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●トランプ氏「学校の先生たちを銃で武装させる」…アベ様は「戦争できる国」になり、「銃を持った善人」に

2018年03月10日 00時00分32秒 | Weblog

[※ 自公選挙公約「子育て…」小躍りするアベ様日刊ゲンダイ(2017年12月19日)↑]



東京新聞のコラム【筆洗】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2018022402000155.html)。

 《トランプ氏が打ち出した対策は、学校の先生たちを銃で武装させるというもの。「銃には銃を」「もっと銃を」というわけだ》。

全米ライフル協会NRA)も大喜びでしょうよ、きっと。「銃には銃を」「もっと銃を」…哀しい発想だ。

   『●「不安と闘いながら世界に理念を示し続けた
       この国に生まれたことを僕は何よりも誇りに思う」
    「森達也さん…は言う、「不安と闘いながら世界に理念を示し続けたこの国
     生まれたことを僕は何よりも誇りに思う」。自公議員その他の壊憲派は
     世界に理念を示し続けることを止め、「戦争できる国」に仲間入り
     しましょうという訳です。「誇り」も何もない国にしたいらしい。
     「銃を持った善人」になりたいらしい」
    《コネティカット州の小学校で児童ら26人が殺害されたとき、
     全米ライフル協会(NRA)の副会長は記者会見で、「銃を所持した悪人の
     行為を止められるのは、銃を持った善人だけだ」と述べて銃規制に反対し、
     アメリカ全土では銃の売り上げが急増したという》
    《でも実のところこの思想と論理は、世界のスタンダードでもある。
     核兵器や軍隊の存在理由だ》

 《日本政府などに「米国の武器を買えば、米国に多くの雇用が生まれ、買った国は安全になる」と持ちかけ、軍事産業の売り上げを増やすトランプ大統領の軍拡商法》に嬉々として乗るアベ様の「核」には「核」と同じ発想ですね。幻想の核抑止力。アベ様は「戦争できる国」になり、「銃を持った善人」になりたいらしい。《不安と闘いながら世界に理念を示し続けたこの国に生まれたことを僕は何よりも誇りに思う》…その誇りをかなぐり捨てるつもりだ。

   『●オバマ氏の広島訪問さえも単なる選挙対策…
       …自民党は「口だけ」、選挙で同じ過ちを繰り返してはいけない
    「「核なき世界」どころか、「核兵器のない世界」ですらアベ様の
     「息吐く様に嘘つく」、アベ様のウソ吐きだったようです」
    《日本政府、つまり安倍首相の考えは、
     “核の保有や核兵器の使用は認められるべき”なのだ。
     …安倍首相は官房副長官時代の2002年に、早稲田大学で
     開かれた田原総一朗氏との対話のなかで
     「憲法上は原子爆弾だって問題ではないですからね、憲法上は。
     小型であればですね」と語っている」》
   『●「台湾の原発ゼロ」…あ~ニッポンは、
     3.11東電原発人災に正しく学ばない中毒患者と『続・猿の惑星』
    「『猿の惑星シリーズの《続編では核爆弾を神とあがめる人々も登場》…
     ニッポンの核発電「麻薬」中毒患者の皆さんの愚かな姿は、もはや、
     宗教の域に達しており、「正気の沙汰じゃない。もはや「宗教」、
     「ビョウキ」」です。「核信者」「核燃料サイクル教信者」」

   『●石破茂氏「日本への核拡散」発言と 
     山尾氏「私事」による離党の事の軽重…マスコミはわきまえているか?
    「石破茂氏の発言ですぐにブログ主の頭に思い浮かんだ風景…
     『続・猿の惑星』。自民党本部地下にて、《核爆弾を神とあがめ》、
     手を合わせる石破茂氏やアベ様らの姿」

   『●「いや、ミサイル落ちたら、うちら民間人だって死ぬわな。
                 Jアラートでしゃがみ込んでも意味ないよ」
    「《だいたい北朝鮮の核が世界を脅かす悪だっていうなら、
     なんでトランプ政権が発表した、新たな核兵器開発を進めるなどの
     「核戦略見直しこの国は高く評価しちゃっているの》…答えは簡単、
     「核なき世界」なんて、頭の隅っこにも無し。「核」を持ちたくてしょうがない
     アベ様、石破茂氏、最低の外相・河野太郎氏。
       室井佑月さん曰く、《核は核人類の敵じゃそして、戦争はこの世で
     もっとも悲惨なこと。》 全く同感。《いや、ミサイル落ちたら、
     うちら民間人だって死ぬわな。Jアラートでしゃがみ込んでも意味ないよ》」

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http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2018022402000155.html

【コラム】
筆洗
2018年2月24日

 「トランプ・スランプ」と、いわれているらしい。米国の銃器メーカーの売り上げが、ここ一年で軒並み激減しているというのだ▼米の銃器業界にとって銃規制の強化を図ったオバマ大統領の時代は、実は黄金時代だったという。乱射事件が発生し、大統領が銃規制への決意を示すたび、それに反発するように銃が売れた▼だが、銃器業界が支援したトランプ氏が大統領になると、あわてて買う必要もないと思う人が増えたせいか、銃の売れ行きは落ち込んだ。創業二百年という老舗の銃器メーカー大手レミントン・アウトドアが経営破綻に追い込まれたというから、皮肉なものだ▼そんな「トランプ不況」の打開策のつもりだろうか。フロリダの高校で十七人の命を奪った乱射事件を受けて、トランプ氏が打ち出した対策は、学校の先生たちを銃で武装させるというもの。「銃には銃を」「もっと銃を」というわけだ▼アメリカ教員連盟は「大統領らは軍拡競争を欲し、学校を要塞(ようさい)にするつもりだ」と批判したが、なるほど、日本政府などに「米国の武器を買えば、米国に多くの雇用が生まれ、買った国は安全になる」と持ちかけ、軍事産業の売り上げを増やすトランプ大統領の軍拡商法の国内版のようである▼「銃には銃を」「武器には武器を」のトランプ流ビジネスが行き着く先は、どこか。人ごととは思えぬ米国の銃論議だ。
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●2016年報道の自由度ランキング72位: 「メディアは二流ならば社会も二流」、アベ政治も…粗悪

2016年06月11日 00時00分28秒 | Weblog


LITERA 本と雑誌の知を再発見』(http://lite-ra.com/)の編集部による森達也さんのロングインタビュー『映画『FAKE』公開直前、森達也監督インタビュー/佐村河内の意外な「素顔」に迫った森達也監督が社会の二元化に警鐘!「安倍政権もメディアも途上国以下のレベル」』(http://lite-ra.com/2016/06/post-2302.html)。

