ギャラリー酔いどれ

売れない絵描きの世迷い言&作品紹介

小正月Ⅴ

2019-01-19 10:09:09 | Weblog
 画は ピーテル・ブリューゲル(父) Pieter Brueghel the Elder

 1525~1569 / ベルギー? / 初期ネーデルランド絵画        作


  「The Hunters in the Snow  雪中の狩人」です。


☆曇、真冬日、明け方 一段と冷え込む。


昨日に続いて、「闇が深い」のですよ、

◆http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2019/01/post-ac09.html
植草一秀の『知られざる真実』
2019年1月17日 (木)
ボイスレコーダー音声 オールエンジンの怪


拙著『国家は いつも嘘をつく

――日本国民を欺く 9のペテン』(祥伝社新書)
https://amzn.to/2KtGR6k

4章 捏造と隠蔽と 

NO.5「日航ジャンボ機123便」の嘘

に 1985年8月12日に発生した

日航ジャンボ機墜落事件について記述した。

森永卓郎氏が日刊ゲンダイのコラム「週末オススメ本 ミシュラン」

に掲載下さった書評 https://bit.ly/2TPxt0f でも、

森永氏が 日航ジャンボ機墜落について

関心を持ってこられたことが記述されている。

多くの人々は、ジャンボ機墜落という悲惨を

事故としか受け止めていないが、重大な謎が残されたままなのだ。

拙著では、

NO.4「2020東京五輪」の嘘  も取り上げて、

「買収工作」 についても記述した。

多くの方から反響がある。

その結果として、重版 が決定された。

ありがたいことと感謝しているが、一人でも多くの方々が、

拙著をご高読くださり、取り上げたテーマについての考察を

深めてくだされればありがたいと思っている。


日航ジャンボ機123便墜落事件に関して

拙著が指摘したのは、謎を解く最大のポイントが、

123便の衝撃音発生直後に コックピットで発せられた言葉にある


という点だ。

8月12日18時24分に大きな衝撃音が発生した直後に、

コックピットのフライトエンジニア(航空機関士)が

重大な言葉を発している。

その言葉とはオレンジエアである。

この「オレンジエア」こそ、

事件の謎を解くためのキーワードであると 私は考える。


事故調査委員会報告書は、ボイスレコーダーに記録された

コックピット内の音声を 文字に書き起こしている。

しかし、そこに書かれている言葉は

「オレンジエア」ではなく 「オールエンジン」である。
 
ボイスレコーダーの音声は、テレビの特集番組で放映されたことがあり、

拙著では現在もインターネット上で閲覧可能な youtube動画を紹介した。

2000年11月9日に放送された フジテレビ番組

「ザ・ノンフィクション
日本航空123便墜落事故 15年目の検証」
https://www.youtube.com/watch?v=7poQ8oyuBQM である。

このことを1月15日付メルマガ記事で紹介した際に、

改めてサイトを確認したところ、動画が削除された ことが判明した。

12月に、ある国会議員と会食した際、その議員が拙著を読まれ、

youtube 動画を確認された上で、

「オレンジエア」という音声を確認された と伺った。

この時点では サイト上で閲覧可能だったと考えられる。

その後に、削除された模様だ。


音声が「オレンジエア」であるとの指摘が

極めて不都合なのだろう。

しかし、メルマガ読者から早速、新しい情報をいただいた。

下記サイトで音声を確認できる。 深く感謝申し上げたい。

https://bit.ly/2RRj6v9
JAL123便 飛行経路と機内通信



https://www.youtube.com/watch?v=x9gECm8QmpU
【音声再編集】日本航空123便墜落事故 RJTT-RJOO JA8119【機外視点】』
 ↑
 ご参照ください、酔いどれ より。


