5522の眼

ゆうぜんの電子日記、2021年版です。

400年後のよみがえり

2010-12-17 23:44:59 | Weblog
本能寺で焼滅した織田信長の頭蓋骨が見つかったとしたら、間違いなく大騒動になるだろうが、フランスではそれが実際に起こっているようだ。

今日聞いたドイチェヴェレの特派員報告は、「400年前に暗殺されたフランス王・アンリ4世の頭部発見」という歴史ニュースを伝えてきている。

それによると、昨日イギリスの医学雑誌に発表されたレポートで、法医学者のフィリップ・シャリエの研究チームが確認したというのは、コレクターから鑑定を依頼された品、エンバーミング(防腐)処理が施された1個の頭蓋が1610年に暗殺されたフランス・ブルボン朝の王、アンリ4世の頭部であるということ。

王殺害から200年後、1793年のフランス革命では、パリ近郊サンドニにある王立教会のフランス王家の墓地も荒らされ、王たちの遺骸を冒涜した。アンリ4世の頭部もこの時の混乱で滅失してしまったと考えられていたのだが、実際は個人コレクターたちの手を渡りながら、密やかに護られて来たということらしい。

この頭蓋をアンリ4世のものと確認するのは、今はやりのDNA鑑定というわけではないようだ。

右の鼻腔にある黒いマッシュルーム型の傷、顔面にある治療後の刺し傷、右耳朶のピアス跡、ミイラ化した頭蓋に残った髪の毛色や口髭と顎髭の形など、この頭蓋に見られる特徴は、死亡当時の王の容貌や、自画像に描かれた特徴と多くの部分でマッチしている、さらに、1793年の暴徒による首切断が作った3箇所の切り傷も観察できるといった理由からである。

人気のあったアンリ4世はボンロワ・アンリ(良王アンリ)として知られ、57歳でフランソワ・ラヴィヤックという狂信的カトリック教徒に、喉を2回掻き切られて殺されている。

放射性炭素による特定法でも結果は1450年~1650年となり、暗殺年の1610年を見事に包括する。さらに、デジタル技術による頭蓋の再現でも、残された王の肖像画の特徴を捉えており、死後すぐに作られた石膏のデスマスクとも合致するなど、頭蓋を王の頭部だと確定できるというわけである。

好色でもあったアンリ4世だが、王位に就いて9年後の1598年には「ナントの勅令」を発し、キリスト教プロテスタントの宗教上の自由を保障、フランス・プロテスタントとカトリックの30年にわたる抗争を終結させた。「宗教的寛容」を推進した賢明な王として記憶されているとDWは結んでいる。

国民に信教の自由を与え、戦争で荒れた国土を農業で再生した王の英知を、イマイチ人気の出ない共和国サルコジ政権の行政力と比較しながら、フランス国民は何を思うのだろう。ボンロワ・アンリがぴったり400年を経てよみがえるのは何かの偶然か?



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