   『●『王様は裸だと言った子供はその後どうなったか』読了
   『●『世界が完全に思考停止する前に』読了
   『●『悪役レスラーは笑う ―「卑劣なジャップ」グレート東郷―』読了
   『●『A2』読了
   『●『A3(エー・スリー)』読了
   『●『死刑』読了
   『●『ご臨終メディア ~質問しないマスコミと一人で考えない日本人~』読了 (1/3)
   『●『こころをさなき世界のために』読了
   『●『視点をずらす思考術』読了(1/2)
   『●『視点をずらす思考術』読了(2/2)
   『●『ドキュメント・森達也の「ドキュメンタリーは嘘をつく」』読了
   『●『それでもドキュメンタリーは嘘をつく』読了(1/2)
   『●『それでもドキュメンタリーは嘘をつく』読了(2/2)
   『●『きみが選んだ死刑のスイッチ』読了(1/2)
   『●『きみが選んだ死刑のスイッチ』読了(2/2)
   『●『下山事件〈シモヤマ・ケース〉』読了(1/6)
   『●『メメント』読了
   『●『東京番外地』読了
   『●蓮池透×森達也ロング対談
   『●『戦争の世紀を超えて』読了
   『●ビンラディン氏暗殺再び
   『●光市母子殺害事件最高裁判決: 森達也さんの〝目〟
   『●森達也さんのフェイク・ドキュメンタリー新刊、そして水俣病・・・
   『●森達也さん『「自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか」
                               と叫ぶ人に訊きたい』書評

   『●「不安と闘いながら世界に理念を示し続けたこの国に生まれたことを
                                 僕は何よりも誇りに思う」
   『●原発推進のおバカ映画を見て、一体何の教訓を得ろと??
   『●森達也さん「組織全体の病理と民意の後押し」
   『●森達也さん『国民を騙し続けたこの国には秘密保護法など不要』
   『●秘密隠蔽法: 「もっと絶望した方がいい」・・・
        「絶望」させられたのは自公・翼賛野党非支持者ばかり

   『●戦争法案・壊憲法案に「対案」? 
      答えは「No!」、対案なんてクソくらえだ!
   『●森達也さん、「僕はもうあきらめた」「これから4年間で
          この国がどう変わるのか、とてもとても楽しみだ」
   『森達也さん、新刊『「テロに屈するな!」に屈するな』:
             アベ様らによる、そんな未来を子や孫に?


 《政治が一流だけど、メディアは三流なんて国はありませんメディアは二流ならば社会も二流なんです。相互作用ですから。「国境なき記者団」が発表する「報道の自由度ランキング」でも、上位に位置するノルウェーデンマークスウェーデンは、僕から見れば確かに政治も一流だし、社会も成熟していると感じます。2010年に自由度11だった日本のメディアが、2016年には72にまで下落しました。ならばメディアだけではなくて政治も国民も、同じように下落したということです。今のこの国のレベルは途上国以下》。

 ジャーナリズムは、《社会や大衆が望まなくとも…火中の栗を拾って報じなければならないときがある》。この国の報道機関は「闘って」いるでしょうか? 権力と「闘う」どころか、『読売』や『産経』、『アベ様のNHK』などはアベ様と同調し、社会を破壊していないか? 
 2016年「報道の自由度ランキング」、ニッポンは72位。「メディアは二流ならば社会も二流」、では、アベ政治も二流?、三流?、…最低流、最下流、粗悪? 自公お維大地支持者の皆さんの気が知れない。

   『●スガ殿曰く「報道が萎縮するような実態は全く生じていない」
                …「日本は今や世界の笑い者」、恥ずかしい…
   『●アホらしき税収不足! 日本の「報道の自由度」72位で、
              「パナマ文書を調査しない国は…と日本くらい」
   『●斎藤貴男さん、大新聞社は「自分たちだけは例外。
        権力にオネダリして、そうしていただいたのである」

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http://lite-ra.com/2016/06/post-2302.html

映画『FAKE』公開直前、森達也監督インタビュー
佐村河内の意外な「素顔」に迫った森達也監督が社会の二元化に警鐘!「安倍政権もメディアも途上国以下のレベル」
【この記事のキーワード】インタビュー, 編集部 2016.06.03

     (15年ぶりの単独監督作『FAKE』を
          6月4日に公開する森達也氏)

 “「現代のベートーベン」全聾の作曲家佐村河内守はペテン師だった!”──2014年2月の「週刊文春」(文藝春秋)のスクープを皮切りに、メディアを巻き込んだ大スキャンダルに発展した佐村河内守氏の“ゴースト騒動”。会見後、佐村河内氏は表舞台から姿を消したが、その佐村河内氏の「素顔」に迫ったドキュメンタリー映画が、6月4日より劇場公開される(公式サイト)。

 タイトルは『FAKE』。監督は、オウム真理教信者たちの日常を描いたドキュメンタリー『A』で物議を醸した森達也氏だ。

 騒動後、自宅に引きこもり状態となった佐村河内氏の日常を通して、“ゴースト騒動とは一体何だったのか、誰が誰を騙していたのか、真実とは虚偽とは何かをあぶり出そうとする『FAKE』は、現在の日本社会を投影する“問題作”でもある。

 佐村河内氏と二人だけの対話を試みる森監督。バラエティ番組の出演交渉に訪れるテレビ局関係者。容赦なく佐村河内氏に質問をぶつける海外メディア記者。騒動後も夫を支える続ける妻。そして、これまでの“佐村河内像”をひっくり返すであろう、衝撃的ラストシーン──。

 森氏の単独監督作としては『A2』以来15年ぶりとなる本作。なぜいま、佐村河内氏なのか。そこから浮かび上がる社会、メディアの病理とは何か。森監督に話を聞いた。

……………………………………

──なぜ、佐村河内氏を撮ろうと思ったのですか。

 もともと興味があったわけじゃない。2014年8月に書籍の企画を持ち込まれて、あまりその気はなかったのだけど彼と会って、2時間くらい話をしました。そのときに彼や、彼を取り巻く環境がフォトジェニックだなと強く感じたんです。特に美男というわけではないけれど、画になるなって。それは彼だけじゃなくて、傍に奥さんがいて、猫がいて。リビングはとても薄暗くて、窓を開けたらすぐ近くを電車が走っている。そういったものを全部含めて画になるなと。それで帰り際に、「あなたを映画に撮りたい」と伝えていました。……まあ無理やりに言葉にしたけれど、ほとんど直感です。


──ほとんどのシーンが佐村河内氏の自宅での撮影ですね。カメラを回しているときに「耳が聴こえているのでは」と感じたことは?

