連鎖をしないですむような知恵を、私の試行錯誤体験からあみだして、それを社会の仕組みの中に取り入れていきたい・・・と、今の今、思った。
 
   
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父という病という本を読んだ!

2014年06月22日 | エッセー
 女性は、もっと、男という人種のことを客観的に知らなければ損をするって、この本を読んでしみじみ・・・そして、ココロはざわざわな今の心境。
 パートナーとの関係性も男の子を育てるコツもこの本に満載だ。
 神様から男の子を授かった方、あるいは、イクメン夫に恵まれなかった方、なるべくフレッシュなうちにこの本をお読みくだされ。岡田先生は、この本の前に『母という病』という本を書いていらっしゃってブームになり、文庫本化されているようなので、それも読んでみたい。
 今どきのママは、シアワセだと思う。本気になって探せば、指南書がちゃんとあるってことが・・・。私が結婚したころは、なかった。一人目を産んで二人目を産んだころから、アダルトチルドレンとか依存症とか共依存という言葉が脚光を浴び始めたって感じだった。アダルトチルドレン夫と結婚したことが結婚後判明した私は、手探り状態でありながらも、アダルトチルドレン関連の保健師向け講演会で専門家のお話を聴く機会に恵まれ、どうにかこうにか客観的に自分の家族を見れるという幸運にめぐまれ、どうにかこうにか今までやってきた。しかし、今どきのママは、探せば、全ての情報はほぼ出揃っている感があるので、手に入れることができる。あとは、求めるかどうか・・と体験の積み重ねで自分のものにする力がどれだけあるか・・・だ。

 読後感として、この世は、病だらけだから、皆、安心しな!父親が、子どもが幼い頃は、一緒にカラダを使って遊んでくれて、子どもからの尊敬もえながら、思春期になると、ビシッと厳しく律する権威も兼ね備えている・・・・ようなおうちの子ども以外は、病なおうちで育つって話だった。父親が偉大すぎても尊敬されすぎても病になるし、優しすぎても病に侵されるし、もちろん、厳しすぎても、自己中過ぎても病になるってわけで、まともな家庭なんて、ほんの一握りだよ。どうしたらいいの?病はいけないの?って、病について、なんだかなぁ、ちょこっと突っ込んで考えてみたくなった。
 この本を読んで、まず、この世の男と女のほとんどが母という病と父という病予備軍なんじゃないかなぁ。マイノリティが病で、まともな男と女は1割か2割に満たないと思う。だとしたら、病に悲観することはない。みんな大なり小なり父という病や母という病に罹っているんだから。そして、そんな父と母の元に生まれてきた子ども達も将来、同じような病に罹る可能性はある。だから、それでいい・・・ということではない。今、指南書は出揃った。人間には、自然治癒力も備わっている。親がそんなこんなでイマイチでも、今の自分を客観的に父という病、あるいは、母という病に罹っているんだと認識し、次の世代を担うわが子たちのためにも、この病を治そうという目的意識をもって、日々、意識的に生きていくという選択肢もある。
 父という病と母という病が蔓延し、そこで、苦悩している人間が大勢いる・・・・・というのが、当たり前なんじゃない?って思えたりもする。父という病や母という病の元に生まれた子ども達は、そんな母や父を恨むのではなく、それを、どうやって乗り越えて行くか・・・自分が父となったとき、どれだけ『幼い時は、カラダを使って遊んであげて、子どもが同一化したくなるような尊敬される存在となり、思春期には厳しくあり、自然な巣立ちを支援できるような父親』になれるか・・・・というお題で、この世を生きることが、人生なのかもしれないと思ったりもする。
 だから、理想の父親に育てられた人たちは、あるべき姿として必要。
 『神との対話』に、この世は、ゲームだ。みんなが理想に近づいたら、このゲームは終わってしまう。そんなことはさせない・・・。みたいなことが書かれてあった。そうかも・・・。みんなが素晴らしい人間になったら、この世は、つまんなくなる。確かに・・。でも、きつい・・・。
 みんなが、理想的な父親や母親に育てられたら、子どもたちは、なんとシアワセ・・・・なこと・・・だろう・・・・・・・か?
 そこは、ビミョー。
 理想的な父親と母親に育てられるってことは、つまり、温室育ちってこと。
 温室か~~~~~。
 そう考えると、温室育ちの人間ばっかりだと、世界では通用しないかなぁ~って思っちゃう。
 みんなが、温室で育てられたら、いざ、嵐がやってきたときに、精神的に弱くて太刀打ちできない可能性もある。

