原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

藤井聡太4段も学校の休み時間は校庭で遊んだだろうか?

2017年06月12日 | 教育・学校
 つい先ほど見たNHK昼のニュースによると、本日(6月12日)将棋棋士藤井聡太4段の写真が印刷されたクリアファイルが発売され、それを買い求めるファンによる長蛇の列が出来たとの報道だ。

 今を煌く天才棋士藤井4段だが、伏し目がちのシャイそうな可愛らしくあどけなく表情とは裏腹に、内面に秘めた闘志と負けず嫌い気質の程が実に素晴らしい!
 将棋ファンでなくとも、ついつい母性本能がくすぐられ応援したくもなるというものだ。


 話題を表題に戻そう。
 表題の結論を述べるならば、藤井4段も小学生時代には学校の休み時間は校庭で遊んだものと推測可能だろう。
 なぜならば、藤井4段は陸上競技が得意でかなりの俊足とのメディア情報がある故だ。


 早速、藤井聡太4段に関するウィキペディア情報の一部を以下に紹介しよう。

 藤井 聡太(ふじい そうた、2002年7月19日 - )は、将棋棋士。 名古屋大学教育学部附属中学校在学。 21世紀生まれで初となる将棋のプロ棋士である。 またプロ初対局初勝利から続く「新人連勝記録」で歴代1位の記録保持者。
 5歳のときに祖母から将棋を教わる。
 プロ棋士や奨励会員、詰将棋作家が多数参加する詰将棋解答選手権のチャンピオン戦には、2011年の第8回大会に小学2年で初参加して、大阪会場の24人のうち13位。2015年の第12回大会で同選手権史上初の「小学生による優勝」を達成し、以後2017年の第14回大会まで3連覇。 2016年9月3日、日本将棋連盟の第59回奨励会三段リーグで13勝5敗の1位となり、10月1日付、14歳2か月でプロ棋士(四段)となる資格を得た。 これは最年少記録。
 プロとしての公式戦初対局は2016年12月24日に行われた第30期竜王戦6組ランキング戦の初戦、加藤一二三との対局。この対局で公式戦勝利の史上最年少記録を更新した。 2016年度はその後も勝ち続け、最終的に公式戦を10戦全勝。プロ入り初年度を全勝したケースは清野静男(1949年度・9勝0敗)以来、67年ぶり。 2017年4月4日、王将戦1次予選で小林裕士に勝ち、松本佳介と近藤正和の10連勝を更新するプロデビュー以来の11連勝の新記録を達成した。
 プロ初対局初勝利から公式戦25連勝中(2017年6月10日現在)。 連勝記録は歴代2位の記録であり平成以降としては最長記録である。またプロ初対局初勝利から続く「新人連勝記録」としては歴代1位の記録を更新中。
 棋風としては、居飛車の本格派で悪手の少なさに定評がある。得意戦法は角換わり。 終盤で力を発揮し、鋭い攻めとともに相手の攻めを正確に受けて勝つ対局も多い。
 人物像だが、幼少期に将棋を覚えるため「NEWスタディ将棋」(くもん出版)を用いた。 母は「生活能力が低い」と藤井を評している。 小学校を卒業した頃に、関西将棋会館(大阪市)での奨励会例会に一人で行かせたところ、服や傘を全て将棋会館に置いたままで帰宅したという。 学校の授業で好きな科目は、算数と体育。 球技は苦手で陸上競技系が得意。 ラーメンが大好物で、味噌煮込みうどんも対局前によく食べる。
 (以上、ウィキペディア情報より将棋棋士藤井聡太4段に関する内容の一部を引用したもの。)


 ここで話題を大きく変えよう。

 昨日の「原左都子エッセイ集」ランキング上位に、「学校の休み時間は校庭で遊ばねばならないのか?」と題する2013.10.31付バックナンバーがランクインしていた。
 その内容の一部を以下に要約して紹介させて頂こう。

