二言瓦版

「復讐は神に所属する。」 「旧約聖書」


暇つぶしの記事、名言、珍言、コラムの批判。
株式の名言など。

今日も観れるかな。

2023年07月20日 07時59分10秒 | ニ言瓦版
午前中、本塁打みれるかな。
35号は、見れるが。


「<エンゼルスーヤンキース>◇19日(日本時間20日)◇エンゼルスタジアム
エンゼルス大谷翔平投手は「2番DH」で先発出場。本塁打王争い独走となる2試合ぶりの36号に期待がかかる。
試合開始は午前8時7分の予定。始まり次第、速報します。」



酷いニュースは、本塁打が一番の緩和する。
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酷いな、幹事長。これでは。昔は、竹下派閥は、常識かあった。

2023年07月20日 07時49分31秒 | ニ言瓦版
この記事読むと、落ちたな。
その組織、派閥。
遺族の意見、無視か。
いろいろな派閥も、昔は、いい派閥だった。
田中派閥、平成の総理は、竹下派閥・小渕派閥。
平成の男たち。






「山陰地方が記録的な大雨に見舞われた今月9日。島根県出雲市で、6月に死去した“参議院のドン”こと青木幹雄元官房長官のお別れ会が行われた。


青木氏の遺族は“遠慮”を求めたとされる

「政界引退後も、平成研究会(茂木派)の実質的なオーナーとして歴代政権に影響力を及ぼした。悪天候の中、式典には300人もの参列者が集まりました」

 とは、さる自民党関係者。

「青木さんのご遺族は、事前に“改めて東京でも開催します”と周知し、国会議員には声を掛けませんでした。例外的に招かれたのは、
細田博之衆院議長ら中国地方選出議員のほか、小渕優子元経産相くらい。派閥会長の茂木敏充幹事長も招待は見送られていたんです」

 青木氏は平成10年に発足した小渕恵三内閣で官房長官に就任。が、小渕総理は在職中に病に倒れて優子氏がその後を継いだ。その縁で青木氏は、
彼女に「実の娘のように目をかけてきた」(地元関係者)ことで知られる。もう一人の招待者である細田氏は、同じ島根県選出の盟友だ。

“茂木敏充の名義の花なら受け取るな”
 先の自民党関係者が言う。

「青木さんは生前、茂木さんを“我(が)が強すぎる”などと蛇蝎(だかつ)のごとく嫌ってきた。二人の確執は最後まで解消されず、青木さんは“茂木敏充の名義の花なら受け取るな。受け取るなら平成研の名義にしてもらえ”と言い残したとも。供花の名義にまでこだわるのは細やかな配慮で有名だった青木さんらしいですが、“そこまで嫌っていたのか”と、改めて対立の根深さが浮き彫りになりました」

 9日の朝、それでも茂木氏は出雲市に向かった。

 政治部デスクが解説する。

「茂木にとり、この日は南米と欧州に向かう外遊の出発日。彼が強行軍にもかかわらず出向いたのは、青木の“最後の一撃”の影響を気に病んだからでしょう」

 青木氏が自身の死後も続けた“茂木切り”に、茂木氏は危機感を募らせた。

「この日、小渕は弔辞を任されていました。個人名での供花すら断られていた茂木は、弔辞を読む小渕の姿が派閥の世代交代を内外に印象付けることを恐れたはず。だから彼は、あくまで遠慮を求めたご遺族の意向を押し切って、強引に顔を見せたとみられています」

後がない茂木氏は…
 折悪く、岸田文雄総理は今秋と目される内閣改造と党役員人事で、茂木幹事長の交代を検討しているとされる。

「最大の理由は東京都における公明党との選挙協力を巡るトラブルです。交代となれば、派閥における茂木の影響力低下は避けられませんが、一方で小渕の求心力は一気に高まりますね」

 政治ジャーナリストの青山和弘氏はこんな見方だ。

「茂木氏は65歳の岸田総理より2歳年上で、年齢的にも次の総裁選が最初で最後の挑戦になる。衆院33人、参院21人からなる派閥の結束や小渕氏の台頭を考えれば“大雨の中、外遊の出発日に出雲まで出向いた”という事実は今後、大きな意味を持つ可能性がある。派閥の中堅幹部は“無理して行かなくても……”と鼻白んでいましたが、後がない茂木氏に“行かない”との選択肢はなかったのでしょう」