 この夏、23歳の長男と高3の三男をカンボジアの空気を吸わせに行かようと思っている。
 補助事業で、わが町に住所のある35歳までの人なら誰でも、旅費と宿泊費が半額になるというスタディツアーの募集があった。無気力高3の三男をどげんかせんといかん(どうにかしなくてはいけない)と思っていた(ず~~っと思案しているんだけど)。そしたら、このスタディツアーのチラシが目についた。今、私ができることは、これしかないって感じで、飛びついた。三男の育児に欠けているもの、そのせいで無気力になっている、その何か・・・は、思春期に必要な厳しい父性。父性の代わりをカンボジアという厳しさによるカルチャーショック療法で試みてみようという魂胆だ。果たして、その効果はいかほどか・・・・。賭けだね。賭け・・・。私は、行きたくて20代後半にインドに行った。そして、インドに行ってすっごい衝撃を受けた。写真じゃ、その1万分の一も伝えられないということに衝撃を受けた。どんなに汚い風景やごった返す喧騒も、写真ではそのリアルは伝わらないということが痛いほどわかった。物乞いする子どもたちのリアルも伝わらない。逆に、タージマハルの美しさは、薄っぺらかった。写真の方が壮大で幻想的だった。日本人だからだろうか。わびさびの空気感がないせいだろうか。風流・・・というようなじわ~~~~~~っとくる感動がなかった。庭がただっ広いせいかなぁ?写真と同じでつまんなかった。
 もう、こうなったら、少年よ!大志を抱け!!なんて、そんなたいそうなことは言わない。
 せめて、せめて、

 三男よ。カンボジアでリアルを掴め!・・・・・だい。

 長男は、住民票がないので、全額自己負担だけれど、三男一人では絶対行かないと思ったので、面倒見のよい、世界を旅したいと常日頃から言っていた長男に声をかけたら、即、『行きたい』という答えが返ってきたので、応募した。実は、次男にも声かけたけれど、試験前1週間なので、行きたいけれど行けないという返事で、残念だった。男兄弟3人で行くのもいいなぁって思っていたので・・・。絶対、留年だけはしてほしくないのであきらめた。