冒頭に爆発音があり、コックピット内の緊迫したやり取りが

録音されている。

17秒経過時点で 発せされているのが 「オレンジエア」

という音声である。


重要なことは、この音声が「オレンジエア」としか

聴き取れないことなのだ。

事故調の報告書には「オールエンジン」とある。

フジテレビ番組は 音声解析の専門機関に当たって、

「ボディギア」という言葉を提示した。

私は音声を何十回も聴き直して、どう聴いても

「オレンジエア」としか聴き取れないと判断して、その上で、

「オレンジエア」とは 一体何を意味する言葉なのかを調べ始めた。

その結果、驚くべき事実が判明した のである。


http://uekusak.cocolog-nifty.com/photos/
 uncategorized/2019/01/17/photo.jpg



◆http://kenchicjunrei.blog.fc2.com/blog-entry-55.html
kenchicjunreiのブログ2nd  20178月12日
あの日航機123便墜落撃墜事件に 姿を現した、
 日本の 奥の院=国体勢力 に巣くう、
 国民を密かに武力支配する 非合法超法規

 (国の権力が及ばない)勢力 = 通称「クロカモ」の正体を 暴き出す。


より抜粋、

非合法超法規勢力 = 通称「クロカモが、日本の歴史に

それとして姿を見せたのが、あの日航機123便墜落撃墜事件、だった。

墜落機の御巣鷹山の現場に、生存者救出のため、のはずの、

どこよりも早く、到着し現れた自衛隊が、それだ。

自衛隊のかっこうをした 偽自衛隊 あるいは自衛隊の非公式展開部隊であり、

救出ではなく数十人はいた生存者のとどめをさし、

証言者の抹殺と、散らばった証拠物件を回収開始し、

証拠隠滅の作業を任務として 現場に現れた。


これが、日本における非合法超法規勢力「クロカモ」の出現が、

ドキュメントされた、最初のものだ。


「123便」事件の真相は、日本人には隠蔽されている。

真相は隠蔽されているのだと、なぜわかるのか。

当日の現場に 警察よりも早く到着した 地元のひとの目撃証言と、

事件を現在まで 現場検証し続けた真相追究者による報告

があるからである。


  ・現場には、今も放射性物質が散乱している。

  ・現場に残された日航「123便」のエンジンに
   不発のミサイルが突き刺さっている。

  ・米軍の戦闘機とプロペラ機の、撃墜された残骸が残されていた。

  ・事件後、真相を追究するものたちには、
   電磁波兵器による攻撃その他 妨害弾圧や抹殺が設定される。


現場に警察よりも早く到着した地元のひとの 目撃証言によると、

不審な自衛隊、防毒マスクをし、アーミーナイフを所持した

(これらは当時の自衛隊の装備品ではない)自衛隊らしき特殊部隊が、

どの機関よりも早く 御巣鷹山に現れた時、

現場では 数十人の(うめき)声がしていた。

地元のひとが現場から引き返し始め、しばらくすると

数十人の(うめき)声は急にしなくなった。


日航「123便」核物質移送 撃墜事件には、次の争点がある。

不審な自衛隊、防毒マスクをし、アーミーナイフを所持した

(これらは当時の自衛隊の装備品ではない)自衛隊らしき特殊部隊とは、

何ものか。


生存者を整然と殺害する 自衛隊に似せた

国営テロリストのような者たちは 何ものか。


事件後、真相を追究するものたちを、電磁波兵器を使用して、

攻撃する治安部隊のような国営テロリストのような者たちは、

何ものか。


このような自衛隊に似せた治安部隊のような国営テロリスト

のような者たちと、核物質 移送密売の勢力とは、グルであり、

チームということになる、のか。


日航「123便」核物質移送と撃墜事件は、いったい誰が、計画し、

統括していたのか。


そして、日本の奥の院は、この事件と、

このような勢力に関わりはないのか。


たとえば、ヤタ烏(八咫烏)は、大和朝廷由来の

天皇の非公然(祈祷祭儀と諜報隠密の)私兵 と言われるが、

日本国民を監視し 秘かに攻撃し殺害もする、

このような国営治安非公然テロリストの仕事はしないのか。

日本の奥の院 = 国体勢力 に巣くう、国民を密かに武力支配する

非合法超法規勢力「クロカモ」の正体を暴き出すことにする。

日本の偽皇統に連なるのだろう結社連合、コードネーム「クロカモ」の実体。


以下ご参照あれ!