 アレ?って思ったことは何度もありました。でも、その次の瞬間、「ああ、やっぱり聴こえてないんだ」って思ったこともある。佐村河内さんの症状である感音性難聴は、聴こえる音と聴こえない音があり、「聴こえている音も曲がって聴こえる」と本人は言っています。これは体調によっても変わる。考えたら当たり前ですよね。あと、口話(口の形)を読んでいるときもある。佐村河内さんは奥さんの口話はかなりわかるんだけれども、初めて会った人の場合はほとんどわからない。人によって癖がありますから。つまりすべてグラデーションなんです。聴こえるか聴こえないかの二項対立じゃない。多くの聴覚障碍者はこの領域にいます。ところがメディアは、この端数をわかりやすく四捨五入して単純化してしまう。

──佐村河内氏を撮りながら、森監督自身の気持ちが変わっていったということは? あるいは佐村河内氏がメディアを使うことに長けているな、とは感じなかったですか。

 僕自身の気持ちですか? ……変化しなかったと思います。もうこの歳になると、ちょっとやそっとじゃ変わりません。佐村河内さん自身から「こう撮ってくれ」などの注文は、ほとんどなかったな。決してメディアに対して戦略的なタイプではないように思う。たしかに彼にはプロデューサー的な才覚はあったのかもしれないけれど、障害というある意味でエアポケットに入り込んでしまったこととか、偶然による部分も大きかったんじゃないかな。


──『FAKE』のパンフレットには「誰にも言わないでください。衝撃のラスト12分間」という文言がありますね。たしかに観劇後、思わず誰かに言いたくなる圧巻のラストでした。

 映画のラストに関わるシーンも含め、受け取り方は人それぞれです。そもそも人間の感覚なんて、第三者が共有できるものではない。僕にとっての緑は、あなたにとって黄色かもしれない。結局は脳内で感覚器が受けた刺激を神経信号に変換して再現しているわけですから、絶対という言葉は誰も使えない。でもメディアは、これもやっぱり安易に断言してしまう。そして二極化です。騒動前は「全聾の作曲家」と持ち上げて、騒動後は「実は聞こえていたペテン師」と叩く。狭間が見事に消えている。それは非常につまらないし、何よりももったいないです。

──「もったいない」とは?

 たとえば風景画を描こうと思って絵の具を買ってきたとします。でも葉っぱを描くときに、緑の絵の具だけを使う人はあまりいないでしょう。じっと景色を見つめながら、黄色や茶色や、いろいろと混ぜるはずです。地面の色もそうだし、人の肌もそう。白と黒の間にも様々な領域があるはずで、それが僕たちの世界です。だから豊かなんです。でもいまのメディアは、それらをあっさり単純化して、原色にしてしまっている。そのほうが分かり易いし、視聴率や部数もあがるから。

 メディアから受け取る情報で、僕たちは身の回り以外の世界観をつくっています。ところがメディアのこの作業によって、世界はとても単純で扁平でつまらないものに加工されてしまう。本当はもっと様々な要素があるのに、吐息や呻きやつぶやきが消えてしまい、残るのは大きな声と対極の沈黙だけ。それはあまりにもったいない。そんな平面的な世界観のまま、僕は人生を終えたくない。


──たしかに「全聾の天才作曲家」も「ペテン師」も両方ともメディアがつくり出した“佐村河内像”ですね。今回、森監督が佐村河内氏にカメラを向けたのも、この閉塞した社会とメディア状況のなかで一方的にバッシングされた人として、なにか琴線に触れるものがあったではと思ったのですが。

 まあ、後付けでそういうことを言ってはいますが(笑)。もともと日本は「世界一ベストセラーが生まれやすい国」なんです。みんなが買うから自分も同じものを買うという一極集中、付和雷同が極めて強い国。つまり集団として動くことが得意なんです。その傾向が急激に加速している。集団とは群れでもある。イワシでもカモでも、群れはひとつの生きもののように動きます。要するに同調圧力が強くなる。でも人の場合は、イワシやカモのように感覚は鋭くないから、言葉による短い指示を求めます。こうして二元化を進行させながら、集団は共通の敵を探し、その敵を撃退する強いリーダーを求め始める敵がいなければ強引に作り出して、これを攻撃する。歴史にはそんな過ちがいくらでもある。911後のアメリカはその典型です。

 こうした状況に対しての苛立ちは、確かにあります。その意思表明のメタファーとなる回路を見つけたいと思っているとき、たまたま佐村河内さんに出会った。要はそういうことですね。だからといって、その苛立ちや意思表明が作品と関係があるとは思いません。それはあくまでも、撮影を始めたころの僕の心象風景です。


──二元化と集団化というキーワードが出ましたが、日本社会のどのあたりから、あるいは何が原因で、これが深まっていったのでしょう。

 日本人はそもそも集団と相性が良い。でも1995年、オウム真理教による地下鉄サリン事件は不安と恐怖を強く刺激して、人々の集団化をさらにエスカレートさせる大きなトリガーになったと思います。しかもその動きが加速し続けた。『A2』を撮影していた2000年前後は、オウムに対する社会の憎悪が、『A』のときよりもさらに強く大きくなっていることを実感しました。例えば、行政が信者の住民票を不受理にするなど、明確な憲法違反なのに、誰も異議を唱えない悪に対しての徹底した制裁異物の排除高揚するセキュリティ意識。そして足並みそろえる同調圧力。こうしたことが一気に進みます。


──アレフ信者の子どもの就学を拒否するような住民運動も起こりました。

 地下鉄サリン事件は無差別テロと呼ばれている。ならば標的は、自分自身や自分の愛する者だったかもしれない。だからこそ被害者意識が一気に共有されました。日本社会に初めて誕生したパブリック・エネミーによって善悪二元化が激しく促進され、不安と恐怖はさらに連鎖して、集団化のギアがトップに入り続けた。


──集団化によって異論を唱える人たちを排除するような同調圧力が働き、同時に強く分かり易いリーダーを求めるようになった。では、その流れを食い止めるようなものはなかったのでしょうか。

 2011年の東日本大震災のとき、もしかしたらこの集団化の流れにブレーキがかかるのではないかと、少しだけ期待しました。震災、特に原発事故は、多くの日本人の「後ろめたさ」を覚醒したからです。正確に言えばサバイバーズ・ギルト。この後ろめたさは個の感情です。ならば集団の動きや同調圧力に水を差すかもしれない。しかし結果はそうはならなかった。という言葉がシンボリックに示すように、集団化はむしろ反動で加速し、被災地や原発の問題に関する報道も急激に減少した。たしかに後ろめたさを持続し続けることはつらい。みんなでまとまってひとつの方向に動いたほうが心強いし、ラクだということなんでしょうね。


──その「絆」あるいは「善意」のような言葉は、メディアが扇動した部分があると思います。メディアも震災当初は「原発だ!放射能だ!」と声を大にしていたのが、現在はそれがなかなか言えない状況がつくられている。これについてはどう考えていますか。

 最終的にメディアを動かすのは市場原理です。メディアも営利企業ですから視聴率や売り上げは重要だし、だからこそ数字に結びつく素材を求めていく。朝日新聞も産経新聞も、日本テレビもTBSも、リテラもそうじゃないですか。これを批判するつもりはありません。組織を存続させるために営利追及は当たり前のことです。

 部数や視聴率が取れないから原発問題を取り上げない。それだけです。それをよく「政権のバイアスがかかっているから」と見なす傾向があるけれど、僕はそうではないと思う。メディアは、そこまで考えていない。ならばなぜ、産経と朝日はこれほどに論調が違うのか。マーケットが違うからです。しかも日本の新聞は世界でも珍しい宅配制度でマーケットが固定されているから、市場原理がより剥きだしになります。