 ポルポト政権の爪痕は、今なお続いているカンボジアという国。

 医者や教師など知識層をことごとく虐殺して残されたのは、子どもたちと知識層でない人たち。
 未来の子どもを育てるための肝心要の知的財産の乏しい国。

 わが町は、10年ほど前より、有志により、このカンボジアの子ども達に、ノートや鉛筆を送る試みを続けてこられ、昨年より、スタディツアー事業が始まったとのこと。説明会で、当初は、カンボジアで言えば、文部省の役人に寄付金を委ねて、その方に現地で文房具を購入してもらうようにしていたということ。しかし、集めた寄付金をカンボジアの文部省の役人に渡して、現地でノートや鉛筆などの文房具を購入してもらうということで現地入りして、ふたを開けてみたら、たった一箱の段ボールしかなかったんだそう。物価の違いを勘案してももっとありそうだけれど、こんなもんかなぁと疑問に感じていたら、やっぱり、その役人が着服していたということ。なんと、文部省の役人ですら着服するということが判明したので、これではいけないということになり、今度は、学校の先生に日本で購入した文房具を送って、直接子どもたちに渡してもらうようにしたそうな。が、しかし、この先生も3分の2くらい着服して(カンボジアでは、先生にとってもノートや鉛筆は魅惑的なのでしょう)いるということがわかって、それからは、現地の子ども達に、一人ひとり手渡しでノートと鉛筆を手渡しするために出向いているという。その手渡しを目的にしたスタディツアーの企画が、今年で2回目で、その企画が三男の行く末を案じる母である私の目に留まったというわけでした。
 着服やワイロが横行する国って、全ての国に当てはまることであり、別に驚くことではない。世界の国は、ワイログラジェーション。日本だって、表にはわからないように上手に操作されている・・・・きっと。
 でもね。『ブルータス、お前もか・・・・・。』じゃないけれど、『せんせい、お前もか・・・・。』
 カンボジアは、20歳以下が70%も占める子どもだらけの国だそう。日本とはえらいチガイだ。
 70%だよ。
 すごいね。
 なのに、なのに、ポルポトにより破壊された国を再建するための理想を掲げて国造りをやっていくであろう未来の大人たちを育てる肝心要の先生が、そんなんじゃ、国造りは絶望に近いんじゃないかなぁとため息が出る。人間は、弱いからこそ、理想や理念を植え付けていくことが必要なのに、それすらもかなわない国。
 昨日は、四男の参観日だった。
 日本の先生は、ありがたい。
 前代未聞クラスを受け持ってくださる先生は、子どもたちに学力をつけさせるために、あの手この手で一生懸命チャレンジしてくださっているということが、先生のキラキラした前向きなお顔から推測された。やっぱり、20人中男子16人という比率のなせる業は、ベテラン先生でもてこづるようだ。先日も100問の漢字読み方テストの平均が40点で目が点になられたとのこと。
 先生は、懇談会の場で、こんなクイズを出された。文中の記号が何かをあててください・・・という質問です。
 『*と@の■ているりんごの○を●わせると72▽です。
  *の■っている○は@の3□です。*と@の■っているりんごの○はそれぞれ▼▽ですか?』

 難しいですね。

 実は、これ、*とか■は、漢字で、漢字の読めない子どもたちは、この問いが名のことかさっぱり訳が分かんないという実体験の試みでした。
 うっはぁ~。これって、四男そのものじゃない。
 文章題が解けないはずだ。
 なんおことだかさっぱりわかんない。
 解こうとする気にもならないよね。
 漢字は、書けなくても、せめて読めないと、全ての授業についていけないのだ。
 結果、勉強嫌いになるし、自信も全然つかない。
 これはいけない。
 せめて、読めるようにだけはしてあげねば・・・とマジ、思った。

 ちなみに、ちなみに、四男の初回のテスト結果は、トホホの26点・・・。溜息・・・。
 でも、先生が、『おうちでできなかったところをやってくること。もし、できなかったら、昼休みの権利を奪う』とおっしゃったようで、その夜は、本人も集中して覚えようとした。短時間で何回も何回もそらんじて覚えようというやり方を初めて公開してくれた。いいぞ、いいそ、今までそんな風に『覚えるぞ~~。』というような自力の覚えるオーラなんて微塵もを見せてもらったことがないので超うれしかった。いい感じ、その調子。翌朝、読み仮名のところを伏せて読んでみようよと言ったら、拒否せず乗ってきたので、1回だけ、読ませてから学校へ送り出した。
 そして夜。
 『今日は、漢字66点だったよ。』ととっても嬉しそうに教えてくれた。
 1回くらい、100点という満点の幸せを体験してほしい。今、この時を大切にしたい・・・。このテストだけは、100点になるまでおうちでトライしてみようと思っている。

 てな具合で、日本の子ども達は、先生に恵まれている。
 先生の熱意の賜物…で、日本の教育は成り立っている。そりゃぁ、変な先生もいるけれど、カンボジアに比べれば、はるかにはるかに理想に向買って研鑽されている先生が多い。
 参観日の懇談会で、先生が、66点をとれたことに心から喜んでくださっているのがわかって、ほんとうにいい先生だなぁて感謝した。この先生には、愛を感じる。ヘレンケラーのサリバン先生みたいな愛を・・・・・。カンボジアの文房具をちゃっかり着服してしまう先生のことを思うと、こんないい先生に出逢えたことに、ただ、ただ、感謝するのみ。
 ただ、こうも思う。日本の先生たちも、もちろん、私も、カンボジアという地で生まれ育てば、知識層の親が皆殺しに合うというような悲惨さを生きなければならないとしたら、文房具を着服するという人生を歩む可能性は十分あると・・・・・。日本に生まれた幸運に感謝しようと思った。

