<2470> 余聞、余話 「 共 生 」
光射し光を受けて形をなし彩をなしともにある生
山野に赴くと、緑なす草木群に触れることが出来る。見上げるような大きさのものから、地を這うような小さなものまで、それは千差万別である。また、群れをなすものがあれば、ただ一つ生え出しているものもある。そうした中で、大が小を助けているような光景にも出会う。その営みは概してともにあるという光景で、そこには鳥や虫たちの姿も見えるという具合である。そして、その鳥や虫たちも営みを得ている。言わば、この風景は共生の姿にほかならない。
陽光と雨水は光と水を必要とする草木にとって、まさに慈愛であり、その慈愛の公平をその働きに秘めて陽光も雨水も遍く及ぶことを原則として、射し、そして降り来たるように出来ている。その慈愛の輝きと潤いを私たちは普段何気なく感じ、享受している。私たちの生命の躍動とその美しさは、この享受に発している。
小さなマメヅタがイチイガシの太い幹に這い上り、日射しを受けて、形をなし、彩をなしている。それは、まさに時と所を得た営みの形であり、彩であることを地球生命たる同じ位相の私たちは受け止め、感じる。言わば、私たちはこうした光景とともにある。そして、この光景の輻輳してある世界に生きている。これこそ共生の意味するところ。何気なく過ごしている私たちの普段の営みに関わっている基本のところと知れる。 写真はイチイガシの古木にその生を委ねて生えるマメヅタ(奈良公園)。