 ただし普通の企業なら、営利追及だけでいいかもしれない。でもメディア企業の場合は、ジャーナリズムというもうひとつの柱がある。これは市場原理と馴染まない。社会や大衆が望まなくとも、ときには火中の栗を拾って報じなければならないときがある。けれども日本のメディアは、特にオウム以降、組織のなかのコンプライアンスやリスクヘッジなどが前面に出て、現場の感覚が消えかけている。個が弱いからです。企業としては進化したとの見方もできるけれど、ジャーナリズムとしては衰退です。欧米メディアの場合は、組織は組織として、個は個として、いい意味での摩擦が存在します。『FAKE』では、日本とアメリカのメディアが、それぞれ佐村河内さんに取材するシーンがありますが、その報道に対する姿勢の違いを観て、いろいろ感じてもらえればいいなと思いますね。


──テレビや新聞だけでなく、雑誌メディアはどうでしょうか。

 うーん、雑誌ジャーナリズムって「あえて逆をいく」ところがありますよね。2004年のイラクで、武装勢力に高遠菜穂子さんら3人が人質として拘束されたとき、世に「自己責任」という言葉が溢れました。あれを最初に書いたのは「週刊新潮」だった。その後「新潮」の記者に会う機会があって、「あれはひどいよ」と言ったら、「自分たちは『世間と逆をいけ』と教えられてきた。あのときも、世間は拘束された人たち救え!と人道的なことを言うと予想して、逆張りの主張をした。ところが社会が追随してきたので面食らった。そしたら、みんなが『自己責任だ』となっちゃった」と説明してくれました。


──「新潮」が読み間違えたのか(笑)。

 座標の軸が明らかに動いています。それも一極集中、付和雷同がどんどん進行する形で。だからジャーナリズムも本当に立ちづらい状況になっている。さらにインターネットの出現もあった。エポックとなった1995年は、一連のオウム事件や阪神淡路大震災という日本を揺るがす大事件が続発しましたが、同時にWindows 95が発売された“ネット元年”でもあるんです。ネット社会がスタートし、一般の人々が簡単に情報を発信できるような社会となっていく。こうしたネット社会に対し、既成メディアは当然危機感を持っています。競争原理もより煽られて、さらに刺激的・扇情的になっていった。

──ただ、ここ数年は、逆にスキャンダラスな傾向を強めているのは「週刊文春」ぐらいで、他誌はスキャンダルもスクープも減っていると思います。

 そういえばそうですね。「週刊文春」の一人勝ち。「週刊朝日」や「サンデー毎日」はともかくとして、「週刊新潮」の元気がない。まあでも、ある意味で「文春あっぱれ」とは思います。ベッキーやショーンKもやるけれど、政権スキャンダルもやってしまうという見境のなさ。右も左も関係ない。雑誌ジャーナリズムの王道です。映画『エイリアン』(第1作)で、怯える乗組員が「あいつは強い。なぜならば善悪を超越して、見境やためらいがないからだ」というようなセリフを言っていたけれど、まさしくエイリアン的になっている(笑)。それはそれでいいんです。でもそれが世間の中道になるならば、やはり社会の傾斜がおかしいと言いたくなる。


──安倍政権はいまマスメディアに対して、「公平中立」にやれ!とプレッシャーをかけてきていますよね。

 もしも「公平中立」を本気で具現化するのであれば、絶対的な座標軸が必要になります。でもそんなものは存在しない。座標軸は時代や国によって変わります。情報は“解釈”です。つまり記者やディレクターやカメラの視点。絶対的な真実など存在しない。どこから見るかで情報は変わります。多様な視点や様々な主張が集積された公共的な言論空間を届けることが、本来のメディアの機能です。公正中立や客観などは幻想です。高市早苗総務相のいわゆる「電波停止」発言は、政治家が政治的公平性を判断するとのレトリックの段階ですでにアウトだけど、そもそも放送法の解釈を間違っているのに、メディアは反論できなくなっている。「公平中立」を自分たちのエクスキューズとしてきたからです。「両論併記」も同じです。両端の位置を誰かが決めなくてはならない。つまり主観です絶対的な中立などわからない。それは神の視点です。


──「公平中立」や「両論併記」などと言っているのは日本だけでは。

 アメリカだったら、例えば大統領選が近づくと、FOXは共和党を応援するし、ニューヨーク・タイムズは民主党支持とはっきり主張するでしょうね。読者もそれを認識した上でメディアを選びます。だからリテラシーも身につく。


──この傾向は、安倍政権になってから決定的になったと感じるのですが。

 加速している面はあるとは思います。社会とメディアと政治は、三位一体ですから。政治が一流だけど、メディアは三流なんて国はありませんメディアは二流ならば社会も二流なんです。相互作用ですから。「国境なき記者団」が発表する「報道の自由度ランキング」でも、上位に位置するノルウェーデンマークスウェーデンは、僕から見れば確かに政治も一流だし、社会も成熟していると感じます。

 2010年に自由度11だった日本のメディアが、2016年には72にまで下落しました。ならばメディアだけではなくて政治も国民も、同じように下落したということです。今のこの国のレベルは途上国以下。そう考えたほうがいいと思います。

……………………………………

 15年ぶりの森達也単独監督作品である『FAKE』は、大きな話題をさらうだろう。それは、これまでメディアが撮ることができなかった佐村河内守氏の「素顔」がスクリーンに映し出されるから、だけではない。この作品には、『A』から森監督が紡いできた「世界」の生々しい“歪さ”が潜んでいる。

『FAKE』に合わせて、代表作『A2』が、2002年の公開時にカットされたシーンを含む「完全版」として公開される。この15年で加速した日本社会の亀裂を、ぜひ劇場で確認してもらいたい。
(編集部)

■『FAKE』 監督・森達也
6月4日(土)より、渋谷・ユーロスペース、横浜シネマジャック&ベティにてロードショー、ほか全国順次公開。詳しくは公式ホームページ(http://www.fakemovie.jp/)にて。

■『A2 完全版』 監督・森達也
6月18日(土)〜24日(金)連日21:00、7月9日(土)〜15日(金)連日21:00より渋谷ユーロスペースにてレイトショー
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●森達也さん『「自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか」と叫ぶ人に訊きたい』書評

2014年01月03日 00時00分45秒 | Weblog


レイバーネットTVhttp://www.labornetjp.org/tvのコラム(http://www.labornetjp.org/Columnに出ていた記事【松本昌次のいま、言わねばならないこと・第7回(2013.10.1) 松本昌次(編集者・影書房) 「非国民」の光栄に輝く一冊】(http://www.labornetjp.org/Column/20131001)。

 森達也さん『「自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか」と叫ぶ人に訊きたい』の書評。松本昌次氏の結論、「「非国民と罵倒した人たちよ、この声を聞け、といいたい」。