 土日に、四男は、自主的に、66点だった漢字の読みテストをやり直して覚えようとした。
 これは、快挙だ。
 本人自ら、もっと、○をいっぱいもらいたいというココロが目覚めた。
 小学校に入学して4年目にして初めて、そのような欲が出てきた。
 法律と側転と公共の三文字がなぜだか覚えられず、何度も引っかかった。それでも、85点くらいはとれそうなくらい読めるようになった。
 また、このテストがあるといいなって親心に思っていたら、なんと、昨日も同じテストがあって、なんと、なんと81点とったって、うれしそうにテストを見せてくれた。もう、ハイタッチの世界だ。『やったね。でも、悔しいね。朝、もう1回、復讐しておけば、90点以上とれたのにねぇ。悔しい。』って私が悔しがってしまった。
 しばらくして、ぼそっと、『お母さんの喜び方が思ったほどでもなかった。」とうぶやいた。
 あ~~~~~ら。そうだったのね。もっと、飛んだり跳ねたりしてほしかったんだ。本人が、そこまで喜んでいる様子ではなかった・・・・。でも、ほんとうは、大空の雲をつかめそうなくらい心は飛び跳ねていたのかもしれない。
 
 翌日の夕方、仕事から帰ると、『今日は、96点だった(ルンルン・・・』と、昨日と同じ漢字の読みテストをうれしそうに見せて・・・・・くれようとして、右手にその96点のテストをひらひらさせながら、2階へ駆け昇って行った。そして、ドアを閉めた。なかなかあけてくれない。じらし作戦で喜びの相乗効果を狙っているんだとわかって、かわいいなぁっていとおしくなった。そして、おんぶして階段を降りて行った。彼も素直におんぶされた。
 にもかかわらず、彼は、寝る前に私の喜び方が足りなかった・・・とぼやいた。
 あ~~~~~~、それほどまでにうれしかったのね。
 
 今回、生まれて初めて、ほんとうに初めて、暗記しようという意志で漢字の読みをそらんじる四男の姿を見た。
 トホホ・・・・。
 小4にして初めて、お勉強というスタンスを彼は体験した。
 トホホ・・だけれど、すごく大切な記念日となったことは確かだ。
 

 そして、また、一日が過ぎ、夕方、家に帰ると『今日は、98点だった。100点じゃなかった・・・。』とポツリ。
 そうか、先生は、本気で100点という文字を四男の目に焼きつけることにより、四男のやる気の芽を発芽させようとしてくださっているんだということがわかって、感謝した。
 100点というものをゲットした時の気持ちがどんなものかを、100点からほど遠いところで眺めていた四男に感じさせてあげようとしてくださる愛情に、心から感謝した。

 参観日の懇談会で、先生は男の子が8割というこのクラスの漢字の読みテストの平均点が40点という現実におののかれ、先生という人生20年で最も過酷な試練を感じているとおっしゃった。今まで培ったあの手この手が、この子たちにはさっぱり通用せず、今、さらなる研鑽をされているともおっしゃった。でも、燃えていらっしゃった。どうしたら、やる気を引き出せるか精進するのみ・・・と元気よく宣言してくださった。

 あ~~~、なんというシアワセ。
 カンボジアの子ども達に比べてら、日本の子ども達のなんと恵まれていることか・・・・・。
 
 話が、横道にそれてしまった。

 思春期の男の子が脱皮して大人の男になるために、絶対必要条件である厳しい父性という贈り物を父性なきこの家庭でどのようにして、三男に届けられるか・・・の苦肉の策として、カンボジアのスタディツアーをチョイスした・・・という話だった。

 思春期に厳しい父性の欠落した家庭で育った男の子は、無気力になりやすい・・・・と『父という病』には書いてあった。
 物わかりのいい優しい父親が増えている。いいんじゃない?って思っていた。でも、どうやら、そうとも言えないようで、子育てってほんとうに難しいなって思う。
 世界には、思春期の男の子が厳しさを乗り越え、大人の男になるための儀式(イニシエーション)がいろいろある。
 日本では、元服というものがあった。
 