この「偽自衛隊」の正体が 謎なのですよ。

(新) 日本の黒い霧  http://blog.goo.ne.jp/adoi

の 日月土氏は「在日米軍基地に待機させておった 鮮人の偽自衛隊」とする。

予め周到に計画された 撃墜計画で 主犯は「在日米軍」説です。

メイン・ターゲットは 対イラン向けの 積み荷の「プルトニウム」。

モサドも絡んでおるし、日本人自衛官が 日本人を殺せるかねぇ?

ここが「自衛隊主犯説」の疑問点です。




Brueghel、二枚目、



「The Numbering at Bethlehem」です。



阿呆に 外交は そもそも 無理 々

◆http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/338.html
投稿者: 赤かぶ 日時: 2019 年 1 月 16 日  kNSCqYLU
外交の安倍どころか 疫病神
 日露、日韓、日米の 無残
(日刊ゲンダイ)


http://asyura.x0.to/imgup/d9/9107.jpg

☆https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/245551
日刊ゲンダイ  2019/01/16  文字起こし


「戦後日本外交の総決算を 果断に進めてまいります」

安倍首相が年頭所感でこう気炎を吐いてから2週間。

“外交の安倍”は 新年早々から 立ち往生している。

「プーチン大統領とは戦後70年以上残されてきた課題に

必ずや終止符を打つ という強い意志を完全に共有した」と

喧伝してきた北方領土問題は、完全にドツボにハマった。

1956年の日ソ共同宣言を基礎とする平和条約締結に向けた

「交渉責任者」に位置付けられた 日ロ外相による14日の初協議。

ラブロフ外相が強硬に主張したのは

「南クリール諸島(北方領土)の主権は ロシアに移った

というのが 基本的な立場だ。それを日本側が認めることなしに

交渉の前進は難しい」

「日本の国内法で『北方領土』と規定されているのは

受け入れられない」というロシア側の姿勢だった。

つまり、第2次世界大戦の正当な結果として

北方領土がロシア領になった と認めない限り、

平和条約交渉は進めない というのだ。

元レバノン大使の天木直人氏は言う。

「北方領土問題を巡る 対ロ交渉は予想できない展開になってきました。

歴史的成果を求める安倍首相は 4島返還という

従来の政府方針を後退させ、2島返還まで譲歩したにもかかわらず、

ゼロ返還だと ダメ押しされたようなもの。

おそらく、官邸も想定外 なのではないか」



「帰属」言及で 期待をあおった交渉進展

共同宣言は 平和条約締結後に 歯舞群島と色丹島を引き渡す

と明記している。 安倍はそれを前提に 年頭会見で

「北方領土には多数のロシア人が住んでいる。

住民の方々に、日本に帰属が変わる ということについて納得、理解

をしていただくことも必要です」と踏み込み、

北方領土交渉の進展をにおわせていた のは一体何だったのか。

この前のめり発言が プーチン大統領の怒りを買い、

駐ロ大使が外務次官に呼びつけられて抗議を受け、

官邸は火消しに追われていたが、

狡猾なプーチンにとっては 序の口だったのだ。


そもそも、北方領土問題が急浮上したのは

16年5月にソチで行われた13回目の日ロ首脳会談だ。

安倍が共同経済活動を持ちかけ、領土交渉を巡る「新しいアプローチ」

で合意。 ところが、支援を出し惜しむ日本側に

シビレを切らしたプーチンが 昨年9月の東方経済フォーラムで

「年内に前提条件なしで 平和条約を結ぶべきだ」とブチ上げ、

11月に日ソ共同宣言を基礎とする交渉加速で合意する。


93年の 東京宣言、2001年のイルクーツク声明 を経て

4島返還に押し戻した のに、一瞬でパーになり、

揚げ句が このザマ
なのである。



首脳会談で要求される 在日米軍の縮小・撤退