 10月に入り台風が続いた後、今週水曜日あたりからやっと秋晴れに恵まれている東京地方だ。
 そんな折、10月30日水曜日の午前10時半頃だっただろうか。 公立小学校に程近い位置にある高層住宅上階の我が家の室内まで、小学校教員による校内放送アナウンスが高らかに響いてくる。
 「生徒の皆さん、今日はいい天気です。 校庭に出て遊びましょう!」
 そこまでならば、私も許容範囲だ。  ところが、このアナウンスはまだまだ続く。  「外に出て太陽光を浴びましょう。 室内で閉じこもっていては体の発達に悪いです。 皆さん、校庭に出て元気に遊びましょう。」云々…
 ここで、原左都子の私論に移ろう。
 ちょっと待ってよ、先生。 確かに子どもの発達のためには外で太陽を浴びながら元気に遊ぶ経験も必要ではあろう。 ただし、学校の休憩時間とは最大20分程度ではなかろうか? (たかが20分程度太陽光を浴びる事による子どもの発育への医学的好影響の議論は、ここでは割愛しよう。)
 もっと大きな問題とは、その短時間を生徒個々人の意思で如何に過ごそうと自由ではなかろうか?、との観点だ。
 さて、次の日も快晴に恵まれたのだが、同じ時間帯に同じ教員の音声で、同じ校内放送が我が家まで流れてきた。 
 ちょうど(当時)大学の授業が午後からだった娘が在宅していて、我が家の室内でこの放送を聞いていた。 小学校時代には(持って生まれた事情により)自己表出能力に乏しかった我が子であるが、今となっては素晴らしいまでの成長を遂げている娘が、母の私に伝える。 (参考のため、我が娘は小学3年生3学期よりこの公立小学校に転校し卒業まで在籍していた。)
 「昔からこの小学校は、晴れるといつもこの放送を同じ時間に流した。 私にとってこの放送ほど辛かった事はない。 校庭になど出たくもなくて教室の座席に一人座って本を読んでいると、教員が教室までやってきて“校庭に行け!”と強制する。 しかたがなく校庭に出ても大勢の生徒達で混んでいて、私の居場所などどこにもない。 しょうがないから校庭の生徒に不人気な暗い日陰の遊具に、一人ぽつねんと座っているしか自分の居場所がなかった…。 同じ座って休み時間を過ごすならば、自分の教室の慣れた席で座らせて欲しかった……」
 我が娘の訴えを聞き、娘が小学生時代に経験した“心の闇の隙間”を改めて認識し直し、親として娘同様に心を痛め涙を流さないはずはない。 
 ここで私事に入るが、日本の過疎地出身、しかも“もはや戦後ではない”数十年前の時代に小学生だった私だ。 そんな我が小学生時代にはまさか、学校側からの放送で「校庭に遊びに行きなさい」なる指示すら一切なかった記憶がある。 おそらく教員達も生徒の休憩時間を自分達の休憩時間にぞっこん当てていたのであろう。  それでは、私の小学生時代に児童達は何をして学校の休憩時間を過ごしていたのかと言うと、正直なところ3年生程までのその鮮明な記憶は無い。   原左都子の記憶に少しあるのは、私は小学校高学年頃「小説」らしき文筆を好んでしていた事だ。 この作業にはまり、自主制作ノートに気ままな小説を数多く書き込んでいた。  
 更なる私論を展開しよう。
 たかが小学生と言えども特に高学年に達している場合、上記原左都子事例のように既に自分なりの“世界”を築いている生徒も存在するのではあるまいか?  それをすべて無視して、「皆さん、校庭で遊びましょう!」との教師側の発言とはいくら何でも無謀と心得る。
 幼い子どもを抱える小学校現場と言えども「子どもの個性・多様性を尊重する」べくスタンスに立ち戻っては如何だろうか?
 人間とは子ども・大人に係わらず皆多様で個性豊かな存在なのだ。  どうして、人間がこの世に持って生まれ出た素晴らしい個性や多様性を、この国や自治体の行政は今尚認めず潰し続けるのだろう!?
 「晴れたら生徒皆が校庭に出るべきだ」?  そんな旧態依然としたことばかり言い続けているから優秀な人材達を根こそぎ失っている現実に、もうそろそろ自治体や国家は気付こうよ。
 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより一部を要約引用したもの。)


 最後に私論でまとめよう。

 藤井4段なる類稀な天才棋士と、一般人を同等に扱う過ちを犯してはならない事など百も承知だ。

 そうだとして。
 私が推測するに、藤井4段はおそらくご家庭環境にも恵まれつつ、14歳まで輝かしきサクセスストーリーを一筋に歩まれたのであろう。
 現在国立名古屋大学付属中学に在学されているとのことは、(もしも附属高校も併設されているのであれば)そのままストレートに高校進学するとの恵まれた立場にもあろう。 (その後大学受験かな? あるいは、将棋界に残る決断を下すのだろうか??)

 藤井4段の場合そんな恵まれた生育環境下に於いて、むしろ突出した才能があるとの理由で周囲より“やっかみ”によるいじめを受けるとの被害に遭遇しそうだが?  ところが、藤井4段に関するそのような情報は一切見聞しない。 いやもしかしたら藤井4段が醸し出すあの“独特の控え目で可愛らしい雰囲気”故に、周囲よりマイナス感情すら抱かれにくい人物であるのかもしれない。?? 
 いずれにせよ、よくぞまあ14歳の若さで現在の将棋棋士の地位を築き、それを続行している事を鑑みると、まさに賞賛に値する人物だ。

 話題を一般庶民に移そう。
 学校が言うところの「休み時間は皆が校庭に出て遊べ」との論理は、天才藤井棋士にとっては難なくこなせるどころか、俊足の藤井氏にとってはそれも自己鍛錬の励みに繋がった事であろう。

 ところが、庶民とは所詮庶民でしかない。
 その庶民の自我が目覚める小学校高学年時期に、自分がやりたい事を「休み時間」を利用して実行して何が悪いと学校側は言いたいのか!??
 我が娘が、学校側からの「休み時間は校庭に出よ!」との強制指導に幼心に傷ついた歴史を思うと、私にとってはまさに“弱者虐待”の指導との認識すらある。

 少なくとも、子どもの自我が芽生える第二次反抗期に達する小学校高学年の児童に関しては、休み時間の過ごし方など自由にさせた方が、むしろ子供本人の自我発達を促す結果となりそうにも思える。

 皆が皆、天才将棋棋士藤井聡太4段になれない事実など、国民皆が重々承知だろう。
 少なくとも小学校教育に於ける自由時間であろう「休み時間の過ごし方」に関し、児童の個性や年齢に応じた対応を期待したいものだ。