 男の子には必要なのだ。特に・・・。

 親は、親になったら、子どもが思春期になる頃までに、親になったことによる自信・・・・みたいなものを、子育てという訓練期間内に子育てをとおして培っていき、子どもが、いざ、怒涛の思春期になったときに、『どすこい!どっからでもかかってこい!!』と啖呵を切れるほどの、正面切って勝負できるような覚悟という鎧兜をゲットすることを目標に、小さい頃から、小さいことでも、その場しのぎで取り繕わないで、子どもときちんと向き合うよう意識して生活していくことが、とっても大事なんじゃないかなぁって、しみじみ思た。

 子どもを信じきれる自信・・・とか、自分に迷わない自信・・とか。
 そんな自信って、即席では身につかない。

 子育てで、問題というものが生じた時に、どれだけ、きちんと向き合ってきたか・・・・自分と・・・そして、子どもと…そして、ほんとうは、パートナーと・・・・に尽きる。

 人間だけだ。・・・・そう。

 何が?

 子育てにオスの関与が必要とされるのは・・・・。

 だそう。

 生物学の権威の方の本にそう書いてあった。

 ほっておけば、男性は、子育てに関与しないのだろうか・・・・。
 本能は、そっちなのだろうか?
 それを、母親となった女性の上手な導きにより、赤ちゃんの世話をしていくうちにその気になっていくものなのだろうか?
 だとしたら、女性は、夫も子育てに協力すべきだ・・・というあるべき論から攻めるのではなく、自分のために、子育てにパートナーをうまく巻き込んでいくような手練手管の術を身に着けていくって大事なことかもしれない。もちろん、パートナーによって差があるので、苦労せずいっしょに子育てしている方もいるし、とっても難しいという方もいる。
 今から、結婚する方へ。
 もし、子育てをパートナーと喜びあるものにしたいという思いが一番であるなら、結婚前にパートナーの父親と母親って親モデルとしてどんな人か、客観的に見ることは結構重要なポイントだと思う。
 この点に関して、私は失敗した。トホホ・・・。
 義理の母が、私の母と正反対でユーモアがあって遊び心があって魅かれた。家もきれいすぎずほどよくよく片付いていて神経質ではなさそうなところが、○だった。しかし、この時は、父親のことをあまり重要視していなかった。これが、夫が子ども達のよき父親となれるかどうかを見極めるためにどれだけ重要かということを、その時は知らなかった。
 夫の父親は、給料もそこそこによかったのに、家には一切いれず、毎晩、午前様だったそう。にもかかわらず、息子は強くあってほしいという願望が強く女々しいと暴力をふるっていたという。
 あ~~~~~~。父親モデルとしては最低だ。
 夫には、父親モデルがなかった。
 父親モデルが最悪なうえに、まだまだ、子ども時代に存分に甘えられなかったつけが溜まっていて、そのつけのしわ寄せが私に来た。
 私は、子育てしながら、そのしわ寄せまでも引き受けなくてはいけなかった。

 教訓
  もし、イクメンと結婚したければ、父親を見るにかぎる。

 でもねぇ、今どき、結婚したいって思える男性も減っている。そのうえ、相手の父親まで吟味していたら、結婚できないよねぇ。
 特に、女性も30代後半になると、私も魅力的人間になるよう研鑽してきた。ここまで待ったんだから、自分よりも強く尊敬できて高収入な人と結婚したい・・・というような心理になっていく。こうなると、もうほとんどいなくなる。
 
 
 
 


 
 

 

  


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股関節痛。治すぞ!自力で!!

