5522の眼

ゆうぜんの電子日記、2021年版です。

余寒の白梅

2011-02-24 23:04:31 | Weblog
歩道に向いた個人宅、行き交う歩行者の手が届きそうな庭先にある梅の小木には一重の白い小梅が開花、公園の回遊路には、ピンクの八重咲きが、さらに、路地の長屋の玄関口には鉢植えの紅梅も並んでいる。

「梅が香や どなたが来ても 欠け茶碗」 小林一茶

欠け茶碗しかない貧しい暮らしだが、庭の梅の香りがこのうえないもてなしになる。梅の香と欠け茶碗。異質なものをあわせることを俳句では「取り合わせ」というのだとは岩波新書「季語集」の坪内稔典先生。俳句だけではなく、様々の分野でこの「取り合わせ」が活用されているのだという。 絵画やお茶や活け花といったアートから料理まで、日本人は元来こうしたアンサンブルの能力に優れた民族のようだ。

ただ、残念ながら一茶が嗅いだであろう梅の香りは、現在の歩道や路地や公園の咲く梅の花から嗅ぎ取ることは難しい。欠けた茶碗だけでは洒落にもならないが。

「むめが香に のっと日の出る 山路かな」 松尾芭蕉

今日の最高気温は14度もあったが、小雨模様で陽が射さないせいか、肌寒く感じた。脚を全部覆うタイツをステテコに換えたせいもあるのだろう。

「春寒の 社頭に鶴を 夢見けり」 夏目漱石

坪内稔典先生は、漱石の随筆、「京に着ける夕」を引用して、京の春寒を説明している。明治40年(1907年)に京都・下鴨神社の糺の森にあった友人の家に泊まった話である。

「駅からの道が寒く、風呂が寒く、蒲団も寒かった。夜明けの烏もかあと単純には鳴かず、曲折して、きゃ、けえ、くうと鳴いた」

漱石の口吻はそれもこれも寒さのせいである。きっと比叡から吹き降ろす寒風が、京都の町に「余寒」を運んできて、体の調子もよくなかったのだろう。

それとは打って変わって、名古屋よりも3度近くも暖かい16.9度の最高気温を記録した京都。府下城陽市の青谷梅林は1万本あるという白梅が満開を迎える頃合になっているはずだ。

「白梅や 夕雨寒き 士族町」 芥川龍之介





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