   『●「日本の恥と呼ぶべき存在」
   『●『追われゆく坑夫たち』読了(2/3)
  
   『●『「反日」とは何か ~中国人活動家は語る~』読了(3/3)
     (※「平和なアジアという井戸を掘る意思があるのかどうか、疑わしい」)
  
   『●隣国と一体どんな関係を築きたいの?
   『●「平和なアジアという井戸を掘る意思があるのかどうか、疑わしい」

 靖国神社参拝時に見られるような安倍晋三首相や石原慎太郎元「ト」知事橋下徹前「ト」知事河村たかし氏など「愛国者」らしき人たちよりも、「非国民」と呼ばれる人たちの森達也さんや斎藤貴男さん(『「非国民」のすすめ』)らの方がよほど真の意味で「愛国」的だと思う。

   『●『「非国民」のすすめ』読了(1/6)
   『●『「非国民」のすすめ』読了(2/6)
   『●『「非国民」のすすめ』読了(3/6)
   『●『「非国民」のすすめ』読了(4/6)
   『●『「非国民」のすすめ』読了(5/6)
   『●『「非国民」のすすめ』読了(6/6)
   『●「不安と闘いながら世界に理念を示し続けたこの国に生まれたことを
                                         僕は何よりも誇りに思う」
   『●森達也さん「組織全体の病理と民意の後押し」
   『●森達也さん『国民を騙し続けたこの国には秘密保護法など不要』
   『●秘密隠蔽法: 「もっと絶望した方がいい」・・・
             「絶望」させられたのは自公・翼賛野党非支持者ばかり

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http://www.labornetjp.org/Column/20131001

松本昌次のいま、言わねばならないこと・第7
7回(2013.10.1 松本昌次(編集者・影書房)
「非国民」の光栄に輝く一冊

「自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか」と叫ぶ人に訊きたい――これは、何かのスローガンではない。本の書名である。さらにサブタイトルもある――正義という共同幻想がもたらす本当の危機。著者は森達也氏。8月22日、ダイヤモンド社刊。四六判並製380ページ、定価1600円+税。この本は、2007年10月から、版元のPR誌「経」に連載された「リアル共同幻想論」をベースに、加筆・修正・編纂されたものである。連載が始まってしばらくあと、同社のウェブサイトに転載するようになったが、途端に、ネット上で「鬼畜」とか「非国民」とか「死ね」などの罵声を浴びせかけられる光栄を担った一冊でもある。

森達也氏といえば、オウム真理教を扱ったドキュメンタリー映画『A』 『A2』の監督として、国内外で各種の賞を獲得、一躍名を馳せ、『A3』『死刑』など、作家としてもめざましい仕事をつづけている方だが、わたしは、その「めざましさ」ゆえに敬遠して映画も著書もほとんど知らず、せいぜい、月刊誌「自然と人間」の表紙裏に連載しているコラム「誰が誰に何を言ってんの?」を愛読してきたに過ぎない。(ちなみに「自然と人間」は、毎号すぐれた内容である。)森氏がこれほどの「非国民」とはつゆ知らず、不明をお詫びするほかない。

さて、一読、わたしに「非国民」であることへの限りない勇気を与えてくれたこの本の内容とはどんなものか。目次をそのまま列記すればいいようなものだが、冒頭の、森氏の二、三篇の主張をカッコなしで引用しつつ、適宜、わたしのコメントをつけ加えて、紹介したい。

まず、書名になっている死刑の問題からはじまるが、先進国ではいまやアメリカと日本のみとなった死刑、しかも絞首刑という残酷な方法を今なおつづける日本の死刑制度は、まるで被害者遺族のためにあるかのごとくだと森氏はいう。同感である。わたしに言わせれば、遺族のために国家が昔ながらの仇討ちをしてあげているようなものである。死刑廃止は日本人の心情にそぐわないと、一時的に国家を支配している連中は言いつづけているが、70年ほど前、戦争にひたすら心情を捧げた日本人は、敗戦を告げるツルの一声で、あっさり平和の心情に転換した。誤った心情などは、正しい制度で改まるものなのだ。

つぎに森氏は、北方領土・竹島・尖閣諸島などの領土問題にふれ、無用な諍いや争いを回避するためならば、少しばかり領土や領海が小さくなったっていいじゃないかという。同感である。わたしも自国と他国の人たちの命を大事にしたいからである。共有・共存の道だってある。尖閣諸島いきり立つ石原慎太郎氏は、『俺は、君のためにこそ死にに行く』などという映画を2007年に作ったとのこと。どんな映画か知らないが、勝手にあんた一人で死にに行って欲しいものである

あとは一瀉千里、主要な森氏の主張やテーマを摘記する。肉は食べていいが、動物の殺され方を知ろう。タイガーマスクは薄気味悪い善意。ハンセン氏病に対する無知と偏見は過去形ではない。3・11以後、メディアに広がる「がんばれ」や「絆」はグロテスクだ。メディアによって戦争が矮小化されている。原子力神話に加担したことを詫びる。監視社会の蔓延。解明されないオウム真理教事件。互いに忖度し合いながら暴走する集団。「テロと戦う」とは何か。暴走する資本主義と民主主義。拉致問題の解決は日朝の国交正常化しかない。中国における戦争犯罪の証言。北朝鮮のロケット発射を「事実上のミサイル」と断定する不思議。過去の過ちを認めない日本――etc。

最後に森氏は、戦後、憲法九条を守り抜いてきたことを「誇り高き痩せ我慢」といい、次の文章で本書を閉じている。――「誇ることはひとつだけ。不安や恐怖に震えながらも、歯を食いしばって世界に理念を示し続けたこの国に生まれたことを、僕は何よりも誇りに思う。」

「非国民」と罵倒した人たちよ、この声を聞け、といいたい。
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●「人道なんてなかった」頃の「戦争できる国」の現実

2013年08月21日 00時00分10秒 | Weblog


東京新聞の二つの記事、【人道なんてなかった 沖縄戦を経験 伊禮進順さん(87)】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013081602000116.html)とコラム【筆洗】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2013081702000119.html)。

 いまも差別され続ける沖縄。

   『●子供にもSLAPPする国: 三上智恵監督・映画『標的の村 ~国に訴えられた沖縄・高江の住民たち~』
   『●SLAPPと原発、沖縄

 「戦争できる国」の頃の沖縄では、こんなことが起こっていた。いま、この国は再び「戦争できる国」へまっしぐら。それが「誇り」だなんて、一体脳味噌の中身はどうなっているのか?