2014年06月07日 | エッセー
 実は、3月の終り頃から、右股関節に激痛が走るようになり、まともに歩けない日々が続いている。
 4人目をお産後三度目だ。しかし、今回は、ちがう。
 今までは、例の膝上と膝下と足首の3カ所を、鉢巻みたいなひもで縛って一晩寝るだけで、痛みが消失して生活に支障はなかった。しかし、今回は、不可逆的な感じでてこづっている。もう、2カ月以上たつのに、まだ、前向きのウオーキングは無理な状態。
 ここ半年、あおむけに寝ると右臀部の1ヶ所に違和感があった。この時点で、例の鉢巻みたいなものを巻いて寝ていたら、ここまで悪化しなかったのかもしれない。最初の頃は、ちょっとそこまで歩くのもやっとだった。スーパーでの買い物もおばぁちゃんみたいにカートを押して、体重が右股関節になるべくかからないようにしてやっとだった。イオンみたいなショッピングモールでの買い物なんて夢のまた夢。こんなんじゃ、東京にも行けない。どこにも行けない。羽田空港でまず、断念。地下鉄で断念。
 まだ、52歳だ。70歳なら、仕方ない。私の股関節も十分がんばってくれたって感謝できるかもしれない。でも、まだまだ、頑張ってもらわないと困る。退職後に沖縄でゆっくりくつろぎたいという夢がある。なのに、なのに、職場でもトイレに行くのがやっとって、あんまりだ。
 義理父の介護なんて言ってる場合じゃない。人を支えるどころか、自分一人すら支えきれない・・なんて悲惨だ。
 あれから、2カ月余り、とにかく、膝上と膝下と足首を3カ所縛って寝ている。
 そして、朝、目が覚めたら、西式の安産体操とも言われるカエル体操も100回やっている。そして、土日は、後ろ歩きで1時間ほどウオーキング。不思議だね。痛くて前には1歩も歩けないのに、後ろ歩きは痛くないから、いつまでも歩ける。やっぱ、世の中、アインシュタインの相対性理論で成り立っているのね。前に歩く筋肉と正反対の筋肉を使うので痛くないのだ。元々歪んでいた私のカラダをウオーキングすることでもっと歪ませた結果、股関節への負担が大きくなり痛みが生じた、もうこれ以上ゆがみを増強する同じ歩き方はするなというカラダからのメッセージだと受け取った。そして、正反対の筋肉を使うことで歪みも元に戻るのでは・・・・。以前、膝痛のあった方が、半年ほど後ろ歩きをしていたら治ったという新聞記事を読んだことがあって、ふむふむと納得した記憶があったので、トライしてみたのだ。これは、非常によかった。なんせ、とにかく、痛くないんだもん。行きたいところに行けない歯がゆさを生きていると、後ろ歩きででも、行きたいところへどこでも行ける・・という唯一の移動手段にすら感謝する。前歩きだと、一歩一歩も痛いのだけれど、10歩も歩くと膝まで痛み出して歩けない。手すりのありがたさが身に染みる。
 ところで、股関節の手術をしたばかりだという80歳のおじいちゃんが、私に、「股関節の軟骨がすり減って激痛が走るのだ。股関節のすり減った軟骨は再生しないんだよ。ご愁傷様。』って感じで、先輩としてのアドバイスを下さり、ぞっとした。本気で焦った。慌ててインターネットで調べてみると、どうやら、全く再生しないわけではなさそうでほっとした。
インターネットによると、なんと、なんと、あることを癖になるまでし続けると、若い人だと3か月くらいで痛みが消えるという朗報が後光のように輝いていた。
 さっそく、仕事中に、トライ!
 しかし、癖にさせるのもなかなかエネルギーのいる仕事である。
 エネルギーがないと、あれってできないんだって気づいた。
 だよね。女性で、それをやっている人ってあんまり見たことないもん。
 あれって、『貧乏ゆすり』のことでした。
 ずっとやっていると、血流がよくなって、軟骨が再生するんですって。
 そうか、血流がよくなると再生するのか・・・・。
 しかし、夫も貧乏ゆすり時々やるかれど、やっぱ、負のエネルギーがわんさかあるんだろうなぁ。
 精神的なストレス発散だけではなかったのね。精神的にストレスが溜まっていても、エネルギーがない人は貧乏ゆすりではなくて別な方法で発散するのかなぁ。
 貧乏ゆすりはなかなか癖になりそうにないけれど、股関節痛は治るという最終兵器を手にしたことは大きい。『軟骨は再生しない。』と言い切ったおじいちゃんの言葉を聞いたときは、人生真っ暗やみだったけれど、今は、チガウ。希望がある。自分にもできそうな他の方法を試してみて、それでもダメなときは、貧乏ゆすりに挑戦しようと思っている。
 不思議なもので、悩んでいると、つまり、何かいい方法はないものかとアクションし始めると、私の目に、悩みを解消してくれるような本のタイトルが止まるようになっている。この時も、そうだった。
 新聞の一面に、マキノ出版が、『股関節の痛み・しびれが消える』という本の広告が掲載されていた。まだ、発売されたばっかり・・・。
 さっそく、本屋へ。
 いろいろな方法があるというだけでほっとした。テニスボールを股関節にあててうつぶせに寝たり、スキーの杖みたいな奴を使って歩いたり、グーパー運動を300回やったりなんだり・・・・・。
 これだけ、ラインナップされているというだけで心強い。
 人生、自分の応援団をどんだけ見つけられるか・・・だ。
 悩む時は、常に、『何かいい方法があるはずだ。』と信じて探すというアクションもセットで悩もう。