 恩讐の彼方に仄見えてしまう老獪な打算――。

「週刊新潮」2023年7月20日号 掲載」





竹下、派閥の子孫、でないから、こんな酷い派閥に落ちた。

また、田中派閥と、竹下派閥の子孫、出てこないか。
孫、親族。


派閥の代替わりがないから、乗っ取りばかり。
宏池会も酷いし、

金稼ぎは、献金しかない派閥では。
自分の稼ぎ、経営する派閥でないと。


竹下の一族、出てこない、派閥の長になれ。

小渕と、竹下の子孫が、後、作ることだ。
いや元の田中派閥、自民党に戻れ。



平成は、いい時代だった。
経済も、円の価値があった。

令和は、酷い時代。
多くの人は、あの世だ。
総理も、速かった。
あの世。

過ちは、後世に残るな。
墓も。
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立派だ。それに比べ。大阪の子供に下剤飲ます、女は。34

2023年07月20日 05時55分35秒 | ニ言瓦版
映像みると、泣けてくる。
時代は、機械で、作品ができるか。
五体満足でなく、不満足で、賞。
立派だ。


芥川賞も、凄いな。








「◆直木賞 垣根涼介さん「極楽征夷大将軍」、永井紗耶子さん「木挽町のあだ討ち」
 第169回芥川賞・直木賞(日本文学振興会主催)の選考会が19日、
東京・築地の料亭「新喜楽」で開かれた。芥


川賞は市川沙央さん(43)の「ハンチバック」(「文学界」5月号)に、
直木賞は垣根涼介さん(57)の「極楽征夷大将軍」(文芸春秋)と永井紗耶子さん(46)の「木挽町のあだ討ち」(新潮社)に決まった。


◆各受賞作のテーマと評価は…
 芥川賞の「ハンチバック」は、重度障害者の女性が主人公。
親がのこしたグループホームで裕福に暮らし、ネット情報で風俗関係の記事を書くなどして収入を得ている。
ある日、交流サイトに「妊娠と中絶がしてみたい」と投稿したのをヘルパーの男性に特定され、願望を実行に移す。
 選考委員の平野啓一郎さんは「主人公が抱えている困難な状況を通じて社会的な通念、
われわれが常識と信じているものを批評的に解体しながら、自分の存在を描き出している。圧倒的な支持を集めた」と高く評価した。




 直木賞の「極楽征夷大将軍」は、室町幕府を開いた足利尊氏が主人公。野心や意欲がなく「極楽殿」と陰口をたたかれた尊氏が、なぜライバルを打ち破って勝ち残ることができたのか、その理由を弟の直義と側近の高師直の視点から描く。「木挽町のあだ討ち」は江戸時代のあだ討ちが題材の時代小説。2年前、菊之助は木挽町で父のあだを討った。見届けたのは吉原生まれの芸者、衣装部屋の女形ら芝居に関わる人々。彼らの語りから、事件の真実、時代の光と影が浮かび上がる。
 選考委員の浅田次郎さんは「垣根作品は一般読者にあまりなじみのない足利幕府の成立を丁寧に描いた、重厚な力作。永井作品は一言一句読み飛ばせないほど繊細に練られた技巧的な作品で、好対照だった」と授賞理由を述べた。
 副賞は各100万円。贈呈式は8月下旬、都内で開催予定。
◆市川沙央さん「一番伝えたいことが通じてうれしい」




 「読書バリアフリーが進んでいくことを訴えたくて去年の夏、初めて純文学を書きました。会見の場にお導きいただいたことは非常に嬉うれしく、『われに天佑てんゆうあり』と感じています」。


19日、鮮やかなオレンジ色のワンピースに身を包み、
東京都内で記者会見に臨んだ市川沙央さん(43)は、
気管に開けた穴を手でふさぎながら力強く話した。
 受賞作の主人公は、先天性ミオパチーで背骨がS字に曲がり、
人工呼吸器と電動車いすを利用する重度障害の女性。読書姿勢を保ってページをめくることや、
書店に自由に買いに行けることを要求する紙の本への憎しみを吐露するなど、
「健常者優位社会」を冷ややかに見やる。市川さん自身も主人公と同じ難病を患う。
紙の本が読める健常者を前提とした読書文化の特権性への反響の多さに、「一番伝えたいことが通じてうれしい」と話した。


 
小説を書き始めたのは20歳を過ぎてから。「周りが就職し、自分も仕事がほしかった」。当初は純文学を書こうとしたが、あえなく挫折。以来、
エンタメ小説の公募に挑んできた。あおむけの姿勢でタブレット端末をゲーム機のように両手で持ち、親指で打って執筆している。
 