安倍政権による政策の“大転換”に 警鐘を鳴らしてきた

北海道大名誉教授の木村汎氏(ロシア政治)は、

日経新聞(15日付朝刊)でこう喝破していた。

〈安倍晋三首相は 自分の任期内に決着させるとして

交渉期限を自ら区切ってしまった。 交渉は期限を決めた方が不利になる

首相の自民党総裁としての任期は2021年9月までで 3年もない。

プーチン氏の任期は 24年までで、

憲法を改正してさらに延ばす との見方もある


プーチン氏は交渉が長引くほど首相は焦るとみて

強気にでてくるだろう〉

〈安倍首相は信頼外交を重視して 首脳会談で一対一の会合を好むが、

外交の常道からしても 危険きわまりない。

プーチン氏とは信頼関係はつくれない。

中国や米国をけん制するために 日本を利用しているだけだ


木村氏の指摘は正鵠を射たものだ。


プーチンは交渉のハードルをどんどん上げてきている。

7月の参院選を控え、安倍は6月に大阪で開催されるG20

のタイミングで 平和条約締結の大筋合意を目指している。

残された時間はわずか。

この状況で突っ込めば、22日にモスクワで予定される25回目の

日ロ首脳会談では 何を要求されるか分かったものではない。

筑波大教授の中村逸郎氏(ロシア政治)はこう言う。

「外相会談でハッキリしたのは、日ロ間に領土問題は存在しない

というロシアの立場です。2島返還はおろか、北方領土についても

議論する考えはなく、念頭に置いているのは 平和条約締結だけ。

安倍首相は 日ロ首脳会談をキャンセルする のが筋
です。

交渉進展を演出するために訪ロすれば、プーチン大統領の思うツボ。

年末恒例の大記者会見で言及したように、

プーチン大統領の関心事は 在日米軍の展開です。

ロシアの安全保障政策上、米軍の存在は邪魔で仕方がない。

平和条約締結の条件に 在日米軍の縮小・撤退の法的確約を押し込まれる

のは必至。 日米同盟との板挟みに陥り、国際社会の不信を招くだけです」


その日米関係だって、トランプに押されっぱなしなのは言うまでもない。

安倍は訪ロと 世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)への出席を理由

に 21~24日の日程で外遊する。

そのシワ寄せで 通常国会の召集は28日まで先送りされた。

自分勝手な レガシーづくりの妄想の挙げ句、国会を軽視し、

成果を得るどころか、やることなすこと 亡国の迷走


目も当てられない「安倍外交」の無残である。



政権交代以外に 対韓関係改善の道なし

元徴用工賠償やレーダー照射問題を抱える日韓関係も

こじれにこじれている。

昨年10月に韓国大法院(最高裁)が日本企業に

元徴用工らへの賠償を命じた判決を巡り、

安倍は「国際法に照らしてあり得ない判断だ」と繰り返して

韓国世論を逆なで。

65年の日韓請求権協定で「完全かつ最終的に解決済み」とする政府方針

にならった企業側も原告団との協議に応じず、

一部資産が差し押さえられた。

安倍政権は文在寅政権に対して 請求権協定に基づく協議を要請し、

30日以内に応じるかどうか回答するよう求め、

韓国世論のさらなる反発を招いている。

韓国軍の駆逐艦が海上自衛隊の哨戒機に

射撃用の火器管制レーダーを照射したとされる問題を巡っては、

日韓防衛当局者が駐シンガポールの両国大使館を行き来する形で

2回目の実務者協議を実施したが、議論は平行線だ。

韓国の世論調査会社リアルメーターによると、

対日外交への政権対応について

45・6%が「より強硬に対応すべきだ」と回答。

「対応は適切」が37・6%で続き、

「自制すべきだ」は12・5%にとどまった。

韓国情勢に詳しい国際ジャーナリストの太刀川正樹氏はこう言う。

「期限を区切った協議要請は 最後通牒のようですし、

第三国での協議開催は まるで国交のない国同士のやりとりです。

安倍政権は恣意的に コトを大きくしているのではないか。