 悩んでいる時に、誰のせいとか自分のせいとか悔やんでいるうちは、あるいは、その場しのぎで取り繕っているうちは、悩みの種は去っていかないものかもしれない。応援団を探そう!
 とにかく、痛み止め生活だけは避けたい。ただでさえ、腎臓の機能がいまいちな私の腎臓ちゃんをこれ以上酷使したくない。痛みどめは、腎臓にかなり
負担となる。将来、人工透析になることは避けたい。その予防策は、超減塩生活とタンパクの制限とカリウム制限食しかないというのもつらい。糖尿病食は、単に砂糖と量の問題だけで、実は、理想の食事だけれど、腎臓病食は、腎臓を守るためには仕方ないとはいえ、実に味気ない食事。人間、食べる楽しみが奪われたら、生きる喜びを奪われるようなもの。だから、痛みどめの連用だけは避けたい。痛みどめは、その場しのぎにすぎない。その場しのぎをずっとやって、自分をごまかし続けていると、腎臓を患うという最悪の状態になる。
 カラダのことでもココロのことでも家庭のことでも、何か問題が生じた時は、その場しのぎにしない・・・・これって、すっごく大事。
 私は、結婚して豹変した夫という大問題を怖かったから、きちんと向き合うということをせず、ずっと、その場しのぎでやってきた。だから、子ども達の心の発達に大きな傷を残してしまった。そう、人工透析一歩手前状態のような・・・・。
 問題が生じた時こそ、実は、歪んだ何かについて、真向勝負するチャンス。
心の問題もカラダの問題も家庭の問題も・・・・問題が生じた時は、何かに対してその場しのぎで生きてきた付けが臨界点を超えて浮き上がって来ただけで、突然、問題が天から降ってきたわけではないんだろうなぁ。
 これは、私らしくない・・・・とどこかで、ふと、脳裏をかすめることはあっても、ま、いいかって感じで受け流してきたしわ寄せが、最終手段として問題という形で気づきを私たちに与えてくれる貴重な体験かもしれない。
 第4子を産んでから、たまに、股関節痛はあったが、どうにかクリアしていたため、ことがこんなに重大になるまで本気でカラダのゆがみに対して対処してこなかったつけが、この春、一気に露出しただけ。激痛が走るという形で。さすがに、スーパーもカートでやっと・・という状況になると、どこにも歩いて行けないという現実を直視せざるを得ない。それは、困る。何が何でも行きたいところに行けるくらいは歩けるようになりたい。気合が入る。
 つまり、やっと、私は、自分のカラダのゆがみときちんと向き合う体制ができたってわけ。
 今、私が採用した対股関節痛対策は主に三つある。その日々いそしんで実行している三つの策とは・・・・。
 まず、一つ目は、例の膝上と膝下と足首を3カ所縛って寝るってやつ。2メートルくらいの長さの鉢巻を3本用意するだけ。ただ、縛ったときに血管を圧迫して血流障害にならないために、真ん中の60㎝くらいは襟心を入れて縫うことが秘訣。足を3カ所も縛って寝るなんて、考えただけでイヤダ、無理・・と拒否反応を示す人も多いけれど、背に腹は代えられない。人間、追い込まれたら藁をもすがるもんだよ。ただ、人間だから、のど元過ぎればすぐ忘れちゃうっていう哀しい生き物だけど。藁をもすがるくらいの境地に追い込まれたら、3カ所足を縛って寝ることくらい平気になる。
 と言いたいけれど、最初は、ちょっときつかった。少し、緩めに縛ったのがよくなかったのか、まだ、股関節の炎症が治まっていなかったせいなのか、2週間くらいは、股関節が疼いた。ず~~~~~ん、ず~~~~~んと。で、もう少しきつめに縛って寝てみたら、疼きがなくなって寝心地もよくなって、今では、慣れてきて、縛って寝ない方が物足りない感じになった。人間、慣れるとどうにかなるものだ。縛って寝るようになってはや3か月、最近は、お陰様で、痛みが走ることはなくなった。2週間ほど前までは、立ったり座ったりするときに痛みが走って手すりがないと無理だったのに、今では、それもなくなった。少し、股関節が硬い感じで歩くとき股関節に力が入るくらいで済むようになった。
 さて、股関節痛対策その2は、後ろ歩きで1時間散歩。平日は時間がないので、土日だけだけど、いつも使う筋肉とは別の筋肉を自然と使うので、多分、骨盤の歪みから変な風についてきていた筋肉の反対の筋肉を使うことで、バランスを取り戻したんじゃないかなぁって思う。
 歩いていて思うもん。重心が、つま先にいっているって。普段、台所で立ってお仕事している時、いかん、いかん、って思うことがよくある。何がいかんかって、重心がかかとにかかっているって感じがいかん。きっと、腹筋や背筋などの筋肉が弱いからそうなるんだと思う。意識して、つま先に重心を持っていこうとするけれど、絶えず意識するって難しい。
 しかし、後ろ歩きだと否が応でもつま先に重心がかかる。週2階しか歩けないので、残念だけれど、5年後くらいには、筋肉のバランスがよくなり、自然とカラダの歪みも解消されるかも・・と期待している。
 そして、最後の3番目は、朝、起きた時に布団の上で、合掌合蹟体操を100回。お相撲さんのまた割を寝てするようなものとでもいったらよいだろうか。最初の頃は、股関節が痛くて拡げられなかったけれど、最近は、膝が床につくくらい拡げられるようになった。
 まだ、完全ではない。6割がたくらいかなて思う。
 でも、本気で探せば、きっと、何かに出逢えるって気がする。
 問題は、危機ではなくチャンスなのだ。
 きちんと自分のココロとカラダと向き合うという・・・・。