   『●「不安と闘いながら世界に理念を示し続けたこの国に生まれたことを僕は何よりも誇りに思う」

 是非、 「戦争絶滅受合法案」の成立が望まれる。

   『●戦争、環境破壊の最たるもの
       
     「二十世紀の初めごろ、デンマークの陸軍大将が、こんな法律があれば、
      戦争をなくせると考えて起草した法案がある。題して
      「戦争絶滅受合(うけあい)法案」▼戦争の開始から十時間以内に、
      敵の砲火が飛ぶ最前線に一兵卒を送り込む。順序はまず国家元首、
      次にその親族の男性、三番目は総理、国務大臣、各省の次官、
      そして国会議員(戦争に反対した議員を除く)、戦争に反対しなかった
      宗教界の指導者…▼妻や娘は従軍看護師として招集し、最前線
      野戦病院で働く。権力を持つ者から犠牲になるなら、自らは
      安全地帯にいてナショナリズムをあおる政治家は姿を消すだろう


 終始、反戦を訴え続けた城山三郎さん。「日本が戦争で得たのは憲法だけだ」。

   『●城山三郎さんと反戦

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http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013081602000116.html

人道なんてなかった 沖縄戦を経験 伊禮進順さん(87)
2013年8月16日 朝刊

 六十八年前に米軍が上陸した沖縄県嘉手納(かでな)町の海辺に、若者たちの声が響く。日米の多くの兵士や住民の命を奪った沖縄戦の影はない。にぎやかな笑い声を背に、砂浜を立ち去ろうとした時、ごう音をとどろかせ、米軍機が真っ青な空を切り裂いた。

 一九四五(昭和二十)年五月十日ごろ、一等兵だった伊禮進順(いれいしんじゅん)さん(87)=糸満市=の所属する小隊は、西原町と与那原(よなばる)町の境界にある運玉森(うんたまむい)の丘に陣をはり、約二十メートルの距離で米軍と向かい合っていた。

 「陣地の死守が使命で、後退など考えもしなかった」。次々と手りゅう弾が投げ込まれ、近くで負傷兵がのたうち回る。着弾から爆発まで数秒。ひたすら、手りゅう弾を投げ返した。気づくと五十人の小隊は二人になっていた

 伊禮さんは那覇市立商業学校(現県立那覇商業高)を卒業後、建設会社に就職。四四年十月に十九歳で徴兵された。半年後に沖縄本島に上陸した米軍は日本軍最後の防衛拠点だった運玉森を制圧し、首里(現那覇市)へと侵攻した。

   ■  ■

 味方である日本人同士でも、強者が弱者を切り捨てた。「毎日が死と隣り合わせ。人道なんてなかった

 四五年六月半ば、日本軍の拠点があった与座(現糸満市)の洞窟(壕(ごう))に上官の声が響いた。「負傷兵は戦闘の邪魔だ。ここから出て行け」。米軍は近くに迫っている。「死ねということか」。戦闘で足を負傷し、歩けなかった伊禮さんは、その夜、はって壕を出た。

 米軍の照明弾が一帯を照らし、銃弾が飛び交う。一晩かけたどり着いた野戦病院の壕では、死んだ兵士にウジが群がっていた。飲料水は岩にたまった雨水だけ。水面もウジが覆っている。「味やにおいの記憶はない。飲まないと死んでしまう。生きるためには何でもできた」

   ■  ■

 やがて、この壕も米軍に見つかる。足のけがも癒えていた伊禮さんは女性や少年ら住民四人を含む九人で、南の壕を目指した。山中で身を隠していたとき、この四人の住民が米軍車両に驚き、離れた場所から駆け寄ってきた。「この連中といては、いつか米軍に見つかり、殺される」。伊禮さんら五人の兵は住民を見捨てることにした。軍刀で脅し「ついてきたらたたき切る」と怒鳴った。自分を見捨てた上官と同じことをしていた。四人は何も言わなかった。

 四人のその後は知らない。伊禮さんは九月十四日、米軍に投降した。「『おまえは人間じゃない』と言われるかもしれないが、仕方なかった。人間って、こんなもんです。自分が助かるためには、恥も何もなかった」。安易な同感など寄せ付けないとでも言うような厳しい口調に、私はしばらく次の言葉を出せなかった。

   ■  ■

 戦後、県職員となった伊禮さんは五人の子に恵まれた。七月半ば、戦時中に身を隠した壕を一緒に訪れた。足がすくんだ。「鼻を突くような死臭がよみがえってくる」と話す伊禮さんの額には汗が浮かぶ。沖縄の空気は開放的で明るいが、集落の片隅に残る壕や米軍機は、島の過去を私に突きつける。

 「沖縄は戦争でも、基地問題でも犠牲を強いられている。六十八年間、何も変わってない」。七月の参院選で改憲を掲げる自民党が圧勝した。「戦争ができる国になってしまうかどうかは、あなたたちにかかってるんですよ」。憲法九条を後世に引き継ぐ使命を託されたと思った。

 <沖縄戦> 米軍は3月26日に慶良間諸島、4月1日に沖縄本島西海岸に上陸し、日本軍との間で、住民を巻き込んだ地上戦を繰り広げた。日本軍は本土決戦を遅らせるための持久作戦をとったが、6月下旬には壊滅状態となり組織的な戦闘は終結。住民の集団自決などの悲劇も生まれた。沖縄戦の正式な降伏文書が交わされたのは9月7日。米兵を含む戦没者数は20万人以上に上り、うち沖縄県民は半数の約10万人だった(県推計)。
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http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2013081702000119.html

【コラム】
筆洗
2013年8月17日

 靖国神社にある遊就館の片隅に奇妙な像がある。潜水服姿で頭には大きなかぶと。両手で長い棒を持ち、身構えている。先端に付けられているのは機雷である▼八月十五日の遊就館は見学者であふれていたが、この像をあまり気に留める人はいない。それはそうだろう。本土決戦を水際で食い止める「人間機雷の存在はほとんど知られていないのだから▼敗戦直前に横須賀や呉などで部隊が編成され、三千人近くの若者が潜水訓練を受けた。上陸する米軍の舟艇を水中で待ち構え、竹ざおの先の機雷を突き上げて自爆する。「伏龍」と名付けられた水際特攻隊である▼空を飛ぶ夢を失った予科練の少年兵たちは、ひたすら死に向かう訓練に明け暮れた。本土決戦が回避されたために実戦には至らなかったが、潜水具には構造的な欠陥があり、多くの若者が訓練中の事故で命を失った▼当時の戦争指導者の愚劣さが凝縮されている人間機雷を考えたのは、参謀として真珠湾攻撃の作戦を立案した人物だ。自らを犠牲にして祖国を守ろうとした少年たちの命をここまで軽く扱うのか。以前、取材した時に心底、怒りがわいた▼戦争が長引けば伏龍の要員になるはずだった人物に城山三郎さんがいる。特攻を命じた側に常に厳しい視線を向けた作家の原点だろう。「日本が戦争で得たのは憲法だけだ」。城山さんの言葉が重く響く。
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●情報は統制される: 知らなかったでは済まされない、騙されたでは済まされない

2013年08月17日 00時00分35秒 | Weblog


gendai.netの記事【内閣法制局長人事はナチスの手口】(http://gendai.net/articles/view/syakai/143807)。東京新聞の記事【米「投下に正当性」は「うそ」 O・ストーン監督が来訪】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013080602000105.html)とコラム【筆洗】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2013080602000160.html)。