受賞作の執筆当時は早稲田大の通信教育課程に在籍し、障害者の表現に関する卒論を書いていた。差別の歴史を調べるうちに沸いた怒りのようなものを、「小説にぶつけた面はある」。一方、障害者が自ら表現する実例の少なさも気になった。「文化環境も教育環境も遅れており、当事者作家が出てきにくい」と推測。「自分で実例を増やすしかない」という思いもあった。
 会見の最後、こう訴えた。「重度障害者の受賞者も作品もあまりなかった。今回、初だと書かれるんでしょうが、どうしてそれが2023年にもなって初めてなのか、みんなに考えてもらいたい」(飯田樹与)
 市川沙央いちかわさおう 1979年生まれ。早稲田大人間科学部(通信教育課程)卒。
2023年、「ハンチバック」で第128回文学界新人賞を受賞し、デビュー。芥川賞候補入りは初めて。神奈川県在住。」








凄いな、早稲田大学通信教育。


何か、頭がさわかる。
最近の事件、身体不満足の人が、頑張っているは、いい。




43歳か、
あの子供、出しに使うのは、34だろう。
女の、五体満足でない、不満足で、43歳は、立派だ。


大阪の女は、反省してほしい。
子供、出しに生活して。


ーーーー
「小学生の娘に十分な食事を与えず低血糖症で入院させ、共済金をだまし取ったとして大阪の34歳の母親が逮捕された事件で、娘が「入院前の2日間は梅の駄菓子を3つしか食べていない」などと話していたことが警察への取材でわかりました。警察が詳しいいきさつを調べています。調べに対し母親は容疑を否認しているということです。


大東市のパート従業員、縄田佳純容疑者(34)はことし1月、当時8歳の小学生の娘に成人用の下剤を飲ませたり、十分な食事を与えないで低血糖症にさせたりしたとして傷害の罪で起訴され、入院で支払われる共済金6万円をだまし取ったとして18日、詐欺の疑いで逮捕されました。


警察によりますと、だまし取ったとみられる共済金は娘がことし1月22日から6日間、低血糖症で入院した際のもので、娘が「入院前の2日間は梅の駄菓子を3つしか食べていない」などと話していたことが警察への取材で新たにわかりました。


さらに入院の3日前の最後の食事は、小学校での給食だけだったと話していたということです。


警察によりますと、5年前から娘は低血糖症などで43回にわたって入院し、入院に伴う共済金などあわせておよそ570万円が縄田容疑者の口座に振り込まれていて、詳しいいきさつを調べています。