 本日、介護人生も追加でスタートした。
 月1回だけ、3泊4日、ほとんど寝たきりの義理父と本人は物忘れがひどくなったくらいにしか自分のことを思っていないかもしれないおそらく隠れ認知症の義理母をみることになった。
 月1回踏ん張る。
 最初の提案は、毎週土日月という案だった。それでは、自分の気持ちが続かないと思った。仕事しながら、子育てしながら、土日も介護なんて、私のストレス発散どこでするの?無理むり・・・。でも、月1回ならがんばれそう。
 そんなこんなで、空から次々と降ってくる自分を笑い飛ばして生きている私に、今朝、旧友から電話があった。『置かれた場所で咲きなさい』という本を書かれたご高齢の女性(お名前を忘れてしまった)が、7月5日に近隣の市で無料で講演をされるから行かない?というお誘いの電話だった。残念ながら、その日は、7月の頑張る介護デー。残念という話をしていると、別の旧友も行くのよって、で、時効かなって感じで話してくれた内容が、その旧友の娘さん、妊娠9か月でご主人が事故で亡くなられた、今、その孫は生後4か月だという。すごく素敵な娘さんだったという印象がある。母親が真摯に生きているので、あんないい娘さんに育つのだろうと思っていたのに・・・。
 試練は、あっちこっちから降ってくる。
 人生は、過酷だ。
 置かれた場所で咲くしかない。咲くぞ~~~~~!。咲かなきゃ損。
 赤ちゃん、大丈夫かな?妊娠9か月からの母親のストレスは半端じゃない。そのストレスが直撃した赤ちゃんのストレスも半端じゃない。抱っこ法、必要。伝えたい。
コメント
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