   『●麻生太郎氏「だれも気づかないでかわった。あの手口に学んだらどうかね」
   『●「不安と闘いながら世界に理念を示し続けたこの国に生まれたことを僕は何よりも誇りに思う」
   『●壊憲派に、フリーハンドを渡してはならない

 「「憲法改正はナチスに学べ」という麻生の妄言は“大バカ大臣の失言”で片付けてはダメだ。なぜなら、安倍政権はとっくに「ナチスの手口」を学んでいる。それが如実に表れたのが「憲法の番人」、内閣法制局のムチャクチャな人事だ」。
 情報統制。知らなかったでは済まされないし、騙されたでは済まされない。「すべての元凶とみるのが日本への原爆投下。戦争を早く終わらせ、多大な犠牲を防ぐのに必要だったという米国の正当化理論に対し、ストーン氏は「私も長年、投下は正しかったと信じていたが、それは神話、うそだと分かった。今も子どもたちはうそを教えられている」と指摘」。「連合国軍総司令部(GHQ)の情報統制がある。人々と街を焼き尽くした原爆は、戦争を早期終結させた「平和の閃光」とされた」。「権力者が情報を統制し、報道に関わる者が力に巻き取られれば、どんな大惨劇でも真相は隠されて、あたかもそれが「祝うべきこと」のようにすら伝えられる」。

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http://gendai.net/articles/view/syakai/143807

内閣法制局長人事はナチスの手口
2013年8月3日 掲載

この政権はとっくに学んでいる

 「憲法改正はナチスに学べ」という麻生の妄言は“大バカ大臣の失言”で片付けてはダメだ。なぜなら、安倍政権はとっくに「ナチスの手口」を学んでいる。それが如実に表れたのが「憲法の番人」、内閣法制局のムチャクチャな人事だ。

 安倍は内閣法制局の山本庸幸長官(63)を退任させ、後任に小松一郎・駐仏大使(62)を充てる方針を固めた。8日にも閣議決定されるが、憲法解釈を堅持する立場の内閣法制局は、改憲派の安倍にすれば「目の上のたんこぶ」。そのトップ交代は安倍の独断専行、ゴリ押しで決まった。

   「小松氏は一橋大を中退して、1972年に外務省に入省した変わりダネ。
    条約課長や国際法局長を歴任し、国際法に精通しています。
    国際法局長時代には、第1次安倍内閣が設置した集団的自衛権を
    めぐる有識者懇談会に事務方として参加。解釈見直しを提言した
    懇談会の報告書の取りまとめにも深く関わりました」(外務省関係者)

 報告書は「公海上での米軍艦船の防護」や「米国を狙った弾道ミサイルの迎撃」などに、自衛隊の武力行使を認める内容で、「バリバリの日米同盟重視派」(同)という小松氏の思想がにじみ出ていた。こんな人物を「憲法の番人」に抜擢する安倍の狙いは一つ。従来の〈憲法9条で許される自衛権行使は、わが国を防衛するための必要最小限度の範囲にとどまるべき〉とする政府解釈をかなぐり捨て、持論である集団的自衛権の行使容認に突っ走るハラだ。


護憲派パージし改憲派押し込む恐怖政治

   「外務省出身者の長官も初めてなら、法制局未経験者の起用も初めて。
    長官になるには、憲法解釈を内閣に答申する法制局第1部の部長を経て、
    法制次長を歩むという過去60年に及ぶ慣行があります。職務の専門性や、
    行政、法律、憲法解釈の継続性を考えれば妥当なルールですが、
    安倍首相はなりふり構わずあくまで自分と同じ考えの長官起用に
    こだわったのです」(霞が関事情通)

 今回の人事について安倍サイドは、解釈変更に断固反対の公明党に一切、連絡を入れなかった。さらに小松氏の手足となって働く法制局第1部の参事官には、安倍の地元・山口県庁に出向経験のある総務省の課長級キャリアを抜擢。これだって法制局に「安倍流」を押し付ける人事だ。

 考えの異なる人物をパージし、自分に好都合な人材を後任に据えるためなら、どんな禁じ手も犯すこの手口は、ナチス同然の恐怖政治そのものではないか

   「憲法9条の解釈変更に邁進(まいしん)する安倍内閣は、中国の海洋進出や
    北朝鮮危機を必ず結びつけようとする。この姿勢もナチスを彷彿(ほうふつ)
    させます。ナチスは第1次大戦の戦勝国である欧州諸国との対立を
    煽(あお)って、ドイツ国民を鼓舞。ナショナリズムの狂騒のドサクサで、
    独裁を許した『全権委任法』を成立させ、事実上ワイマール憲法を
    葬り去ったのです。麻生発言のように『誰も気づかないで変わった』わけでは
    ありません。安倍政権はナチスの手口で平和憲法をなきものにする気
    なのでしょうか」(立正大教授・金子勝氏=憲法)

 安倍政権はナチスと同じ独裁の道を着々と前進している。
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http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013080602000105.html

米「投下に正当性」は「うそ」 O・ストーン監督が来訪
2013年8月6日 朝刊

 アカデミー賞の受賞作品「プラトーン」などで知られ、米国の軍事展開を批判する米映画監督のオリバー・ストーン氏(66)が、広島の原爆の日などに合わせて来日している。十五日まで長崎、沖縄を回り、原爆や米軍基地問題について人々と対話する予定だ。原爆投下を「正当性がない」と指摘、「歴史を正しく記憶することが大切」と訴えている

 「米国は日本がソ連に侵略されることを恐れていた。だから日本が降伏したがっているのを知りながら原爆を落とした」。広島市で市民団体のシンポジウムなどに参加したストーン氏は強調する。

 昨年、歴史学者でアメリカン大准教授のピーター・カズニック氏とテレビドキュメンタリー「もうひとつのアメリカ史」を制作、同名の本を出版した(日本語版は早川書房「オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史」)。公文書をひもとき、戦時中から今のオバマ政権まで続く覇権主義に疑問を投げかける内容だ。

 すべての元凶とみるのが日本への原爆投下。戦争を早く終わらせ、多大な犠牲を防ぐのに必要だったという米国の正当化理論に対し、ストーン氏は「私も長年、投下は正しかったと信じていたが、それは神話、うそだと分かった。今も子どもたちはうそを教えられている」と指摘する。

 さらに、米軍が沖縄をはじめ各国に軍事基地を展開していることを「非常に危ない」と懸念、「だから広島は象徴でなければならない」と訴える。

 安倍政権は「日米同盟強化」を理由に集団的自衛権の行使に布石を打ち、その先には改憲の議論が待ち構える。ストーン氏は日本の右傾化を「世界にとって危険なこと」とみる。カズニック准教授も「憲法九条は日本にとって要。安倍政権が変えようとしていることは問題で、悲惨な結果を招くだろう」と強調した。
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http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2013080602000160.html

