「渉外弁護士・ビジネス弁護士の幻想」の記事について

　以前書いた「渉外弁護士・ビジネス弁護士の幻想」という記事について，コメント欄の議論に照らし，少々説明を加えることにします。

　まず，問題の前提として，弁護士業界における新規登録弁護士の待遇に関する情報はあまり公開されておらず，現役の弁護士であっても現在の初任給の相場がどのくらいであるか，正確に把握することは難しいのが実情です。
　東京の事務所であれば弁護士会のＨＰに採用情報が掲載されていますが，具体的な年収などの採用条件については明記されていないものが大半であり，地方の事務所になると，弁護士の求人広告を出すこと自体が「評判の悪い事務所だとの印象を与える」との風潮が未だに残っているところもあるらしく，採用情報すら口コミで聞くしかないというところもあるようです。
　このような状況で，しかも十分な情報収集能力もない個人の立場で弁護士の採用情報に関する記事を書くのは，実は非常に困難な作業であり，実態を十分に把握しないまま噂からの推測で記事を書くことにならざるを得ない以上，確実といえる情報に基づくものでない限り，客観的な状況に関する断定的な判断は極力避けざるを得ません。

　それでも私が「渉外弁護士・ビジネス弁護士」に関する記事を書いたのは，このブログに対するコメント（特にロースクール生とおぼしき人）を読んでいると，彼らがあまりに渉外事務所や企業法務の事務所に対し「甘い夢」を持ちすぎているようであると感じ，少し「冷や水をぶっかけてやる」必要性を感じたからです。
　通りすがりさんのコメントでは，どうも私の記事を「渉外弁護士に対するやっかみや妬み」であると受け取られた節があるようですが，別に私は，渉外弁護士に対するやっかみも妬みも敵意も持っていません。渉外事務所で成功し年収何千万円も稼いでいるような先生方は素直に尊敬していますし，渉外事務所と言われる事務所が，他の法律事務所に比べて高いステータスを維持し続けていること自体を否定するつもりはありません。
　ただ，ロースクール生とおぼしき人たちのコメントを見ていると，あたかも「弁護士になったら，渉外事務所に就職して，初年度から年収１０００万円もらって超大金持ちになってウハウハだー」などと，まるで国会議員になったばかりの杉村太蔵議員のようなことを言い出しかねない雰囲気を感じたので，いくら何でもそれは違うだろ，渉外ったって良いことばかりじゃないはずだ，と言うつもりで書いたのが，タイトルの記事です。
　言い換えれば，「渉外弁護士は素晴らしい」というテーゼがあまりに広がり過ぎていると感じたため，これに対するアンチテーゼを提供しようとして書いたのが，タイトルの記事です。これを読むロースクール生には，プラスのイメージだけではなく「黒猫のつぶやき」で仕入れたマイナス情報も考慮に入れた上で，自分であちこち渉外事務所も回ってみて，最終的には自分なりの「渉外事務所」像を完成してもらいたいと思っています。
　別に私の言うことを鵜呑みにして欲しいとは思っていませんし，鵜呑みにすることが適切であるとは私自身も思っていません。そもそも，法曹という職業は人間のさまざまな「嘘」を相手に格闘せざるを得ない職業であり，仕入れた情報も鵜呑みにするのではなく，独自の考察でその信用性を分析し，自分なりの見解をまとめるという作業が不可欠です。単に黒猫と名乗る弁護士が匿名で書いている記事をそのまま鵜呑みにしてしまうロースクール生がいたら，はっきり言ってその人はあまり法曹には向かないと思います。
　
　さて，タイトル記事のうち最も批判の多かった年収の話ですが，たしかに渉外弁護士の初任給に関する情報は「年収１０００万円程度」とするものがほとんどであり，聞いたことをそのまま書くのであれば上記のとおり書くのが正しいでしょうし，その方が現状の実態にもおそらく合致していると思います。
　しかし，私は単純に年収１０００万円と書くことには強い抵抗を感じ，結局は「年収１０００万円くらいのところもある」としか書きませんでした。敢えてそのように書いた理由は以下のとおりです。

