5522の眼

ゆうぜんの電子日記、2021年版です。

腕時計をしない

2007-10-12 21:07:22 | Weblog

腕時計をしなくなって結構長くなる。



会社を辞めるのとほぼ同じタイミングで自分の携帯電話を買ったが、その頃からだから、もう3年になるのか。革バンドが破れて修理をと思いながら、時刻は携帯で確認ができるので、そのままになってしまった。爺フリーターとしてはもはや腕時計がないと困るほど、時間に追われる生活ではないし、携帯や万歩計のデジタル時計が身近にあるのだから、腕時計は小物箱の中で時を止めている。



図書館で読んだ週刊文春のコラム「ホリイのずんずん調査」(フリーライター・堀井憲一郎)は「携帯があるから大丈夫な若者たち」と題して、腕時計に余り意識をしなくなった若者たちの傾向を調べている。



38人がアンケートに回答し、そのうちで腕時計を持っていない者は3人と、予想に反して少なかった。腕時計は持っていても毎日つけているわけではなく、たとえば携帯が使えない試験の時などには、その必要に応じてつけているというのが多数派パターンの様である。



腕時計はほとんど使わないが15人で4割、したりしなかったりが9人で2割と併せて半数以上だ。一方で、よく使っているというのも14人で4割が回答しているのだから、廃れたということでもなさそうだと堀井は言う。



どうやら、腕時計というのは「真面目に働く人たちのビジネス必需品」といったイメージで若い彼らには捉えられているようで、大人の道具だからできれば装着したくはないのだと思っているのではと分析している。こちらも、会社を卒業したとたんに、腕時計の必要性が減ってきたのだから、やはり「働く人の持ち物」であることは間違いなかろう。



50年も前、越境入学した中学に入った時に買ってもらった、当時は高価だったセイコーの手巻きを着けたとき、ちょっと大人になった感じがしたのを今も覚えているのだが、今の子どもたちは大人気分を味わうことをあまり嬉しがってはいないようだ。なにせ、38人中で、始めて腕時計を買ってもらったのが小学生の時と答えたのは28人もいたというのだから、昭和時代とは、価値観が違っている。



100円ショップで腕時計が買える時代なのだから、腕時計にたいする意識が違って当然なのだろう。帰りの電車で他人の袖口あたりを見回してみた。長袖になったせいか、よくは判らないが、腕時計をつけている者、いない者はどうやら半々といったところのようだ。






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