【コラム】
筆洗
2013年8月6日

 ♪ピカッと光った原子のたまにヨイヤサー、飛んで上って平和の鳩よ…。一九四七年八月六日、つまり人類初の原子爆弾投下から丸二年たった日、広島市中心部では「平和音頭」にあわせて人々が通りを練り歩いたそうだ▼戦争体験がどう語られてきたかを検証した『焦土の記憶』(福間良明著、新曜社)によると、四六年八月六日の地元紙一面には「けふぞ巡り来ぬ平和の閃光(せんこう)」「広島市の爆撃こそ原子時代の誕生日」との見出しが掲げられた▼八月六日がまるで「祝祭」のような色を帯びていた背景には、連合国軍総司令部(GHQ)の情報統制がある。人々と街を焼き尽くした原爆は、戦争を早期終結させた「平和の閃光」とされたのだ▼広島に原爆が投下された三日後に現地入りした弊社の先輩記者に、話を聞いたことがある。原爆ドームの写真は一応撮ったが、目に入る被爆者にはレンズを向けもしなかったという▼「どうせ検閲で載せられない。そんなものを撮るため貴重なフィルムを無駄には使えない」。戦時中の情報統制下にあった記者には、そういう自己規制の心理が働いていたのだ▼権力者が情報を統制し、報道に関わる者が力に巻き取られれば、どんな大惨劇でも真相は隠されて、あたかもそれが「祝うべきこと」のようにすら伝えられる。八月六日は、そんなことを、改めて考えさせる日でもある。
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●「不安と闘いながら世界に理念を示し続けたこの国に生まれたことを僕は何よりも誇りに思う」

2013年08月02日 00時00分39秒 | Weblog


すいません、CMLからの孫引き(http://list.jca.apc.org/public/cml/2013-July/025537.html)。asahi.comに出ている森達也さんの論評。

 森さんは言う、「不安と闘いながら世界に理念を示し続けたこの国に生まれたことを僕は何よりも誇りに思う」。自公議員その他の壊憲派は「世界に理念を示し続け」ることを止め、「戦争できる国」に仲間入りしましょうという訳です。「誇り」も何もない国にしたいらしい。「銃を持った善人」になりたいらしい。

   『壊憲派に、フリーハンドを渡してはならない
     
     「「壊憲」して、「誇りある国へ」とはあきれる。戦前の「」まみれの
      危険な体制に戻したくてしょうがないらしい。「戦争したくてしょうがない」
      「戦場に行かせたくてしょうがない」
      「戦争できる国にしたくてしょうがない」らしい。」

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http://list.jca.apc.org/public/cml/2013-July/025537.html

[CML 025619] 9条の国、誇り高き痩せ我慢/森達也
BARA ・・・・・・
2013年 7月 28日 (日) 02:44:05 JST



新聞記事
朝日新聞・WEB
2013.7.25

9条の国、誇り高き痩せ我慢/森達也
http://digital.asahi.com/articles/TKY201307240705.html?ref=comkiji_redirect

 アメリカでは銃の誤射や乱射事件が起きるたびに、銃規制についての議論が
高まるが、結局は尻すぼみとなってまた事件が起きる。

 昨年12月にコネティカット州の小学校で児童ら26人が殺害されたとき、
全米ライフル協会(NRA)の副会長は記者会見で、「銃を所持した悪人の
行為を止められるのは、銃を持った善人だけだ」と述べて銃規制に反対し、
アメリカ全土では銃の売り上げが急増したという。

 アメリカの銃社会をテーマとしたドキュメンタリー映画『ボウリング・
フォー・コロンバイン』でマイケル・ムーアは、黒人や先住民族を加虐して
きた建国の歴史があるからこそ、アメリカ市民は銃を手放せないのだと
主張した。報復が怖いからだ。
つまり銃を手もとに置く人は勇敢なのではない。臆病なのだ。

 こうしてアメリカの正義が発動し、正当防衛の概念が拡大する。
丸腰の高校生を射殺した自警団男性の正当防衛が認められて、無罪評決
になったことは記憶に新しい。

 NRAの主張に同意する日本人は少ないだろう。
頭の回路がどうかしていると思う人もいるはずだ。
でも実のところこの思想と論理は、世界のスタンダードでもある。

 核兵器や軍隊の存在理由だ。

 我が国の軍隊は、他国に侵略する意図などない。
でも悪い国が軍隊を持っている。
だから攻められたときのために、国家は軍隊を常備しなくてはならない。
つまり抑止力。理屈はNRAとまったく変わらない

 こうして誤射や過剰防衛が起き、それをきっかけに戦争が始まる
人類はそんな歴史を繰り返している。

 しかし第2次世界大戦後にこの国は、新しい憲法で武力放棄を宣言した。
その憲法が公布される前の衆院本会議で共産党の野坂参三議員が、
「侵略の戦争は正しくないが自国を守るための戦争は正しいのでは?」との
趣旨で質問し、これに対して吉田茂首相は、「正当防衛や国家の防衛権に
よる戦争を認めるということが結局は戦争を誘発する」との趣旨で答弁した。
記録ではこのとき議事堂では、与野党を超えた議員の大きな拍手が響いた
という。

 もちろん日本の背後には、世界最強の軍隊と大きな核の傘を持つアメリカ
がいた。だから不安や恐怖を押し殺して痩せ我慢ができた。
極論すれば憲法9条の1項は、すべての国に共通する理念でもある。
でも現行憲法には、軍事力と交戦権を放棄することを宣言した2項がある。
アメリカに軍事的に庇護される国は数多いが、ここまでラディカルな宣言を
した国はない

 その後に冷戦の時代が幕を開ける。
ご近所はすべて銃を持っている。
でも暴力に対して暴力の抑止は成り立たない。
自衛の意識が戦争を起こすのだ。
だから我が家は銃を持たないと決めた
アメリカからは何度も改正を要求されながらも、結果として日本は9条を60
余年間にわたって守り抜いた
いろいろ妥協もしたけれど直接的な戦争には一度も参加せず、国民総生産
(GNP)世界第2位を達成した。

 改憲派は平和ボケなどと嘲笑するけれど、9条は抑止論にとらわれた
世界への、とてもラディカルな提言となっている。
スペインのグランカナリア島には、9条の碑が設置されている。
戦争地域ではよく、「日本は9条の国だ」と話しかけられる。
世界に対して日本は、身をもって稀有な実例を示し続けている。

 この街から銃が消える日はまだ遠い。
でもこの精神だけは手放さない。
誰もが銃を持たない社会。その実現のために、我が家は街で最初に銃を
捨てる宣言をした
怖いけれど高望みを維持し続けてきた。

 自衛隊を軍隊にして誇りを取り戻そうと言う人がいる。
意味がわからない
他の国と同じで何が誇らしいのだろう
不安と闘いながら世界に理念を示し続けたこの国に生まれたことを僕は
何よりも誇りに思う。

 (もり・たつや 
     56年生まれ。映画監督・作家。明治大特任教授。近著に『虚実亭日乗』)
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