警察の調べに対し、縄田容疑者は容疑を否認しているということです。


近くに住む女性「すごく明るくて挨拶してくれる気さくな人」


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続。

2023年07月20日 02時10分38秒 | 名言、珍言。
渋沢栄一の作った企業。


「事業会社[編集]
明治6年(1873年)、栄一は大蔵省在職時から計画を練っていた抄紙会社(現:王子ホールディングス、日本製紙)の設立認可を得て経営を始める。同年、東京府の瓦斯掛(現:東京ガス)の委員となりガス事業を計画。明治8年(1875年)に廻米、生糸貿易の澁澤喜作商店の開業を支援。明治9年(1876年)、平野富二の石川島平野造船所(現:IHI、いすゞ自動車、立飛ホールディングス)に対し個人出資や第一国立銀行の融資で創業を支援。同年、秀英舎(現:大日本印刷)の印刷業創業や、『中外物価新報』(現在の『日本経済新聞』)の創刊を支援した。
明治12年(1879年)に東京海上保険会社(現:東京海上日動火災保険)創立発起人および相談役に就き、保険業創業を支援。明治14年(1881年)に日本鉄道会社(現:東日本旅客鉄道)理事委員となり設立に参画。明治15年(1882年)には倉庫会社・均融会社の設立出願総代、監査役。同年、共同運輸会社の創立発起人となり三菱財閥の日本郵船による海運独占に対抗した(後に両社は合併)。さらに同年には東京電灯会社(現:東京電力ホールディングス)発起人、委員、大阪紡績会社(現:東洋紡)発起人および相談役となった。明治16年(1883年)、工部省深川工作分局の浅野総一郎への払下げによる浅野セメント工場(現:太平洋セメント)創業を支援。明治18年(1885年)、ジャパンブリュワリー(現:キリンホールディングス)設立の理事員を務めた。
明治20年(1887年)、清水組(現:清水建設)の後継者が幼少のため相談役に就き経営にあたる。同年、高峰譲吉の東京人造肥料会社(現:日産化学)の起業を創立委員長として支援したほか、東京製綱会社(現:東京製綱)創立委員、日本煉瓦製造会社理事長、東京ホテル(現:帝国ホテル)発起人総代および理事長、札幌麦酒会社委員長、後に札幌麦酒㈱ 取締役会長(現:サッポロホールディングス)、
後に大日本麦酒㈱(現:サッポロホールディングス、アサヒグループホールディングス)設立総会議長 取締役、日本土木会社(現:大成建設)発起人総代、委員長。明治21年(1888年)、古河市兵衛の足尾鉱山組合(現:古河機械金属、古河電気工業、富士通、富士電機、横浜ゴム)の設立を支援。明治25年(1892年)、東京帽子(現:オーベクス)取締役会長。明治28年(1895年)東洋経済新報の創刊を支援、日本精糖(現:大日本明治製糖)発起人および取締役。明治29年(1896年)、汽車製造(現:川崎重工業)創立委員および監査役、
浦賀船渠(現:住友重機械工業)相談役、東京建物設立発起人を務めた。
栄一は汽車製造だけでなく、日本鉄道など45の鉄道会社の創立・経営に関わった(小川裕夫『渋沢栄一と鉄道』天夢人)[4]。豊島線(現在の山手線の一部)開業前には、目の前を鉄道が通ることによる騒音を嫌って旧主の慶喜が巣鴨から小石川へ転居する一幕もあった[4]。
明治30年(1897年)、澁澤倉庫部(現:澁澤倉庫)を自邸倉庫を使った家業として創業。
明治31年(1898年)、北海道十勝清水町熊牛地区に開墾を目的とした十勝開墾合資会社を設立。明治39年(1906年)、
京阪電気鉄道(現:京阪ホールディングス)創立委員長、帝国劇場会社(現:東宝、東京会館)創立委員長。
明治33年(1900年)
明治40年(1909年)、日本皮革(現:ニッピ)発起人、相談役。この他にも多種多様な企業の設立や運営に関わった。」



不正している企業が出ないこと、祈りたい。


明治しらない、苦労を知らない。

ロシアの企業は、酷いな、渋沢栄一のような人ない。
社会主義から、人材は、猫糞、組織。


なにが、天然ガスだ。他国の借金で、作ったのに。



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人は、自由しらないと、

2023年07月20日 02時10分28秒 | 名言、珍言。
名言、珍言。



「怖いものがあっても、
それ自体に私たちを支配する力はない。
 それを怖がる自分の気持ちに支配されてしまうのだ。
 真実を見つめれば、
きっと不安から解放される。」



 オプラ・ウィンフリー(女優)



勝手な解釈
裁判、忘れてることが多い、自分のしたことが、犯罪、犯罪を作ること。
変な政治、支配され、生活することが、安易にいいと、思うと、
奴隷の生活と同じ、中国も、ロシアも、庶民は、地獄だろう。
金は、勝手に、国が支配と、勝手に使う。
何が帝国主義が。
支配されても、生活維持と、戦争しないものだ。
歴史は、みれば、自由、知らない国は、支配されるも常識のある人が、
ない。

帝国主義。
本当は、いいことだ。
明治維新の日本のように。

帝国主義でも、社会主義でも、生活することのできる。
庶民、生かすこと、しないは、悪政だ。


楽市楽座ではないか、稼いだことないものが、支配して、独占する政治。
歴史みても、それは、終わるは。
昔のドイツは、今のロシア、アフガニスタンと、変わらない。
よく、学ばないのが、独裁して崩壊。


ーーーーー
名言、珍言。

「今日行いたい善行があれば、
すぐに実行せよ。
 決して明日まで延ばすな。」


 チョーサー(詩人)



勝手な解釈
いいことすると、残る、悪いこと、すると、残る。何か行動も、問われる。
不正ばかすると、不正の産業が、不正、作りだす。
布施ばかり、すると、仕事しない、浮浪者が増える。
世の中、当たり前で借金する前に、生活の金、自分で、稼ぐ。

国の金で、布施、宗教の布施ばかりでは。
奈良の大仏など、作れるわけない。
原価で作るのが、本当の布施、人の不正では、何一つ、残らない。

ーーー
(17) 【FULL】坂の上の雲 オープニング - YouTube 


国民の意味、知らない。
本当、ロシアは、国民ではない、市民。
貧しき、日本は、明治初期。
だから、あの人が、産業、作った。
今度、お札なる人。
一万札。



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