１　「渉外事務所」の定義自体が，よく考えるとはっきりしない。　
　渉外事務所というのは，もちろん法令上の用語ではありませんから，論じるには独自に定義を考える必要があります。
　字義から考えると渉外事件（国際事件）をやっている事務所とも考えられますが，国際家事事件の類なら私でもやったことがありますから，渉外とは企業の国際案件のことを指すのでしょう。
　しかし，一般に大手渉外事務所と呼ばれている事務所でも企業の国際案件ばかりをやっているわけではなく，そういった事務所の弁護士が個人再生委員をやっていることも現にありますから，「企業の国際案件だけをやっている事務所」と定義するわけにはいきません。
　では，渉外事務所を「国際案件を含む企業法務を中心に行っている事務所」と定義したらどうか。最近は企業活動の国際化も進んでおり，企業法務をやりながら国際問題と全く無縁でいられる弁護士はむしろ少数派でしょうから，このように定義すると企業法務をやっている事務所の大半が「渉外事務所」に含まれることになり，そのほとんどが年収１０００万円も出しているとはさすがに思えません。
　かと言って，「国際案件を含む企業法務を中心に行っている事務所であって，初任給１０００万円程度の高い給料を出しているところ」と定義すれば，渉外事務所の初任給が１０００万円だと言ってみたところで，単なるトートロジーに過ぎません。
　では実態から検討して，西村・ときわなどの「四大大手」のみを渉外事務所と定義したのであれば，初年度年収約１０００万円と書いてもおそらく間違いではないでしょうが，これだけが「渉外事務所」だと言い切るのも問題があるような気がします。
　そして，仮に実態に照らし「渉外事務所」と「他の企業法務事務所」を明快に分けるメルクマールがあったとしても，おそらくそれは当事者にしか分からないものであり，明らかに渉外事務所と分かっている「四大大手」などを除くと，実際に就職活動をする修習生の前にある情報は単に似たような名前の法律事務所の羅列であり，しかも採用条件を明示していない事務所が多いため，実際にそこが年収１０００万円くらいの「渉外事務所」なのか，最近は相場が４００～５００万円台まで落ちたとも言われる一般の企業法務事務所に過ぎないのか，それともその中間くらいの事務所なのかは，口コミの情報を入手するか，それとも実際に行って話を聞いてみない限り分からない，ということになります。
　そのため，タイトルの記事では「渉外事務所」とその他の企業法務事務所を厳格に区別せず，敢えてごっちゃにするような書き方をしており，よって年収についても「年収１０００万円くらいのところもある」という書き方にしています。外部の人間にはどれが「渉外事務所」でどこがそうでないかを判別するのが困難な状態では，むしろそう書いた方が修習生の見る現実には近いかな，という考えもあってのことです。
　　　
２　現在初任給が１０００万円であるところも，将来にわたって１０００万円とは限らない。
　「渉外事務所」と呼ばれている事務所であっても，必ずしも安定した経営状態にあるとは限らず，初任給１０００万円程度という状態がいつまで維持されるかは分かりません。
　旧試験の合格者に対しては１０００万円というベースを守ってきた事務所であっても，新司法試験によって担保される能力の程度が明らかでなく，しかも旧試験の６０期が就職する半年後で供給過剰状態の中に送り込まれるロースクールの卒業生を，果たして各「渉外事務所」が旧試験合格者と同じ待遇で迎え入れようとするであろうか。敢えてそうする事務所もあるかもしれませんが，市場原理に照らし８００万円程度で十分だと考える事務所もあるかもしれず，実態がどうなるかはまだ明らかではありません。
　そうすると，ロースクール卒業生に対して開かれている「初任給で年収１０００万円くらいもらえる渉外弁護士」という椅子は実際には存在しないかもしれず，その懸念が払拭できない状況で「渉外弁護士になれば初任給で年収１０００万円」という情報を安易に流すのは危険ではないか，という思いがありました。

３　想定される主な読者層が「法科大学院生」である。
　法科大学院生のすべてがそうだというわけではありませんが，どうも最初は「法科大学院に入れば７～８割は弁護士になれる」などと説明されていたせいか，実際に法科大学院に入学した人には，そういう噂を軽々しく信じてしまい，一旦期待がはずれるとごちゃごちゃ騒ぐ，といった性格の人が多いように見受けられます。
　そうした人が相手だと，記事で書いたことが悪い方向に外れてしまった場合にはまた騒がれるので，想定される事実関係については厳しめに書いておいた方がよかろう（良い方向に外れたのであれば勝手に喜ぶだけで騒いだりはしないだろう）と考えていました。　

　以上のようなことを考えていたので，渉外弁護士が初年度年収１０００万円などと断言することはせず，敢えて他の企業法務事務所とごっちゃにして控えめに書いたのですが，どうも現役の渉外弁護士の方には，「現状が年収１０００万円を大きく下回っている」と主張している趣旨に受け取られてしまったようです。日本語というのは難しいものです。

　最後に。とおりすがり氏の「黒猫氏もクレサラの仕事をしたこともない渉外弁護士から、誤った事実をもとに「クレサラ弁護士なんて魅力のある仕事とは思えない」などといわれたら、どう自分が考えるか、ということを想像してみる必要があると思います。」というコメントについてですが，まあ現実問題としてクレサラ弁護士はそれほど「魅力のある仕事」ではないと思うので，何を言われてもさほど気にしません。
　多重債務者の救済といえば聞こえはよいが，実際には金銭感覚を無くして受任後もおかしなことをやりまくる依頼者やら，しびれを切らす債権者やらとの，終わりのない格闘の日々。下手をするとこっちまで頭がおかしくなる。意外と収入になるのが唯一の救いだが，同業者に非弁提携などの悪徳弁護士が多いせいか，業界内でのステータスは低め。
　でも，「クレサラ弁護士はみんな多重債務者を食い物にして金をむしり取る悪徳弁護士だ」などと根拠もなく書かれたら，さすがに怒りますが。