今回の件に限らず、韓国社会で安倍首相ほど嫌われている

日本の現役政治家はいません。

朝鮮民族をイジメ抜いた岸信介元首相の孫にあたる上、

韓国を見下したような横柄な態度を取るので

思想の左右を超えて忌み嫌われている。

さらに、南北融和に水を差し、

一方で北朝鮮による拉致問題解決に向けて協力を求める。

支離滅裂です。 安倍政権が続く限り、日韓関係の信頼回復は不可能

といっていいレベルまできている」

第2次安倍政権発足から6年あまり。

安倍の一連の言動を振り返れば、日韓関係が悪化の一途をたどるのは

必然だった。 93年の「河野談話」で決着した慰安婦問題を蒸し返して

反日感情をあおった揚げ句、15年の日韓合意で「和解・癒やし財団」

に10億円を拠出。

それも文在寅政権誕生で空中分解してしまった。

約11年ぶりの南北首脳会談、史上初の米朝首脳会談の足掛かりとなった

平昌五輪では、米韓合同軍事演習に口を挟んで 文在寅に「内政干渉だ」

と一喝される始末。

これだけ日韓関係を悪化させておいて、よくもまあ、

「拉致問題の解決が 最優先」などとホザけるものだ。

15日、しまね観光大使らからボタンの花束を贈られた安倍は

「安倍政権も 大輪の花を咲かせたい」とニヤけていたが、

この国にとって安倍の存在は 今や完全に「疫病神」だ。

それはもはや疑いようがない



ロシアの 日本へのメリットは 

「安くて? 安定的な 資源」の輸入のみ。

日本の主敵は まず いの一番に「ユダ米」ですよ。

偽ユダ・アレン・ダレスの 悪辣さ(恫喝)を 見よ。

二番手に 「共産支那」、三番手に 「キ印・半島」です。

半島は南北とも 必ず 抗日共同戦線を組む DNAだw 

ロシアは 海軍力が強くなく 日本侵攻は無理だし 興味なし。

ハッキリしておるのだから ここから国策を考える べきでしょう。

ロシアは何様 強欲 このDNA なかなか治らんだろうねw



Brueghel、三枚目、



「Winter Landscape with Skaters and Bird Trap (1565)」です。



当ブログ既報の内容ですが、

◆https://okita2212.blogspot.com/2019/01/blog-post_59.html
日々雑感  - 1月 18, 2019
平和条約どころか、
 日ロ間に 歴史的共通認識すら 出来ていない



<1945年の8月15日に 日本がポツダム宣言を受諾し

(連合国側への通告は14日)、陸海軍の無条件降伏 を行った、

つまり日本としては第二次大戦が終わったと認識した後で、

ソ連は 南樺太と千島の占領という軍事作戦を敢行しました。

(満州方面では8月9日より戦闘開始)

これは日本側からみれば、第二次大戦の一部とはみなせない、

一方的なものであった と言えます。

その後、1956年には鳩山一郎内閣において、河野一郎農林大臣

(現在の河野太郎外相の祖父)が対ソ交渉を行い、

日ソ共同宣言に合意して 日ソの国交が回復しています。

この日ソ共同宣言では「戦争状態の終結」が合意されていますが、

日本としては、この戦争状態の終結というのが

第二次大戦だ ということは認めていません。

あくまで 日ソ中立条約が有効であるにも関わらず

一方的に行われた戦闘行為であり、それによって発生した対立

という考え方を取っています



このように、ロシアの言う

第二次大戦の結果として 南千島がロシアのものになった

というストーリーは、二重三重に根拠が崩れていますし、

日本としてそのような主張は 一度も認めたことはありません


では、プーチン政権は「大変な悪意を込めて」

こうした主張をしているのかというと、それも違うと思います。

あくまで交渉のカード、言葉のゲーム として持ち出している

のであって、むしろ堂々と否定する ことで

対等の舌戦、論理戦に持ち込めばいい のではないか
と思われます>

(以上「Newsweek」より引用)



昨日書いたブログ「盗人猛々しい国家・ロシア」を補強するか

のような記事をNewsweekが掲載した。

まさしくロシアと日本の 先の大戦に関する両国関係はこの通りだ。

さらに、旧ソ連とロシアに継続性がある とすれば

そのことを ロシアは日本政府に証明しなければならない。


ソ連が不法占拠した北方領土」を

ロシアが継続して不法占拠している根拠 は何なのか
を、

国際社会に説明すべきではないか。


先の大戦で 日本はソ連と「日ソ不可侵条約」を締結していた。

ナチス・ドイツに 攻め込まれていた当時、

日本が 対ソ戦に参戦していたなら

ソ連は兵員を 東西に二分する必要があり、敗北していた可能性が高い。

当然ながら、ドイツから日本政府に
参戦 要請が届いていた

しかし日本は律義にも「日ソ不可侵条約」を守って参戦しなかった。

しかしスターリンのソ連軍は突如として

敗戦間近の8月9日に 日本領満州へ攻め込んだ。

その後の 悪逆非道ぶりは筆舌に尽くし難い。

そして60万人もの 日本の兵隊や軍属をシベリアへ強制連行し、

過酷な使役に従事させて12万人も餓死や凍死させた。

この蛮行を 日本国民は忘れてはいない。

「異国の丘」という歌謡に 切々と歌われている。


上記記事にもある通り、ソ連軍が千島列島に上陸侵攻したのは

8月15日のポツダム宣言受諾後で、日本軍は「無条件 武装解除」していた。

丸腰の日本軍に ソ連軍は攻め込んだのだ。

戦争の勝利により占領した、と愚かなロシア政府は主張するが、

日本が ポツダム宣言受諾後に

ソ連軍は 日本軍と「戦争」したというのだろうか。

ポツダム宣言の起草会議に ソ連の最高指導者・スターリン氏も

出席していたが、日本が受諾したポツダム宣言に

ソ連はサインしていないから「日本の敗戦」を認めない、

という論法なのだろう。

しかし、それは明らかな「恣意的」な国際法の錯誤 でしかない。

ロシアは恥を知るべきだ。

先の大戦で 日本から損害を受けたから、日本は領土を奪われても仕方ない、

という論法は破綻している。

日本はソ連と戦ってはいない


ただ一方的に 終戦間際の8月9日に 疲弊した日本軍の支配地域の旧満州へ

軍事侵攻しただけだ。

旧満州は終戦後に 中共政府が侵略して現在では「中国東北部」となっている。

元々の中国の版図は 北限を「万里の長城」までと

自ら規定していた。

それを破っているのは「歴史的事実」だと 余りに明らかだ。

日本政府はロシアに対して 歴史教育を施すべきだ。

彼らは歴史的事実を知らないのか、

あるいは知っていても「恣意的」に無知を装っているのか。

いずれにしても、ロシア国民は 歴史的な「史実」を知らないのだろう。

すべては正常な状態に復してから、日ロ両国関係を話し合うべきだ。

そうでないと、両国民は反目し合ったまま、

偽りの平和友好関係を構築するだけだ。

偽りの平和はチョットした切っ掛けで崩壊する。

そんな砂の城のような平和関係など、最初から構築しない方が

後々のためではないか。

日ロ首脳会談を実施するには まだ歴史的な基礎的認識に関してすら、

まだ何も共通認識できていないし、平和会談どころの話ではない。



関東軍が侵攻しておれば 「歴史は変わった」。

スターリンは 関東軍を 恐れきっていた。

陸軍内部の統制派(南進)と 皇道派(北進)の対立で 

昭和天皇の意向で 統制派が勝って 潮目が変わった わけです。

その後は ご存知のとーり 撤退に次ぐ撤退  餓死・病死の山。